#### 市場急配センターのことで再捜査を求めている問題,関係者の関与と影響(4)無視されてきた裏駐車場という決定的要因 Last update 2020-06-02_2301

:CATEGORIES: 市場急配センター,金沢西警察署

 昨日,金沢市場輸送の昭和59年の4トン保冷車の写真をTwilogで探して,手書きの見取り図が2つ見つかりました。すっかり忘れていたものです。

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> 昭和59年当時の金沢市場輸送の事務所の間取り_2014年05月12日15時04分42秒.jpg http://t.co/so2OEJptPY

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> 昭和59年当時の金沢市場輸送の事務所があったテナントビル2階の様子_2014年05月12日15時11分06秒.jpg http://t.co/eNIoROrMm0

» 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)/「金沢市場輸送」の検索結果 - Twilog https://t.co/4v89lp17gI

 今,リツイートをするためもう一度開いてみたところ,しばらく何の見取り図なのか理解ができませんでした。昭和59年当時の金沢市場輸送の事務所内の見取り図です。

 頭ではずっと記憶にあったのですが,一室に社長の机が一つだけという見取り図をみると,金沢市場輸送という会社の異様性が際立って感じられました。

 金沢市場輸送の事務所は昭和63年7月の初めに,新事務所に移転しています。平屋一戸建ての建物で,運送会社の事務所には見えないのではと思います。こちらの社長室ですが,カラクリ屋敷のようなややこしい構造になっていて,外部からの出入りが直接できたと思います。

» 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)/2014年05月12日 - Twilog https://t.co/Zk1JD1BNvE

 同日のツイートに他の見取り図もないのか調べたのですがありませんでした。探したのは市場急配センターの事務所の見取り図だったので,次のようにTwilogの検索をやり直しました。

» 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)/「市場急配センター 事務所」の検索結果 - Twilog https://t.co/hPpqjSUkBm

 検索結果は思ったより数が少なく8枚ほどです。遠近感の違いで実際とは違って見えるものもあります。最初に出てくる次の画像は市場急配センターの事務所前が映っていますが,奥行きの遠近感が広すぎます。

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> 2014-06-23-134650_2012年9月の市場急配センター事務所正面.jpg http://t.co/OSfzVSq4mK

 比較的実際に近く撮影されていると思ったのが次の2枚です。全体を捉えていませんが,事務所側と反対側の2まで,全体像に近いものが伝わります。

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> 2007-07-21_180905_平成4年傷害・準強姦被告事件関連の場所 金沢中央卸売市場立体駐車場 市場急配センターの裏駐車場と事務所.jpg https://t.co/JZ1JQpRzQG

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> 2007-07-21_180912_平成4年傷害・準強姦被告事件関連の場所 金沢中央卸売市場立体駐車場 市場急配センターの裏駐車場と事務所.jpg https://t.co/40QwDj9uY5

 しかし,この2枚でも実状をお伝えするには物足りなさを感じます。私が体験した事実とのずれや目線の違いを感じるからです。事務所の横に給油所がありますが,これも平成4年当時はなく,よく郵便局の赤い大型車が2台ほど駐車していました。

 なぜ郵便局のトラックがそこにあるのか不思議でした。金沢中央卸売市場のなかで郵便局のトラックを見かけたことはありませんでした。多少気がかりではあったのですが,平成4年の2月頃,一度,芳斉の辺りにある新しく大きな郵便局に大型車で仕事に行ったことがありました。

 ただの空き地とも考えていたのですが,給油所になっている土地が以前から市場急配センターの所有であれば,市場急配センターと郵便局に関係があったとも考えられます。

 パソコン内のファイルを調べたところ,金沢に行き,市場急配センターの建物も撮影したのは3月23日でした。4月に入ってからと思っていたのですが,この写真のおかげで確認ができました。前からやろうと思っていた作業ではあります。

» 2020年3月23日_金沢市 - Google フォト https://t.co/bKYlKtiJf7

 Googleフォトで公開アルバムを作成しました。写真は140枚で思っていたより少ない数でした。ファイル名は撮影時刻と一律の「金沢市に行ってきた写真」という文字列です。以前は個別に文字をファイル名に入れていたのですが,省力化のため,ツイート時にコメントを入れます。

