#告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(5)

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 (4)では、被告発人大網健二の父親の美川2少年殺害事件について取り上げましたが、これは私が福井刑務所に服役中に起こった事件で、逮捕されたときの報道は新聞で大きな墨塗りになっていたと思います。

 印象に残るのは、公園の入口のような場所の写真がとても大きく横長に掲載されていたということです。福井刑務所で見ていたのは読売新聞でした。後に図書館の北國新聞縮小版で記事になると思いますが、墨塗りされた記事にそのまま重なるような気がしました。

 一年ほど前かにこの被告発人大網健二の父親の美川2少年殺害事件を調べ直しているのですが、そのときに驚いた発見に思えたのが、2人の被害者の1人が、美川町ではなく小松市本折町になっていたことです。

 北國新聞に繰り返し大きく取り上げられていた美川2少年殺害事件ですが、一夜のうちに2人を別の場所で殺害したのかわかりづらいところがあって、美川町の公園で発見された車の中に2人の遺体が発見されたという話だったかもしれません。

 2人の19歳の少年を殺害したとされる被告発人大網健二の父親は、車を放置したまま金沢まで歩いて帰った可能性があるとも、そのときに記事で読んだように思います。逮捕される前の報道は福井刑務所の読売新聞で記事を読み知っていました。

 後になるのか先になるのかはっきりしませんが、美川2少年殺害事件はずいぶん謎めいた事件に思われ、福井刑務所で見ているテレビで話題になっていた「金田一少年の事件簿」とかいうドラマに重ねて考えることがありました。

 最近もTwitterで話題をちらほらと見かけている金田一少年ですが、このドラマを視聴したという記憶はほとんどなく、前から気になっていましたが、特に調べることがなかったと思います。そういえば、「ともさかりえ」という名前がTwitterのトレンドにあり、それらしい写真を見かけました。

- 金田一少年の事件簿 (アニメ) - Wikipediahttps://t.co/V6k7pf6RzG 1996年12月14日、劇場アニメ第1作『オペラ座館・新たなる殺人』で初のアニメ化、全国東映系でロードショーされる。ノベルス版を原作とした劇場アニメは、原作ファンからの高い評価を受けた[1]。

 もともと週刊少年マガジンで1992年から2001年まで連載されていたということもほとんど知らなかったと思うのですが、テレビアニメというのも記憶にありません。テレビアニメが始まる前の、平成8年12月14日に映画がロードショーになったとあります。

 アニメではなく実写の映画とも記憶にあったのですが、他のことをしながらテレビの声だけを聞いていたのか、テレビ放送のない日のラジオ放送で話題を聞いていた可能性もありそうです。福井刑務所を満期出所したのは平成9年1月18日でした。

 この福井刑務所の出所というのも謎めいたドラマのようなところがあり、事前に全く連絡がないまま、被告発人大網健二と兄、関係者KYNの3人が私の母親を連れて、兄の運転するワゴン車で迎えに来ていました。和倉温泉駅までの切符を刑務官に数日前にもらっていましたが、その場で返却になりました。

 母親が長い時間、車に乗っているのも珍しかったのですが、母親は昔から車酔いがひどく、タクシーの基本料金で行ける距離以上に車に乗るのは見たことがなく、京都の親戚の車にも同乗して、一緒にどこかに行ったという記憶がありません。

- 無罪事例集 第2集|日本評論社https://t.co/pag5pYwDj8 発刊年月1996.05

 目次の部分が空白になっています。福井刑務所の閲読許可証が平成8年10月16日から平成9年4月15日になっていました。はっきりと思い出せなくなっているのですが、半年というのは珍しいと思います。

 福井刑務所ではなく金沢刑務所の閲読許可証になりますが、国語辞典が1年間になっていました。冊数外は3ヶ月になっていたような記憶だったのですが、半年というのは珍しく思います。

