#告発状\金沢地方検察庁 ## 被告発人木梨松嗣弁護士と被告発人大網健二の関係(026):被告発人大網健二と市場急配センター、平成3年12月の相談


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 被告発人大網健二に被害者安藤文さんのことで初めに相談したのは、平成3年12月の10日から15日頃のことと記憶に残ります。12月入ってからというのはまず間違いないと思うのですが、前後はわからないものの被告発人多田敏明と同じ頃でした。

 被告発人多田敏明の場合は、初めての相談の状況を具体的に憶えているのですが、被告発人大網健二の場合ははっきりした場面の記憶がなく、クリスマスプレゼントのアドバイスを受けたように思うのですが、これは被告発人安田敏への相談の回答とも重なりそうです。

 信用性に疑問のある市場急配センターの運行表や作業日報で、それも未確認なのですが、最初に和歌山県かつらぎ町の出荷場に行った運行が平成3年11月の18日頃だったと思います。これまでにもかなりの数、記述をしていると思いますが、丸一運輸の仕事でした。

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- 2022年09月13日00時02分の登録: ツイートの記録資料:\法務検察・石川県警察宛\/小倉秀夫(@chosakukenho)/”2022年09月12日”:44件https://kk2020-09.blogspot.com/2022/09/chosakukenho2022091244.html

- 2022年09月13日13時04分の登録: \弁護士 市川 寛 @imarockcaster42\北海道警、弁護士立ち会い「認めない」と通達 警察庁指示と食い違いhttps://kk2020-09.blogspot.com/2022/09/imarockcaster42.html

- 2022年09月13日13時45分の登録: H3DB_search_”丸一運輸”_(該当件数:54/データベース登録数:607,604) _2022-09-13_134523の記録https://kk2020-09.blogspot.com/2022/09/h3dbsearch54607604-2022-09-13134523.html

- 2022年09月13日13時45分の登録: H3DB_search_”かつらぎ”_(該当件数:106/データベース登録数:607,604) _2022-09-13_134502の記録https://kk2020-09.blogspot.com/2022/09/h3dbsearch106607604-2022-09-13134502.html

- 2022年09月13日13時46分の登録: H3DB_search_”小松”_(該当件数:505/データベース登録数:607,604) _2022-09-13_134639の記録https://kk2020-09.blogspot.com/2022/09/h3dbsearch505607604-2022-09-13134639.html

 細かく書くと全くきりがないのですが、小松をキーワードにしたまとめ記事を開き、「市場」でページ内検索を行うところから始めます。

 ページ内検索は49件の該当があって、金沢市場輸送や市場急配センターにもヒットしていたのですが、探していた事実関係を見つけることは出来ませんでした。とても強く印象に残っているので、なかったのが意外です。

 平成3年は11月の中頃に、一度、金沢市大場町東の被告発人大網健二の自宅に遊びに行っているのですが、神戸から富山県高岡市まで外果を運び、昼に金沢に戻ってからトラックステーションに大型トラックを駐車させ、被告発人大網健二の車に乗って彼の家に向かったことを憶えています。

 電話というのは多かったと思いますが、被告発人大網健二と直接会うのは年に数回程度だったと思います。7月に妻子が家出をした後、被告発人大網健二の家族と野々市ジャスコに行ったことと、ジャスコ若宮店のフードコーナーで、たぶん寿がきやのラーメンを食べた記憶があります。

 野々市ジャスコのときは、彼の妻と娘がいましたが、ジャスコ若宮店の方は彼の妻のことしか記憶に残っていません。あと、温水プールのある大型レジャー施設のルネス金沢に行ったこともよく憶えているのですが、被告発人大網健二の妻子の姿は記憶にありません。

 大場町東への引っ越しというのもその平成3年の4月だったと思うのですが、たぶんそのときに家に入ったのが初めてで、9月の中頃に被告発人大網健二の兄の結婚祝いの祝宴があって、関係者KYNの車で行き、夜中のうちに戻ったことも憶えています。

 11月の時は昼に遊びに行ったことしか記憶にないのですが、平成4年になって2月の終わりか3月の始め頃に、夜に被告発人大網健二の大場町東への家に遊びに行き、このときは泊まったことが記憶にあります。確実な記憶はこの4回ですが、他にも1回ぐらいはあったかもしれません。