» 「2020年3月23日_金沢市」の写真 - Google フォト https://t.co/duhMvPcIon 金沢市藤江交差点で見た市場急配センターの大型ウィング車

» 藤江 - Google マップ https://t.co/XooByQI640

 ちょうど藤江の交差点に差し掛かったところで市場急配センターの大型ウィング車を見て撮影したものです。撮影したトラックの位置は,金石街道で藤江の交差点を通過した直後になります。この日は他に何度も市場急配センターの大型車を見かけています。

» 「2020年3月23日_金沢市」の写真 - Google フォト https://t.co/H106b6Fcnh 前方に見える白い2階建ての建物が平成4年当時の市場急配センターの事務所。後ろに見えるのが金沢中央卸売市場。

» 「2020年3月23日_金沢市」の写真 - Google フォト https://t.co/3dItNIid5N 少し離れた位置から見る市場急配センターの裏駐車場。

 まず1枚目の市場急配センターの正面付近の写真ですが,手前の右側の駐車場に市場急配センターのトラックが見え,それと市場急配センターの建物の間に乗用車の駐車場が見えます。この2つの敷地はどちらも平成4年当時,市場急配センターとは無関係でした。

 平成4年当時はあり得なかった場所に市場急配センターのトラックが駐車して見えますが,それを除けば,平成3,4年当時の風景と変わりがないと思います。青緑色の屋根の建物も右手に見えますが,これもなかったもので,ほとんどが空き地だったかと思います。

 次に裏駐車場の一部を撮影した写真です。カメラの広角というのか,金沢中央卸売市場横の道路が強調され,その分,市場急配センターの裏駐車場がいくらか狭く見えます。

 向かって前方に一本目の電柱が見えますが,左に入る道路があります。この道路の手前にも市場急配センターのトラックが数台見えますが,これも平成4年当時は無関係だった敷地です。何か奥の方に小さな建物があったような気もしますが,大きな建物はなかったと思います。

 この手前側の駐車場に市場急配センターのトラックが駐車していなければ,これも平成3,4年当時の風景とほとんど変わりがないことになりますが,裏駐車場に隙間なくトラックが駐車することはなく,がらがらが多かったと思います。

 裏駐車場は左右に向き合ってトラックが駐車されていますが,この裏側から見た左手に平成3,4年当時駐車されていたのは,運転手の乗用車と2トン車だけでした。当時,市場急配センターの市内配達のトラックは,金沢中央卸売市場の中にも駐車されていました。

» 金沢西警察署受持区域 - 石川県警察本部 https://t.co/C1PoakeuS8

 前から気になっていた市場急配センターの警察署の管轄を調べたのですが,駅西本町5丁目は確かに金沢西警察署の管轄でした。とても意外に思ったのが入江交番が金沢西警察署の管轄だったことです。私が平成4年当時住んでいた東力2丁目も入江交番になっています。

 金沢市は金沢東警察署,金沢中警察署,金沢西警察署の3つなので,金沢市の3分割で考えると不思議がないですが,金沢市入江や東力は金沢中警察署の管轄という思い込みでいました。

 糸田町,糸田新町も入江交番で金沢西警察署の管轄となっています。能登町遺体遺棄事件では逮捕された主犯格が金沢市藤江の住所と報道されていたので金沢西警察署の管轄になったものと考えていたのですが,被害者の自宅で犯行現場の糸田ももともと管轄だったと知りました。

locate 市場急配センター|grep -E '(jpg|jpeg|JPG)'| xargs -I % cp % ./

 上記のコマンド操作でファイル名に市場急配センターが含まれる写真・画像ファイルをコピーし,それをGoogleフォトの公開アルバムにしました。233枚となっています。これも少なめに感じました。

» 市場急配センター(写真・画像資料) - Google フォト https://t.co/Yfnwd6r2iy

» 「市場急配センター(写真・画像資料)」の写真 - Google フォト https://t.co/c8RfinNF5i 市場急配センター:Googleマップ_2013年09月05日00時55分54秒.jpg