 ホコリまみれになっていた「新法律学辞典」は、閲読許可証の期間が1月になっていました。分厚いですが福井刑務所にいるとき一通り全部読んだという記憶があり、幅広く法律の勉強をしていました。昭和43年6月20日発行となっていました。もともと中古本のようでした。

 母親から郵送で差し入れてもらった本でしたが、前と後ろで1つめくったところに「1,000」という手書きの文字があって、中古本の値段が千円だったものと考えられます。

 閲読許可証は平成6年8月23日から始まり全部で9枚重ねて貼り付けられていますが、最初の2枚の閲読許可証は半年間になっていました。他に長い閲期間で所持したい本があって、私の方で一月という単行本と同じ扱いにしていた可能性があります。所持は3冊で、冊数外が7冊だったように思います。

- 平4平8 無罪事例集 第1 2集 日本弁護士連合会刑事弁護センター編(法律)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(https://t.co/wOAwB4DsLMhttps://t.co/23Y0c3aj5k

 並んだ写真の下の段の右から2枚目が目次になっていて、飯森和彦弁護士の名前があります。項目名は「強制わいせつ事件の控訴審で、被害者および目撃証人の供述の信用性が否定され、被害事実そのものがなかったとして逆転無罪となった事例」とあります。

 これがネットではほとんど情報が出てこなくなった事件名で「星野事件」になると思います。この名古屋高裁金沢支部で無罪判決を出したのが、私の控訴審初公判の裁判長であった浜田武律裁判長になります。濱田武律となっていたかもしれません。

 無罪事例集【第二集】の目次にはないので、【第一集】になりそうですが、他にもありそうな見開き状態の目次のページでは、右から数えて4番目になっています。私の記憶では本の最初の項目になっていて、梨木作次郎弁護士の名前があり、西村依子弁護士の名前もありました。

 無罪事例集【第一集】は家の中で見つかっていないと思います。無罪事例集【第二集】は薄い緑のうぐいす色に見えますが、無罪事例集【第一集】は色が違って灰色のような色で、私が別に所持する「有斐閣判例六法平成8年版」とよく似た色です。

 いずれも福井刑務所にいた頃になると思うのですが、この無罪事例集のような感じの専門的な本で山中事件の詳細を読んだと記憶にあります。なお、先程、強盗殺人の未遂としていましたが、正しくは強盗致死の未遂だったと思います。致死の未遂というのは死んでいないようでもあり不思議に思ったのです。

 美川2少年殺害事件の犯人が被告発人大網健二の父親と知ったのは、福井刑務所を満期出所してまだ一月も経っていないぐらいのことで、20時55分頃の放送だったように思いますが、テレビの石川県内ニュースに、控訴審の初公判が出てきて、名前を顔写真を見たのです。

 私は福井刑務所に服役中、被告発人長谷川紘之弁護士の自宅で妻が強盗被害にあったという事件のことも知っていたのですが、福井刑務所に服役してきた犯人が、妻を強姦したと話しているとも人づてに聞きました。新入教育の第一工場で他の受刑者に話していたようです。

 下の名前が思い出せなくなっていますがFさんとしておきましょう。Fさんも星野事件と似た強制わいせつ事件で冤罪と訴え、出所後、再審請求をするとも話していましたが、妻を強姦という話はそのFさんから聞いた話で、金沢合同法律事務所が良かった頼りになると話していたのもFさんでした。

 再審請求を予定して法律の勉強もされているらしく、第一法規という法律書専門の出版社があると教えて、勧めてくれたのもFさんでした。運送会社の名前は今も覚えていますが、金沢市近郊の運送会社で、2人その運送会社で勤めた知人もいました。知人と言うか運転手仲間です。

 1人は金沢市場輸送で配車係もしていたYTですが、平成2年6月の片山津温泉ホテルながやま、の一泊の慰安会には姿がありました。7月にはいなくなっていたと思うのですが、別の運送会社の配車係か、手形で購入した大型トラックの所有者となり、被告発人安田繁克にも乗務をさせ、仕事をさせていたようです。