 電話ではなく直接会って、被告発人大網健二に被害者安藤文さんの相談をしたように思うのですが、どこかで直接会ったという記憶は現在残っていません。あと、12月21日の夜に、被告発人浜口卓也が自宅アパートから被告発人大網健二の家に電話をして話していました。

 私も少し電話に出て被告発人大網健二と話をしたような気がするのですが、記憶がはっきりしません。電話口で被告発人大網健二の声が少し聞こえていたような場面の記憶もかすかに残っています。ひんぱんに電話を掛け合っているという様子に見えました。

- 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: H3DB_search_”かつらぎ”_(該当件数:106/データベース登録数:607,604) _2022-09-13_134502の記録https://t.co/MQQrpaKeND

 今度は、「かつらぎ」のまとめ記事で、「小松」をページ内検索しましたが、やはり探していた事実関係は見つかりませんでした。

 それというのは、小松市の市場の敷地の出切り口に公衆電話があって、荷降ろしを終えたあとと思いますが、そこから被告発人大網健二の自宅に電話を掛け、けっこうな時間話し込み、被害者安藤文さんのことを話していたように思うのですが、電話の内容がはっきり思い出せなくなっています。

 これから特に断りのない限り、5月から12月は平成3年を、1月から3月は平成4年を指します。市場急配センターで仕事をしていた時期に相当しますが、傷害・準強姦被告事件を起こしたのが平成4年4月1日になります。このあと5月28日までは金沢西警察署の留置場での生活です。

 2月中になると思うのですが、愛知県の渥美半島の先端付近からトマトを中心に野菜を運んだことがあり、小松の市場でトマトを荷降ろした場面が記憶にあり、夕方の早い時間であったようにも思うので、被告発人大網健二の自宅に電話をしたのは、この時の可能性もあります。

 渥美半島は小林運送の仕事でしたが、他に午前中に豊橋市内の大きな出荷場から白菜を積み込み金沢中央卸売市場で荷降ろしをしたことがありました。いずれも豊橋市から渥美半島の付近ですが、この小林運送の仕事は2回か、あるいは3回やっていて、はっきり記憶にあるのは2回です。

 2月11日の建国記念日の祭日に、被告発人安田敏が金沢中央卸売市場で荷降ろししていたのも同じ豊橋の白菜になると思います。考えてみると2月14日にも被告発人安田敏は豊橋で白菜を積んでいるのですが、豊川インターで50個ほど散乱させたという話でした。

 これは作り話の可能性があるとも考えていたのですが、料金所から東名高速の本線に乗るスロープのようなカーブで、ウィング車から50個ほどの白菜を散乱させ、観光バスの乗客が降りてきて白菜を持ち去ろうとしたとも被告発人安田敏は話していました。

 午後の割と早い時間で、市内配達の運転手もまだ戻らない時間でしたが、市場急配センターの一階の休憩室で、私は被告発人安田敏と差し向かいで話をし、被告発人安田敏は被害者安藤文さんと被告発人池田宏美が買ってきたというチョコレートを頬張っていました。

 この時の状況も克明に記述した書面があるはずですが、私は被告発人安田敏の態度に憤慨して、金沢中央卸売市場の敷地にある北國銀行に行き、20万円か25万円をATMで降ろして、市場急配センターに戻り、二階に上がって被告発人池田宏美に手渡したのです。

 被告発人安田敏の責任は持てないので、保証人になっているこのお金を渡すので、いつでも被告発人安田敏を首にしてくれ、と申し向けたのです。被告発人安田敏の非常識な言動の数々というのは、記憶が薄れていますが、具体的で鮮明な記憶の事実関係の記載も発見した書面で見かけています。

 過去に作成した書面を読めば、記憶が蘇り思い出す状況というのもあるかとは思いますが、私の手元に残っているのは、ごく一部で、それもまだ少ししか読んでいません。

 記憶がはっきりしないので、時期もはっきりしないのですが、被告発人大網健二に被害者安藤文さんのことを相談する上で、疑問に思ったことがありました。被害者安藤文さんの不可解な言動を具体的に説明していたのですが、被告発人大網健二が疑問の表情を浮かべることがなかったことです。