 いい感じで撮影されているものを見つけたのですが,Googleストリートビューを表示したパソコン画面のスクリーンショットです。2013年9月5日とありますが,Googleの撮影日はそれより前です。撮影の時期を選択する機能が追加されていたように思いますが,後の気がします。

» 金沢市, 石川県 - Google マップ https://t.co/op3jOvioPe 市場急配センターのストリートビュー2018年6月という撮影日。

 現在のストリートビューを開いたのですが,過去の撮影日を選択する方法が見当たりません。出来るようになったという画面を見た記憶があるのですが,4,5年前のことかと思います。


Googleマップストリートビューでは過去の風景を見ることができます。この機能が地味に使えるので活用しています。では「過去のストリートビューを見る方法」とはどのような方法なのでしょうか?実は簡単に古い風景もストリートビューで見ることができるのです。

今回は実際に京都の景観を見ながら機能を試してみましょう。

※2019年5月時点で、この過去のストリートビュー機能は場所によっては非実装となっているようです。

[source:]過去のストリートビューを見る方法【Googleマップの新機能】 - お墨付き! http://osumituki.com/hack/internet/82911.html

» 金沢市, 石川県 - Google マップ https://t.co/b5E8qKi35d

 ページタイトルに変わりはないですが,2012年10月が撮影日というストリートビューに切り替えました。パレットにプラスチックケースを積んだものを1階の奥の方まで敷き詰めていると見えますが,これを見ると運転手の休憩室は完全に撤去されたようです。

 私が市場急配センターで市内配達の仕事を始めたのが平成3年のたぶん6月23日で,工事が始まったのも9月に入ってからと思いますが,9月の中頃か20日頃に市場急配センターができました。しばらくの間,休憩室がない状況というのも経験しています。

 休憩室が出来る前,床がコンクリートの物置のようになっていて,置いてある物も少なかったと思いますが,早朝に確か山梨県から,4トン車で運んできたという桃やぶどうをマルエーの各店舗ごとに仕分ける作業をしていました。

 市場急配センターが出来る前の金沢市場輸送の市内配達の頃からメインはマルエーというスーパーの仕事と,金沢中央卸売市場内の青果物の仲買の市内配達でした。仲買が持ってくる荷物を各コースの2トン車に積み込み配達をしていました。

 11時か11時半頃出発の一便と午後の2時か2時半に出発の二便がありました。昭和61年のときは,荷物量も少なかったので午後の便は,特定のコースではなくあちこちを回りました。羽咋郡志賀町羽咋市内のマルシェというスーパーにも行きました。マルシェは,ずっと前に店舗が全滅したようです。

 ちょっと思い出したのですが,市場急配センターの一階は,休憩室の前にスペースがありました。休憩室と一階を2分するぐらいの広さだったと思います。コンクリートの床でしたが,そこに物が置かれるのは見た記憶がありません。

 市場急配センターの事務所の左手の出入り口はそのまま2階に上る階段でした。その階段の真下にあたる場所がちょっとした物置になっていたような気もするのですが,何かを使ったという用事の記憶もなく,よく憶えていません。

 2階には階段の横幅の広さで奥に,奥から台所とトイレがあり,横に狭い通路があって間仕切りで仕切られていたように思います。階段はのぼって突き当たった右手にドアがあり,二階事務所の出入り口でしたが,部屋の中央付近でした。

 この市場急配センターの事務所はいつの間にか出来上がっていました。工事中を見た記憶がありません。事前に事務所が出来るという話も聞いていなかったので驚きでした。昨日も書いたと思いますが,中継所にすると少し前に金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた2人に聞いたからです。

 この市場急配センターの事務所の前には,ほとんどの時間,被告発人池田宏美の車と被害者安藤文さんの軽四が停まっていました。被告訴人池田宏美の車は紺色のような地味な小型車で,車種はマーチかもしれません。1000CCぐらいの小型車です。

 被害者安藤文さんの軽四はホンダトゥデイで,その初期型で,発売されて早い段階の購入と思われました。2012年10月撮影という上記のストリートビューの写真は,実際より少し事務所の前の駐車場が前面の道路の方に広く見えますし,そのためか事務所の横の幅がいくらか狭く見えます。

