(エ). 被害者安藤文さんを市場急配センターに紹介したともされる,笹田君と峰田君

 この二人は,私の判断で実名としますが,事案解明の鍵を握るかもしれない人物であります。ほぼ同時期の入社でいつも一緒に行動をしていた二人です。入社の時期ははっきりしませんが,金沢市場輸送の事務所が西念町リの1にあったとき,事務所が一つだけの頃はまだいなかったと思います。

 高田さんが市内配達の責任者で,金沢市場輸送以外にも石川日通,小林運送などが市内配達をしていた頃のことです。高田さんが竹沢俊寿社長を激怒させるかたちで失踪し,それからまもなくだったと思いますが,同じテナントビルの並びにもう一部屋賃貸したらしく,市内配達の社員がそちらに移りました。

 被告発人梅野博之が代行の責任者をやっているという話も聞きましたが,余り姿を見かけることはなかったと思います。興味本位に部屋を覗くと,決まって女子事務員が一人いました。名前を出すつもりはないですが,ちょっと思い出せなくなりました。半年ほど前には憶えていたはずです。

 大西真さんのおごりで片町に飲みに行ったとき,被告発人池田宏美と一緒にいた女性です。20代後半と聞いていましたが,ずいぶんと落ち着いていて,かなり年上に感じていました。

 金沢市場輸送の事務所が二口町に移ってからもしばらくはいたと思いますが,姿をみなくなったあと,社員運転手Tさんとの不倫関係で首にされたという話を聞きました。二口町に移ったのは昭和63年の7月の初めと記憶しています。なぜか7月の初めということをしっかり憶えています。

 それから金沢市場輸送の長距離と市内配達が,また同じ事務所と運転手の休憩室となったわけです。これは平成2年の春,市場急配センターの新事務所が出来るまで続きました。

 笹田君と峰田君の姿を見るようになったのも,その二口町の事務所に移ってからだと思います。そういえば,少し思い出したのですが,大久保くんの場合は,逆に二口町に事務所が移ってから姿を見なくなったかもしれません。

 大久保という名前もはっきりとは憶えていないのですが,ありふれた名前ですし,一応そうしておきます。石川日通の運転手だった,こちらも名前が思い出せないですが,確か私の一つか2つ年下で家が小立野にあると聞いていましたが,その運転手の後輩として金沢市場輸送に入ったような話を聞きました。

 その大久保君が笹田君や峰田君と彼女の交換をしていたという話を被告発人多田敏明から吹き込まれたと思うのですが,被告発人多田敏明というのは,金沢市場輸送と市場急配センターが同じ事務所だった頃には姿を見ていなかった運転手なので,なぜ大久保君の名前をしっているのか不思議でした。

 そして同じ頃,被告発人多田敏明に,被害者安藤文さんを市場急配センターに紹介したのが笹田君か峰田君と聞かされたのです。どちらかはっきりしないのは,私の記憶がはっきりしないためです。たぶん峰田君と聞いていたと思うのですが,確信は持てません。

 笹田君と峰田君の年を19歳と聞いていた記憶があるのですが,それは平成4年の2年ほど前のことで,被害者安藤文さんと同じ年と聞いたように思います。被害者安藤文さんは8月生まれで,平成4年の誕生日を迎えるまでは21歳でした。昭和45年生まれです。

 とにかく笹田君と峰田君は会社にいるときいつも一緒にいました。何度か直接会話をしたことがあったのですが,二人とも家は金石と話していたように思います。金石は金沢港の近くでもありますが,犀川の河口に金石港があります。大野とも隣接していますが,北前船などの古い歴史があるところです。

 といっても金石は広く,金沢西警察署に近い辺りほど住宅地が多い感じでした。昭和56年当時は,暴走族が多いとも聞いた金石ですが,平成4年当時は,金石海岸がナンパのスポットともなっていて,金沢西警察署の警察官も「ちゃんかい」と読んでいました。方言を直すと「セックス街道」のようなものです。

 昭和58年当時,「ちゃんぺ街道」のような露骨な表現はなかったですが,ナンパのスポットは繁華街の片町から少し離れた香林坊から南町でした。夜にその辺りを若い女性が歩いていると,ナンパされるのを目的にしているとみなされ,声を掛けられていたものです。

 被告発人安田繁克は暴走族のリーダーだったとも聞いていましたが,2月1日の夜にグループ名を尋ねると,「狂走恋命」だと言っていました。昭和56年頃にも暴走族の落書きとして見かけていたものですが,具体的な暴走族のグループ名としては聞くことがありませんでした。

 被告発人多田敏明も暴走族に入っていると話していました。平成4年に入ってからではと思いますが,新聞に暴走族の死亡事故のニュースがあり,当日だったと思いますが,昨夜の死亡事故は自分も参加した集団暴走と話していました。金沢東インターの近くで福久が事故現場になっていたと思います。

 仲間が事故を起こしたのを置き去りしたという話もありました。トラックの仕事で夜に運転をすることも多かったですが,平成3,4年頃には,暴走族は余りみなかったと思います。長距離も同じでしたが,昭和57年の9月から12月に名古屋の港区にいるときは,逆走する大きな集団暴走を見ていました。