 離婚した私が精神的に不安定になっているという疑いもなく、織り込み済みの話を聞き流す様子にも思えました。関係者KYNにも似たような反応を感じることがあったのですが、彼の場合は、独立した配管の仕事のことで頭が一杯で、ゆとりないとも思えていました。

 金沢市黒田一丁目の古いマンションでしたが、ワゴン車に配管工事の道具一式を積んで仕事をしているという話でした。被告発人大網健二の家のある大場町東と違い、私の住む東力2丁目のアパートから近かったので、遊びに行く回数も多かったとは思います。

 被告発人大網健二が市場急配センターの事務所に入ったことがあるとも話していたかもしれないですが、これも記憶がはっきりしなくなっています。あるいは平成9年当時の話かもしれません。

 宇出津のK村さんと姫のNKさんのことは、これまでに知っていることを繰り返し記述してきたと思います。被告発人松平日出男が金沢市場輸送に来たのが昭和63年の8月の終わりか9月の始めで、それから一月もしないぐらいで、K村さんと姫のNKさんの2人が持ち込みの仕事を始めたのです。

 かなりポンコツに見える2トントラックでした。スクラップ場に置いてあるようなトラックに見えたのですが、子供の頃は谷内自動車のスクラップ場でよく遊んだという経験もありました。スクラップ場とは呼んでいなかったですが、廃車置き場のような場所です。

 そのしばらく前に、姫のNKさんが二人で、魚の移動販売、行商の仕事をやっていると被告発人大網健二から聞いていました。トラックで山間部に魚を売りに行くという話でした。市内配達の仕事をするようになってしばらくしてから、それらしい移動販売のトラックを見たことがありました。

 金沢市場輸送の給油所の前辺りで、なんどか話をしていたK村さんとNKさんの二人ですが、その場に移動販売をしていたというトラックを持ち込んでいたのです。転売すると話していたかもしれません。

 滅多に姿を見せなかった被告発人松平日出男ですが、夕方の麻雀には来ていたのかもしれません。いつ頃から金沢市場輸送で夕方の麻雀が始まったのか、思い出せないですが、本格化したのは被告発人東渡好信が入った平成2年の秋頃とも思われます。電動の麻雀卓がありました。

 金沢市場輸送で市内配達の新しい責任者と聞いた被告発人松平日出男でしたが、麻雀以外で姿を見ることは少なく、金沢市場輸送の事務所に机があったとも、机に座った姿というのも見た記憶がないほどです。石川トヨタで横領をして首になったとは早くに聞いていました。

 金沢競馬で散財していたのが石川トヨタでの横領の原因とも聞きましたが、この話は同じ石川トヨタの社員だったという竹林からよく聞かされていました。蛸島の女性と結婚するので食事を切り詰めてお金を貯めているときいていましたが、破談になった頃一緒にイワシの運搬の仕事をするようになりました。

 平成元年12月のことです。年は私の2つ年上と聞いていましたが、石川トヨタをやめた後、車のブローカーなどやってオークションに参加する資格を持っているような話をしていました。この車のブローカーの仕事は、被告発人大網健二がやっていたことと共通しています。

 被告発人松平日出男も石川トヨタを首になったあと、金沢市黒田2丁目の辺りで中古車販売店をやっていたと聞いたのですが、誰かに教えられたその店が、昭和58年頃に入って車を探した憶えのある店で、そのときに被告発人松平日出男と話をしていた可能性というのも考えていました。

 より強い結びつきは、川上板金になります。10月になって被告発人安田敏が乗務していた大型ウィング車を、金沢市場輸送のカラーから市場急配センターのカラーに塗り替えるのに、被告発人安田敏と一緒に行ったのが川上板金でした。

 この川上板金の話は、昭和58年の秋に、私が被告発人安田敏と一緒に、金沢市藤江の輪島の暴走族のたまり場に遊びに行っていた頃に、話を聞いていたのですが、能都中学校の同級生YMが高校卒業後に勤めていて、関係者KYMと一緒に工場に行ったことがありました。

