#告発状 被告発人池田宏美/平成3年11月の終わり、当初、被告発人池田宏美の指示で始まったと思われる被害者安藤文さんの裏駐車場での行動

告発の事実/ 被告発人らの関与と役割及び具体的犯罪事実/被告発人池田宏美/平成3年11月の終わり、当初、被告発人池田宏美の指示で始まったと思われる被害者安藤文さんの裏駐車場での行動

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 現在の記憶だけで書いておりますが、被害者安藤文さんの裏駐車場での行動は、平成3年11月の終わりから翌平成4年2月3日に終了しました。私が24トンのミールを積んで福岡に向け、出発するタイミングでの終了でした。

 この2月3日は休み明けの月曜日ですが、2月1日の夜に被告発人安田繁克の登場がありました。被告発人安田繁克が以前、被害者安藤文さんと付き合っていたという話は、1月21日の夜、被告発人浜口卓也の自宅アパートで、彼の口から聞かされました。

 それも被害者安藤文さんが被告発人安田繁克のために会社に手作りの弁当を持ってきていたという話で、2月1日に被告発人安田繁克が冗談で言ったら作ってくるようになったと話していました。

 一昨日になるのか、平成4年6月30日の公判調書のことを取り上げましたが、そこに、被害者安藤文さんの彼氏の話がありました。被告発人岡田進弁護士の質問だったように思いますが、「なぜあきらめなかったのですか。」というような質問だったと思います。

- 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: 2021年07月23日の記録:写真資料:平成4年傷害・準強姦被告事件 金沢地方裁判所 公判の写真記録資料一覧(国選弁護人・被告発人岡田進弁護士) H04-06-30_公判調書_金沢地方裁判所_03.jpghttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/07/202107234.html#31#32

 山田徹裁判官の質問のように思えてきたのですが、上記のリンクにある写真で、被告発人岡田進弁護士の質問であることを確認しました。改めて見ると、被害者安藤文さん本人に付き合っている人がいるといわれなかったのか、という質問です。

 これも突然いきなりの被告発人岡田進弁護士の質問でしたが、被害者安藤文さん本人の口から言われたのは、事件当日の4月1日、レストラン十字でのことですが、彼女は過去形で被告発人安田繁克と付き合っていたと認めました。

 「傷ついて、ようやく忘れられたかなと思っとったころ、友達の友達のある人と知り合ってん。その人も女の人と別れたばかりで、傷ついて、求め合っとるものが同じやってん。」などという言葉だったと思います。

 これが大きな混乱となりました。それも私が帰ろうといい、席を立ったタイミングで、彼女は座ったままそのようなことを話し始めたのです。仕事の疲れもあったのですが、不意をつかれたような発言でした。

 「お前、ほんなん本当におったんか? なら、なんで、ほんでいい、あきらめる、と言ったときに返事せんかった。」と私が言うと、彼女は少し恥ずかしそうにも見えたのですが、「電話じゃ悪いと思ったし。」と答えました。

 私は声も大きくなっていたと思いますが、「出てくりゃ、よっぽど悪いわい。お前いったいなんのつもりやったんや、はっきりせいや。」などと言ったと思います。

 谷内孝志警部補の作成した供述調書には、具体的な発言があると思いますが、なぜか私の言葉遣いと違ったものになり、なにかとちゃんペを連発していました。チャンペというのは、女性器や性行為を指す石川県の方言です。

 母親の安藤紀世さんの供述調書にも彼女が他の男性と交際していたという話はないのですが、新潟の運行のときの被告発人多田敏明の話では、被告発人安田繁克にいい服を着てきてくれ、といい、被告発人安田繁克が被害者安藤文さんの父親とまずい酒を飲んだという話になっていました。

 私が最初に被害者安藤文さんの自宅に電話を掛けたのは平成3年の10月12日になると思いますが、会社で彼女に運行のことを尋ねられ、自宅アパートに無言電話があったことなどから、悩んだ挙句、22時を過ぎるような遅い時間に電話をしたのです。

 そのとき最初に出たのが被害者安藤文さんの母親でしたが、明るい感じでした。被害者安藤文さんも21歳という年頃でしたが、男性から電話があり、どこかほっとしたような雰囲気も感じられる対応でした。

