# 「この弁護人は第1回公判前に一度も被告人と接見せず、しかもその後も第10回公判が終わるまで接見せず」(マルヨ無線強盗放火殺人事件)という戸舘圭之弁護士のブログ記事

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20歳のときの事件で、まともな弁護も受けられずに死刑判決を受けて未だ死刑確定者…


死亡した被害者1名の強盗殺人放火事件ですが、放火の事実については無罪であると主張している再審事件です。ストーブを足蹴りにして横転させたという確定判決のストーリーは新証拠によって弾劾されており既に第5次請求審段階で裁判所もその点は認めています。


ひどいと思ったのは確定審の一審の弁護人
この弁護人は第1回公判前に一度も被告人と接見せず、しかもその後も第10回公判が終わるまで接見せず、放火の事実を否認しようとしたら「事実の蒸し返しは無理であるから、とにかく悪かったと謝罪を表明しなさい。」と助言するなどしてあっさりと死刑判決を出させてしまっています。


再審通信(日弁連人権擁護委員会「再審通信」№113、2017年5月1日)の弁護人報告によれば、現在第7次再審請求中でこのような「弁護の不存在」は適正手続違反であるとして再審事由に結びつけられないか模索中だそうです。


わたしじしん不勉強でマルヨ無線事件は、平成10年の最高裁判例の判旨をぼんやり覚えていたくらいでこんなにひどい事件だとは知りませんでした。

 

この事件についても、なんとかして再審の扉をこじ開けたいと新聞記事を読んで強く強く思いました。

 

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 弁護士 戸舘 圭之 Yoshiyuki Todate/Attorney at Law

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 刑事弁護,再審制度について重要なことが書いてあるので,正確性を期すため上記に戸舘圭之弁護士のブログ記事を全文引用しました。リンクを開いて内容をご確認いただければと思います。

 記事の日付が「2021-01-11 00:15:28」となっていました。今日は1月17日ですが,つい先日です。マルヨ無線事件をキーワードに含む戸舘圭之弁護士のツイートを調べたところ,けっこう前のものを見かけたように思っていたので,この記事も同様に前のものかと思っていました。

 このマルヨ無線事件については,先日もエントリーを作成し,さきほど切り上げて投稿したところですが,そこにも記録があると思いますが,最近になって死刑囚の近況などの記事が出て,それで再注目の再審請求事件となったようです。ただ,別に取り上げる予定ですが,法クラの反応は乏しい感じでした。

 次が”マルヨ”をキーワードに含む戸舘圭之弁護士のツイートのTwitter検索になります。6,7つほどだったと思いますが,全部リツイートします。

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> マルヨ無線事件は、死刑再審事件なんですが、事案を聞けば聞くほど現状の再審の問題点のみならず死刑制度そのものの問題も痛感せざるを得ないケースだと感じております。いろいろあるにせよ、これで死刑はありえんよ!!と思わざるを得ない話です。

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> 九州の再審事件だけ見ても、大崎、菊池、マルヨ無線、福岡、松橋、飯塚… 知れば知るほど、ほんとにひどくてありえない事件がもりだくさんです。 それにしても…

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> 判例違反の主張はなるべく紋切型の批判は避け白鳥財田川から利益原則の適用を確認し合理的疑いの意義、情況証拠による事実認定に関する判例群、上訴審の事実誤認審査、抗告審構造論に関する判例群等を踏まえた上でマルヨ無線事件最決などにも配慮しながら判例法理を析出し(たつもりで)構成しました。 https://t.co/nSTC0y4glP

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> マルヨ無線事件ってこんなにひどい事件だったのか。。。これで死刑はありえないと思う。 https://t.co/6OhGut6fyK

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> マルヨ無線事件のこと ⇒ https://t.co/28T15nKNlx #アメブロ @ameba_officialより

 ツイートは5つでした。さきほど気がついたのは,「九州の再審事件だけ見ても、大崎、菊池、マルヨ無線、福岡、松橋、飯塚…知れば知るほど、ほんとにひどくてありえない事件がもりだくさんです。」という内容のツイートです。

 文字列をコピペするのにツイートを見直すと,2019年8月28日のツイートとでした。投稿日時の時系列で並ばないのがTwitter検索ですが,マルヨ無線事件を含むツイートで最も古いものは2017年5月11日のツイートのようです。その下に最後にあるのが1月11日のツイートです。

