#告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(8)

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〉〉〉 Linux Emacs: 2022/05/05 07:16:09 〉〉〉

 昨日の中断時刻が15:06:22となっていますが、そのあと出掛けて宇出津中央図書館に行きました。被告発人大網健二の父親の美川2少年殺人事件について調べるのが目的です。

 最初何故か間違って平成5年10月の北國新聞縮小版から係の人にお願いしたのですが、平成7年10月のつもりだったと気が付き、そこから始めました。2冊ずつお願いしたのですが、係の人が読み終える前に次のものを用意してくれました。

 何冊か平成7年10月からスタートして調べたところでさすがにこれはおかしいと思い、次にお願いしたのが平成6年10月でした。今考えると、そもそも平成7年10月にあたりをつけたのが不思議で、催眠術か魔法にかけられていたような気分になったのですが、そこでようやく見つけました。

 いや、これは間違ったことを書いてしまいました。平成7年10月から初めて最終的に平成9年3月・4月号まで続けたのです。ちょうど17時の閉館時間が近づいていたこともあり、そこで調べものは切り上げにしました。

 記憶に100%の自信はないですが美川2少年殺人事件の発生が平成6年10月29日と確認できたように思います。最初に見つけたのが、被告発人大網健二の父親に対する検察の死刑求刑の記事でした。

 死刑の求刑で判決は無期懲役、これまでずっと謎に思っていた否認の理由が、事実関係は概ね争わず計画性を否定、という趣旨で、弁護人の弁護士はやはり水谷章弁護士の名前で、コメントがいくつか読んできた記事の中にありました。

 水谷章弁護士のコメントは索引から探して見つけた記事の中に全部で3,4箇所あったと思いますが、同じぐらいの数で目にしたのが松浦由記夫次席検事です。初めに名前を見た時、これは控訴審なのかと勘違いしていたのですが、一審の判決でした。

 上級庁と協議するというのは地検の次席検事としてよく見かけるパターンですが、そこで高検の検事のコメントを見たことはないと気が付き、よく見ると松浦由記夫の名前が次席検事になっていました。

 平成5年9月7日に判決が出た私の傷害・準強姦被告事件の控訴審名古屋高検金沢支部の担当検事だったのが松浦由記夫検事で、さらに前に調べた時は、高松地検の検事正に就任した記事に、石川県能登町出身とあって驚いたのです。

 まず金沢地方検察庁が死刑判決を不服として控訴という記事があり、次に被告も控訴といういずれも小さい記事があって、その先に美川2少年殺人事件に関する記事は見つかりませんでした。

 平成9年の2月頃に控訴審の初公判があったことは、私がテレビの石川県内ニュースで被告発人大網健二の父親が犯人だったと初めて知ったきっかけであり間違いないことですが、索引で記事は見当たりませんでした。

 北國新聞縮小版の索引には、「県内(犯罪)」、「県内(裁判)」という項目があったのですが、なぜか平成9年2月号は、「県内(裁判)」の項目自体が存在しませんでした。この2月の可能性が一番高いのですが、1月の月末という可能性も否定できないという考えでした。

 索引には他に「犯罪」、「裁判」という項目があり、これは全国ニュースの扱いと思っていたのですが、1つ石川県の大きくはない事件か裁判を見つけたように思い、そちらを含めくまなく探すことにしました。1月号と2月号は借り直して調べました。

 この借り直しがなければ気が付かなかったことがあります。

 北國新聞縮小版平成9年2月号の索引の「犯罪」の項目に、福光町の殺人未遂容疑で元石川県警察巡査部長を逮捕・・・・芦原の男性殺害も追求」などとあります。少し思い出すような事件だったのですが、芦原という点が特に気になっていました。

 私は当然にそう思ったのですが、この芦原という地名は福井県になります。現在は、あわら市になっていたかと思いますが、芦原温泉で知られているかと思います。加賀市大聖寺で石川県との県境になっているという認識も私にはありました。

 この事件の記事を知った時も、思い出していたような感覚が蘇ったのですが、計画的に不審な行動をとっていた被告発人多田敏明が、私の記憶で平成4年1月19日の日曜日、昨夜、ドライブ中にヤクザか暴走族とトラブルに鉄パイプで殴られたと語った場所が芦原でした。

