#告発状 被告発人安田繁克/金沢市場輸送から市場急配センターへ、被害者安藤文さんの「どちらの安田ですか?」という電話対応からの始まり

告発の事実/関与と役割/被告発人安田繁克/金沢市場輸送から市場急配センターへ、被害者安藤文さんの「どちらの安田ですか?」という電話対応からの始まり

:CATEGORIES: @kanazawabengosi #金沢弁護士会 @JFBAsns 日本弁護士連合会(日弁連) #法務省 @MOJ_HOUMU #被告発人安田敏 #被告発人安田繁克 #金沢市場輸送 #市場急配センター

〉〉〉 Linux Emacs: 2021/08/14 17:03:57 〉〉〉

- 1504:2021-08-14_16:59:48 #告発状 被告発人安田繁克/被告発人安田繁克の接近と、言動のあらましhttps://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2021/08/14/165945

 上記のエントリーの続きになりますが、見出しを確認しないまま少し勘違いをして投稿し、気がついた直後にしまったと思ったのですが、もともと見出しと内容を逐一一致させるのは無理があります。

 前回のエントリーでは、神戸から空車で帰った運行の直後、本恒夫に金沢市場輸送を辞めると言って、その場で自宅に帰った辺りまで記述しましたが、正式に退社するまでまだ日数があり、辞める前に解決しなければならなかったのが、被告発人安田敏の前借りの保証人になったことでした。

 竹沢俊寿会長には、金沢市場輸送の会長室で、翻意を求められ、しばらく仕事に来ないでもその間の給料を支払うとも言われました。辞めると決めた私の決心は変わらなかったのですが、保証人のことを話すため、市場急配センターに電話をしました。

 これも今はアルバムに残る数枚の写真のような断片的な記憶しか引き出せないのですが、市内配達の仕事が終わって被告発人安田敏が会社に戻る時間か、被告発人安田敏に連絡をくれるよう伝言を頼むつもりだったのかと思います。

 市場急配センターに電話を掛けたのも初めてだったと思いますが、電話口に出たのは被害者安藤文さんで、安田という名前を出すと、「どちらの安田ですか?」と確認することを言ってきました。当時、被告発人安田敏は髭を伸ばしていたと思うので、髭の話をした記憶が少しあります。

 市場急配センターに二人の安田がいることに驚いたのですが、名前の知らない年配の運転手の顔をいくつか思い浮かべ、そのうちの誰かと考えたことをかすかに憶えています。

 たぶんその足で、市場急配センターの2階事務所に行ったと思うのですが、被告発人松平日出男に一日1万5千円の日当でしばらく市内配達のアルバイトをすることを持ちかけられ、アルバイトの間に保証人の話も片付けられると考え、その場で承諾しました。

 市内配達の仕事を始めると、数日後すぐに被告発人松平日出男は、市場急配センターで青果の長距離の仕事をするので大型車に乗務して欲しいという話がありました。前から計画していたような口ぶりだったと思います。

 実際にアルバイトの何日目に、長距離の仕事をもちかけられたのか記憶にないですが、よく憶えているのは、先日にも書いたとおり、25日が給料計算の締切日で、日当1万5千円のアルバイトは、その直前の3日分だけだったということです。

 能都中学校を卒業し石川県立水産高校小木分校に入学するまでの春休み、土方というか土木工事のアルバイトをやったのですが、その日当というのが3千円という記憶です。月にいくらぐらいになるのか計算はしなかったのですが、割のいい条件の話だと思っていました。

 裏駐車場と表現してきた市場急配センターの事務所裏側の駐車場ですが、当初は、その後とずいぶん雰囲気が違った記憶で、空き地というイメージがありました。実際に雑草も生えていたのかもしれません。

 金沢市場輸送でイワシの運搬をしていた平ボディ車も何台か駐車されていたように思います。その中に一台、変わったダンプがあったのですが、土砂積み禁止のダンプにしては小さく、あおりが低い割に、車体が長く感じられました。

 それまでに見たことのない形と大きさのダンプだったのですが、それが市場急配センターの裏駐車場に駐車されていて、まもなくそれが被告発人安田繁克の購入したダンプだとわかったのです。そのダンプは日通カラーになっていたとも思います。

