* オウム事件で麻原彰晃の国選弁護人を務めていた最中の1998年12月5日、強制執行妨害の容疑で逮捕,その後に私選弁護人になったという安田好弘弁護士

 
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強制執行妨害事件(安田事件)[編集]
オウム事件麻原彰晃の国選弁護人を務めていた最中の1998年12月5日、オウム事件とは全く無関係の強制執行妨害の容疑で逮捕。10か月間の拘束で東京地裁は安田を松本被告の国選弁護人から解任、その後も私選弁護人として主任弁護人にとどまったものの、事実上、麻原の弁護活動はできなかった。この事件では、2003年12月に東京地裁は無罪、2審では有罪となり、2011年12月、最高裁で50万円の罰金刑が確定している[3]。

安田は、1993年3月から1996年9月までの間に任意整理を受任した不動産会社「スンーズコーポレーション東京リミテッド」の代表取締役(懲役1年6月執行猶予3年確定)らと共謀し、差押えの強制執行を逃れることを目的として、同社が所有する賃貸ビル2棟のテナントから、賃貸料名目で休眠会社への約2億円の口座振込みを指示して、当然差押え執行がなされるべき財産を隠匿したとする強制執行妨害の被疑事実により逮捕され、約10ヶ月間勾留された後に、右被疑事実を公訴事実として起訴された。この事件は俗に「安田事件」と呼ばれることもある。

この事件は、松本被告の裁判が検察側の主張通りに進まない中で起きたことから、麻原の弁護団渡辺脩団長)が強く抗議し、土屋公献日弁連会長の呼びかけもあり、1000人以上の弁護団が結成された[3]。安田の逮捕・勾留に際しては、全国から安田の弁護をしようという弁護士が集い、約1200人が弁護人となった。約3000名が抗議デモを行い、日本弁護士連合会やアムネスティ・インターナショナルなどの団体から、警察やマスメディアに対し抗議声明が発表された。

第1審において、安田に対して懲役2年が求刑されたが、2003年12月24日、東京地裁は、検察側の主張を退け、安田の不動産会社への助言に違法性はなかったとし、無罪判決をしたため、検察側は控訴した。

控訴審においては、約2100人の弁護士が弁護人となった。審理において、検察側は、安田は賃料収入を債権者に差押えられぬよう確保することを不動産会社社長と共謀しており、強制執行妨害罪が成立するとして無罪判決の破棄を求めた。これに対し被告人である安田側は、控訴審で検察側は新証拠を一切提出しておらず、安田は違法性のない会社再建構想を示しただけであるから、原審が示した無罪判決は正当であるとして、控訴棄却を求めた。

2008年4月23日、東京高裁(池田耕平裁判長)は、安田の強制執行妨害共謀を認めたが、最終決定は会社側にあり安田は幇助罪にとどまるとし、第1審(東京地裁)の無罪判決を破棄して、罰金50万円の逆転有罪判決を下した。これに対し東京高検の鈴木和宏次席検事は会見を開き、有罪となったことは評価できるものの罰金刑にとどまった点が遺憾であるとの見解を示した。

2011年12月6日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は6日付で検察側、被告側双方の上告を棄却する決定をした。これにより一審無罪判決を破棄し、ほう助罪の成立を認めて罰金50万円の逆転有罪とした二審東京高裁判決が確定した。安田は最高裁の判決後に、自分は無実で検察が証拠を捏造しており、判決は「検察のメンツを立てつつ、私の弁護士資格を奪わない罰金刑で一件落着にするという壮大な妥協」であるとコメントしている[5]。

[source:]安田好弘 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%BC%98
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 上記の引用部分に,「2008年4月23日、東京高裁(池田耕平裁判長)は、安田の強制執行妨害共謀を認めたが、最終決定は会社側にあり安田は幇助罪にとどまるとし、第1審(東京地裁)の無罪判決を破棄して、罰金50万円の逆転有罪」とあります。最終決定の有無が幇助罪という認定は,参考になりました。

 オウム真理教事件は,平成7年だったと思います。当時私は福井刑務所に服役中でした。確認はしていないものの教祖も地下鉄サリン事件からほどなく逮捕されており,初公判が1年後と仮定しても,そこから7年10ヶ月というのは平成15年辺りに及びそうです。

 1998年12月5日というのは平成10年で,北安江の借家に住んでいた頃,まだ,関係者KYNの配管設備の会社で仕事をしていた頃になります。この12月の月末で,再審請求を諦め配管の仕事に専念することを迫られ,事実上の解雇となりました。

 昨日も記述しておこうと考えていたのですが,Visual C++というWindowsアプリ開発のソフトを買ったのも,関係者KYNの配管設備の会社を解雇となり,失業した直後のことであったと思います。昼に,八甲田山という映画をテレビでみたことも,同じ頃のこととして強い印象として記憶に残っています。

 7年10月も続いたというオウム真理教事件教祖の刑事裁判の一審ですが,裁判の様子をテレビで見た記憶が少なく,いつごろの裁判だったのかと考えることはありました。当初20年という話がありましたが,本日見た情報では30年という見通しもあったようです。一審に掛かる時間のことです。

 安田好弘弁護士が逮捕されていなければ,主任弁護人だったという安田好弘弁護士の思惑通り,さらに長期化していたとも考えられます。国民の相当数の刑事裁判に対する愛想尽かしが,このオウム真理教事件麻原彰晃教祖の一審刑事裁判であったとも思われ,弁護士鉄道の転機になったとも考えます。