被害者安藤文さんの血に染まったピエロ(道化師)の背景# 弁護士列車編:福井刑務所で視聴した「暴走特急」というアメリカ映画

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暴走特急』(ぼうそうとっきゅう、原題:Under Siege 2: Dark Territory)は、1995年のアメリカ映画。


目次
1 概要
2 ストーリー
3 登場人物
3.1 主人公
3.2 テロリスト
3.3 特急列車の乗員
3.4 政府関係者
4 キャスト
5 スタッフ
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要[編集]
1992年に公開された、『沈黙の戦艦』の正式な続編。

劇場公開時には「沈黙シリーズ第3弾 暴走特急」の題で公開された[2]が、ビデオ化以降の題名は単に「暴走特急」となっている。なお「沈黙シリーズ第3弾」とされていたのは、『沈黙の要塞』が「沈黙シリーズ第2弾」と謳われていた為である。

 日本での公開が「1996年1月20日」とあります。アメリカが1995年7月14日ですが,このような違いは初めてみたように思います。1996年というのは平成8年で,平成9年1月18日までの福井刑務所での生活で,後半以降に視聴したような記憶はあったのですが,思ったより後の時期のようです。

 今度は一緒に取り上げるつもりでいた同じ主演俳優の映画が,「1992年に公開された、『沈黙の戦艦』の正式な続編。」ではないかと思うのですが,私の記憶では戦艦というより空母でした。

 スティーヴン・セガールの主演として印象にありましたが,制作も同じスティーヴン・セガールの名前となっています。スティーヴン・セガールの人気の全盛期だったと思いますが,日本人女性と結婚し,大阪にも住んでいるという話を何かで見かけた記憶もあります。たぶんテレビです。

 記憶にある場面は原子力空母のようなものだったのですが,上記のYouTubeで戦艦らしいと確認しました。ただ船が映る場面は少なく,ほとんどが艦内であったとも思います。台詞で主役がコックだったということも思い出しました。ここまで内容の酷似した映画は他にないと思うので,空母は訂正です。

 この沈黙の戦艦暴走特急に共通したのは,前者は艦内,後者は列車内及び屋根の上,意外に場面がなかったような記憶です。これは他にみたような記憶がなく,共通してとても珍しかったように記憶に残っています。

 未だに空母だったようなイメージが残っているので,沈黙の戦艦というタイトルには違和感があるのですが,映画の内容は別にとても印象に残る映画でした。というのも福井刑務所での受刑生活が始まって,最初にみたテレビ放送だったからです。

 平成4年4月1日の夜に金沢西警察署に出頭,逮捕状が出たのは翌日の未明とも考えられるのですが,その金沢西警察署での留置場の生活が同年5月28日まで,この間は,扉から目の前の机の上にある小型テレビの画面を少し見ることはありました。尾崎豊の死亡のニュースを知ったのもそのときでした。

 平成4年5月28日に金沢刑務所の拘置所に移送され,拘置所ではテレビなど形もみることがなかったのですが,途中,平成5年3月1日から3月31日の間は,被告発人木梨松嗣弁護士の主張による精神鑑定で,金沢大学附属病院の精神科閉鎖病棟にいて,比較的自由にテレビがみれました。

 普通の病院の病棟にあるテレビと変わりはなかったと思いますが,ドラマや映画をみたという記憶はありません。長椅子のロビーのような場所で,つけてあるテレビを眺める程度でした。なにか印象に残るような番組やニュースもありませんでした。

 逮捕されるまで,テレビ自体,余り好きではなく連続ドラマを視聴する習慣もなかったのですが,レンタルビデオで映画はみていたものの,日本映画以外はほとんどみることがなく,例外は「ラストエンペラー」ぐらいです。

 なお,精神鑑定の生活では,ちょうど移送される前に私本購入した「わが半生」という分厚い上下巻2冊の文庫本があり,それを病室のベッドの上で読んでいたという記憶もあります。ラストエンペラーのモデル,満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の自伝です。