 離れた場所からしか見ることがなかったようにも思うのですが、長距離の仕事で全国のダンプも見てきたのに、とにかく珍しい不思議なかたちのダンプに思えました。

 土砂済み禁止のダンプで多いのは、木材のチップ(木くず)を運ぶダンプで、これはあおりという荷台がすごく高く見え、チップは山盛りにされ上から飛散防止の網が掛けられていました。特によく見かけたのが石巻です。

 石巻港は有料だった日和大橋を渡った先が、魚市場もある水産加工場の多い一帯なのですが、日和大橋の数キロ手前は、木材が広大な敷地に並べられた場所があり、木材の加工工場もあったのだと思いますが、よくチップのダンプを見かけていました。

 私が市場急配センターで仕事を初めて間もなく、被告発人安田繁克が市場急配センターに訪ねてきて、2階の事務所の応接セットで向かい合った椅子に座りながら話をしたことがありました。

 被告発人安田繁克はずいぶん前に市場急配センターを辞めたような口ぶりで話していたと思います。中古で購入したというダンプの話もしていたと記憶にあるのですが、イワシの運搬の仕事も終わっているので、頼まれた仕事をしているなどと言っていたと思います。

 庸車という言葉は使っておらず、庸車は持ち込み運転手と同じで自分で購入した自前のトラックで仕事をすると聞いていたのですが、用途が限定された土砂積み禁止のダンプでは、聞くまでもなく請け負える仕事がほとんどないだろうと思っていました。

 被告発人安田繁克はこの前も頼まれた会社の保冷車に乗って、岩手県に行ってきたと話し、どの辺りに行ったのかと尋ねると、宮古市と答えていました。

 三陸海岸沿いで国道45線にある宮古市ですが、私は一度だけ、八戸市から石巻市に向かうのに国道45線を通過したことがあり、青森方面から来ると宮古市の手前に、驚くほど急な上り坂があったので、それが強く印象に残っていました。それも二桁の国道です。

 被告発人安田繁克にその急な上り坂の話をしたところ、まったく要領を得ない様子でしたが、東京方面から宮古市に入るだけだと、通行する道ではないので、宮古市から八戸市の間は通行していないものと考えたぐらいでした。

 狭い事務所なので、すぐ横には被害者安藤文さんが机に座り事務の仕事をしていましたが、被告発人安田繁克がその場にいることは、なんでもない様子でいつものように仕事をしていた姿が印象に残っています。

 被告発人安田敏は免停中の被告発人多田敏明を同乗させて、高松コースの配達をしていたのですが、被告発人安田敏は何度か私に、被告発人安田繁克の話をしていました。

 被告発人安田敏が被告発人安田繁克のことをなんと呼んでいたのか思い出せないのですが、後日、被告発人多田敏明は、「やす」と呼んでいたように思います。被告発人浜口卓也も「やす」と呼んでいたと思います。

 「前に市内配達しとったトッチの連れの背の高いあんちゃん」というような言い方だったのかもしれないですが、それでも十分話は通じたと思います。

 被告発人安田敏がこだわりをみせて話していたのは、被告発人安田繁克が金沢中央卸売市場の青果の仲買の若い女と付き合っている、という話でした。

 これは片山青果になると思いますが、違っていれば柿良青果で、どちらも荷物の多い仲買で、その若い女性社員というのも、よく売り場で姿を見ていました。

 体は少し大柄であったように思いますが、高校生がそのまま社会人になったような、ごく普通のまじめそうな女性でした。普通といえば普通ですが、物怖じしない貫禄のようなものも感じられたので、その辺りは青果の仲買という仕事柄なのかとも思いました。

 被告発人安田繁克の供述調書には「美鈴」という名前が出ていたと思いますが、結婚したような話になっていたと思います。被害者安藤文さんと三角関係になったような話もあったはずで、その辺りは説得力を感じたと思います。

 金沢西警察署が、その美鈴という女性に話を聞き、供述調書を記録しておけば、すぐに確認できた事実関係もあったと思うのですが、被害者安藤文さんや家族の立場より、被疑者を処罰し、被害者家族に処罰感情の充足という精神的満足を優先したとも思えます。

 その辺りの脇の甘さが獰猛な弁護士らのつけめになったとも考えられるところですが、そういう警察の不備と油断を誘発するのも弁護士商売の狙いどころとなっていそうです。おかまいなしの負担をかけながら、責任は一切ないと思いこむ妄執の危険性です。