 昨年2021年の11月頃かになって気がついたのですが、この平成4年1月19日の日曜日の運行は、被告発人大網健二の兄を介して被告発人松平日出男から渡された運行日報とは食い違いがあるようでした。十分に吟味検討する必要があるのですが、まだやっていません。

 探せば他にもあるのかもしれないですが、同様に明らかにおかしいと気がついたのが平成3年11月25日のことです。予め私の運行を偽装工作していた可能性が窺える痕跡ですが、私は長い間、それに気が付かずにいました。

 テレビの県内ニュースで美川2少年殺人事件の犯人が被告発人大網健二の父親だと知って、私は当時の宇出津の図書館に行って、北國新聞の縮小版を調べました。もともといつ頃出来た建物なのかわからず、私が小学生の頃にはなかったはずですが、随分老朽化した建物になっていました。

- 宇出津 - Google マップhttps://t.co/RXFUjTlvKC

 Googleマップでは建物の表示がなかったですが、宇出津小学校の近くで公民館と呼ばれていた建物に図書館がありました。外から見ると3階建ての建物に見えたように思います。現在は町の運営の学習塾として利用されているような話を聞きます。

 一階の天井の高い建物でしたが、たぶん2階に倉庫があって、そこで北國新聞の縮小版を探していました。倉庫と言うか物置でしたが、薄暗さもあったので、見つけたものを下の図書館に持っていき、そこで読んでいたものと思います。

 福井刑務所を満期出所したのが平成9年1月18日で、4月の7日ぐらいには定価で58万円というノートパソコンを43万円で金沢のパソコンの館という店で買いました。その間に10万5千円ほどのワープロ専用機を宇出津の新谷電器で買っています。

 母親に頼んで京都の親戚から借りた10万円でしたが、被告発人木梨松嗣弁護士の私選刑事弁護に大きな不満があった私は、初めから返済の意思がありませんでした。あとで母親が払っているのかもしれませんが、ノートパソコンを買えたのも父親の残した土地が売れたからです。

 この土地の売買には被告発人大網健二の世話にもなったのですが、500万円ぐらいと聞いていました。ノートパソコンもロールプレイングゲームのアイテムのようなものでしたが、昭和43年4月に亡くなった父親が残してくれたからできたことです。

 ワープロ専用機でキーボードを触ったのも初めてでしたが、それでもけっこうな量の傷害・準強姦被告事件に関する書面を作成しています。多くが読み取り不能となった感熱紙として残っており、スキャンで復元を試みましたが、まったく不十分でした。

 パソコンの館の領収書は昨年に見つけて、これもPDFファイルにしているはずですが、正確な日付は憶えておらず4月7日の可能性がなんとなく高いと考えています。もう少し早く4月4日辺りだったかもしれないですが、4月7日より遅いことはなかったと思います。

 ワープロ専用機を使ったのは一月半ぐらいではなかったかと思います。被告発人大網健二には土地の売買のことで世話になったこともあり、余り歓迎されていないのをやや強引に無償譲渡しました。

 そういえば、USB接続で使えるフロッピーディスクドライブがあり、割高のものであればワープロ専用機のデータを読み出せるような情報をネットで見つけていたのですが、MSDOS対応前のフォーマットだったので、復元の期待は出来ないと考え、購入は見送りました。

 ワープロ専用機を使う勉強や、それで書面の作成に没頭していたこともあり、福井刑務所にいる間に起こったこととして、美川2少年殺人事件のことを知っておく必要があると考え、図書館に行ったのですが、余り集中も出来ないままいそいで目を通していました。

 松浦由記夫検事が金沢地方検察庁の次席検事であったことも昨日まで全く知らなかったと思うので、少なくとも死刑求刑以降の記事は目を通していなかったことになりそうです。続けて行くつもりが行かなくなって、どこまで調べたのか忘れたまま中断していたのかもしれません。

 これまでにも何度か、被告発人大網健二の父親の美川2少年殺人事件は、調べ直しをして正しい事実関係を知っておく必要があるとは考えていたのですが、いつでもできることなのに一歩踏み出すことが出来ませんでした。

 どうせたいした発見はないという考えも一方にはありました。美川2少年殺人事件で被告発人大網健二の父親が逮捕された当時の報道の記事は、1,2年ほど前に調べて、小松市本折町が意外な新発見になっていました。

