* 「12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円」というオウム真理教事件、教祖の刑事裁判

オウム真理教事件 国選 報酬 - Google 検索 https://t.co/bRJsGH02RW

参考資料/刑事裁判/国選弁護人/「12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円」と知ったオウム真理教事件、教祖の刑事裁判と、ひな祭り - 告発\金沢地方検察庁最高検察庁法務省石川県警察御中 https://t.co/aZDVWckAng

 Googleの検索結果の3番目に出てきたのが自分のブログ記事ですが,見出しと本文の内容が一致していないようです。2019年3月4日の記事となっていますが,ずっと前に使わなくなっていたorg-modeのヘッダが使われているのも意外でした。


2月27日に東京地裁で死刑判決を受けたオウム真理教麻原彰晃松本智津夫)の国選弁護人に対し、総額約4億5200万円の報酬が支払われたことが分かった。
最初、これを読んだとき、「さすがはオウム真理教。信者から強引に金をかき集めてるから、金持ちやのう」なんて呑気に思っていたら、なんと、これ、全額、国費からの支出、すなわち我々の税金からの支出なのだ。どひゃ~っ!麻原の弁護士は全員、国選弁護士だったのだ。もちろん、1人の被告に対する国選弁護報酬としては過去最高だ。

地下鉄サリン事件などで起訴された麻原は、当初依頼していた弁護人を、予定されていた初公判の前日に突然、解任した。このため初公判は延期を余儀なくされたのだが、もちろんこれは裁判を長引かせようとする麻原の卑劣な作戦だった。そのため地裁は再発阻止のため、被告からは解任できない国選弁護人を付けることを決めた。そして、これに応じたのが12人の国選弁護士だ。普通、弁護士なんて1人か2人のような気がするけど、12人もの大型国選弁護団が編成されたうえ、初公判から判決までに7年10カ月、257回の公判を要したため、報酬額も膨れ上がったのだ。

[source:]人質帰国 http://www2.netwave.or.jp/~boris/Hitorigoto/Hitorigoto347.htm

 上記の引用は検索結果の5番目になりますが,ページタイトルが「人質帰国」と取得されていますが,実際のページ上では最上部に,「麻原彰晃の弁護士報酬 〜 こんなバカげた制度はやめろ 〜」とあります。初めて見るページですが,2004年4月4日という日付があります。

 どうも以前に,はじめて知った時のページは,検索で見当たらないようです。Twilogの方には痕跡が残っているかと思います。なにかでたまたま見つけたのですが,それで初めて「12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円」というオウム真理教事件のことを知りました。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「12人の国選弁護人」の検索結果 - Twilog https://t.co/2RzLgrhgeE

 以下は,2019年3月4日記載となっている自分のブログ記事になります。


控訴審については深澤諭史弁護士のブログ記事がきっかけで、記事を読んで思い出したのが落合洋司弁護士(東京弁護士会)の過去のブログ記事で高検の検事を廃棄物処理場などと揶揄していたものです。探すと記事が見つかりました。後でエントリーを作成します。[fn:3]

 「12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円」という件は一審のようです。12人という弁護人の中には安田好弘弁護士がいるようですが、私は控訴審の弁護人とばかり思っていました。オウム真理教事件の教祖の刑事裁判のことです。

 オウム真理教の教祖の控訴審は、弁護人が期限内に控訴趣意書を提出しなかったことで棄却となり、当時問題になっていましたが、その弁護人が安田好弘弁護士という話と、仙台の余り名前は見ない弁護士という話があったかと思います。

 詳細はこのあと作成済みのエントリーで新規項目として記述をしたいと思いますが、国選弁護人が12人もいて、その報酬が4億5200万円ということも私は知らず、これまでの国選弁護人制度に関する認識が根本からひっくり返った気分になりました。[fn:4]

 刑事裁判で複数の国選弁護人が付いたという話も余り聞いたことはなく、最初に知って意外に思ったのが栃木小1女児殺害事件でした。それも控訴審であったと思います。この事件で思い出すのは、ひな祭りのことです。それでエントリー名に付け加えておきました。[fn:5]