 歴史上の人物が自ら書き記した本というのは,当時とても珍しく感じていました。宮廷での料理の内容などずいぶん細かいことが書いてあって資料を読んでいるようにも思ったのですが,この平成5年3月当時のことは,昭和57年秋に名古屋市で読んだ「悪魔の飽食」にもつながるものがあります。

 これも金沢の旧制第四高等学校がきっかけで,金沢の旧制第四高等学校やそのあとの金沢大学医学部,他の石川県の医療機関のトップが,旧満州国での731部隊と深い関わりがあることを改めてしりました。多少の関わりというのは,何年か前のネット検索で見かけていました。

 731部隊の中心人物といえば,石井四郎軍医中将ですが,悪魔の飽食では,千葉県の田舎の出身ということと京都の大学を卒業したことは印象的に記憶に残っていたのですが,金沢の旧制第四高等学校の出身であったことは,つい最近になって大きな発見と感じたところでした。

 そもそも本件告発事件は,被告発人木梨松嗣弁護士による人体実験,精神の破壊をも狙った歴史的重大犯罪という側面があります。これまでも軽く触れる程度のことは説明でやってきたつもりですが,安藤健次郎さんの四高記念文化交流館をきっかけに,いっきに結びついた要素になります。

 金沢刑務所から福井刑務所に移送されたのが平成6年3月17日でした。この日付はよく憶えていますが,判決の確定日というのははっきり憶えておらず,1月の21日頃だったと思います。確定日の翌日か翌々日に未決から受刑者にされたとも思うのですが,これも記憶が判然としないところです。

 よく憶えているのは,最高裁の上告棄却決定が届いた後,最高裁に異議申し立ての手続きを行いました。申立をしてから一週間ほどで確定したように思います。この最高裁に対する異議申し立ては余り知られていないかもしれないですが,過去に一度も認められたことはないという手続きでした。

 午前中の早めの時間だったと思いますが,いきなり未決から受刑者になったと言われ,房内の荷物をまとめることになりました。当日は,初めての新規注文となったアンパンが来るのを楽しみにしていて,その前の時間に迎えが来たように思います。なお,逮捕前は嫌いで口にしない食べ物でした。

 同じ金沢刑務所の敷地内ですが別の場所に移され,分類審査を受けることになりました。どこの刑務所に移送するかも決める審査になります。判決が確定する少し前に,たぶん郵送で,差し入れのあった本が何冊かあり,結局,閲覧できたのは福井刑務所で工場配役が終わった後かもしれません。

 ここにあったのがパソコンの雑誌と入門書です。金沢刑務所での分類審査に間に合って,そのときに読んだとも思うのが,佐木隆三の「新選組事件帖」でした。佐木隆三の本を指定し犯罪に関する本を頼んでいたのに,母親はわざわざその時代小説のような文庫本を送ってきたのです。

 平成5年12月に入ってすぐ,被告発人らの供述調書を読むことができ,その内容からとんでもない犯罪の被害者として巻き込まれていたことを理解したのですが,そこで実際の犯罪がどういうものなのか少しでも理解しておきたいと思い,母親に本の差し入れを頼んだのです。

 すでに書いたこともあるかと思いますが,佐木隆三のことを知ったのは,「闇の中の光」という本で,文庫本ではない本として購入しました。これは購読していた新聞の書籍の広告で知り,私本購入をしたように思います。

 私本購入というのは月に2回,1回に6冊までの注文だったと思いますが,6冊注文しても2冊も入ればいいところで,一冊も入らないこともあったと思います。書店に在庫がないとかそういう問題ではないと考えていました。なお,金沢刑務所は宇都宮書店に発注しているとも聞いたことがあります。

 店舗名が柿の木畠店とかになっていたと思いますが,金沢市役所の裏手のような場所で大きな書店でした。宇都宮書店は,御経塚の交差点にも店舗があったのですが,栃木県の宇都宮市と関係があるのか,なぜ宇都宮書店なのかと考えることはありました。今もあるのか調べてみます。