 また,2012年10月のストリートビューにも市場急配センターの右手に青緑色の屋根の建物がありますが,道路側の看板に「ディサービス」とあることに気が付きました。市場急配センターとは無関係に思えますが,介護施設にしては建物が小さい気もします。

 また,2012年10月のストリートビューには,市場急配センターの裏駐車場に乗用車しか姿が見えませんが,裏駐車場の右手だけみていると,平成3,4年当時の昼,2トン車が市内配達中の時間帯の状況によく似ていると感じました。事務所の左手にあるものは存在しませんでした。

» 「市場急配センター(写真・画像資料)」の写真 - Google フォト https://t.co/7g1Jsn3gOy 市場急配センター:Googleマップ_2013年09月05日00時57分50秒.jpg

 次は裏駐車場のストリートビューの写真になります。これも2012年10月の撮影と思われますが,よほどの偶然でもあったのかトラックが一台も駐車されていません。市場急配センターの事務所までの奥行きがこんな感じと思いましたが,裏駐車場の横幅が狭く見えます。

» 「市場急配センター(写真・画像資料)」の写真 - Google フォト https://t.co/RzTZdEYErh 2019-08-17-090115_平成4年当時の市場急配センター会社事務所Google マップ.jpg

 次は,2019年8月17日の記録となっていますが,Googleストリートビューで,上空から真下を見下ろしたような市場急配センター事務所周辺の写真となっています。

 ストリートビューの画面右下に画像2019,地図データ2019と見えます。市場急配センターの裏駐車場にトラックの数が少なく見えますが,平成3,4年当時もこんな感じだったかもしれません。ただ,金沢中央卸売市場側に乗用車を駐車することは基本ありませんでした。

 被害者安藤文さんが何度か駐車したことがありましたが,被告訴人多田敏明が駐車したのも見たことがあります。ここに乗用車を停めると,大型車の駐車が面倒になるので怒る運転手もいました。大型車は車体を斜めにして駐車していました。

 市場急配センターの事務所左手の給油所のスペースがずいぶん広いと感じましたが,平成3,4年当時は先程書いた郵便局の大型車の駐車スペースは,金沢中央卸売市場との間の道路側が,草むらになっていたように思います。

 市場急配センターの事務所の向かい側も駐車場ばかりが見えますが,平成3,4年当時は他に建物があったりしていたように思います。画面下の左端に四角い枠が見えますが,もう少し下になるのか,その辺りにはカナカンの倉庫があり,金沢市場輸送の東北便では決まって荷降ろしをしていました。

 時刻は13時47分になります。今日も遅めになった昼食をあるもので済ませていました。冷凍していた十勝ブタの釜飯がメインでした。ちょっと思い出しながら考えていたことがあります。

 平成3年10月頃まで市場急配センターの裏駐車場に駐車されていた金沢市場輸送の大型トラックのことです。金沢市場輸送にはイワシ運搬用の平ボディ車が5台,そのあとにミールをよく運んでいた2台の大型平ボディ車があり,平成3年の1月から4月頃にも5台の大型ウィング車が入りました。

 平成3年1月の大型ウィング車は3台だったと思うのですが,小坂さんが乗務した2315号は,少なくとも平成3年8月の終わりの段階で市場急配センターに移され,被告発人安田敏が乗務し,川上板金で市場急配センターのカラーに塗り替えられました。

 ピークのイワシの運搬の時期でも5台の大型平ボディ車のうち運転手が乗務し稼働したのは2台ということが多かったと思います。イワシ運搬とミールに関係した大型トラックの数は少なめに数えましたが,12月から3月というのが広めにしたイワシ運搬の時期になります。

 被告発人安田繁克が中古で購入したというイワシ運搬用のダンプも,私が市場急配センターに移った当初は裏駐車場に駐車されていました。土砂積み禁止のダンプと思いますが,それにしては小型で,荷台というかあおりの高さが低く見えたのが印象的でした。

