(エ). 遅い時間,たぶん22時半頃に掛けた,初めての被害者安藤文さんの自宅への電話
まず,被害者安藤文さんの家の電話番号を調べたのですが,電話の番号案内で尋ねると,彼女の家の住所に安藤という名前の家は1軒だけだったので,すぐにわかりました。電話番号がわかると,すぐだったと思いますが,思い切って電話を掛けました。
ちょうど一週間前になる10月5日は,プライベートで初めての被害者安藤文さんとの電話でしたが,私の自宅アパートに掛けてもらった電話でした。自分から彼女の自宅に電話をしたのは,この10月12日が初めてになります。
22時半より早い時間だったかもしれないですが,22時頃にはなっていたと思います。こんな時間に電話をするのは非常識という思いはありましたが,無言電話のことと,夕方の彼女からの質問のことが頭から離れなかったので,電話をすることに決めました。
電話口に出たのは被害者安藤文さんの母親でした。明るい感じの応対で,男から娘に電話があったのをとても珍しく感じているような反応が感じられました。驚いた様子だったのは,電話に出た被害者安藤文さんでした。何か手短に一言言うと,階段を駆け上がるような物音が聞こえました。
けっこう大げさな演技のようにも感じたのですが,物音がやんだ後,ひと呼吸を置く様子で,おもむろに,「はい」などと,私の電話の用件を聞く準備ができたと伝える感じでした。それで夕方の質問のことを尋ねたのですが,会社の誰かに聞いてくるようにいわれた,などと言っていたように思います。
それが誰なのかも以前は憶えていたと思いますが,運転手の配車をするのは事務所の配車係で,運転手である私本人に確認するのは,もともとおかしな話だったのです。それも普通は,出発しているか,馬鈴薯ならば,そろそろ出発するかという時間帯でのことでした。
余り憶えてはいないのですが,馬鈴薯のときも,大阪・名古屋方面に向かうのに,遠回りになる金沢東インターから北陸自動車道に乗っていたように思います。福井方面に向かう金沢西インターには台貫場があって,重量オーバーで摘発されるリスクがあったからです。
用件はすぐに終わったのですが,なにか被害者安藤文さんの方から話しかけがあって,しばらく会話が続いたように思います。23時を過ぎるまで電話の会話が続いたような記憶もあるのですが,これも記憶が鮮明だった時期の記述が正確です。
無言電話のことも話し,会社に私のことで電話がなかったのか,そのことも尋ねて確認をしたように思います。そういうことは全くないという返事があったと思います。