* 調べてみた「吉田巌窟王事件」、冤罪と弁護士鉄道の歴史

CLOCK: [2020-01-09 木 16:49]

〉〉〉:Emacs: 2020-01-09(木曜日)16:49  〉〉〉


吉田は1918年(大正7年)に獄中からアリバイの成立を主張して、2度の再審請求を行ったが棄却された。吉田は小菅監獄に入れられていた。しかし無実を訴え、獄中で暴れるなどしたため懲罰を受けていた。その後、吉田は網走へ移動させられる。しかし、そこでも小菅での様子と変わらずにいた。そして秋田刑務所へ移された。秋田刑務所の所長はこの事件の不審な点について調べなおし、吉田が関与していないことに気づいた。そして仮出所の手続きを試み(罪を認めていない吉田を仮出所させるのは異例だった)、無実を訴え暴れていた吉田に再審請求を薦める。

[source:]吉田岩窟王事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%B2%A9%E7%AA%9F%E7%8E%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 上記の引用部分は知らなかった事実経過だと思います。上記の引用部分には大正7年に獄中からアリバイの成立を主張して2度の再審請求を行ったが棄却された、とあります。大正時代に再審請求の制度があったというのも意外に感じたのですが、事件は大正2年8月13日夜とあります。

 小菅監獄とありますが、現在の東京拘置所の住所が小菅のはずですが、大正時代にも監獄があったというのは初めて知りました。網走監獄に移動させられるとありますが、3年ほど前に北野武が看守役で網走監獄の脱獄犯のドラマを昼に観たことを思い出しました。

 明治時代の網走監獄は過酷な強制労働で死亡者が多かったという話を聞いたことがあります。凍死であったような気もしますが、そういえば凍死をキーワードに気になる法クラのツイートを見かけていたことを思い出しました。忘れずあとで取り上げたいと思います。

 吉田巌窟王事件は網走監獄から秋田刑務所に移されたとあります。刑務所の移動は移監(いかん)と呼ばれていたように記憶がありますが、監獄法というのも最近は見かけなくなっています。法律の名前が変わったと聞いたことがないので、現在も刑務所の法律は監獄法になるのかもしれません。

 網走刑務所は昭和50年代の少年ジャンブで「魁!!男塾」でも「網走の夜は寒かった」というセリフがあったと記憶にしますが、過酷な刑務所というイメージがあるかもしれません。

 平成13年ころ、金沢刑務所の受刑者で実際に網走刑務所に服役していた人に話を聞きましたが、暖房設備がしっかりしていて冬場は快適、農園をやっているので食事も美味しい人気の刑務所という話を聞いていました。

 ちょうど同じ頃、別の受刑者に話を聞いたのは秋田刑務所のことで、暖房設備がなくとても寒かったという話でした。その人に暖房設備があるのは青森刑務所とさらに北の北海道の刑務所だけという話を聞きました。

 他に寒さが厳しいと聞いたのは長野刑務所と松本少年刑務所になります。秋田刑務所の場所は確認していませんが、拘置所が併設されている可能性が高く、拘置所からは裁判所への往復が日常的な業務となるので、秋田市内の中心部からは近いはずで、秋田市内は周辺が平野だったという記憶があります。

 秋田市内からは国道13号線で山形方面や、それとは別に岩手県盛岡市に向かったことがありましたが、山のようなものは見た記憶がありません。Googleマップで確認はしていませんが、イメージがはっきりしています。

» 秋田刑務所 - Google マップ https://t.co/AMTsQBCGRo

 Googleマップで秋田刑務所の場所を確認しました。市内の中心部で海にも近いようです。金沢刑務所の場合は金沢市内でもいくらか高台の町外れにあって、金沢市内も平地が多いですが、いくらか気温が低くて、被告発人HTNが金沢西警察署に面会に来た時の話では「やま」と呼ばれているようです。

 被告発人HTNは元暴力団員でもあり、地元のヤクザの間では金沢刑務所やそこにある拘置所のことを「やま」と呼んでいるような話でした。冬は寒かったですが、寒さは福井刑務所よりはましであったような気もします。夏場は涼しさを心地よく感じることもありました。

 金沢刑務所の拘置所の中で「実録 安藤組」という戦後のヤクザの漫画を読んだ記憶があり、平成5年頃のことになるのですが、そこに前橋刑務所の独房で、朝に洗面器の氷を叩き割るという場面が印象的でした。