 土砂積み禁止のダンプというのはチップとも呼ばれる木くずを運搬するものが多いのですが,宮城県石巻辺りでよく見ていたチップのダンプは全体がずいぶん大きなもので,盛り上げて山盛りにしたチップの上に網のネットを掛けていたような記憶もあります。

 最初に被告発人安田繁克のダンプを見た頃,ダンプは日通のカラーで日通のマークもドアにあったような気がします。日通カラーのトラックは日通のトラック以外でもよく見かけるもので,金沢市場輸送にも昭和59年当時から2台の日通カラーの大型平ボディ車がありました。

 これまで何度か書いてきたことですが,私が市場急配センターに移ったのは25日の給料の締切日の3日前からの仕事で,私の感覚では5月になるのですが,金沢刑務所の拘置所に差し入れがあった金沢市場輸送の運行表には,その5月一杯,長距離の運行があったのです。

» 「市場急配センター(写真・画像資料)」の写真 - Google フォト https://t.co/XsMsFrKZ0r 2019-01-13_171221_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg

 前後を含め7枚の写真を「市場急配センター」の公開アルバムに追加しました。上記のリンクで開く写真は,平成3年5月う26日から6月18日までの私の金沢市場輸送での運行の表になります。

 今頃になって気がついたのですが右手に急配などとあるのは運賃の金額のようです。山三青果の仕事が市場急配センターからの請負となっていて10万8千円と金額があります。イワシの運搬も市場急配センターからの請負となっていました。

 これも今回初めて気がついた発見と思ったことで,自分でもどうかしているのかと思ったのですが,金沢市場輸送での最後の運行が6月18日となっていました。神戸から空車とあります。

 神戸から空車というのは私の記憶と一致するもので,朝に金沢市場輸送の事務所に顔を出したところで,本恒夫社長に今から九州に行けといわれ,その言われ方と,前からくすぶっていた不満と不信で,その場でやめると言ったことはよく憶えています。

 今回意外に持ったのが6月18日という日付で,私は金沢市場輸送をやめると言った午後に,被告発人安田敏の50万円の保証人のことで市場急配センターに行き,その翌日から市場急配センターで市内配達の仕事を始めたという記憶でいました。

 給料の締切日が25日で,その3日前のことをよく憶えているのは,当初,被告発人松平日出男に1日1万5千円のアルバイトいう条件で誘われたからであり,そのあとすぐ社員運転手になることが決まったので好条件と思ったアルバイトが3日分になったからです。

 金沢市場輸送では通常,5月のゴールデンウィークの連休の前後にタケノコの出荷の仕事が集中していました。出荷といっても午後に金沢中央卸売市場で行われたタケノコの競りで,金沢市場輸送では主に東京,庄内,仙台,新潟県内にタケノコを運んでいました。

 平成2年は東京に集中してタケノコを運んだ記憶があったのですが,平成3年は余り記憶になく,大型ウィング車ではタケノコを運ぶことがなかったかもと思えるぐらいです。というのもタケノコの仕事は他と変わっていて,編み籠に入ったタケノコに大量の氷をぶっかけていたからです。

 九州の福岡県や熊本県から運んだタケノコは箱入りで氷を使うことはなかったのですが,これは出荷方法に違いがあるとネットで調べて情報をみたことがありました。

 保冷車は荷台の箱の床がアルミのような金属で細かい溝になっており,水が外に流れる仕組みになっています。普通のウィング車は平ボディ車と同じで,床は平面の板張りでした。

 板張りの床の上に大量の氷をかければ,荷物を降ろし終わった後,よく乾かす必要もありそうですが,そういう作業をした記憶がありません。氷を大量に掛ける目的もタケノコから出る放熱を冷やすためと聞いていました。確かにガスのようなものが出ている感じでした。

 被告発人東渡好信が主導したストライキのことがあり,そのゴタゴタが終息仕掛けた頃と思うのですが,今度は本恒夫社長の給料の話が出てきて,月の給料が100万円という話が出てきたのです。話が出てくるタイミングもおかしく感じたのですが,いろいろと嫌気がさしていました。

 最初に本恒夫社長に不信感や疑念を持つようになったのは,昭和63年だったと思う12月24日のクリスマスのことでした。これが先日少し触れた羽咋郡旧富来町の西海漁港のことです。珠洲市蛸島港からイワシを運んだ仕事でした。

