弁護士とサーカス## ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」に出てくる綱渡り師と道化師

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 「弁護士とサーカス」というテーマを決めたのは一昨日のことと思いますが,当初は「「正確に言うと嫌いなのは「他者の人権」なんでしょうが」という北周士弁護士のツイート」というテーマで書き進めるつもりでした。

 繰り返しますがテーマは「弁護士とサーカス」になります。テーマはMarkdownの見出し1になりますが,小分けする本文は同じく見出し2としてこれをつなげて一つのブログ記事とします。最近になって思いついた手法です。今のところこの手法を使った記事は,次の1つだけです。

- 1072:2020-12-16_11:20:36 石川四高(金沢の旧制第四高等学校)と被害者安藤文さんの父親,安藤健次郎さん## 寺町台地と平成6年3月17日の福井刑務所への移送 https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2020/12/16/112034(https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2020/12/16/112034)

 福井刑務所への移送のことが書いてありますが,その福井刑務所での受刑中,官本で読み関心を持つようになったのがドイツの哲学者ニーチェで,福井刑務所の出所後も,けっこうな数,本を買っています。

 岩波文庫が多いのですが,中にはほとんど読んでいないものもあります。「道徳の系譜」は読んだように思いますが,「善悪の彼岸」,「悲劇の誕生」は読んでいないように思います。「ツァラトゥストラはこう言った」は上下巻,読みました。

 しかし,今考えると「ツァラトゥストラはこう言った」をどこで買い,どこで読んだのか思い出せなくなっています。特に印象に残っているのが,「毒蜘蛛タランティラ」と「千の目標と一の目標」なのですが,綱渡り師と道化師が出てくるのは,物語の最初の方でした。

 今朝になって調べたところ,PDFファイルが一つ見つかりました。全体の3分の1ぐらいまで読んで止めたのですが,次が読み勧めた部分の終わりになります。また機会があれば続きを読みたいと思っていますが,他にやることが沢山ありすぎです。


すると, およそこんな脈絡になろうか─幸運なことにゲームに勝ったのに, それを恥に思うばかりか, 不正な勝利かもしれないなどと疑うのは,みすみす幸運を逃してしまう姿勢であって,そのような愚直な人間は「落ちぶれてしまう」だろう,つまり「没落」するだろう。そして,そうした哀れな人間を, そうであるがゆえに愛するとツァラトゥストラは言っているのだと。 そう読める可能性があることは否定しない。 前提(さいころ遊び)と結論(没落)との間に質的な飛躍のある随分と大袈裟な話だとは思うが。 ほかの読み方の可能性はないだろうか。 ある。 ここで, 『グリム・ ドイツ語辞典』にも当ってzu Grundeの意味の広がりを確認したうえで,zu Grunde gehenのGrundの意味を, 先に挙げた③の意味にとってみよう。 そうするならば,この語は「根拠に向かって行く」という意味になるから19),命題は次のように読み解くことが可能となろう─さいころ遊びに勝って恥ずかしいと感じて不正の可能性すら疑う人は,根拠に向かってゆく人,すなわち,なぜよりにもよって自分が勝ったのか,おそらくそれは偶然であって自分の意志や能力による結果ではないのでは(そうならばそれは自分の力で勝ったのではないから「 恥」となる)と考えて, このことの「 根拠」を厳密に問わずにはいられない人, そして,おそらく根拠のなさに傷ついてもなお問い続ける人であると。 ツァラトゥストラが愛するのは,そうした人間だということになる。 二つの読解のうちでは,この後者のそれのほうが強い説得力を

 次のツイートにリンクあるPDFファイルです。


> AN00062752-00000135-0001.pdf file:///tmp/mozilla_a660/AN00062752-00000135-0001.pdf
> 綱渡りの構図と寓話 1『ツァラトゥストラはこう言った』を精読する①綱渡りの構図と寓話─ツァラトゥストラの序説をめぐって─岩 下 眞 好 はじめ

 途中まで読み終えしばらくしてから気がついたのですが,冒頭に「Publisher慶應義塾大学法学研究会」とありました。ニーチェは哲学で,文学書でもあると思いますが,法学研究会というのは意外でした。そもそも意外な発見ではあり,再審と非常上告の論文の発見のときに似ています。

 山から降りたツァラトゥストラが綱渡り師の死体を埋葬するあたりまで,かいつまんで紹介されている部分を読んだのですが,軽く10年以上は読んでいなかったので,記憶が呼び起こされる感覚がありました。

 PDFファイルの最初に「慶應義塾大学学術情報リポジトリ」とあるのですが,私には余り縁のない学術論文になるのかと思います。1つ気になった点として,道化師を「道化師そっくりの男」と表現されている点です。原文のドイツ語を正確に翻訳すると,そうなるのかは不明です。


ァラトゥストラが森を抜けて最初の町にやって来ると,綱渡り師の芸が見られるというので広場に人々が詰めかけていた。ツァラトゥストラは彼らに向かって「超人」について説き始めた。だがそれは,綱渡り芸の前口上と受け取られるばかりで,人々の嘲笑が沸き起こった。自分が催促されていると思った綱渡り師は芸に取り掛かる〔第3節〕。人々の反応を怪訝に思うツァラトゥストラだったが,さらに「超人」をめぐる説話を続け,数多くの比喩を連ねて「没落」を称揚する〔第4節〕。人々が自分の言葉を聞く耳をもたないことを悟ったツァラトゥストラは, 「超人」とは正反対の劣等な「 末期の人間」の有様を具体的に語ることによって,彼らの優越感を刺激して逆説的に「超人」を理解させようとするが,それも無駄だった。人々は,ツァラトゥストラが示した「末期の人間」の惨めさがわからないどころか,それになりたいと欲する始末だった。こうして最初の説教,すなわち序説は頓挫するが,ツァラトゥストラの意気は衰えない〔第5節〕。 すでに芸当が始まり,綱渡り師は広場と人々の上方,二つの塔の間に張られた綱を渡り始めていたのだったが,なんと同じ綱の上に,けばけばしい衣装を付けた道化師そっくりの男が現れ,綱渡り師を追いかけて罵声を発しながらそのうしろに迫った。 そのとき, 皆が仰天するような恐ろしいことが起こった。男が綱の上で,前を行く綱渡り師を飛び越したかと思うと,その拍子に綱渡り師が地面めがけて落下したのだ。人々が逃げ去るなか,

 上記にもう1箇所引用をしたのですが,PDFファイルにしてはコピーが容易だと思ったものの改行が消えています。先日,途中にほとんど改行のない新潟地裁の判決文を読んだのですが,そのときも改行のことが気になっていました。最高裁で公開されている判例でした。

 上記の引用部分で「だがそれは,綱渡り芸の前口上と受け取られるばかりで,人々の嘲笑が沸き起こった。自分が催促されていると思った綱渡り師は芸に取り掛かる〔第3節〕。」という部分が目を引きました。原文の訳し方でも表現は異なるでしょうが,要約されているとも考えられます。