株式会社うつのみやは、石川県金沢市に本社を置き、同県を中心に展開している日本の書店、楽器店。


目次
1 概要
2 沿革
3 店舗
4 関連会社・関連法人
5 脚注
6 外部リンク
概要[編集]
1879年(明治12年)2月11日に小松で絹問屋を営んでいた宇都宮源平によって、同地にて創業し、1893年明治26年)に金沢市香林坊に出店した[1]。徳田秋聲泉鏡花室生犀星も利用していた。石川県最古の書店チェーンで、社名は創業者の苗字である宇都宮を由来としている。

1898年(明治31年)に本店を金沢市片町に移転。翌1899年(明治32年)に北陸3県の官報販売所の指定を受ける(国内最古[3])。この他、旧制第四高等学校の数学の教科書も出版していた[1]。1920年大正9年)に株式会社として設立された。

日本海側で最初にキャッシュレジスターの導入も行っている[1]。

書籍・雑誌以外にも教科書・文具・楽器・CD・DVD・官報を販売している。2010年(平成22年)夏、読み終えた本の買い取りサービスを導入した。

 調べてみると意外な情報が見つかりました。明治時代創業の石川県最古の書店チェーンで,「徳田秋聲泉鏡花室生犀星も利用していた。」とあります。書いたものは一度も読んだことがないですが,金沢の三文豪としてしられています。金沢の旧制第四高等学校とも関係があったようです。

  • うつのみや - 知性と情操をお届けして140年。金沢を本店に石川、富山、福井のネットワークを通じ、本・文具・CD・DVD・楽器の販売とカルチャー教室の運営をしています。 https://t.co/MYPHIEYSEr

 ページの左手に書籍の週間ランキングがあって,その9位に「ゴミ人間 日本中から笑われる夢がある」という本があります。そういえば,Twitterのトレンドに「ゴミ人間」があって何のことかと思っていたのですが,特に調べることもなく,書籍のタイトルとは気づかずにいたように思います。

 西野亮廣という見覚えのある名前がありますが,たぶんホリエモンこと堀江貴文氏と共著を出していて,ネットで話題を見かけていたのですが,しばらくして穴水町の大型書店で,その本を見かけた記憶があります。手にはしなかったと思いますが,引っかかりのある書名でした。

 商品の説明に目を通すと,高評価で,あたたかい言葉にあふれた本でしたなどとあります。私は書名を額面通りに受け取っていたので,手にすることもなかったように思います。

 もう一つうつのみや書店週間ランキングで気になったのは2位になっている,「野良犬の値段」という本です。このタイトルもどうなのかと最初に思いましたが,著者が百田尚樹となっていて,ネットやTwitterでは,悪評以外見かけることのない人物です。

 6位には「星ひとみの天星術」とあります。昭和の時代,占星術という本を書店でよく見かけた憶えがあり,しばらく前から,「西洋占星術」などという本が家にあったかも知れない,今度探してみようとも考えていました。

 少しだけ触れているかと思いますが,母親の言葉にあった「上京区 門前町」をネットで調べたところ,このときは場所が出てきて,町内に西陣織の会館があり,門前町というぐらいだから寺社仏閣があるはずと辺りを見回したところ,そこにあったのが日本で最も呪術的とも思える晴明神社でした。

 今回,Googleで「上京区 門前町」の検索ではすんなり情報が見つからなかったのですが,晴明神社で検索すると,Googleマップのすぐ近くに上京区南門前町上京区門前町があることが確認されました。

 私は戦後になって京都市内に上京区が出来たものと思っていたのですが,Googleで調べたところ明治時代に上京区は出来ていたようです。私の母親が生まれ育ったのは現在の京都市北区の可能性が高いのですが,昭和の初めころは北区も上京区の一部となっていたのかもしれないと考えました。

 なお,昭和11年撮影という父親の写真の裏には,写真館の住所が東京市麹町紀尾井町などとなっていました。いつ東京市から東京都に変わり,千代田区などができたのかも気になるところですが,まだ調べていません。この麹町の周辺で気になる存在が,戸舘圭之弁護士になります。

 時刻は10時58分です。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインを開いたところ,小田原の村松謙弁護士とのやり取りの中に,「なろうのラノベ」というのを見かけました。調べて意味がわかったのですが,これは初めて知ったように思います。

