告発に至る経緯・奥能登の蛸島事件と,弁護士列車編### 死亡した生徒の両親が少年7人と新庄市に対して1億9400万円の損害賠償を求める

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そして翌1994年、7人全員に対し、刑事裁判の有罪に相当する保護処分が確定。これに対し少年は事故死を主張して山形地方裁判所に提訴。その後1995年に、死亡した生徒の両親が少年7人と新庄市に対して1億9400万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。この際、少年らは山形地裁への提訴を取り下げた。

2002年3月19日、民事訴訟に対し山形地裁は「事件性は無い」として原告側の訴えを退けた。生徒の両親は仙台高裁に控訴し、2004年5月28日、仙台高裁は一審判決を取り消し、少年7人に5760万円の支払いを命じた。少年らは上告するが2005年9月6日に最高裁は上告を棄却、元生徒7人全員が事件に関与したと判断したため、約5760万円の支払いを命じ不法行為認定が確定した。原告側の代理人弁護士によると、結審から10年を経過した2015年時点で任意の支払いに応じた元生徒はいないという。

損害賠償請求権は2015年9月には10年間の時効にかかることから、その前に時効の中断の手続として元生徒7人のうち4人には債権の差し押さえ等の措置がとられたが、3人については勤務先の会社が分からないなどの理由で手続が進まなかったため損害賠償請求権の時効を中断させるための提訴が行われた[1]。 2016年8月23日、損害賠償金の支払いを遺族が求めた裁判の判決が下り、請求通り支払いを行うよう元少年2人(元少年1人に関しては給料の差し押さえにより訴えを取り下げている。)に対して請求通り支払いをするように命じた[2]。

 請求権の時効という問題は,数年前にニュースになり,テレビでもニュースを見ていたかもしれません。同じ頃にテレビでニュースをみたのが,福井県勝山市の教え子殺害事件の父親の損害賠償請求で,大学の准教授ではなかったかと思います。

 山形マット死事件の損害賠償請求裁判は知っていましたが,今回,新庄市も被告とされていたらしいことは初めて知ったように思います。新庄市立明倫中学校となっていますが,仮にこれが,能都町立とか蛸島町立となっていれば,地域経済としても大きな問題になりそうです。

 調べてみると,蛸島小学校は珠洲市立でしたが,宇出津小学校は能登町立でした。市立と町立では違いが大きく感じますが,珠洲市の人口は日本の市で最も少ないという話を聞いたような気もします。2万人を割り込んでいるとか。能登町も合併当時は2万人を少し超えていたような気もします。

 ちょっと驚いたのですが,数年前より急激に人口減となったのか,1万3千人を割り込んでいました。

 珠洲市長の初めの任期が2006年(平成18年)6月11日となっていました。当時は,全国で1番とか,2番だったかもしれないのですが,最年少市長として県内ニュースになっていたと記憶にあります。

 Wikipediaのページがあるのも意外に感じたのですが,開いてみると,昭和39年4月生まれで同級生になるのだと知りました。前にも最年少市長の刑事事件として話題になった藤井美濃加茂市長のことで調べたことがあったと思うのですが,その時は気が付かなかったのかわかりません。

 何年か前は1万7千人台だったと思うのですが,現在でもぎりぎりに近そうですが,1万5千人台をキープしているようです。能登町の方が珠洲市より2千人以上も人口が多いとは意外でした。

 能登町Wikipediaのページには,能登町を代表するように恋路海岸という写真がありますが,有名ではないと思っていた奇石の風景で,後ろに海岸線も見えますが,この奇石の場所がぎりぎりの能登町で,その先が珠洲市になります。海岸線も珠洲市です。

 この恋路の奇石がきっかけで出かけたところ,珠洲市の市立図書館で北國新聞の縮小版が館内とは別の場所の保管になっていると知り,宇出津の図書館でも同じだとわかったのです。個人的にこれはけっこう大きなことでした。

 恋路海岸の奇石は名前がつくほど有名ではないと思うのですが,外の場所ではみかけない奇石で,それゆえに島根県安来市国道9号線沿いに見ていた,石というか岩盤のことがずっと気になっていたのです。

