#告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(18)

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〉〉〉 Linux Emacs: 2022/05/07 14:10:09 〉〉〉

% 平成10年11月、半年ぶりぐらいかに姿を見せるようになった被告発人大網健二、関係者KYNと3人で行った西金沢の一水の開店前店舗兼住宅

 今、平成10年の11月中としか思い出せないのですが、それまで長い間、姿を見せず、たぶん携帯電話の連絡もなかった被告発人大網健二が姿を店、金沢市黒田1丁目の関係者KYNの自宅だったと思うのですが、たぶんそのときに西金沢の一水に行きました。

 夜の9時ぐらいで、雨がけっこう強く降っていたと記憶にあります。エアコンの取付工事のような話だったかと思います。関係者KYNは仕事でエアコンの取り付けをしたことがあると別の時にも話していましたが、専門的に被告発人大網健二の相談に応じている様子でした。

 建物は出来たばかりの様子で、何もなく広い2階の部屋で話をしていました。店舗となる1階にも行ったように思いますが、2階の方が場面としてよく記憶に残っています。西金沢の駅のすぐ近くでしたが、夜は思ったより静かなところだと思っていました。

 その時の雨というのもドラマの中の場面のようでしたが、被告発人大網健二が何かを企んでドラマの中の登場人物のように演技をしているように見え、新たな舞台の幕が開いたようでもありました。

 その時点ではまだ会っていなかったと思う小料理屋のような店、一水のママですが、被告発人大網健二の仕事で長い付き合いがあるらしく、片町と聞いたように思いますがクラブのような飲み屋に長く勤め、そこを辞めて独立するようなかたちで店を開いたという話だったと思います。

 前の(17)のエントリで書き忘れていたように思いますが、被告発人浜口卓也の新築住宅購入の世話をしたというのは仕事としてであり、被告発人大網健二は本陣不動産株式会社の営業課長で、その肩書の名刺を持っていました。

 この平成10年11月は他にも大きな動きがあったのですが、私から積極的に電話連絡をするなどして、日曜日の午後2時ぐらいに市場急配センターの2階事務所で被告発人松平日出男と話をしたことで、その場には労務の担当者で話を聞かせてもらうという堂野さんがいて3人でした。

 これは11月の20日頃でした。前にも実行しているはずの「cal 11 1998」というカレンダーを表示するコマンドで確認したところ、この20日前後では平成10年11月22日の日曜日の可能性が高いと思います。

 その数日前は、当時の石川郡野々市町(現在は野々市市)にゴリラという店名のゴルフ用品店が建築中で、屋内の配管工事をしていたときで、その現場から市場急配センターに電話をして被告発人松平日出男と話していたことも記憶にあります。

 まだ12月に入る前で、市場急配センターで被告発人松平日出男らと話をした後になるので、11月23日から月末30日までの間になるものと推定できるのですが、夕方に現場から戻った遅めの時間、関係者KYNが私に再審請求をやめるか、仕事に専念するかと択一を迫ってきたのです。

 仕事に専念できないのなら会社を辞めてもらうと言われ、その場の返事であったのか今は思い出せないですが、少なくとも11月中には来月12月一杯で関係者KYNの配管工事の会社を辞めることになったのです。

 正月休みがあるので他の月よりは早い月末で12月28日ぐらいではなかったかと思います。辞めたと決まったのですが、新年会には出席するように言われました。1月4日か5日のことで、一泊の新年会、場所は金沢西インター近くのテルメ金沢でした。

- 【公式】西インターテルメ金沢 | 石川県金沢市の温泉・宿泊・グルメ施設https://t.co/BfgzMbpE2z

- 新本設備 - Google マップhttps://t.co/mAoUBwjJeK \n 〒920-0377 石川県金沢市打木町東1310

 住所が余り見慣れない金沢市打木町東になっていますが、Googleの検索結果にも安原工業団地とありました。安藤健次郎さんが部長をしていた西鐵工所のある松任市(現在は白山市)の旭工業団地とも場所は近いと考えていました。地図で確認することはなかったです。

- (株)西鐵工所 から 新本設備 - Google マップhttps://t.co/ZiPjlBHGhV

 3.2kmとなっているので思ったほど近くはなかったようですが、Googleマップの航空写真を見ていると、周辺にずいぶん住宅地が増えたように感じられました。

 関係者KYNは自分の思うように私をコントロールできないので、配管工事の同業者で個人的にも仲の良かった新本設備の社長に私をあずけたという思惑が強く感じられました。ビニール溶接の練習やアーク溶接の試験のこともあるのですが、いろいろとありました。

 仕事が終わってから夜に、新本設備の工場で一人でアーク溶接の練習もしていたのですが、関係者KYNに指示を受けてのことでした。なお、携帯電話は当然に持っていたと思いますが、携帯電話から西鐵工所の安藤健次郎さんに電話をして話すことは当時はなかったと思います。