 昭和62年中になるかと思います。関係者KYMはトヨタのビスタという車、たぶん新車と聞いていたように思いますが、同級生のYMが勤めているということで、板金の修理に出したところ、エンジンの載せ替えをしたと言われ、高額の修理代を請求されたとものすごく驚いていました。

 被告発人松平日出男は車の中古車販売の他、車の保険についても精通していたらしく、金沢市場輸送での交通事故の保険の取り扱いも一手に引き受けているという話でした。金沢市場輸送の輪島のYAが新潟県能町で起こした事故の話の付き合いで、市場急配センターに行ったのも平成3年の春先のことです。

 市場急配センターの事務所に入ったのもその時が初めてだったと思いますが、2階の事務所に入ると、机に座って仕事をする被害者安藤文さんの姿がありました。金沢市場輸送の事務所でも見かけていましたが、金沢中央卸売市場の事務員ではないかと考えていました。

 午前中がほとんどだったとも記憶にあるのですが、金沢市場輸送で被害者安藤文さんの姿を見かけるようになり、コンピューターのデータ入力に来ていることはわかったのですが、運転手の間で話題になることもなく、青果の仲買か金沢中央卸売市場の職員が仕事に来ているのかと考えていました。

 平成2年の4月になりそうですが、小林健一さんと入れ替わるようにかたちで、姿を見るようになったのが被害者安藤文さんでした。名前を知ったのは平成3年9月に入った頃のことです。「サンマが欲しかったら取りに来い、と池田さんと安藤さんに伝えてくれ」という被告発人松平日出男の発言でした。

 イワシの運搬の仕事が暇になって、昼に時間を持て余すようになっていた小林健一さんですが、一緒に市川タイヤの隣りにある小屋のような小さなラーメン屋で食事をすることがあり、被告発人松平日出男に対する不満もぶちまけていましたが、データ入力も不満のようでした。

 他にコンピュータのデータ入力のできる者が会社にいないと小林健一さんは私に話していたのですが、会社を辞めるような話を聞いてから早いうちにいなくなっていました。本人の話では、実家が群馬で大きな梅園をやっていて、親の体調が悪くなり、その仕事を引き継ぐことになったということでした。

 父親が最高裁判事とも話していた小林健一さんでした。その父親が竹沢俊寿の親しい友人で、社会勉強のためにあずけられたような話をしていました。竹沢俊寿は中央大学の出身で空手部だったとも自慢げによく話をしていました。法学部だったのかもしれません。

 石川県警察の警察官で、機動隊員、白バイに乗っていたとも小林健一さんは私に話していたのですが、休日に自分の乗用車にサイレンを取り付けて、それで取締を行い、上司にそれを咎められたことで警察をやめたとも話し、警察官としての正義感の熱血ぶりを物語っていました。

 その一方で、焼酎の大きなペットボトルをラッパ飲みしながら市場急配センターのワゴン車を運転していた姿が記憶にあります。ラビット号と呼んでいましたが、うさぎの絵が描かれているかなりポンコツのワゴン車でした。後部席では、そのまま網で魚を焼くこともありました。

 「樹氷」という焼酎で数年前には宇出津新港のドラッグストアでも同じような商品を目にした憶えがあるのですが、容量がたぶん2.7リッターで、このサイズの焼酎のペットボトルが市販されるようになった出始めの時期とも思われます。

 酔うと陽気になるのも小林健一さんの特徴で、よく憶えているのが、昭和62年6月と思われる山中温泉での慰安会でした。金沢中央卸売市場の北國銀行の前辺りに送迎のマイクロバスが来て、そこから山中温泉に向け出発をしました。現在は加賀市ですが、当時は江沼郡だったと思います。

 北陸自動車道の高速道に乗り、片山津インターで降りたのですが、小林健一さんはすでにずいぶん酔った様子で、たしかレジ袋の中に小便をするような行動を始め、それを止めようと車内が騒然となったのですが、ずいぶんと陽気で楽しそうでした。

 酒に酔っているのを見たのもそれが初めてだったと思いますが、山中温泉の広い大部屋では一人だけ、早い時間に布団で熟睡をしていて、そのまま朝まで寝ていたような様子でした。