[source:]告発に至る経緯/珠洲警察署/提出書面/平成4年傷害・準強姦被告事件につき、市場急配センターの殺人未遂事件として再捜査の要望書 - 告発\金沢地方検察庁最高検察庁法務省石川県警察御中 https://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2019/03/01/192941#12%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%81%B8%E5%BC%81%E8%AD%B7%E4%BA%BA%E3%81%AB%E6%94%AF%E6%89%95%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E5%A0%B1%E9%85%AC%E3%81%AF%E8%A8%884%E5%84%845200%E4%B8%87%E5%86%86%E3%81%A8%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%95%99%E7%A5%96%E3%81%AE%E5%88%91%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%81%A8%E3%81%B2%E3%81%AA%E7%A5%AD%E3%82%8A%E6%9C%AC%E6%96%87

 一審の12人の国選弁護人の中に,安田好弘弁護士がいたようなことが記述されていますが,これは記憶になかったもので,残念ながらこの記事にはソースが示されていないようです。仙台の弁護士のこともありますが,これも同じです。

 少し思い出したのは,控訴審だったと思いますが,オウム真理教事件の教祖の裁判で,問題視され,あるいは懲戒請求を受けたともいうのが仙台の弁護士だったように思います。

 仙台の弁護士については,今年2020年になってから注目度が高まっています。1つは日弁連の会長となった荒中弁護士,そして松山事件のことがあります。

▶▶▶ kk_hironoのリツイート ▶▶▶

> めぞん一刻ノラ・ジョーンズとコラボ MV公開 ブルーノートの希望で実現 - MANTANWEB(まんたんウェブhttps://t.co/5DWkH1QXpr

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2019年03月04日 - Twilog https://t.co/7GnvI0Bu3I

 どうも他に,オウム真理教事件の教祖の裁判に関するツイートは見つかりませんでした。当日2019年03月04日としてよく見かけたのが,岡口基一裁判官に関するツイートですが,情報をみかけないのでしばらく忘れていました。たぶんいまも仙台高裁の裁判官に違いはないと思います。

▶▶▶ kk_hironoのリツイート ▶▶▶

> » 【社会】"過去最高" オウム・麻原裁判、国選弁護人の報酬は計4億5200万円 https://t.co/cmIyHZvCDI

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「オウム 国選」の検索結果 - Twilog https://t.co/tnUiLEQMuf

 Twilogの検索ワードを変更したところ一発で出てきましたが,2019年3月3日のツイートでした。ひな祭りです。


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【社会】"過去最高" オウム・麻原裁判、国選弁護人の報酬は計4億5200万円
1 :☆ばぐ太☆φ ★:04/04/19 12:38 ID:???
★麻原裁判、国選弁護人の報酬は計4億5200万円

東京地裁で2月27日に死刑判決を受けた麻原彰晃こと松本智津夫
 被告(49)(控訴中)の国選弁護人に対する報酬が、総額
 約4億5200万円に上ったことが、19日分かった。

 同日までに国選弁護人だった12人(後に11人)に全額支払われた。
 同地裁によると、1人の被告に対する国選弁護報酬としては過去最高
 となった。

 松本被告は、起訴された事件数が13あり、公判回数は257回、初公判
 から判決までに7年10か月を要した。
 4人の国選弁護人が付き、週4日開廷の集中審理を実施した埼玉・本庄
 保険金殺人事件の金融業八木茂被告(54)(控訴中)の場合は、90回の
 公判で約4700万円だった。

 http://news.fs.biglobe.ne.jp/social/ym20040419i403.html

[source:]【社会】"過去最高" オウム・麻原裁判、国選弁護人の報酬は計4億5200万円 https://news5.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1082345887/

 これが最初に目にした記事だと思いますが,「4人の国選弁護人が付き、週4日開廷の集中審理を実施した埼玉・本庄保険金殺人事件の金融業八木茂被告(54)(控訴中)の場合は、90回の公判で約4700万円だった。」というのは記憶になかったです。

 さきほど,久しぶりにみる弁護士の記事があったのですが,そこに本庄保険金殺人事件を担当したように書いてありました。この事件は,高野隆弁護士が担当したような情報を過去に見かけたような記憶があったので,気になってはいたのです。