 「マルヨ無線事件のこと」という自身のブログ記事を紹介するツイートですが,1月11日午前0時15分のツイートで,これがマルヨ無線事件を含む,最新,最後のツイートとなっているようです。仮定の形式をとるのは,見落としの可能性の他,Twitter検索の精度の問題です。

 「九州の再審事件だけ見ても、大崎、菊池、マルヨ無線、福岡、松橋、飯塚… 知れば知るほど、ほんとにひどくてありえない事件がもりだくさんです。」というツイートで気になったのは,福岡という再審事件名です。これだけはちょっと心当たりがありません。


裁判経過[編集]
被害者であるDの仲間に対する感情に裁判官が応えたという主張がある。これはBの後日談によれば、裁判の傍聴に来たDの仲間の中国人が「被告人7名を死刑にせよ」と騒いでいたため、一審の福岡地方裁判所(1948年2月27日)の判決公判で主犯格のAとBを死刑にそのほかの4名に懲役刑、1名を無罪を宣告した場に、裁判長が「二人を死刑にしたので、それで了承してくれ」と異例の発言をしたのだという。

この当時中国人の母国である中華民国は連合国の一員として対日戦(第二次世界大戦)に勝利していたため、敗戦国である日本に対し戦勝国として意気盛んであったという。そのため、裁判官が被害者の立場を必要以上に鑑みたために事実認定を誤ったというもので、後にBの弁護人となった刑法学者の小野清一郎がそのように主張した。だが、1956年4月に最高裁はAとBの上告を棄却し死刑判決が確定した。

そのほか、後に同事件を冤罪であるとして救援活動をしていた熊本県の元教戒師の古川泰龍は1963年9月に「福岡誤殺事件真相究明書」を出版したが、以下のような点が疑問であるとして、Bによる殺害の事実はあるが強盗殺人事件ではなく偶発的な殺人事件と主張し、Aはこの事件では無罪であると主張している。

犯行に使われた凶器は三種類もあり、最初から殺害するためにいくつもの凶器を使い分ける必要性がない。そのため現場の状況は乱闘の結果として死亡したと見るのが自然である。
判決文では強盗目的の計画殺人としているのに、被害者の所持金5万円をはじめ何一つ奪われていなかった。そのため、不自然さがある。
中国人達が法廷に押しかけた状況のなかで、判決に微妙な影響を与えたため事実認定に誤りがある。
処刑[編集]
1968年4月に国会に再審特例法案が提出されたが廃案となり、その見返りとして、西郷吉之助法務大臣は、GHQ占領下の死刑囚6件7人に個別恩赦を検討すると表明した。

福岡事件の死刑囚2名に対しても個別恩赦が検討されることになった。

1975年6月17日(実際の結論が出たのは6月6日)に中央更生保護審査会は「他の共犯との刑の均衡を図る必要がある」として実行犯Bの恩赦を決定した。しかし、主犯とされたAの恩赦は不適当であると結論された。そのため当時の稲葉修法務大臣は6月12日にAの死刑執行命令書に署名し、6月16日に収監されていた福岡拘置所に執行指揮書が届けられた。

翌日6月17日、Bには恩赦による無期懲役への減刑が伝えられたが、国会の法務省当局の恩赦へ前向きの答弁から恩赦決定は近いと思っていたAには恩赦不適当と死刑執行が同時に伝達され、午前10時30分ごろ絶命した。辞世の句は「叫びたし、寒満月の割れるほど」と無罪を叫ぶものであった。享年60。なおAには妻と子供3人がいたという。

ちなみに福岡拘置所で恩赦を検討すると表明されたのは、AとBそして免田栄の3人で、実際に恩赦となったのはBただ一人であった。

なおBに対する恩赦は現在、死刑囚に対するものでは最後である。Bは1989年12月、逮捕から42年が経過した73歳で仮出所した。この元死刑囚としての拘禁期間42年7ヶ月は日本では、袴田事件袴田巌が再審開始により釈放されるまでは最高記録だった。

2005年5月にAの遺族とBと共犯1名が、福岡事件は捜査段階の拷問で自白したものであり、強盗殺人は事実誤認であり誤判であるとして、福岡高裁に対し死刑執行後に再審請求を行った。Bは2008年11月7日、急性心筋梗塞のため91歳で死去した。