 金沢刑務所や福井刑務所で洗面器の水が凍ることは一度もなかったと思います。なお、金沢刑務所では夜間の水道の使用が禁止され、洗面器に溜めた水を使っていた記憶があります。福井刑務所も同じだったかもしれないですが、金沢刑務所ほどきつくはなかった気がします。

 これは刑務官が厳しいのではなく、同じ独居房の並びに神経質な受刑者がいて、咳をするだけでもずいぶん腹を立てている人がいました。拘置所は特に指導がなかったような気もしますが、水道の水を出すとけっこう大きな変な音が出るようになっていました。

 長距離トラック運転手の仕事では、長野県内を通行することも多かったですが、冬場は少しトラックから外に出るだけでもすごく寒さを感じたという記憶があります。ホリエモンこと堀江貴文氏が服役したのが長野刑務所だったと思います。

 長野市は盆地と聞いたような憶えもありますが、標高自体が高くて寒さが厳しいように思います。盆地が冷え込むという話は京都市内で聞いたことがあります。京都市の場合は夏場もずいぶん暑くなると聞いています。

 群馬県前橋市の辺りも「からっ風」ということでとても寒くなるという話は聞いたことがあります。国道50号線の栃木県足利市の辺りは夜は、少し外に出るだけでずいぶん寒さを感じた記憶がリアルに残っています。ただ、不思議と凍結を気にすることはなかったと思います。

 時刻は17時47分です。いきなりけっこう大きな蛾がパソコンの前に飛び込んできました。夏場も余り見かけなくなっている蛾ですが、1月の寒い時期に出てきたのも不思議です。ずいぶん元気よくいきなり飛び込んできたのですが、掃除機で吸い込んで退治することが出来ました。

 蛾も気の毒ですが、粉を撒き散らすことで衛生上の不安もあり、捕まえたら粉が出るので掃除機で吸い込むようにしています。蛾で思い出すのは夏場の街灯で、それもガソリンスタンドですが、どういうわけか近年の街灯は蛾などの虫が集まらないようになっているようです。


判決宣告後には、出廷していた裁判官3人が頭を下げる場面があった。吉田は50年の歳月を経て、無罪を掴み取った瞬間、「万歳!」と叫んだ。その後、不当に身柄拘束された21年7か月7日(7889日)の月日に対し、1日あたり400円の刑事補償(315万5600円)が支給された。なお、吉田は既に高齢で体力も衰えており、自力歩行ができなくなった。判決から9か月後、1963年12月1日に老衰と肺炎によって永眠した(享年84)。栃木県の墓には「人権の神ここに眠る」と墓碑銘が刻まれている。 また、再審判決の模様はCBCテレビなど3社で生中継された。刑事裁判の公判生中継は例が少ない[1]。

[source:]吉田岩窟王事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%B2%A9%E7%AA%9F%E7%8E%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 上記の引用部分には、「不当に身柄拘束された21年7か月7日(7889日)の月日に対し、1日あたり400円の刑事補償(315万5600円)が支給された。・・・判決から9か月後、1963年12月1日に老衰と肺炎によって永眠した(享年84)。」とあります。

 続けて「。栃木県の墓には「人権の神ここに眠る」と墓碑銘が刻まれている。 また、再審判決の模様はCBCテレビなど3社で生中継された。刑事裁判の公判生中継は例が少ない[1]。」とありますが、今日まで知らなかった話しばかりです。

 身柄拘束の期間は「21年7か月7日(7889日)」ということで意外に短くも感じました。袴田事件袴田巌さんの方が長かったと思いますが、再審開始で大きなニュースになっていたときも吉田巌窟王の話は聞かなかったか、見たのは事件名ぐらいだったように思います。

 栃木県としかなく栃木県のどこなのか気になるのですが、刑事司法の歴史で栃木県で思い出すのは、尊属殺人最高裁判決のことです。尊属殺人の適用がなくなり、その後に刑法の条文が削除されたはずです。リュックサックのじゃがいもが報酬で出てくる、弁護士鉄道の伝説のような話です。

 「じゃがいも」をキーワードにまとめ記事を作成してみようと思いますが、1つ2つは尊属殺人最高裁判決のことが出てくると思います。最高裁違憲判決となっていたとも思います。