 「オウム真理教事件 国選 報酬」のGoogle検索の7番目の検索結果でした。次のページです。


法テラス埼玉開所の頃の話を聞かせてください。
 当時、埼玉には法テラスを「法務省の手先」「弁護士自治の敵」と考え、反対する弁護士が多くいました。一方で、国選弁護の手続は、法テラスが裁判所から引き継ぐことになり、被疑者国選も始まることが決まっていた。法テラスに反対して国選契約を拒否する弁護士が数多く出たら、埼玉の国選刑事弁護は回らなくなります。
 そのような状況の中で、私は開業と同時に、スタッフ弁護士になることに決めました。「村木は弁護士としての魂を権力に売った」と、批判されていました。
 よく覚えているのは開所披露パーティのことです。
 私は刑事弁護人として、検察庁と激しく対立することがしばしばでした。「本庄連続保険金殺人事件」の弁護人を務めていたところ、相被告人の弁護人を務める高野隆先生とともに、「接見禁止決定を潜脱する違法な弁護活動」だとして、さいたま地検から懲戒請求されたことすらあります(後に懲戒しないとの決定)。
 法テラス埼玉の開所式には、弁護士会や裁判所だけでなく、地検からも検事正以下来賓が来ていました。私も挨拶をすることになり、壇上で話しました。
 「『村木は魂を権力に売った』と言われているが、私はいま目の前にいる次席検事から、刑事弁護人として「違法な弁護活動をした」として、懲戒請求されたことがあります。これでも弁護士としての魂を売ったと言えるのでしょうか。」と静かに語りました。場内は爆笑(笑)。

[source:]私にとっての刑事弁護:被害者の最大・最高の理解者であること(埼玉・村木一郎弁護士)|法テラス https://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/saiyo/staff_bengoshi/motto-wakaru/keijibenngo/jokinmuraki.html

 先を急いでいたので,少ししか目を通していなかったのですが,「本庄連続保険金殺人事件」の弁護人を務めていたところ」のすぐあとに,続けて「相被告人の弁護人を務める高野隆先生とともに、」という記載がありました。

 この本庄連続保険金殺人事件は主犯と愛人とかの対立もあった刑事裁判で,その愛人のような女性が手記を出していたと,最近知りました。

 この村木一郎弁護士を見たのも久しぶりですが,前に対立候補の政治家の大失言もあって,新潟の選挙区で当選した女性弁護士の夫というのもよく憶えています。さく良という女性弁護士でしたが,上の名前が思い出せず,最近は名前も見かけていません。Twitterのアカウントもあったような気がします。


 私が東京で弁護士登録をした当時、刑事弁護で名前を知られている弁護士は、本当に限られていました。東京なら石田省三郎先生と丸山輝久先生、大阪なら下村忠利先生などです。当時20年目くらいのベテランの方々です。
 私は42期ですが、司法修習生の時に、まだ若手だった35期の神山啓史弁護士と知り合いました。神山先生とは、それ以来「何かあれば聞きに行く」という関係ですし、事件以外の人生の様々な局面でもアドバイスをもらってきました。
 弁護士になって4年目に入ったとき、埼玉に登録を移しました。埼玉には、34期の高野隆弁護士がいました。本庄事件では相被告人をそれぞれ弁護していましたが、一緒に事件を担当させてもらったこともあります。
 当時、刑事弁護は証拠の開示も不十分、保釈もなかなか通らないという暗黒の時代でした。高野・神山両先生は、刑事裁判をよくするために、刑事訴訟法に沿った裁判を実現するために、果敢に根気強く闘っていた。この2人がいなければ、今の刑事弁護シーンは、全く違うものになっていたと思います。
 高野先生に、「最高裁への特別抗告は、1000件やれば1件くらい良いことがある」と言われたことがあります。当時、第一回公判前の保釈請求は、検察官の意見書を閲覧できませんでした。不思議なことに、電話をすると口頭で教えてくれるのに、弁護人が自分で読むのはダメだと言うのです。高野先生は、保釈請求却下に対する特別抗告の中で、この点を刑事訴訟法に違反していると主張しました。最高裁は、特別抗告自体は棄却したものの、理由の中で、閲覧させない処分は「不相当」と書いていました。それは最高裁から全国の裁判所に通知されたようです。次に行ったら「どうぞどうぞ」と裁判官から検察官意見書を見せられたのが、印象に残っています。
 神山先生は常々、「どんなにダメな裁判官でも訴訟指揮には従うこと。訴訟指揮に従わないなら、それは弁護士ではない」と言います。特別抗告もそうですが、限られたツールの中で、法律のプロとして、法律の枠の中で、制度改善のために闘うこと。
いくら改善されたからと言って、まだまだ改善すべき点の多い刑事裁判なので、この先もそういった気概を持って刑事訴訟法を駆使して闘う弁護士は必要です。