 時刻は8月15日10時34分になっています。

 いくつか取り上げておきたいことがあるのですが、告発状の本体を優先したいと思います。資料は記録しています。

- 2021年08月14日19時41分の登録: \Shoko Egawa @amneris84\https://twitter.com/amneris84/status/1426411250238382090https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/shoko-egawaamneris84httpstwittercomamne.html

- 2021年08月14日20時08分の登録: \CHO Seiho/趙誠峰 @cho_seiho\気持ちをグッと堪えたが。。やってないのに死刑なんですよ?何もやらずに死ねと言うんですか?https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/cho-seihochoseiho.html

- 2021年08月14日20時26分の登録: REGEXP:”再審請求のご報告”/データベース登録済みツイートの検索:2021-08-14〜2021-08-14/2021年08月14日20時25分の記録:ユーザ・投稿:1/1件https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/regexp2021-08-142021-08-1420210814202511.html

- 2021年08月14日21時46分の登録: \サイ太 @uwaaaa\お騒がせメンタリストが慶応出身と聞いてあの胡散臭さに納得感があったが、ヤガマーと聞いて真顔になったhttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/uwaaaa_58.html

- 2021年08月14日21時46分の登録: \サイ太 @uwaaaa\同窓会名簿で実家の情報見ようと思ったら7月末で運用終了してたhttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/uwaaaa_14.html

- 2021年08月15日07時17分の登録: \弁護士落合洋司? 承詔必謹? @yjochi\それまでに大勢がコロナにかかって、死なずに済んだはずの人が大勢死んでるわね。https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/yjochi.html

- 2021年08月15日07時34分の登録: \ystk @lawkus\人権侵害の挙句に人を死なせて問題になっている渦中の役所がふざけたツイートをして人気取りを狙うことの是非って専門知識に依存する話でしょうか。あのhttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/ystklawkus_15.html

- 2021年08月15日08時40分の登録: \高橋雄一郎 @kamatatylaw\DaiGo氏って,東大には行けなかったけど慶應義塾大学理工学部に入学できたわけでしょう。慶應義塾大学理工学部はいいぞ。確か,サイ太https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/kamatatylawdaigo.html

- 2021年08月15日09時03分の登録: \ystk @lawkus\これマジで法務省が関与してるアカウントなのだろうか。仮にマジだとしたら、入管絡みでひどい人権侵害の話が明るみに出ている最中にこのようなアカウンhttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/ystklawkus_8.html

- 2021年08月15日09時46分の登録: REGEXP:”ほうむSHOW”/データベース登録済みツイートの検索:2021-08-12〜2021-08-15/2021年08月15日09時44分の記録:ユーザ・投稿:49/70件https://kk2020-09.blogspot.com/2021/08/regexpshow2021-08-122021-08.html

 平成3,4年当時の市場急配センターの社風というか会社の雰囲気というのは、かなり特殊なものがあったと思います。一言で言えば自由な空気が強かったですが、仕事内容も違いがあったようで、他の社員や運転手が何をしているのか見えづらさがありました。

 4月の終わり頃に、被告発人安田敏を面接に連れていき、その場で翌日から市場急配センターでの仕事が決まったように記憶にあるのですが、ちょうどゴールデンウィークの期間でもあり、いつから仕事を始めたのかよくわかりません。

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 2019-01-13_171450_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg https://t.co/sNGhJClm9e

 今まで気づかなかったというか、全く問題にしてこなかったと思うのですが、30日から5日まで休みとなっています。よく見ると1日の横に「5/」とあるので5月と確認できました。平成3年です。

 ぱっとみて気になったのは5月16日に小松、17日に川崎となっている運行です。最初、文字が小杉に見えたのですが、小松の可能性が高そうです。同じ石川県の小松市ですが、小松市で荷物を積むことは少なかったです。

 トナミ運輸の雑貨が仙台行きで、小松、金沢の積み込みだったような気がするのですが、他に小松市内で荷物を積んだとするとコマニーです。これも1,2回しか記憶にないのですが、ローカルの仕事で平鍛造からコマニーに荷物を運んだことはありました。