 途中まで前に読んだ事件の内容と思っていたのですが,刑法学者,小野清一郎の名前が出た後,免田栄氏が出てきて,実行犯が恩赦で無期懲役になったのに,「恩赦不適当と死刑執行が同時に伝達され、午前10時30分ごろ絶命した。」とあります。主犯格とされたようです。

 記事を読み直すと,「後にBの弁護人となった刑法学者の小野清一郎がそのように主張した。だが、1956年4月に最高裁はAとBの上告を棄却し死刑判決が確定した。」とありました。

 Aは,「飲食店にいただけでCとDの殺害には無関係」と主張しながら死刑を執行され,「辞世の句は「叫びたし、寒満月の割れるほど」と無罪を叫ぶものであった。享年60。なおAには妻と子供3人がいたという。」ともあります。

 福井刑務所で刑法の勉強をしている時に小野清一郎を知ったのですが,日本の刑法の歴史に特別な道筋を与えた大人物という印象でした。弟子にも著名な学者や裁判官もいたように思います。

  • 小野清一郎 | いわての文化情報大事典 https://t.co/Wof7U3u17n 検事、東大教授を歴任するが、戦後公職追放となり弁護士となる。東京裁判では海軍側被告の弁護人もつとめた。昭和31(1956)年法務省特別顧問、昭和49(1974)年改正刑法づくりのリーダーとして「刑罰は応報なり」の客観主義的刑法論を展

 小野清一郎の顔写真というのは初めて見たように思います。ちょっとイメージとは違っていますが,するどそうな眼光です。岩手県出身というのも初めて知った気がしますが,同じ時代の岩手県出身者で思い出すのは首相となり,東京駅で暗殺された原敬です。

 テレビで特集をみたことのある原敬ですが,暗殺されたのが大正10年ということでした。

  • 原敬にまつわる6つの逸話!平民宰相と呼ばれた第19代内閣総理大臣を知る本 | ホンシェルジュ https://t.co/439mBS4RJ5 彼の主な政策は、地方の活性化のための鉄道路線の建設や、高等教育の充実があげられます。さらに、軍部の勢力拡大を懸念して、それを抑止するべく人事を考えました。
  • 原敬にまつわる6つの逸話!平民宰相と呼ばれた第19代内閣総理大臣を知る本 | ホンシェルジュ https://t.co/439mBS4RJ5 日本の政治史で大きな役割を果たした原ですが、最後は東京駅の丸の内改札付近でひとりの青年により暗殺され、その生涯を閉じました。

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> 林先生の番組だった。不倫された妻と不倫相手の子どもの面倒を死ぬまで見つ続けて来たという美談のような締めくくり。不倫をしていたから不倫をされたかもしれないのにと想像したり。お金もよっぽど余裕があって体面を重視したのかもしれないと思ったり。大正時代の宰相とも出ていた原敬

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> 歴史秘話ヒストリア▽平民宰相 暗殺の真実 政党政治100年・原敬の挑戦と挫折 2018年3月16日(金) 20時00分~20時43分 の放送内容 https://t.co/pkNcS9hFah 番組欄で見落としていたらしい。いきなり始まって気がついた番組。

1129:2021-01-16_15:29:22 # 戸舘圭之弁護士のツイートで初めて知った昭和41年のマルヨ無線事件,死刑囚の再審請求を日弁連が支援 https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2021/01/16/152919

 「この弁護人は第1回公判前に一度も被告人と接見せず、しかもその後も第10回公判が終わるまで接見せず、放火の事実を否認しようとしたら「事実の蒸し返しは無理であるから、とにかく悪かったと謝罪を表明しなさい。」と助言するなどしてあっさりと死刑判決を出させてしまっています。」

 と,戸舘圭之弁護士のブログ記事にあります。1129:2021-01-16_15:29:22のエントリーは,Googleでマルヨ無線事件を踏み込んで調べた内容を反映させているはずですが,戸舘圭之弁護士のブログ記事にある一審の弁護人の話はどこにもありませんでした。

 国選弁護人をイメージしていましたが,戸舘圭之弁護士のブログ記事には,「確定審の一審の弁護人」とあるだけです。

 マルヨ無線事件については,かなり念入りに調べないと情報の掘り起こしができなかったので,これまで目に触れる機会が乏しかったのも頷けたのですが,逮捕時の顔写真や新聞記事が写真付きで出てきました。