 少し思い出したのですが、被告発人大網健二の父親による被害者の家の縁の下の放火事件を確認のため調べたときのことです。蛸島事件で児童の遺体発見現場は、高倉彦神社拝殿の縁の下となっていました。これが気になって確認のため調べたのです。

 すでにはっきりとは思い出せなくなっていますが、調べ直した記事を読んで記憶とは多少違う点があったことは憶えています。昨日も記事で短い記述を見かけたのですが、縁の下の放火事件は殺害前と理解できるような部分がありました。

 これは近いうちに調べ直して再確認をしておきたいところです。

 前回調べたのは、昨年2021年の4月以降と思われます。4月に入って告発状を郵送した数日後、私はバイクで蛸島事件の殺害現場である高倉彦神社に行き、殺害行為が行われた奥の本殿と、縁の下の柱に縛り付けられた遺体発見現場を視察しています。

 辺田の浜の神目神社でも神社の拝殿の縁の下を観察し撮影しました。なお、確認した北國新聞の記事では、縁の下ではなく「床下」という記載になっていたかもしれません。縁の下として長く記憶にあったのですが、その放火のことは人からは聞いていなかった気もします。はっきりしない記憶ですが。

 前回調べた時、もう一つとても印象深かったのは、第二の殺人現場が北陸自動車道の尼御前サービスエリアとなっていたことです。すっかり忘れていたのですが、昨日読んだ記事の中に出てきて思い出しました。

 昨日気になったのは、尼御前サービスエリアの上り線なのか下り線なのかという違いでしたが、今考えると、わざわざ人の集まる高速道のサービスエリア内で殺害を実行したというのも変な話です。ずっと前に読んだ記事の記憶では、後部席から絞殺したということでした。

 昨日の記事で新たな発見に思え、検察が強調しているとも思えたのが「自室の押し入れにあった安全ロープ」になります。第一の殺害は、10月28日夜、自宅近くの路上に止めてあった車の中、第二の殺害が10月19日未明で尼御前サービスエリアで絞殺とあります。

 私の考えでは金沢から名古屋方面に向かう方が上り線になります。比較的、妻の実家に近い場所で、尼御前サービスエリアの外から数日あずけていた長男を引き取ったことがありました。妻の父親でしたが車は所有していなかったはずで、タクシーだったのかもしれません。

- 尼御前SA上り レストラン「加賀の里」 - Google マップhttps://t.co/ZE5mXGZKAj

 他に気になったのは、「二人の遺体を美川町平加町の空き地に放置した。」という点です。公園の中で駐車した車の車内に遺体を放置していたという認識でいました。縁の下の放火を調べた時は、美川から金沢まで歩いて帰ったような話もあったと記憶します。

 美川2少年殺人事件で検察の死刑の求刑に対して無期懲役の判決を出したのが、石山容示裁判長だったというのも松浦由記夫次席検事に匹敵するほど意外な発見でした。

 死刑求刑の記事は公判当日の平成8年1月17日で、無期懲役の判決は同じく平成8年の5月15日となっています。石山容示裁判長は私の再審請求を棄却した裁判官の1人ですが、金沢地方裁判所の法廷で姿を見たことがあり、すぐにドアを閉め、法廷には入りませんでした。

- 石山容示裁判官(30期)の経歴 | 弁護士山中理司のブログhttps://t.co/2O89cBdbwQ \n H7.4.1 ~ H11.3.31 金沢地裁刑事部部総括

 検事とは違い裁判官の経歴は、このように調べ出せることが多いのですが、見かけることが少ないかもしれない生年月日が昭和26年1月1日となっています。テレビの石川県内ニュースでも姿をみることが多かった石山容示裁判長ですが、ずいぶん厳格で厳しそうな人という印象でした。

 平成8年5月15日の北國新聞夕刊となっていますが、無期懲役判決の記事には断片的に石山容示裁判長の言葉があって、ほぼ弁護人の主張通りに事実認定をしたような感じに思われました。41万円の借金を求められたことが引き金、その言動に憤激、平素の行状に格別粗暴な点は見当たらない、などとあります。