 11月の終わり頃に関係者KYNの配管工事の会社を辞めることが決まったという記憶なのですが、それが決まる前に、被告発人大網健二の行動としてもう一つ気になることがありました。被告発人大網健二の兄の会社は有限会社になっていたとも思うのですが、鳶職の大網商事でした。

- 大網商事 - Google 検索https://t.co/6qnRa7v6TF

 有限会社大網商事として、2015年に法人登録という情報はいくつか見つかるのですが、会社の住所となっている石川県金沢市西泉3丁目39番地1をGoogleマップで調べると、けっこう大きな集合住宅のような建物になっていました。

 平成10年11月当時も有限会社になっていたと思うので、作業員や従業員というより社員になるのかもしれません。全部で10人ぐらいと聞いていたように思うのですが、もう少し少なかったかもしれません。10人を超えることはなかったと思います。

 被告発人大網健二は私に、総合建設業というような言葉を使って鳶職以外の業務拡大を目指していると語り、そのための社員教育ということで、大学から講師を呼んで、講義をきかせるといい、その場所にしたのが関係者KYNの新しい事務所でした。

 被告発人大網健二は具体的な大学名も出していたと思います。大学名は思い出せないですが、石川県の大学というのは数えるほどしか数がなかったと思います。

 関係者KYNの配管工事の会社は有限会社でも株式会社でもなかったのですが、関係者KYNは社長と呼ばれ、従業員は私を含めて3人でした。

 被告訴人KYNとなっていたのを関係者KYNに変更しました。登録単語の方も変更したのでこのあと間違いは出ないと思います。

 関係者KYNのところで仕事をするようになったのは、その前年である平成9年の11月だったと思います。従業員は金沢市高尾のKY君だけでしたが、翌年の1月中に、金沢市みどり団地近く(団地ではない民家)のMT君が入って3人になりました。

 平成10年の9月の20日ぐらいに名古屋市に管工事の資格試験の受験にKY君と二人で行ったのですが、昨年2021年11月頃に、その時の宿泊先の領収書のようなものも見つかっています。それと数日前後して、西鐵工所の安藤健次郎さんにダンボール箱で書面などを郵送しています。

 時期ははっきりしませんが、管工事の試験で名古屋から戻った後になるかと思います。関係者KYNのところで仕事を始めた頃、ブロック塀で隔てられた隣の家は通路の奥の方で、鳶職の若夫婦が住んでいるという話でした。子供の姿も見かけたことがあったかもしれません。

 そのうち引っ越して鳶職の家族はいなくなったと聞いていたのですが、その隣の奥の家を買い取って事務所にすると関係者KYNが言い出し、すでに決まっていたと思うのですが、11月に入った頃には、その隣の奥の家に出入りするようになっていました。

 ちょうど同じ頃だったと思うのですが、関係者KYNが大きな融資が通ったといい、はっきりとした金額は断定できる記憶状態ではないですが、2億円と聞いたように思います。宇出津に本店のある興能信用金庫とも関係者KYNは話していたと思います。

 中古物件で購入した隣の奥の家も同じですが、金沢市黒田1丁目の関係者KYNの自宅は、けっこう大きな川沿いの土手の下で、水害の危険が高いので地価がかなり安いとも聞いていました。

 15メートルはなかったように思いますが、法律の勉強で習った囲繞地のような感じでした。奥につながる通路が誰の所有なのか聞かなかったですが、広い道路に直接面している物件よりは、価格が安いはずと想像されました。

 家は小さめでかなり古い家で、これから修繕も増えていきそうな家に見えました。やや広めのダイニングキッチンのような部屋があって、そこを事務所にしていましたが、他に8畳ぐらいの和室があったことははっきり憶えています。2階にもあがったような気がしますが、憶えていません。

 おそらく金沢市内の中古物件としてはかなり安いような家で、玄関の前などが少し広く車が止めやすくなっていたような記憶があるので、それはいくらか好条件のようでしたが、いくら高くても2千万円はしないのではと思われる中古住宅でした。

 関係者KYNの会社の仕事の方も、その年、平成10年の春先頃から本格化した「いしかわ動物園」の配管工事は、水族館のアザラシ棟の工事であったため複雑で特殊な機器をたくさん取り付けた配管工事でした。

 直接聞いた話ではなかったかもしれないですが、その特殊なバルブ類を含めた配管工事の材料費は関係者KYNの支出となっている様子がありました。

 他に大きな現場として、「いしかわ動物園」の近くの辰口町の新庁舎の配管工事がありましたが、現場は大きかったものの、トイレなど通常の水回りの配管工事のようでした。スプリンクラー設備の配管というのも記憶にはありません。