 市場急配センターでも一度、小松市内から牛脂を積んでいるのですが、卸先は埼玉県で、よく東北自動車道を走っているときに見かけていた工場でした。

 金沢市場輸送の長距離の仕事で小松市から荷物を積むことは不思議なほど少なかったと思います。仙台行きの積水のバンドを積みに行った工場も美川町の方でした。市内配達と、妻の実家が加賀市だったので小松市内はよく通過していました。

 さらに気になるのが川崎です。これは神奈川県の川崎市に違いないと思いますが、私の長距離トラックの全運行でも、川崎市内に荷物を運んだことは少なく、市場を別にすれば、昭和63年の11月か12月に、川崎大師の近くに行ったぐらいです。

- ./kk_hirono2021-08-07_110004.csv:2021-03-08 20:31:04 "前にもこのことは記述をしていると思いますが,川崎大師の近くに行き,商店街で川崎大師という幟旗を見たのと同じ頃,金沢市場輸送の会社の側の道路がまだ工事中で,そこに両合物産という文字のある新車の大型平ボディ車が駐車されていたことなど記憶にあります。 "https://twitter.com/kk_hirono/status/1368886985683693570

- ./kk_hirono2021-08-07_110004.csv:2020-08-23 17:17:32 "運行指示書には大宮,業務日報には埼玉県大利根とありますが,この多分牛脂の荷物の卸先は,東北自動車道を走行中に見える工場であったように思います。たしか地名が羽生などとなっていたように思います。 "https://twitter.com/kk_hirono/status/1297447869910138881

 8日の休みとなっていますが、正月でも5日か6日だったと思います。前に年になる平成2年は、ゴールデンウィークに集中して東京に筍を運んだという記憶があります。関越道の反対車線が大渋滞でした。

 金沢市場輸送の仕事でまとまった金沢からの青果物というのは筍だけで、金沢中央卸売市場に午後に競りが行われていました。その筍も2週間か長くで3週間の間だったと思います。表年と裏年があって、不作の年があるという話も当時聞いていたように思います。

 6日から7日は金沢から東京となっていますが、これは筍の可能性が高いです。8日から9日の金沢から栃木はトナミ運輸の定期便、11日から12日の金沢から千葉は、日本通運の定期便で、高柳だったと思います。

 よくみると23日も小松から荷物を積んだことになっていて、24日の卸先が文字が判別しづらいですが川崎のようです。その24日の帰り荷が横浜となっています。

 横浜では一度、本牧ふ頭に一泊して荷物を積んで帰ったような記憶がありますが、ずいぶん前のことです。物産展の仕事では2,3度、高島屋というデパートに行きましたが、帰り荷になる引き上げの記憶はありません。

 横浜も市場には行ったのですが、横浜市内の中心部の市場とは別に、南部市場があって、これがずいぶん離れた場所でした。

 横浜市内から荷物を積んで金沢に帰ったことは一度もないように思います。保冷車であれば冷蔵庫から冷凍食品やすり身を積んで帰った可能性はまだありますが、この時乗務していたのは2315号で箱の荷台の中は板張りのウィング車です。

 筍は横浜の市場にも持っていったように思いますが、川崎の市場に行ったのは1回だけで、九州から積んできた鮮魚を降ろしに行ったと思います。

 一度、外果を横浜で積んだことはあったかもしれません。外果はレモンやオレンジ、キウィですが、市場急配センターでは平成3年9月から10月頃、東京の晴海、有明からよく金沢に外果を運びました。

 昭和59年も神戸から外果を運ぶ仕事は多かったのですが、金沢市場輸送の大型車では滅多になかったと思います。市場急配センターでは平成3年11月頃にも、大阪府の泉北からキウィを運んだことがありました。被害者安藤文さんとの電話が印象的だった運行です。

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-10 10:03:40 "2020-06-02_154300_市場急配センター運行表(自作).jpg http://pic.twitter.com/krKQLLPpzQ "https://twitter.com/s_hirono/status/1270521983734673408

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:22:17 "2019-01-13_171450_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/sNGhJClm9e "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687963950895105

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:22:10 "2019-01-13_171251_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/ubS19SPr97 "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687932443258885

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:22:02 "2019-01-13_171232_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/g1NHo1ukHQ "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687900684017664

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:21:55 "2019-01-13_171221_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/bfKOHAyprT "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687869046382596