 まるで京アニ放火殺人事件の被疑者の犯行動機のような世界ですが,今頃になってモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)をきっかけに扉が開き,道筋が見えたという気分です。もともと呪詛的な弁護士パワーを強烈に感じていた小田原の村松謙弁護士との兼ね合いもあります。

 私がレンタルビデオ店で見かけていた映画「ラストエンペラー」に強い関心を持ち,満州国女真族について調べるようになったのも,大阪万博の年の北野天満宮の思い出があるからでした。大阪万博に行った後,麻疹になったらしく,10日か長くて2週間ほどだったように思いますが,静養をしました。

 医者に行ったという記憶もないのですが,数日間,病床でふせっていたのが快癒し,明日,石川県に帰るという前日に,たぶん京都の親戚の家の近くを歩き,そこでみたのが北野天満宮の広場だったと思うのです。それは「通りやんせ」という童謡とも重なりがありました。

 「通りやんせ」の歌詞には天神さまが出てくるので,北野天満宮のことだとずっと思っていたのですが,数年前にネットで調べると,村松謙弁護士がいる神奈川県小田原市が発祥のような情報をみたのです。その辺りはテレビで映画をみた「鎌倉ものがたり」の世界観にも似ています。

  • 通りゃんせ - Wikipedia https://t.co/XMgDgWtUUa \n 神奈川県小田原市南町の山角天神社、および同市国府津の菅原神社や、埼玉県川越市三芳野神社が舞台であるという説があり、共に発祥の碑がある。 \n \n このほか関所を舞台とするという説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)もある。

 上記のWikipediaのページで「京都」と検索しても該当がないので,やはり関東発祥の可能性は高そうです。いかにも古い時代の京都という感じの唄ですが,かなり不気味にも聴こえる不思議な曲です。関所が舞台だと,「おさるのかごや」の小田原ちょうちんとも接点がありそうです。

 しかし,「おさるのかごや」は調べたところ,作詞家あるいは作曲家の人が,詳しい話を残しているらしく,曲をイメージしたのは長野県の峠道などと情報がありました。ただ,歌詞に小田原提灯があったために,小田原市とは深い縁が出来たそうです。

 弁護士怪奇物語,弁護士怪奇譚,弁護士列伝などという世界観にも非常にマッチする登場人物が,東京葛飾小倉秀夫弁護士,京都市八坂神社からいくらか近い四季の風法律事務所のモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会),そして東京新橋の深澤諭史弁護士が代表格になります。

 そういえば家に七五三だと思うのですが,平安時代の貴族の子供のような格好と化粧をさせられた自分の写真がありました。7歳のときとも思われるのですが,「通りやんせ」の歌詞に,この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります」とあります。

 ほかに七五三というのはテレビニュース以外で見たことはないのですが,神社ではなくお寺の七五三に間違いはないと思います。宇出津の覚照寺でそんなことをしたような記憶はかすかにあるのですが,はっきりした記憶ではありません。

 検索の絞り込みにもっと工夫が必要なのかと思いますが,やはりそれらしい子供の写真はでてきません。

 ずっと前から家にある写真で,自分の子供のときの写真に間違いないと思うのですが,今見ると頭に山伏のような被り物をつけており,僧侶の袈裟がけのような服も高価そうです。宇出津にこのような貸し衣装があったのかも疑問なのですが,当時はわりと一般的だったのでしょう。

 宇出津の覚照寺で子供が大勢集まり七五三のようなことをやっていた記憶はあったので,そのときの写真と疑うことはなかったのですが,これと同じ姿の子供を多数見たという記憶はなく,これは古の文化風習が色濃く残る京都で撮影した写真ではないかと思えてきました。

 時刻は11時56分です。Twitterのトレンドで箱根駅伝をやっていることがわかりました。正月の2日目だということに気がつくまで少し時間が掛かりましたが,昭和の時代のような正月らしさというのは感じられず,普段と変わりのない日常で集中をしていると,正月であることを忘れていました。