 あまり細かく思い出せないということもあるのですが、説明を聞いてもよく理解できないややこしさがありました。会社の名前などは今も覚えていますが、彼は私を通じて被告発人安田敏とも接点がありました。中西運輸商にいるときに知り合った人物で、最初はホーム作業の夜間のバイトでした。

 YTと最後に会ったのは平成3年12月の10日頃、もう少し早いかもしれませんが12月には入っていました。羽咋市の平鍛造から積み込んだ荷物を山形県で荷降ろしし、その日に寒河江市で積んだリンゴを、金沢中央卸売市場で夜、荷降ろしをしているときに顔を合わせ、そのあと一緒に食事に行っています。

 そのYTが被告発人浜口卓也とも付き合いがあり、付き合いの程度はわかりませんでしたが、一緒に飲みに行くような関係とも聞きました。被告発人安田敏から聞いたように思います。

 YTの父親というのは、近くで見たことがなく顔はしらないままだったのですが、金沢市場輸送の運転手として金沢港でイワシの運搬をするようになり、被告発人安田繁克もそのとき一緒にイワシの運搬の仕事をやっていたようです。

 YTの姉というのもはっきり顔を見た記憶がないのですが、旦那のIという名前の人が、たしかトレーラーの持ち込みでミールを専門に運んでいました。最初は大型車だったかもしれません。極力最低限しか会社に顔を出さない運転手で、人付き合いもなかったようですが、他の運転手との関係はよさそうでした。

 YTと一緒に配車係をしていた藤田さんは、YTと同時に金沢市場輸送からいなくなり、津幡町の恊共運送あるいは恊共運輸の配車係になったようです。前々から話は聞いていたのですが、中西運輸商がやっていた佐川急便の広島・九州便をやるという話でした。

 重大事故の多い中西運輸商が佐川急便から切られるという話は、そのだいぶん前から出ていて、YTと藤田さんの2人は、その九州便を金沢市場輸送でやりたいと考えていたのですが、本恒夫社長が受け入れず、関係も悪くなったようです。

 YTと藤田さんの二人には、本恒夫社長に対する不満を具体的にたくさん聞かされたのですが、お山の大将で配車係の仕事も独り占めで、配車係として仕事らしい仕事をやらせてもらえず、会社にいる意味がない、というような話でした。

 噂通りに、中西運輸商は佐川急便から切られ、九州運送という会社が北陸の九州便を替わってやるようになったときき、北陸自動車道で九州運送の大型トラックを見かけることも多くなったのですが、平成4年2月には、恊共運送も佐川急便の九州便をやっているような話を聞きました。

 平成4年2月の初め、私は被告発人松平日出男の指示で、恊共運送の九州の営業所に電話をしています。帰り荷のための電話でしたが、私はもう一日待ってくれ、という話を断り、九州から空車で帰ったのです。怪しい気配を感じたのが大きかったと思います。

 その後、明らかに怪しい気配を見せたのが被告発人浜口卓也になります。私が一番弱っているタイミングで、間接的な接触があったのが平成11年2月のことです。金沢市粟崎の被告発人浜口卓也の自宅から掛けているという被告発人大網健二からの電話でした。

 精度が悪い機器ではそういうことがあると何か読んだ覚えもあるのですが、タンクの浴室の中から掛けているような電話でやたらと声が響いていました。エコーというやつです。私の声や様子を電話口の被告発人浜口卓也らに聞かせたかったのかもしれません。

 仕事中ではなかったと思うのですが、昼間の時間で、私は金沢港から内灘方面に向かって走っていました。平成11年だとまだなかったと思いますが、右折する広い道路が金沢駅西口まで一直線で続き、右手に石川県庁があります。その右折の交差点の辺りで、被告発人大網健二からの電話があったと思います。

 用事があって走るような場所ではなかったと思うのですが、あてもなくぶらぶらとドライブをしていることはなかったと思います。日曜日という可能性が高いのですが、今は薄れている当時の記憶も、克明に書き記した書面が金沢地方検察庁にはあるはずと思います。あるいは金沢地方裁判所です。