 昭和61年の秋頃に姿を見るようになったと記憶にある小林健一さんですが、当時、金沢中央卸売市場の前にあったテナントビルの金沢市場輸送の前で、大型バイクの話などしたことを憶えています。大型の平ボディ車でローカルの仕事をしているような話でした。

 最後に小林健一さんと会ったのは、群馬県前橋市国道50号線で、信号待ちをしているときに大型バイクから声を掛けられたのですが、たぶん山三青果に向かっていたと思いますが、鹿児島市の市場から積んだ白菜を夜中に長野市の市場で荷降ろしし食堂の駐車場で仮眠して、朝に出発したときでした。

 家は群馬県の渋川伊香保インターチェンジの近くと聞いていた小林健一さんでした。いなくなってから話題になることもなかったのですが、平成元年12月からのイワシの運搬では、元請けの市場急配センターの現場監督のようなかたちで運搬のトン数など記録している様子でした。

 待ち時間の長いイワシの運搬の仕事でもありましたが、ラビット号と呼ばれたワゴン車の運転席に座り、イワシの運搬が始まると、大きな紙を挟んだバインダーを前に置いて、データの書き込みをしている様子でした。

 金沢港の近くでイワシがとれると、ずっとぶっ続けに運搬を繰り返していました。イワシを運び加工するミール工場の機械が、一度燃焼を停止させると、再始動に80万円とか、50万だったのか忘れましたが、それだけの経費が掛かるので、ぶっとおしでやるという話でした。

 金沢港の堤防の先でイワシがとれることもあれば、京都府舞鶴沖や新潟県佐渡ヶ島の近くまで、イワシの魚群を探し回るとも聞いていました。海が時化て漁にならないということもあったかと思いますが、そういう時間に不規則な仕事でした。

 平成元年12月にイワシの運搬の仕事が始まって、ちょうどその頃に、初めて被告発人大網健二が住み始めたというアパートに遊びに行きました。金沢港の近くで住所は無量寺と聞いていました。ここも3,4回ぐらいしか遊びに行くことがなかったと思います。ここから大場町東の一軒家に引っ越したのです。

 本陣不動産株式会社で仕事を始めたと聞いたのも同じ頃だったかと思います。その前は福田自動車とか、高畠の辺りにある中古車販売のブローカーの仕事をしているなどと聞き、その福田自動車の名刺を被告発人大網健二にもらったような記憶があります。

 被告発人大網健二が神戸から戻ってからのことですが、宇出津の野村呉服店で仕事を始めたとか、同じく宇出津の漁運会輸送で6t車の持ち込みの仕事を始めたとか話していた時期がありました。昭和63年の8月のお盆は、神戸から帰省をしていました。シトロエンというフランスの車に乗っていました。

 最近になって、断片的に思い出した記憶なのですが、たぶん正月休み明けに被告発人大網健二を小松空港まで車で送ったことがありました。雪が降り積もっていたように記憶にあります。

 昭和58年の2月ぐらいに被告発人大網健二は東京に行ったのですが、浅草で喫茶店の仕事をして2階で住み込みをしていました。7月の20日頃に普通免許を取得し、その直後に、藤田自動車の代車で、被告発人大網健二の東京の住まいに泊りがけで遊びに行ったことがありました。

 昭和59年の4月には金沢市場輸送で一緒に仕事をするようになった被告発人大網健二ですが、この昭和59年の正月に被告発人大網健二を小松空港まで送ったのかもしれません。

 平成11年の2月頃、アル・プラザ金沢の前のうどん屋で、店を出て駐車場の車に乗り込む辺りだったと記憶にありますが、被告発人大網健二に金沢市場輸送で一緒に仕事をしていたことを話しかけると、驚いた様子ですぐに否定したという一幕がありました。

 竹沢俊寿の話をしたようにも思うのですが、被告発人大網健二は知らないなどと言って、話に応じようとはしませんでした。ずいぶん警戒した様子にも見えたのですが、昭和59年の4月から7月の間、3ヶ月ぐらいは金沢市場輸送で4トン保冷車の長距離の仕事を一緒にしていました。


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