 この金沢市場輸送のものと思われる運行表ですが,金沢市場輸送で運転手をしていた頃は見ることのないものであったと思います。そもそもこの運行表の存在自体が私には不思議なもので,私が被告発人木梨松嗣弁護士に手紙で求めていたのも市場急配センターの運行表です。

 市場急配センターの運行表の存在は間違いないもので,金沢西警察署の谷内孝志警部補の取り調べの時,頼んでもいないのに見せられたことがあったからです。私の記憶の喚起のために用意したのだと思いますが,その時は必要性も感じず,余り見ていなかったと思います。

» 「市場急配センター(写真・画像資料)」の写真 - Google フォト https://t.co/ehhT2LcNId 2019-01-13_171131_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg

 上記は金沢市場輸送の運行表が入っていた封筒ですが郵便に使う封筒とは違うと思います。仮下という紙が張り付けてあって,訴訟用,未決57番などとあります。これは房内で所持する書籍に張られるものと同じです。

 通常の書籍だと一月,学習用だと3ヶ月になっていたかもしれません。訴訟用は6ヶ月のようです。平成5年12月6日から平成6年6月5日が期間となっています。これも上告審の国選弁護人となった斐川雅文弁護士から郵送されたものの一部のようです。

 多くは供述調書の縮小版となっていましたが,上告趣意書の下書きのコピーのようなものも若干含まれていたと思います。考えれば考えるほど謎が深まるというか,平成4年4月1日の市場急配センターの事件で,誰がどこから入手したのか不思議な運行表です。

 市場急配センターの作業日報と運行指示表は,平成4年の4月ぐらいに入手したものがあります。被告発人大網健二に頼んで被告発人大網健二の兄が,宇出津の私の家まで持ってきてくれた分厚い書類でした。

 その直後,被告発人大網健二の兄の車に同乗すると,姫の高倉漁港まで連れて行かれました。そこに行くような用事はなかったはずですが,ドライブで向かった先がたまたまそこだったのか,それとも姫に連れて行くことで反応を見たかったのかとかいろいろ考えました。

 その書類の一式も事務用品のファイルに入れて所持しているのですが,筆跡がまちまちであったり,意図的な改ざんがうかがわれるものでした。高速道路や有料道路の領収書,ガソリンスタンドでの給油の領収書も揃っていました。

 いくつか疑問点もあったのですが,数年前の記憶では確認や検証が困難でもあり,時間がかかりすぎることもあって,作業を中途半端にしていたのですが,詳細な資料ではあります。

 時刻は15時46分です。市場急配センターの作業日報を探していると,意外なものを発見しました。作業日報も全部は見つかっていないと思うのですが,スマホでの撮影は早かったです。写真はパソコンに取り込んでいるところですが,前のものが残っていたので,しばらく時間がかかります。

 自分で作った市場急配センターでの運行表の印刷を見つけたのですが,9月,10月,11月,2月でしょうか。B4の用紙で袋とじにしてありました。再審請求に提出した資料の一部かもしれません。

 ワープロ専用機で作成したものかと思ったのですが,印刷の状態は悪くなく感熱紙ではなさそうです。ワープロ専用機を使っていたのは平成9年の2月から4月,2ヶ月ぐらいかと思います。4月の7日辺りには金沢市若宮のパソコンの館でノートパソコンを買ってきました。

 ワープロ専用機はデータ形式がDOSVではなく,パソコンでは読み込みができませんでした。記憶が新しい段階で集中力も高く,良質の情報の記載があったと思います。

 時刻は16時19分です。フロッピーディスクがついている古いノートパソコンを起動したのですが,Fedora13でした。ディスクを入れるとちょっと変な音がして,読み込みませんでした。当時のOSだと手動でデバイスにマウントする必要があるのかもしれません。

 そのフロッピーディスクも余り古いものはない様子で,02とあるのは2002年で平成14年なのでしょう。

» 「市場急配センター(作業日報・運行表等)」の写真 - Google フォト https://t.co/uwd9thKOIu 平成4年月24日から26日になっている加賀から宇都宮という業務日報