当時はそれほど深く関連付けて考えてもいなかったのですが、私が民事の裁判を起こされるより前の事件であることを確認したような記憶が残っています。当時は訴状が手元に来た平成6年11月を基準にして考えていたように思いますが、強盗事件はその年の6月、あるいは7月となっていたように思います。

先日の確認で意識するようになったことですが、訴状が金沢地方裁判所の民事部の提出された日付は平成6年の7月5日となっているようです。訴状を作成して提出するまではそれなりの準備の期間もあったはずなので、確認が必要だと繰り返しますが、代理人の受任をした後の事件である可能性が高そうです。

- 告訴状2013(作成途中)_11 - 告発・金沢地方検察庁御中 Wiki*https://wikiwiki.jp/hirono2021/%E5%91%8A%E8%A8%B4%E7%8A%B62013%EF%BC%88%E4%BD%9C%E6%88%90%E9%80%94%E4%B8%AD%EF%BC%89_11

 強盗をキーワードにページ内検索をしたのですが、被告発人長谷川紘之弁護士の自宅の強盗事件は平成6年の6月か7月と思われる、とあります。被告発人大網健二の父親の美川2少年殺害事件は、おぼろげに10月の事件ではと考えているのですが、これも未確認です。

- 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: 「美川.+(殺人|殺害)事件」を@hirono_hideki @kk_hirono @s_hironoで検索 28件の該当 2021-03-05_23:12の記録https://t.co/6cWiK8Bjju

 美川2少年殺人事件の時期を特定できる情報が見当たりませんでした。

 Twilogで調べても見つからないのですが、Googleフォトだと新聞の記事を撮影した写真が見つかるはずと思います。

 時刻は16時51分です。2013年5月14日の写真まで過去から探したところで断念しました。この2013年の3月辺りに、前の図書館での写真がありました。ここからは写真の数もさらに増えるはずなので、時間の問題もありますが、体力の消耗になります。

 「h3-mysql-regexp-html.py -s '父親.*事件.*平成'」という検索でも該当がないので、これはお手上げになるかもしれません。

 時刻は17時07分です。美川2少年殺人事件の年月を探すだけでこれほど時間と体力の消耗があるのであれば、もっと早い時間に図書館に行って調べていればよかったと悔やまれます。今日は祭日なのでたぶん17時の閉館になっているものと思われます。

 やはり平成7年の10月頃の可能性が高いと思えてきたのですが、これまで被告発人長谷川紘之弁護士の自宅の強盗事件と同じ年の出来事と考えていたのが違っていたことになり、その確認はぜひやっておきたかったのです。

 不可解な点のある美川2少年殺人事件ですが、警察になるのか新聞記事にある見立てだと、暴走族のトラブルで殺害されたことを装ったということでした。今考えてみると、自分の存在は隠せるものとして、車を運転してきた少年らがその場で暴走族の襲撃を受け殺害されたという状況設定なのかもしれません。

 それでも確か後部席からの絞殺となっていたので、暴走族がトラブルでそのような殺害を行い、車と一緒に2人の遺体を放置するとは考えづらいところです。50万円ほどの借金の返済を強く迫られたのが、犯行の動機ということになっていましたが、東京の暴力団員と兄弟分という人物です。

 宇出津の新村に銭湯があって、ある日、突然休みになったまま廃業したのですが釜が壊れたためという話でした。平成21年3月15日に宇出津に戻ってきて2年ほど後のことであったように思います。そういえば先程写真を探していて、古い宇出津の町の写真を2枚見つけましたが、新村の銭湯はありませんでした。

 羽咋市に住んでいた頃も宇出津に戻ってくると、よくその新村の銭湯に行っていたのですが、夕方の早い時間であったのか3人ほど被告発人大網健二の父親と同じぐらいの年頃の人が入ってきて、一人が、私の近くで、○○○もうそろそろ出てくるな、と言ったことがありました。