[source:]私にとっての刑事弁護:被害者の最大・最高の理解者であること(埼玉・村木一郎弁護士)|法テラス https://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/saiyo/staff_bengoshi/motto-wakaru/keijibenngo/jokinmuraki.html

 ページを閉じようとしたのですが,下の方に軽く目を通すと,「私は42期ですが、司法修習生の時に、まだ若手だった35期の神山啓史弁護士と知り合いました」などという部分が目に入りました。過去に読んでいる記事と思っていたのですが,この部分の神山啓史弁護士との関係は記憶になかった気がします。


第一審・東京地裁
初公判
当初、第一審の初公判日程は1995年(平成7年)10月26日に設定されたものの、麻原は初公判前日の10月25日に私選弁護人の横山昭二を解任[91]。東京地方裁判所は期日を取り消し、渡辺脩安田好弘ほか国選弁護団を選任したが、初公判は延期を余儀なくされた。国選弁護団弁護士会から依頼があったので引き受けただけであるが、「何故麻原を弁護するのか」とバッシングを受けた[92]。

1996年(平成8年)4月24日、第一審の初公判(阿部文洋裁判長)が開かれ、1996年(平成8年)4月24日に東京地方裁判所で初公判が行われたが、48席の一般傍聴席に対して、日本の刑事裁判史上最多の12,292人が傍聴を希望して、傍聴券の抽選場所の日比谷公園には長蛇の列ができた[web 22][93]。日本テレビはこの時点から、「麻原-」から「松本-」と本名で報道するようになった。その後、民放全局・産経新聞中日新聞東京新聞)などを除くほとんどの新聞社も本名で報道するようになった。NHKは結審まで「麻原-」を使用していた。

裁判では初公判で阿部は「全世界がこの事件に注目している。判決は5年以内に出したい」と述べ、事件ごとの並行審理を提案したが、弁護団側が拒否したため、一事件ずつの審理となった。また、弁護団が月4回の開廷ペースに反発。審理をボイコットなどで長期裁判の様相を見せ[94]、一時は第一審の結審までに30年はかかるという噂も流れた[95][注 9]。

弁護側は検察側が申請した被害調書や共犯者の供述調書などの1万5687点の証拠に対し1万5472点と約98.62%に不同意。そのために171人の検察側の証人を直接出廷させて証言させることになったが、検察側の尋問時間が計206時間であったのに対し、弁護側の尋問時間は1053時間 (検察側の5倍) に及んだ。弁護士の証人尋問では「職場のどのプリンターで印刷したものか(地下鉄サリン事件で、営団地下鉄の職員が、都内の地下鉄のダイヤの表について)」「サリンを見たことあるのか(サリン患者に関する医師のカルテについて)」などの尋問があった。これらにより実質的な証拠調べが遅れたと日刊ゲンダイは報じている[96]。

1997年(平成9年)12月、検察側は松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を約4000人から18人に減らす訴因変更を行い、2000年(平成12年)10月に薬物密造など4事件の起訴を取下げて案件を13事件に絞り込んだ。

安田好弘の証言
1995年10月26日に予定されていた初公判が横山昭二弁護人の突然の解任で取り消しになった後、弁護士会より国選弁護人就任を依頼された弁護士安田好弘は、4日後に初めて麻原に接見。麻原は開口一番「あなたをお待ちしていました。あなたの名前は聞いていました」といったという。その後、月に5-10回の頻度で接見を続ける。1995年暮れ、麻原は安田に向かい、「どうすれば、私の真実を明らかにできますか」と問うたのに対し、安田は「法廷でみんなが見ている前で、空中浮揚をやってはどうでしょうか」と提案する。「法廷でやってみせれば、僕たち弁護人も納得するし、検察官、裁判官は腰を抜かして逃げてくと思うよ」と話すと、麻原は、「やってみます」と言い、1996年4月の初公判に向けて、警視庁の留置場や東京拘置所中で、『空中浮揚』の修行を重ねていたという。また、「当時麻原の好物は検察発表により高級品のメロンと報道されていたが、麻原は「本当の好物はバナナ」と話した(後述)。

麻原は接見中に、「2003年に、アメリカが日本や世界に向けて最終の宗教戦争を引き起こす」と言い出したことがあり、「自分は時間と空間を超えることができる。2003年の広島に飛んだところ、焼け野原になっていた。通りがかりの人に聞くとアメリカが原爆を落としたと広島弁で話した。これは、予言ではない、現実に行って見聞してきたことだ」と安田に向かって話した。また、接見中に停電があり、真っ暗となった際に麻原は何も気づかずに話し続けたことから、目が見えないのは本当だと思ったという[web 23]。