 突然の電話に驚いた様子だったのが被害者安藤文さんの方で、ちょっと待って、とか言いながら階段を駆け上るような物音が聞こえ、ひと呼吸入れた様子で、「はい」などと言ったように記憶にあります。

 無言電話の件は、当たり前のように否定されたのですが、その被害者安藤文さんとの電話を終えた後、どれぐらいの時間があったのか今は思い出せないですが、割と早いタイミングで夜遅くに電話があり、出ると前妻からの電話でした。

 被害者安藤文さんには、会社に自分宛ての電話がなかったのか尋ねたのですが、電話はないと言われ、無言電話を否定したのが前妻になります。偶然とは思えないタイミングだったのですが、被害者安藤文さんもその夕方は珍しく18時頃に会社にいました。

 10月5日も土曜日だったのですが、10月12日も土曜日で、大型ウィング車の3068号が納車された日だったと思います。外がすっかり暗くなった時間に、会社の前で横付けした新車を被告発人安田敏と一緒に眺めていると、被害者安藤文さんが2階から降りてきて、私に話しかけたのです。

 「広野さん、今日どっか走らんが?」という質問でした。私本人に聞くより配車係か運行表をみればわかると思ったのですが、はにかんだ様子で明るく声を掛けてくれました。

 その10月12日の夜に初めて自分から被害者安藤文さんの自宅に電話を掛け、11月25日の夜にも電話をしているのですが、その間にも2回、あるいは短い電話を入れて3回、彼女の自宅に電話をしていると思います。

 この11月25日の電話より前の電話では、10月5日に続き、交際を求めているはずですが、10月5日と同じように「好きな人がいる」ということで、「ごめんなさい」と言われていました。

 その被害者安藤文さんのいう「好きな人」が、私を指すのではと思うようになり、けっこう自身を持って掛けたのが11月25日の電話になるのですが、このときは私も慎重になって、直接返事をもらうようなことは避けました。彼女の会社での言動がきっかけです。

 ありすぎるぐらいに色々とあったのですが、「このケーキ、広野さんや、文ちゃんのために買ってきてくれてんよ。」という被告発人池田宏美の発言もありました。16時ぐらいか、被害者安藤文さんが金沢市場輸送から戻ってきた時のことです。

 11月25日の3日から5日ほど前だったように思うのですが、今となっては記憶がはっきりしません。この11月の半ば過ぎから始まったのが、和歌山県のかつらぎ農協からミカンを積んでくる仕事でした。

 かつらぎ農協からは、近畿自動車道などを通って、名神高速道路を京都周りで帰っていたのですが、一度だけ、西名阪自動車道から三重県桑名市経由で戻ったことがあり、そのとき、関ヶ原インターから名神に乗り、最初のパーキングが前出の伊吹パーキングエリアでした。

 市場急配センターの裏駐車場は、事務所の裏の未舗装の駐車場で、現在もほぼそのままの状態で残っているはずです。トラックは、金沢中央卸売市場に近い方に大型車と4トン車が多く、反対側が2トン車と運転手の乗用車の駐車となっていました。

 その反対側の一番奥に、被害者安藤文さんと被告発人池田宏美の車が駐車されたのが始まりでしたが、被告発人池田宏美の車はその時だけだったと思います。被害者安藤文さんの車も裏駐車場でも手前の方が多くなり、大型車のど真ん中に駐車することもありました。

 広い駐車場ではないので、大型車や4トン車は斜めに駐車することでスペースを確保していました。被害者安藤文さんはずいぶん迷惑になるような駐車の仕方もしていたのですが、彼女に注意する人はいなかったと思います。

 これまで何度か、Googleマップストリートビューで撮影したスクリーンショットがあるのですが、羽咋市に住んでいた頃、デジカメで撮影した写真もあります。市場急配センターの事務所は近くの他の場所に移転しているようですが、建物は残っています。

 横に給油所が出来たぐらいで、平成4年当時と大きくは変わっていないと思います。

- 2007-07-21_180905_平成4年傷害・準強姦被告事件関連の場所 金沢中央卸売市場立体駐車場 市場急配センターの裏駐車場と事務所.jpghttp://hirono2014sk.blogspot.com/2018/11/2018110810232007-07-211721102015-02.html#20070721180026#20070721180905

 平成19年7月21日撮影の写真のようですが、上記のページ内リンクに写真に、裏駐車場の8割ぐらいの全景があります。事務所の裏になる手前側が大型車の多かった駐車スペースですが、この写真にあるのは全部4t車のようです。