 なお,被告発人安田繁克も被害者安藤文さんと同じ21歳で,そのとき被告発人多田敏明は19歳でした。2つ年下になります。被告発人安田繁克は,被害者安藤文さんが泉中で,自分が高中だったので,話をしていたとも言っていました。高中は,高岡中学校のことです。

金沢市立高岡中学校 - Wikipedia https://t.co/pcjdTjyjXC 石川県金沢市新神田1丁目10番1号

 被告発人安田繁克の家が東力,被告発人多田敏明が間明と聞いていました。供述調書で被告発人安田繁克の住所を見たのだと思いますが,その後の大型書店が出来た駐車場の前辺りに家があったようです。入江の交差点の近くにもなりますが,平成4年当時は何があったのかよく憶えていません。

 笹田君と峰田君に関しては,他にも話を聞いたことがありました。守田水産輸送の古参の運転手で松ちゃんと呼ばれていた人ですが,同じトラックの中で話をしていたとき,二人とも自分の息子の親しい友達だと話していました。

 ただ息子といる家は,金石ではなく金沢港の近くと話していたように思います。金沢港でも戸水町の辺りと聞いたように思います。これも記録には記述したことがあると思います。

 少し思い出したのですが,大久保君や笹田君と峰田くんが彼女の交換をしていたという話は,被告発人多田敏明ではなく,被告発人梅野博之の口から出た話かもしれません。あまりはっきりとは思い出せないのですが,これも記録には,しっかりした記憶で記述したものがあるはずです。

 なお,被告発人梅野博之の入社は昭和61年12月頃になると思います。被告発人池田宏美と同時期でしたが,被告発人梅野博之は,けっこう長い間,目立たぬ存在でした。平和町の県営住宅に住んでいるような話を聞いていて,供述調書にもその住所がありました。

 笹田君と峰田君は,平成3年の2月頃,姫のNさん,珠洲市大谷町出身のYSさんが,竹沢俊寿会長に不義理をするかたちで市場急配センターを去ったとき,一緒に行動したとも聞きました。宇出津のK村さんもそうだと思います。

ひまわりチェーン - Google 検索 https://t.co/VjHrS21sZU

 意外に思ったのですが,ひまわりチェーンというのは今も金沢市に存在するようです。ただ店舗数は少なそうです。平成3年当時は,金沢市内のあちこちで店舗を見かけていました。いずれもスーパーというよりは,食料品店に近い感じでした。

加盟店情報 | 全日本食品株式会社(全日食チェーンhttps://t.co/WpxGbZWFsE

 ひまわりチェーンは,「全日本食品株式会社(全日食チェーン)」の加盟店のような情報を見かけました。全日食チェーンというのは,平成4年より前にもどこかで見かけていたような気がしますが,ひまわりチェーンとは関係がないものと思っていました。

飛騨運輸 金沢支店 - Google マップ https://t.co/muLEZuqYjV

 住所は金沢市湊4丁目となっていますが,この飛騨運輸金沢支店の場所の辺りに,ひまわりチェーンの配送センターのような倉庫があったと思います。けっこう新しい建物でした。近くには糧食,カナカンと大きな,似たような商品を扱う倉庫があって,北都運輸の市内配達をしているときの配達先でした。

 たぶん,ひまわりチェーンだったと思うのですが,会社の内容が変わっているとも考えられます。平成3年の春,被告発人大網健二の引っ越しの手伝いで,2トントラックを返しに行ったのも,その金沢港に近いひまわりチェーンの倉庫でした。

 詳しい話は聞かなかったですが,宇出津のK村さんらは,市場急配センターを見限るかたちで,ひまわりチェーンの仕事を始めたようです。

 市場急配センターでの市内配達中,笹田君か峰田君,たぶんその両方と,他の能登の顔見知りの市場急配センターの仕事をしていた運転手とも同じ場所で顔を合わせたことがありました。ひまわりチェーンの店舗だったと思います。ややこしい場所でしたが,だいたいの場所は記憶にあります。

長土塀 - Google マップ https://t.co/svRWwcU64R

 ちょっと意外には感じたのですが,住所は金沢市長土塀になりそうです。被告発人大網健二兄弟とも縁のあった豊蔵組の会社がありますが,その並びの道路からやや斜めで古い商店街に入る道路がありました。その奥の方にひまわりチェーンがあったと思いますが,道路が折れ曲がっていたとも思います。

 自分の受け持ちだった小立野・片町コースの受け持ちのようでしたが,余り配達に行く店ではありませんでした。ずいぶん久しぶりに姿を見たとも思ったのですが,そこで笹田君や峰田君と出会ったのです。忙しそうに真剣に仕事をしていたので声を掛けることはなかったかもしれません。

 笹田君と峰田くんとは,その後にも一度会っております。同じ焼肉店で食事をしたのですが,その場には被告発人浜口卓也,被告発人多田敏明,西口君がいましたし,被告発人多田敏明が手引きをしたような成り行きで,被告発人浜口卓也のアパートに行った後のことです。平成3年の年末です。