 能登町Wikipediaも何度か見ていますが,持木町長の任期を調べようと下にスクロールしていたところ,「能登町(に相当する地域)の人口の推移」という棒グラフを見つけました。

 昭和40年が35,333人とあります。平成2年が28,065人で,それほど変わっているとは思えないのですが,昭和40年が蛸島事件の発生した年になるので,背景の違いなど参考になる資料です。

 確認すると珠洲市Wikipediaにも同じ人口推移のグラフがあり,昭和40年が32,122人,平成2年が23,471人となっていました。能登町の方が多いですが,当時の能登町は,鳳至郡で能都町と柳田村,珠洲郡で内浦町の3つに分かれていました。

 現在の能登町小木の人らが宇出津と一緒になるのを嫌い,宇出津の町で抗議の街宣活動を行っていたという話も聞きます。能都町を市にするという話もあったと記憶しますが,市になるにはいくらか人口が足りないという話も聞いていたように思います。

 能登町の持木町長は,2005年(平成17年)4月10日という能登町の発足当初からの任期となっていますが,現在が4期目で,合併前の能都町でも町長でした。

 一昨日の夕方18時頃になりますが,松浦由記夫検事のことで電話をしたところ,持木町長が辞めるということを初めて知りました。ネットで調べると任期が残りわずかで,次の町長選には出馬しない意向を表明していたと知りました。1月中のニュースでした。

 持木町長の年齢が知りたいと思ったのですが,名前の部分がリンクにはなっておらず,Wikipediaのページは存在しない様子です。松浦由記夫検事は今年の4月中には71歳となるはずですが,それに近い年齢と思ったからです。


◇合併から8年、町に統一性

 能登半島北東部に位置する石川県能登町(1万9800人)は2005年3月、旧能都町、旧内浦町、旧柳田村が合併して誕生した。1999年から旧能都町長を務めた持木一茂町長(もちき・かずしげ=57)は、合併から8年余を経て「ようやく統一性ができてきた」と実感を込める。「町民の笑顔が一番。笑顔を見るために町づくりをきちんとしないといけない」と心掛ける。

 歯科医から町長に転身し、それまで「一切政治には関わりなかった」という。だが、前町長が収賄容疑で逮捕され「(町を)変えなきゃ駄目だ」と立候補。「勢いだけ」と笑うが、当時の町議会議長を破った。

 記事の年月日が見当たらないですが,合併から8年とあるので平成25年つまり2003年となりそうです。2021年の現在は18年前になるので,57歳という年齢に18を加算すると75歳になります。昨年も祭礼委員の役員として町長室でお会いしていますが,その年齢よりはだいぶん若く見える感じです。

 時刻は17時05分です。外を見るとまだけっこう明るいのですが,それだけ日が長くなってきたということなのでしょう。多岐亡羊というのか,取り上げて記述しておきたいことがありすぎて,判断に迷う時間が増えています。

 朝の予定では,旧河北郡七塚町と蛸島町の共通点,及び告発事件と関わりのあった事実について取り上げるつもりで,そのための準備もしておりました。

 仙台高裁と仙台高裁秋田支部の裁判官と管轄のことで,また思い出したのが小川賢司裁判官のことです。現在の東京高等裁判所の裁判官でもあります。

 その前に,山形マット死事件のことで,事件のあったのが平成5年1月13日と知り,だいたい記憶どおりの時期ではあったのですが,被告発人木梨松嗣弁護士が私の精神鑑定のことを言い出したのも同じ頃かと思いまして,また,この1月中にも一度,接見があったように思います。

 この小川賢司裁判官のことと,被告発人木梨松嗣弁護士の精神鑑定請求のことは告発事件を構成する要素の事実として,「告発の事実・弁護士列車編」に記載することを考えています。

 外にもいくつか細かいことがあるのですが,けっこう参考になる事柄で,後になって必要性を判断し,探すのも手間と時間の掛かることなので,この告発状に取り込んでおきたいという思いもあります。

 旧河北郡七塚町と蛸島町のこともただの思い出話ではなく,告発の事実関係に部分があるので,切り分けと構成の配置にも苦慮するところです。これは考えすぎるとなかなか先に進めなくもなるので,今回の告発状では,告発の事実を時系列として配置することに重点を置くとしました。