 上記は記憶になかった発見ですが,加賀から宇都宮となっている運行が平成4年2月24日から26日となっています。私の記憶では,この運行は3月の同じ頃のものです。特に印象に残る運行でした。

 市場急配センターで宇都宮市に行ったことになっている運行も珍しいと思うのですが,加賀市から積み込む運行は金沢市場輸送をまじえても珍しいもので,思い出すものがありません。

 記憶にあるのは加賀市大聖寺大同工業から積み込んだ荷物で,記録にもあると思いますが,昭和60年頃,中西運輸商の4トン幌車で,同じ大同工業から荷物を積んで熊本の阿蘇山の麓に行ったことがあり,とても懐かしい運行でした。

 加賀市大聖寺大同工業国道8号線から少し入った場所だったと思いますが,町の中心部に近くありながらとても大きな工場で天井が高く,まるで軍艦を建造する造船所のイメージで,それだけの時代の古さと風格を感じさせる工場でした。

 市場急配センターの業務日報は積み荷の品名がホイルとなっていますが,大同工業はバイクなどのチェーンで有名な会社です。いわれてみれば,その時はホイルを積んだような気もしてきましたが,ラックの枠に入ったような荷物であったかもしれません。

 帰り荷も石灰を栃木から七尾市に運んだとあります。何度か書いてきた栃木県葛生町の石灰です。3月5日にも葛生町から積んできた石灰を七尾市内のけいじ病院の近くの川の橋の上で荷降ろししました。このあと確認しますがたぶん御祓川です。病院の名前も変換候補が出ませんでした。

» 恵寿総合病院 - Google マップ https://t.co/LxWQmTCqrh

 宇出津の人は皆,「けいじ病院」と読んでいると思っていたのですが,調べてみると「恵寿総合病院」でした。宇出津の方から来ると七尾市内の中心部のは入り口のようなところにある大きな病院です。

 Googleマップで見ると,御祓川の河口に恵寿病院があって,小丸山城址公園が意外に近くにあります。七尾駅前から小丸山城址公園の前を通る広い道は普通,七尾市から宇出津に帰るのに通行する道路です。気が付かなったのですがその道路にも御祓川にかかる橋があります。

 恵寿総合病院の前にも道路と橋があって,ここを通って七尾市内に入ることがあるのですが,この橋と小丸山城址公園の近くの広い道路の橋の間には,別の2つの橋があります。このどちらかの橋の上で石灰の荷降ろしをしました。

 橋の上で荷降ろしをしたのも珍しく,牛若丸と弁慶の話を思い出したのですが,この荷降ろしは大変なものでウィング車の荷台の中が石灰の粉で充満し体調と気分が悪くなったまま金沢の市場急配センターに帰ったのです。そこで見たのが被害者安藤文さんの指輪でした。

 丸一運輸のトラックと後ろの開いた扉を突き合わせ,荷物の積み替えを行ったとも思います。もう一つ思い出したのですが,関越自動車道が大雪か事故で通行止めになり,大渋滞の中,夕方に近く時間になって七尾市内に入ったということもありました。

 そのときは,丸一運輸の会社で荷降ろしをしたかもしれません。丸一運輸の会社は何度か行くことがありましたが,七尾市内では,市内中心部のはずれの方で,富山県との県境に近い方にありました。能登木材も林ベニアもその近くでした。

 平成4年2月の中旬以降と思うのですが,葛生町で石灰を積んだのは3回か多くて4回で,それとは別に岐阜県大垣市から石灰を積んだこともありました。1度は当時の松任市松任駅の線路の向こう側の橋本商事だったと思うのです。

 この松任駅の線路の向こうにある橋本商事ですが,ずっと前にも荷降ろしに行くことがありました。関西からの荷物であったようにも思いますが,運んだ荷物のこともよく憶えてはいないものの,橋本商事は古い時代を感じさせる肥料店という感じでした。