 正月気分を少し味わうのと腕の痛みのこともあり,午前10時からの朝風呂に行くつもりでいたのですが,午前中は行けずに終わりました。風呂で血行を良くするのが一番の治療法のようにも考えていますが,こういう体の不調が出てくる年代にもなっていることを痛感します。

 福井刑務所では2週間ほどの分類審査のあと,たしか2週間だった新入教育に入りました。福井刑務所の場合は,第一工場に配役され,工場で新入教育を受けながら,寝起きをする雑居房でも教育係の古参の受刑者が一人いて,私のときは全部で4人の新入教育の受刑者となっていました。

 掃除や食事の仕方など教えてもらう他は,雑居房での他の受刑者と同じ生活で,テレビの視聴もありました。そして最初にみたと記憶にあるのが,前出の「沈黙の戦艦」というアメリカ映画になります。2年ぶりに体験した娑婆の空気というのは,個人差はあると思いますが,得難いかもしれません。

 映画の内容自体は特に印象にも残っていないのですが,同じ主演俳優の映画で似た構成でもありながら内容がかなり印象的で記憶に残ったのが「暴走特急」になります。アクション映画になると思いますが,ずっと列車の中で物語が進行したのが印象的でした。西部劇に似た雰囲気もありました。

 時代劇であれば,水戸黄門の再放送のようなものが現在でもありますが,西部劇というのは平成に入った時点でほとんどテレビから消えていたように思います。昭和の時代は,他に番組の選択肢が限られていたということもありますが,けっこうテレビで西部劇をみることがありました。

 西部劇はYouTubeでも見かけた憶えがないのですが,探せばみつかるかと思います。日本の時代劇以上に,内容が単純で同じようなパターンが多かったという気もします。日本の時代劇でいえば勧善懲悪物になりますが,個人主義やヒーローという意味合いが強かったような感想です。

 ジュリアーノ・ジェンマという西部劇の俳優の名前はよく憶えているおですが,たしかイタリア人で,調べるとマカロニウェスタンというのが出てきました。舞台設定はアメリカだったと思いますが,イタリア映画だったような気もします。

 6分23秒で動画が終わりました。ずいぶん暴力性の高い映画だと思いながらみていたのですが,当時はこれが普通で疑問の声は聞かなかったように思います。日本でも昭和50年代は,西部警察などあったようですが,現実離れしたドラマは好きではなく,ほとんどみた記憶がありません。

 しかし,今,西部劇の動画をみてみると,最近の映画より現実的なリアリティを感じたのですが,それは昭和の時代の必殺仕事人にも共通した感想で,チャンバラというのも好きではなかったのですが,YouTubeで動画をみるようになって,すごい剣さばきの技術があったのだと思います。

 YouTubeゲゲゲの鬼太郎で,古い時代の「幽霊列車」という回をみたのですが,しばらくして日曜日の朝の最新作のゲゲゲの鬼太郎でもおなじテーマの「幽霊列車」をみたように思います。ただ,タイトルが同じというだけで内容はまったく違っていたとも思います。

 上記のYouTubeの検索で,幽霊列車という動画がいっぱい出てきたのですが,ゲゲゲの鬼太郎は見当たりません。ページを下にスクロールすると,検索結果が次々と読み込まれる仕組みとなっているようです。

 昭和50年代前半になるのかと思いますが,どこかで「ゆりかごから墓場まで」というフレーズを何度か見かけたという記憶があります。終身雇用や学歴社会とも言われた時代でした。


ゆきとどいた社会保障ほしょうを表す標語ひょうご。出生から死亡しぼうまで,人の一生のあらゆる事故じこや出費しゅっぴに対して生活保障ほしょうをすること。◇1941年に経済けいざい学者のベバリッジ(1879〜1963)によって提唱ていしょうされ,イギリスの社会保障制度ほしょうせいどのスローガンともなった。しかし,これでは財政負担ざいせいふたんが大きいため,イギリスでは1980年代後半から「小さな政府せいふ」をスローガンとし,社会保障費ほしょうひなどを削減さくげんする政策せいさくをすすめた。

 調べてみると,一種の社会風刺の流行語ではなく,イギリスの社会政策のことであったようです。