- 2007-07-21_180912_平成4年傷害・準強姦被告事件関連の場所 金沢中央卸売市場立体駐車場 市場急配センターの裏駐車場と事務所.jpghttp://hirono2014sk.blogspot.com/2018/11/2018110810232007-07-211721102015-02.html#20070721180026#20070721180912

 上記のリンクの写真には、市場急配センターの事務所の全体がありますが、平成4年当時はなかった給油所が手前にあります。前は、草の生えた空き地の部分と、2台ほど赤い郵便局の大型車がよく駐車されていました。

 あまりいい写真が見つからないのですが、街灯はほとんどなかったと思います。金沢中央卸売市場は午後2時ぐらいから夜10時ぐらいまでが休みのような状態で、深夜から早朝に活発な人や車の動きがあります。

 12月から1月というのは夕方5時過ぎでも、ほとんど夜と変わりのない暗さになっていたと思います。平成4年1月に入って、たぶん3回、私は裏駐車場で被害者安藤文さんに声を掛け、大型トラックの助手席に乗ってもらって話をしています。

 これも谷内孝志警部補の供述調書には記載があるはずなのですが、平成3年12月21日に、仕事中の被害者安藤文さんを大型トラックに乗せて連れ出したときも、彼女は電話に出ないことを、「寝とったんじゃないか、私最近早く寝るし:などととぼけた返答をしているのです。

 被害者安藤文さんが自宅の電話に出なくなったのと同時に始まった裏駐車場での行動ですが、電話の方は1月12日の夜に掛けた電話に出ました。19時半から20時ぐらいの時間だったと思いますが、富山県北陸自動車道、パーキングエリアからの電話でした。

 新潟県との県境に近い朝日インターの手前で、トイレだけのパーキングでした。入善パーキングエリアという名称だったようにも思います。東京の池袋、三越デパートに向かっていました。トナミ航空の仕事の展示会の荷物です。

 1月22日の未明午前2時頃にも彼女の自宅に電話をしていますが、三宅俊一郎裁判長に質問を受けた、被害者安藤文さんの「殺せ、明日会社行ったら殺されてやるわい」という発言があったときの電話です。

 1月25日の電話もよく憶えているのですが、被害者安藤文さんがセーターにネックレスをつけて会社に来ていたときで、珍しく17時の少し前、泣いているような様子で小走りに事務所前を通過していきました。夜に掛けた電話で、母親が警戒した様子をみせたのです。

 谷内孝志警部補の話だったのか、被害者安藤文さんが会社につけてきていたのは、私が買ったネックレスではなく、母親にかってもらったものと聞きました。色は同じ金色だったと思いますが、長さが違うようには感じていました。

 3月の電話で、私がそのネックレスの話をしたとき、被害者安藤文さんは不機嫌な態度を示したのですが、赤いバラの花が届いたかという話をすると、一転して感謝しているような態度に変わったと印象にあります。彼女はそのような気持ちの表現がよくありました。

 裏駐車場で、最初に被害者安藤文さんに声を掛けようとしたのが12月13日の金曜日のことで、暗くなった時間、彼女の軽四の横で自分の軽四を停め、車内で待っていたのですが、彼女は会社から出てこず、被告発人梅野博之が2回ほど前を歩いていました。

 記憶の新しい時期に繰り返し同じような事実を書面に記述し、金沢地方裁判所金沢地方検察庁に提出してきましたが、まともに取り合ってもらえたことは一度もなく、告訴状、告発状は、具体的犯罪事実の記載がないと返戻されるか、不起訴処分の通知書が届いていました。

 最初の告訴か告発が、浜崎一検事のときで、平成4年の秋だったと思うのですが、それから令和3年3月31日付告発状まで再審請求を含め、何度も何度も同じことを繰り返してきました。

 平成4年4月1日から1年、2年であれば、まだ具体的に思い出せる事実関係もあったのかもしれません。その機会を、被告発人木梨松嗣弁護士や被告発人岡田進弁護士に奪われたことになります。与えられたのは不安と混乱でした。

 やはり、これは刑事裁判の基礎となった金沢西警察署の谷内孝志警部補の供述調書を対象に、これまでとは異なる観点からその当否を事実に当てはめ分析しておきたいと思います。

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