 七尾市にも橋本商事はあるのですが,田鶴浜になります。ずっと前に七尾市になっていますが,平成4年であれば鹿島郡であったかもしれません。


2004年(平成16年)10月1日 - 七尾市田鶴浜町、中島町能登島町が合併して新しい七尾市となり、廃止。

[source:]田鶴浜町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%B6%B4%E6%B5%9C%E7%94%BA

 田鶴浜は,石川県では建具で有名と聞くこともあり,最近CMを見ていないように思ったのですが,能登の名物として@「みそまんじゅう」があります。私は味噌とまんじゅうの組み合わせに,以前抵抗があって食べたことがありません。次に機会があれば食べてみようと思っています。

 その七尾市田鶴浜の橋本商事には,少なくとも1回は荷降ろしに行っています。もともと宇出津の方から七尾市内に向かう時,国道沿いの目立つ場所に看板の出た倉庫がありました。

 この田鶴浜の橋本商事では,数年前に不思議な体験をしています。偶然なのかとは思いましたが,かなり道に迷い,民家の庭先のような道までバイクで通った挙げ句に,ようやく出たのが線路の小さな踏切で,橋本商事の倉庫の真ん前だったのです。和倉温泉の花火大会の帰りでした。

 この田鶴浜の橋本商事は,昨年5月5日に七尾市の青柏祭に向かうときも写真を撮りました。しばらく前にまとめていた写真の中に含まれていました。

» 「2019年5月5日にバイクで行った七尾市の青柏祭,10年ぶりの羽咋市内,気多大社,妙成寺,羽咋市のゴミ処理場」の写真 - Google フォト https://t.co/i6j4ha0r8X 2019-05-05_110914_田鶴浜 橋本商事.jpg

» 「2019年5月5日にバイクで行った七尾市の青柏祭,10年ぶりの羽咋市内,気多大社,妙成寺,羽咋市のゴミ処理場」の写真 - Google フォト https://t.co/OS5DlWbNES 2019-05-05_110921_七尾市田鶴浜 橋本商事前の線路と集落.jpg

 宇出津から七尾市に行くと大きな町に行くという気持ちになるのですが,金沢市に住んでいた市場急配センターの頃,七尾市に行く仕事が圧倒的に多かったのですが,ずいぶんさみしいところに来たという気持ちになったものです。

2017-08-03_180412_能登島の食堂「みず」.jpg https://t.co/P2hUOUKpik

 和倉温泉の花火大会に行ったのは2017年8月3日でした。撮影しているように思った夜の橋本商事前の写真はなかったのですが,能登島の食堂の写真があるのでご紹介しておきます。この食堂の存在を知ったのは2時間ドラマの場面でした。

 本日2020年6月2日も電話連絡がなかったのですが,金沢西警察署刑事課強行主任の実名役職を公開し,金沢地方検察庁,石川県公安委員会の調査を求めます巡査部長小浦健,市場急配センター現行社員による強要罪共犯容疑を視野に入れた調査です。 https://t.co/c7nTg1Fy7z

 2020-06-02_222504_令和2年5月30日郵送で届いた金沢西警察署が市場急配センターの削除要請としたURL一覧の紙2枚.jpg \n 2020-06-02_222519_令和2年5月30日郵送で届いた金沢西警察署が市場急配セ… https://t.co/CmUmA5UdGJ

 時刻は22時51分,夕方,宇出津新港のどんたく宇出津店に買い物に行ってきたのですが,昨日のテレビニュースで死亡事故だったと知ったトンネルを通りました。宇出津第一隧道とかトンネルは,当初下岩屋のトンネルだと思っていたのですが,辺田の浜との境のトンネルでした。

 情報を知るといくらか偶然とは思えない死亡事故にもなります。ネットでの検索でもどうなのかと思うような結果が出ていました。

 買い物に出かける前,往路が加賀市から宇都宮市,復路が栃木県葛生町から七尾市という不可解な運行の記録について記述をしていたところです。これも被害者安藤文さんによる裏駐車場の行動という非常に重要な市場急配センターでの事実関係の記述でした。

 まだまだ続きを書きたいところですが,宇出津第一トンネルでの死亡事故と,数年前に市場急配センターの4トントラックによる狙った故意とも思われる危険な運転な運転があったことを記録しておきたいと思います。