 一人は見覚えのある人で地元ではあばれ祭りの関係でよく知られた人だったように思います。銭湯で姿を見たのも珍しく、その一度だけだったかもしれません。

 昭和57年ぐらいまでのことになりますが、被告発人大網健二の家は、あばれ祭りと特別な関わりがあり、神輿を川に落とす梶川橋の川沿いに長く大きな家があって、人の出入りも多く、事実上、祭り見物の桟敷席のようになっていたのです。

 一昨年になるのか、5月に金沢西警察署の刑事が宇出津まで私を訪ねてきて、珠洲警察署能登庁舎の2階の取調室で話をしたのですが、そのあとになると思います。地元に人に聞かされた話で、警察が私のことを尋ね周り、新村の銭湯のおばさんが、よく聞かれていたということでした。

- <34>おかみさん時間ですよ~ : 能登町百景https://t.co/V2srDB3LgE

 Googleの検索で写真を1つ見つけました。最初の写真で「松の湯」というのれんのあるのが新村の銭湯になります。細かく言えば、新村本町という宇出津の町内で、隣接した新村浜、昭和町で新村三町内とも呼ばれるそうです。この三町内は、祭礼委員になって初めて知りました。

 記事の日付と本文で2008年9月中頃の撮影のようです。もう1枚ある写真の湊湯は、新村の風呂に対して新町の風呂と呼ばれてきましたが、今もほぼそのままに続いています。新村の方が少し新しい建物に見えますが、廃業後早くに取り壊され更地の駐車場になっています。

 平成9年には、この新村の銭湯で、被告発人大網健二の兄とも何度か顔を合わせていました。柳田中学校の体育館の工事に泊まり込みで仕事にきているという話でした。

 いつ頃になるのか思い出せないですが、新村の銭湯は中がリニューアルされ、廃業したのはそれほど年数が経っていなかったようにも思います。新町の銭湯よりは家から近く、歩くと新町の銭湯まで10分ぐらいですが、新村の銭湯はその途中で7分ぐらいのところになるかと推定します。

 家から新町の銭湯やAコープ能都店というのは何度か時間を計測したことがあるのですが、10分ぐらいでした。スマホで距離を計測したこともあったと思いますが覚えていません。母親もほとんど新村の銭湯に行っていたものと思います。

 スマホを持ち始めた頃には新村の銭湯がなくなっていたかもしれないと考えたのですが、平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所したあと、4月頃から9月の20日ぐらいまで仕事した宇出津の電子部品の工場では、携帯電話を持っていなかったかもしれません。

 ずいぶん珍しそうに言われたことを少し思い出しました。ちょうど電子部品の会社をやめるしばらく前に、高速バスで金沢に行き、車検を入れた軽四を引き取って帰りました。

 家の近所で歩いていける場所の電子部品の工場でしたが、ほとんどが女性で数も多く、傷害・準強姦被告事件のことが知れ渡れば面倒だという考えが強く、車の移動手段が出来るとすぐに辞めたのです。

 そういえば穴水町のドコモで携帯電話を買ったようなことを少し思い出しました。それも車を乗るようになった直後のことかもしれません。次の旧柳田村の鉄工所の仕事場では、その携帯電話に会社の人の電話番号を登録したことを覚えていますが、宇出津の電子部品の工場では、それもありませんでした。

 宇出津の電子部品の工場は、3つか4つぐらいの会社があったのですが、私が入ったのは珠洲市三崎町の会社でした。一度、備品を取りに三崎町の古い工場か倉庫のようなところに行ったことがありました。珠洲市飯田町にも古い工場があってそちらにも行ったことを憶えています。

 宇出津の漆原という町内にウシツ電子という会社があって、そこの社員が一番多かったと思いますが、ちょうど新村の銭湯が廃業になったころには、廃業になったと聞き、これも早いうちに建物が取り壊されて更地になっていました。

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