 「いしかわ動物園」の配管工事もほぼ出来上がりに近づいている感じで、辰口町の新庁舎でも最終的な役所の検査を終えていたと思います。次に大きな現場の仕事があるという話も聞いていなかったので、関係者KYNの大きな融資の話は、それだけでも違和感があったのです。

 さらに会社の状況が厳しくなるので全員が一丸となって配管工事の仕事に打ち込まなければならないと関係者KYNは訓示を垂れ、個人的な事情を優先するやつは会社を辞めてもらわなければならないと言い出し、それがさらに私の再審請求はしないという誓約のような話にまで急激に発展したのです。

 被告発人大網健二には、その前の年、平成9年の秋頃には、同様のことを言われ、過去のことは忘れろなどと言いながら、私の再審請求に反対する理由を訊くと、自分の父親の美川2少年殺人事件のことでマスコミの報道被害にあい、兄の妻も疲弊し過敏になっているなどと言っていました。

 同じ頃、一方では、父親の美川2少年殺人事件のことでNHKから特集の取材交渉があったなどと、それだけ社会の注目を集めたことで、まんざらでもないというのか、満足そうにも見える話しぶりをしていたこともありました。

 ただ、被告発人大網健二と関係者KYNに共通していたのは、私の再審請求についても安藤健次郎さんとの関係についても、反対一辺倒ではなく、ときに理解を示すような態度もあったように思えるところで、協力していると思わせるそぶりもありました。

 関係者KYNが隣の奥の中古住宅を事務所にしてすぐの頃、被告発人大網健二は2つのコピー機を見せて、私と関係者KYNにどちらか1つを選ぶように言いました。1つは高さが1メートルほどありそうな本格的なコピー機で、もう1つはその半分より小さかったですが、それでもけっこうな大きさがありました。

 私は小さい方を被告発人大網健二からもらって、北安江の借家の2階の部屋に置いていたのですが、何かの仕掛けで情報が盗まれているような気もして、被告発人大網健二や関係者KYNの名前が出てくる書面には使わないようにしていました。

 被告発人大網健二の大学から招いた講師の話ですが、ある日、現場から戻ったタイミングで、被告発人大網健二や大網商事の社員が関係者KYNの事務所の中古住宅にいて、被告発人大網健二はとても満足そうに上機嫌だったのですが、講義が終わり講師が帰ったところだと私に説明をしていました。

 大網商事の社員全員ではなく、今考えると被告発人大網健二の兄の姿もなかったような気がするのですが、奥の畳の和室に集まって、しばらく雑談をしていました。皆楽しそうに話をしていましたが、講義の内容に関する話題などまるでなかったと思います。

 大網商事の番頭でナンバー2とも言われていた同級生のHSの姿もありました。宇出津の城野町に実家があったので城野町のHSとしておきます。その場で、彼も被告発人大網健二の世話になったという金沢市荒屋町の中古住宅の話もしていたかもしれません。

 金沢市は荒屋町と上荒屋がずいぶん離れた別の場所にありました。

- 荒屋町 - Google マップhttps://t.co/0Sfw7toz3D \n 〒920-3125 石川県金沢市

- 上荒屋 - Google マップhttps://t.co/AuRLwmhqIN \n 〒921-8065 石川県金沢市

 まず、荒屋町と上荒屋の場所と地名を入れ替えたかたちで記憶していたようです。西インターに近いほうが荒屋町で、東インターの向こうにあるのが上荒屋かと思っていました。

 上荒屋は金沢西インターに近いのですが、国道8号線バイパスからもっと離れて海に近い場所と思っていました。平成11年の2月頃、被告発人大網健二が車を運転しながら城野町のHSの家があると指差した小さな集落のような住宅地が、金沢市内のはずれで海に近い場所として印象にあったからです。

 同じ頃、被告発人大網健二は、私に西宅建株式会社の建売住宅の広告チラシを渡し、その物件の場所が上荒屋となっていたと思います。私はそのチラシの束を持って、みどり団地のビルの集合住宅を飛び込み営業で周り、ドアを開いて話を聞いてくれる人が一人もいなかったような記憶になっています。

- みどり - Google マップhttps://t.co/RbvXxzELXr \n 〒920-0373 石川県金沢市

 被告発人大網健二の車の運転で通りかかった上荒屋と思われた場所は、みどり団地より海に近い場所に思えたのですが、みどり団地の近くではなく、余り行ったことのない場所でした。その奥に大きな団地のような建物があって、被告発人大網健二は真脇のIMが夫婦でここに住んでいると話していました。

 同級生の真脇のIMとは、昭和58年頃から会うことがなかったかもしれません。小木か姫の遠洋漁船に乗っていた時期もあって、その頃にも一度は会っていたような気がするのですが、思い出せなくなっています。被告発人浜口卓也とは同じ真脇の出身でもあるので、付き合いがあった可能性はありそうです。

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