#### 「人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛(アモール・ファティ) である。」 Last update 2020-05-26_2232

:CATEGORIES: 安藤健次郎さん


ニーチェ
(にーちぇ Nietzsche, Frederich Wilhelm)

人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛(アモール・ファティ) である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、 未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。 必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ、 --あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だ--、 そうではなくて必然的なことを愛すること……

[source:]NIETZSCHE, FREDERICH WILHELM http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/nietzsche.html

 上記に引用したページには,「上の引用は以下の著作から。ニーチェ、『この人を見よ』、手塚富雄訳、岩波文庫、1969年、73頁」とあります。「人間の偉大さ」と「慣用句」に記憶があってGoogle検索をしたのですが,今回,見つけ出すことが出来ました。

 「この人を見よ」というのはかなり意外だったのですが,平成10年の秋,ダンボール箱に入れた資料に,この文庫本を入れた記憶があります。加賀市の妻の実家で撮影された子ども2人の写真とともに返してもらっていないと思っていたのですが,数年前,本は家で発見しました。

 「この人を見よ」というのは誤解を与えそうな本のタイトルと思いましたが,あえておくることで未来の展望や方向性を示したかったという思いがありました。しかし,理想とはほど遠く自分の非力さも自覚していました。今,環境は良くなり自力もつけることが出来ました。

 平成10年秋当時のインターネット環境を記憶にする人は少なくないと思いますが,当時,パソコンもインターネットもそれほど普及はしておらず,同年代以上でも知らない人の方が多いかもしれません。今は恵まれた環境になったと思うと当時に,新たな問題の大きさも考えます。

 ニーチェの「この人を見よ」という本は,別に所持した本の印象が遥かに強いのですが,それも最初の2ページぐらいのことです。分厚い本で今も家にあると思いますが,中古本で,いつどこで買ったのか憶えていません。

 ニーチェに関心を持つようになったのは福井刑務所で受刑中,哲学に関する官本を読んだことでした。いくつかの哲学者が紹介されていました。ニーチェだけの本は官本にはなかったような気がします。ハイデガーなどは単体の著書がありました。「存在と時間」というタイトルだった気がします。

 いずれにせよ,ニーチェには影響を受けておりますし,今夜,久しぶりに調べることになったのも,ジャーナリストの江川紹子氏と,女子プロレスラーの自殺問題がきっかででした。記事にルサンチマンが出てきたからで,そこでアモール・ファティを思い出したのです。