[source:]麻原彰晃 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83#%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%AF%A9%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E8%A3%81

 調べ方を変えたところ,オウム真理教事件の教祖の一審の刑事裁判で,安田好弘弁護士の活動が具体的にわかりました。控訴審酵素趣意書の提出を先延ばしし,それが大きな問題になっていたことは知っていましたが,一審のことはまるで知らずにいました。

 過去のネットでも記述があると思いますが,被告発人木梨松嗣弁護士が私の母親経由で郵送で差し入れた刑事裁判の一件記録には,その一番上,表紙の次だったと思うのですが,判例解説のコピーがあって,それが新宿バス放火事件だったのです。

 安田好弘弁護士の名前を最初に知ったのは思い出せないですが,最初の頃に新宿バス放火事件を知りました。

 前にも書いていると思いますが,被告人は山口県の岩国市辺りの出身で,男の子をそちらの施設に預けながら東京で働き,事件を起こし,安田好弘弁護士の尽力で死刑判決を免れたものの,そのあと自殺をしたという話も印象的でした。


控訴審・東京高裁
第一審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった[110]。松井武と仙台在住の松下明夫の2人の弁護団が後を引き継いだ。東京高等裁判所は控訴趣意書の提出期限を2005年(平成17年)1月11日と定めた[111]。弁護団は1審判決後、松本に計36回接見したものの、弁護団の問いかけに無反応で意味不明な声を漏らし意思疎通が不可能であるとして、公判停止を申し立てた[112]。一方、東京高裁裁判長の須田賢は、2004年12月10日に麻原と面会し、「控訴趣意書は弁護士に作ってもらってもよい」「提出期限を延ばすつもりはなく、棄却もありえる」と説明した[113]。

2005年(平成17年)1月6日、東京高裁は麻原の精神鑑定を求める特別抗告を棄却しつつ、控訴趣意書の提出期限を同年8月31日まで延長することを決めた[114]。

同年8月19日、東京高裁は弁護団に対して精神鑑定の実施を伝えた[web 27]。弁護団によれば、このとき東京高裁は「鑑定形式による鑑定人の意見が出るまでは控訴棄却はしない」と明言したとされる[115]。提出期限の8月31日、弁護側は控訴趣意書の「骨子」を持参したが、高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などに関する申し入れが拒否されたことを理由に提出を拒んだ[115]。9月3日、東京高裁は控訴趣意書を「直ちに提出することを強く求める」文書を弁護団に送付した[web 28]。2005年(平成17年)9月、東京高裁は麻原の精神鑑定を西山詮に依頼した[116]。

2004年(平成16年)10月以降、弁護団は独自に精神科医に依頼して鑑定を実施した[117]。中島節夫・中谷陽二・野田正彰・秋元波留夫・加賀乙彦など、計7人の精神科医はいずれも訴訟能力を否定または疑問視している[118][119][120]。一方、高裁の依頼を受けて鑑定を行った西山は「拘禁反応はあるが拘禁精神病の水準には達しておらず訴訟を続ける能力を失っていない」とし、高裁は2006年2月にこの鑑定書を受けとった[116]。

高裁はこの鑑定書への反論意見書の提出を2006年3月15日までとした[web 29]。弁護側は提出期限の1ヶ月延長を高裁に申し立てたが[web 30]、認められず[web 31]、結局期日通りに意見書を提出した[web 32]。

弁護団は2006年(平成18年)3月28日に控訴趣意書を提出することを表明していたが、東京高裁(須田賢裁判長)はその前日の2006年3月27日付で控訴棄却を決定した[116]。この控訴棄却の決定は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、刑事訴訟法の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。

これについては、弁護側が裁判引き延ばしのため控訴趣意書を出さないことで裁判所と危険なチキンレースをやって負けたという弁護側批判[web 33]、裁判所のだまし討ちであるという裁判所批判[121] の両方がある。

弁護団はこの決定に対し、2006年(平成18年)3月30日に東京高等裁判所(白木勇裁判長)へ異議申立てを行ったが、同年5月、棄却が決定された[122]。「裁判所は『精神鑑定の意見が出るまでに提出すれば認める』と明言した」とする弁護団の主張については、「裁判所はその日のうちに見解を訂正した」として退けた[122]。