 美川2少年殺人事件で被告発人大網健二の父親が逮捕されたのは、宇出津の田町と聞きました。宇出津に田町という町内はないのですが、立町と横町のことをあわせて田町と呼び、宇加塚など神野方面からの牛馬の往来で昔は店も多く栄えていたと聞きます。

 昭和50年代、被告発人大網健二がおばちゃんと呼んでいた大網自動車工場の事務員で、今でも顔や声を思い出しますが、その女性の家に潜伏していたところを逮捕され、大捕物の見物で田町の付近一帯が騒然としていたとも聞いたような憶えがあります。

 平成8年5月15日の無期懲役判決の記事で名前の年齢が59歳となっています。1996年から59を引くと1937年になって昭和12年あたりが生年になりそうです。まだ元気な人がけっこういそうな年代ですが、服役した岐阜刑務所で亡くなったと聞いたのは、もう10年ほど前のことかと思います。

 それこそまさに風の噂のような話で聞いたのですが、その後他に話は聞いていないので、断定はできないですが、岐阜刑務所で亡くなったという話は事実の可能性が高いとは考えています。

 私が中学生の頃にも問題になっていたような記憶もあるのですが、被告発人大網健二の父親は、家にいないことが多く、泥棒で何度か捕まり、刑務所に出入りしていると聞きました。宇出津の町ではけっこうな評判にもなっていたようですが、被告発人大網健二の兄弟には同情的な雰囲気も感じられました。

 はっきり記憶にあるのは被告発人大網健二本人から聞いた話で、昭和55年になると思いますが、当時、被告発人大網健二が金沢高校に通いながら住んでいた金沢市大和町のアパートに、父親が潜伏をしていて、警察が踏み込み逮捕されたという話です。

 被告発人大網健二の父親は、全国をまたにかけた窃盗団のメンバーらしいという話も聞いたことがありましたが、2010年以降は、小木港で魚釣りをしている時、人から全国で土蔵破りをしていたとも聞きました。お宝を骨董品として売りさばいていたとも考えられます。

- クローズド・サークル - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB

 今、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで見つけたところの言葉になります。聞いたことはなく、隠された集まりをイメージしたのですが、ミステリーや推理小説に出ている話のようです。

 関連したモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートをいくつか読んで思い出したことですが、わりとちょくちょく思い出す場面ではあります。昭和59年の暖かい季節で、香林坊から川沿いの道路で武蔵ヶ辻に向かって歩いた場面です。被告発人大網健二と後に妻になる彼の彼女の3人でした。

 香林坊で映画をみた後に歩いていたと記憶にあるのですが、どんな映画をみたのか全く憶えておらず、なぜ武蔵ヶ辻に向かって歩いていたのか、車がどこにあったのか謎です。バスやタクシーを使った金沢市内の移動は他にもありませんでした。

- 香林坊 - Google マップhttps://t.co/XylKYVOm5k

 香林坊から武蔵ヶ辻に向かって歩いた道は、テレビで少し見かけた憶えのある「せせらぎ通り」になるようです。意外なのは、昭和の時代、映画館が集まり、香林坊の映画館と呼ばれていた場所の住所が、香林坊ではなく片町2丁目ともなっていることです。

 見たことはなかったのですが、香林坊にはストリップ劇場があったと聞き、その元経営者が10代の少女と阿蘇山で心中自殺をしたという話は、昭和58年の秋、観音堂の被告発人安田敏のアパートで集まっているときに話題になりました。その場に少女の知り合いか友達がいたようです。

 今、Googleマップで気がついたのですが、香林坊の映画館があった辺りは広い更地の駐車場になっているようです。ビルの立体駐車場というのは片町の近辺でいくつか見かけてきましたが、珍しく感じました。

 香林坊の映画館のあった辺りは、被告発人安田敏がバーテンの仕事をしていた店があった辺りとして調べたことがありました。被告発人安田敏に聞いていたのは旧大和デパートのラブロ片町の裏で、「ハートブレイク」を店名と言っていました。昭和63年ぐらいのことかと思います。

 バーテンの仕事中に掛けてきたという電話で、お金はいらないから飲みに来いと被告発人安田敏に誘われたときの店のことです。

 被告発人大網健二の父親のことに戻ります。

〈〈〈 2022/05/05 11:51:09 Linux Emacs: 〈〈〈