ウ. 1月25日の夜に被害者安藤文さんの家に掛けた電話と,翌日か翌々日辺りの津幡町能瀬からの電話

(ア) 1月25日の夕方,小走りで涙を拭う仕草で退社
 この1月25日のことは夕方16時ぐらいからのことしか記憶にないのですが,珍しく早めの時間から暇を持て余し,被告発人安田敏が2階事務所のコピー機で1万円札をコピーしていたのを憶えています。

 被害者安藤文さんの退社時刻は17時でしたが,だいたい17時10分頃の退社が多かったように思います。定時前に彼女が退社する姿を見たのは,その1月25日だけでした。

 17時の定時の5分か10分前でした。彼女が涙を流す様子で,うつむきながら小走りに1階休憩室の前を通り抜けて行きました。手で涙を拭うような姿もあったように思うのですが,あるいは勘違いかもしれません。

 1月22日に,大きなハサミのことがありましたが,それから25日の午後まで,ぶっ通しのような仕事になって,市場急配センターの会社には顔を出していなかったと思います。ミールを積んで三重県四日市市に2,3往復するという運行もありました。

 1月25日,被害者安藤文さんはいつもと違った服装でした。セーターを着ていたように思いますし,色は黒だったように思います。首にネックレスが掛かっていたのですが,私がクリスマスに贈ったものとは,長さが違うように感じました。

 このネックレスのことは,谷内孝志警部補が作成した供述調書で,読んだ憶えがあるのですが,母親が被害者安藤文さんにせがまれて買い与えた,というような話になっていました。

 谷内孝志警部補は,このネックレスのことをけっこう重視している様子でした。交際が嫌だから受け取らなかった,というような解釈です。ここで思い出したことがあります。3月5日の電話で,ネックレスのことを直接,彼女に尋ねました。

 ネックレスは金色で,私が贈ったものと同じ色でしたが,黒い服にずいぶんと目立っていました。彼女が身につけていたものが長めだったかもしれません。買ったとき,この長さで首に巻けるのかと,不思議に思ったような記憶があります。

 被害者安藤文さんが私のことで会社で泣き出したという話は,他にも聞くことがありましたが,しばらく前,2階事務所でネックレスと一緒に姿を見たときは,割合,落ち着いて見えました。

(イ) 1月25日の夜,被害者安藤文さんの自宅に掛けた電話
 これも前に別のところで記述をしていると思いますが,時系列でまとめておきます。退社する時の思い詰めた彼女の様子が気になり,自宅に電話をしました。1月12日以来になると思いますが,その時は彼女本人が電話に出ました。

 1月に入ってからも初めの頃に彼女の自宅に電話を掛けたと思います。本当は年内に彼女との関係のけりをつけたいという思いがあり,年末の方にいくらか集中して電話を掛けたのですが,これは出る気がなさそうだと思いました。

 年末年始ともに母親が電話に出ました。母親以外が電話に出たのは,兄が1,2回,父親が2回になります。兄が出た電話というのは思い出せなくなっていますが,一度目は12月中であったように思います。

 年末年始の電話は,不思議なほど母親の対応が普通でした。いくらか好意的だったとも思います。12月24日の夜には,赤いバラの花を10本,自宅に届けているので,母親もそれを知っている可能性が高いと思っていたからです。

 しかし,一度だけ,母親が電話口で警戒感を示すような対応をしたことがあり,それが,この1月25日の夜の電話だったと思うのです。そのあと2月の半ば過ぎにも彼女の自宅に電話を掛けたと記憶にあるのですが,父親が2回目に電話に出ました。

(ウ) 被害者安藤文さんと少し話をした津幡町能瀬からの電話