[source:]麻原彰晃 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83#%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%AF%A9%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E8%A3%81

 上記の引用は,同ページの「控訴審・東京高裁」という項目です。ここに仙台の弁護士の名前が出てきましたが,控訴審安田好弘弁護士の名前はなかったようです。

 安田好弘弁護士といえば,オウム真理教事件の教祖の刑事裁判の控訴審というイメージが強かったのですが,同じ頃には光市母子殺害事件がありました。こちらも岩国市に近い山口県です。

 中西運輸商の4トン長距離で,広島市山口市辺りの国道2号線というのも,私は何度か走っていました。当時の思い出も重なります。

 「第一審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった[110]。松井武と仙台在住の松下明夫の2人の弁護団が後を引き継いだ。」とのことです。松下明夫という弁護士の名前は少し記憶にありますが,近年は見かけていません。


> 弁護団の松井武弁護士は「知っていた...

松井武弁護士は何を考えているのだろう。およそ常識を卓越したハイパーな人権主義者か。松井武弁護士は2004年2月27日に私選弁護人として弁護団に加わった東京二弁所属の人。地裁判決の後、11人いた国選弁護団と私選の安田好弘弁護士が辞任、麻原の家族が松井武弁護士の選任届を出し、私選弁護人に就任した経緯。

[source:]7~8年前までオウム信徒だった弁護士が弁護団に加わる - worldNote https://blog.goo.ne.jp/worldnote/e/bf2edb5613e7e3473db87d08722d7e55

 上記の記事によると,オウム真理教事件麻原彰晃教祖の一審は,安田好弘弁護士が1人,私選弁護人で,他11人が国選弁護人だったとあります。Wikipediaや他の情報では,12人全員が国選弁護人で,その報酬額が総額で4億5200万円となっています。

 さきほどpythonで計算をしてみたのですが,12人と7年10月で割ると,弁護士一人あたり月に40万円ちょっとの報酬額となっていました。


>>> 452000000 / 12
37666666.666666664
>>> 37666666 / ((12 * 7) + 10)
400709.21276595746

 安田好弘弁護士の名前は,ネットでほとんど見かけなくなっていますが,再審請求を担当していた和歌山毒カレー殺人事件のことは,えん罪の可能性を指摘する情報を最近も見かけています。その再審請求書は,やがて10年ほど前になりますか,ネットで公開されていたPDFファイルを閲覧しました。


「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記 (日本語) 単行本 – 2005/8/6
安田 好弘 (著)
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単行本
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[source:]「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記 | 好弘, 安田 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%A8%A9%E5%88%A9%E2%80%95%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E5%BC%81%E8%AD%B7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E5%A5%BD%E5%BC%98/dp/4062121433

 安田好弘弁護士がオウム真理教事件の教祖の裁判の国選弁護人なのか私選弁護人なのか確認しておこうと調べたところ,上記のアマゾンの本のことが検索に出てきました。2005年8月6日という日付が見えます。平成17年ですが,この本のことも今日まで知らずにいたように思います。


新宿西口バス放火事件
1980年より、被告人(男性)の弁護人に選任される。死刑が求刑されたが、判決は無期懲役。被告人は1997年に自殺。

[source:]安田好弘 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%BC%98

 上記の引用部分に,新宿西口バス放火事件は,安田好弘弁護士が1980人に弁護人に選任され,判決が無期懲役で,被告人は1997年に自殺とあります。いつどこで自殺の話を知ったのか記憶にないですが,被告発人木梨松嗣弁護士の一件記録が福井刑務所に届いたのは,平成6年11月のことで,1994年になります。


山谷暴動。新宿駅西口バス放火事件。山梨幼児誘拐殺人事件。名古屋女子大生誘拐殺人事件。宮代町母子殺害事件。北海道連続婦女暴行殺人事件。滝田修、鎌田俊彦、泉水博、丸岡修、坂口弘新左翼の闘士たち。
そして、オウム真理教教祖・麻原彰晃。……これらすべての法廷で、弁護人となった男がいた。
いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。——<まえがきより>

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 上記の引用は,「「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記 | 好弘, 安田 |本 | 通販 | Amazon」での書籍の紹介文のようになっています。弁護士鉄道の強力な牽引役だった安田好弘弁護士ですが,被告発人木梨松嗣弁護士にも少なからず,影響を与えたように思えてきました。