* 検索で出てきた「テセウスの船」はギリシャ神話だったらしい情報と、同じWikipediaでずいぶん久しぶりにみた「パラドックス」という言葉の意味

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ギリシャ神話[編集]
プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。

テセウスアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス[1] の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
プルタルコスは全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。

[source:]テセウスの船 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%88%B9

 たぶん初めてしった「テセウスの船」というギリシャ神話ですが、よくある鶏と卵の論争に似たものを感じました。伊勢神宮式年遷宮のことも思い出したのですが、こちらは日本神話に近いのかもしれません。近年、伊勢志摩でサミットの開催があった頃にテレビで初めて知ったように思います。


その他、神宮の殿舎群で20年間の日本全体の様々な穢れを吸い取っているとも云われます。つまりは殿舎を新造することによって新たに穢れを吸い取れる状態にしているとも考えられています。

ちなみに神道ではこのことを「常若(とこわか)」と呼び習わしています。

「7.」に関しては、持統天皇以前の天皇は自らが即位すると遷宮(都を移し替える)を行うことが慣例のようなものだったのですが、この理由はすべてをリセットして若々しい活力と権威に満ちた自らの治世にするためだとも考えらています。

[source:]伊勢神宮式年遷宮とは?「20年ごとに行われる真の理由」 | 伊勢神宮(内宮・外宮)-御朱印 https://xn----626ay6jjqau34am2fhxopn9a.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8C20%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%9C%9F/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8C20%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%9C%9F/.html


これは戦乱が相次ぎ、世の中が荒れ果てて人々の心も荒んでしまい、神社へ参拝すると言った余裕がなかったことが背景にあります。

しかし例えば、内宮では「慶光院周養(けいこういんしゅうよう)」と呼称される山田西河原(現在の伊勢市宮後)にかつて存在した臨済宗の寺院の尼僧が、日本全国を駆けずりまわって勧進(浄財を集め)を行い、120年ぶりに何とか遷宮を復興させるに至っています。

外宮では「慶光院 清順(けいこういん せいじゅん)」と呼称される尼僧が浄財(資金)を集めています。

これら慶光院の尼僧たちは巧みな話術を活かし、仏教勢力との仲立ちを図ることで織田信長や太閤秀吉と言った時の権力者たちをパトロンにしています。

これについて言及すれば、織田信長は3000貫文、太閤秀吉は金子500枚に米1000石も寄進しています。

[source:]伊勢神宮式年遷宮とは?「20年ごとに行われる真の理由」 | 伊勢神宮(内宮・外宮)-御朱印 https://xn----626ay6jjqau34am2fhxopn9a.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8C20%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%9C%9F/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8C20%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%9C%9F/.html

 明治政府の治世となる以前で神仏習合の時代になるのかと思いますが、寺院の尼僧が神社の勧進をしていたというのもずいぶん意外に感じた歴史のお話です。勧進といえば、有名なのが勧進帳で石川県の小松市が舞台となる、源義経武蔵坊弁慶の物語になります。

 個人的に建築技術の大きな発展、伝承となっているのが式年遷宮だと考えてきました。これは弁護士業界の弁護士鉄道の歴史、遠隔とも比較対照をしながら考えてきたことです。東日本大震災での原発事故も建築技術の想定にミスがあり、それを弁護士が狂ったように攻め立てた歴史です。

 パラドックスという言葉は久しぶりにみたので、範囲選択の右クリックメニューからGoogleで検索を実行しました。逆説という意味を見かけましたが、ほかにみた二律背反の方がしっくりくるような感じがしました。矛盾は中国の故事成語になっていたかと思いますが、違った感じです。

 二律背反も哲学で出てくる用語であったように思いますが、止揚と日本語で訳されるアウフヘーベンのことも久しぶりに思い出しました。アンチテーゼというのもありましたが、対立構造には似た点がありそうという理解です。


ヘーゲル哲学の用語。揚棄ともいう。弁証法的観点から,事物の発展は矛盾対立によって行われるが,その場合一つの要素はほかを否定しはするがまったく捨去られるのではなく,保存されてより高い次元に引上げられ,一新されて全体のなかに組込まれる。このような働きを止揚という。

[source:]止揚(しよう)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A2%E6%8F%9A-78783

 私が長年かかげる「弁護士泥棒神社」も弁護士業界に対するアンチテーゼになるのかと考えましたが、もともとの出発点は哲学者ニーチェの「アポロンディオニュソス」にあると思い返しました。唯物論と唯心論の対立のような事実や事象の捉え方になります。

〈〈〈:Emacs: 2020-01-20(月曜日)04:26  〈〈〈