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:21:47 "2019-01-13_171135_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/OHzJ5GKVFD "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687837383585795

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:21:40 "2019-01-13_171131_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/7iH9qzAAMB "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687805712347136

- ./s_hirono2021-08-07_124112.csv:2020-06-02 14:21:32 "2019-01-13_171123_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg http://pic.twitter.com/v73B4w0VoP "https://twitter.com/s_hirono/status/1267687774091538432

- 非常上告-最高検察庁御中_ツイッターさんはTwitterを使っています 「2019-01-13_171221_訴訟用 運行表コピー(4枚).jpg https://t.co/gfgvXmYiNk」 / Twitterhttps://t.co/gfgvXmYiNk 平成3年5月26日から18日の金沢市場輸送での運行表

 スマホで撮影し縦にした写真はかなり読みづらいのですが、現物を見つけたら今度はスキャンをしてPDFファイルにしたものをjpg変換したいと思います。

 5月26日に、郡山・福島となっています。同じ福島県郡山市福島市のことだと思いますが、この2箇所卸というのも記憶にないもので、福島市内の荷降ろしというのも余り記憶にありません。

 福島市内の荷降ろしは皆無ではなく、市内の中心部で荷降ろしをし、それから国道13号線南陽市に向かった場面の記憶はあるのですが、これも昭和のときの運行と思います。

 郡山市は、松任市中越運輸から定期便でよく行ったのですが、これも昭和63年までのことと思います。卸先も決まっていて、郡山市宮城県名取市でした。

 思い出したのが、一度、仙台で荷降ろしをしてからすぐに古河の山三青果に向かった運行です。このときは妻子を同乗させていました。ウィング車だったと思いますが、保冷車とイワシの運搬の平ボディ車以外で仙台に行ったのは初めてのことで、印象的な運行でした。

 福島市に近い郡部でも運行表には福島とすると思いますが、一度、肥料を運んだことがあったものの、そのときは大型保冷車でした。

 5月30日は千葉から金沢行きの荷物を積んだことになっていますが、千葉県内から荷物を積んだことも少なかったし、心当たりがありません。

 運行表を見て、全体的に休みが多いとも感じています。休み明けの17日に金沢からミールを積み、翌日の18日に神戸で荷降ろしし、空車で帰ったことになり、これが最後の運行となっています。この最後になったミールの運行自体はよく憶えている事実です。

 昨日も輪島のYAと一緒だったと書きましたが、YAが乗務していたのは金沢市場輸送の大型保冷車ですが、金沢市場輸送から払い下げで購入したトラックで、彼は持ち込む運転手をしていました。

 保冷車にミールを積むのも珍しかったのですが、帰り荷が決まっていない運行で出発したことになります。横の扉が1枚しかない大型保冷車で、荷降ろしも面倒なのですが、卸先によっては、パレットを載せるローラがあるところもありました。

 ローラがあるのは冷蔵庫だったと思います。ミールは一袋25キロだったと思います。横の扉1枚だと、けっこうな距離、手で持って運びパレットに積んでいくことになります。平ボディ車なら屋根がないのでどこからでもおろせます。

 その荷台の屋根が左右、電動で閉開するのがウィング車で、パレットに乗せたままの荷物を運ぶこともありました。ミールの倉庫移動がそうでした。

 保冷車に乗務していると、手積みの荷降ろしというのは当たり前で余り気にならなかったのですが、機械での荷降ろしが多い平ボディ車など乗務が長い運転手は、極端に手積みを嫌う運転手もいました。

 市場急配センターでも被告発人東渡好信、浜上さん、河野さんは、よく金沢中央卸売市場の中からぼろぼろの木製のパレットを拾い集め、市場急配センターの社員を何人も動員し、馬鈴薯の手伝いをさせ、卸先の市場ではフォークリフトでおろすだけにしていました。

 河野さんも金沢市場輸送では大型保冷車に乗務していたのですが、仕事の選り好みが大きい運転手というのは他にもいたようです。私はどんな手積みの荷物でも気にならなかったのですが、一度だけ例外がありました。

 たぶん福島県内だったというぐらいしか記憶にないのですが、大型保冷車に肥料を積んでいった時、事務員のような女性に案内され、倉庫の中で、この範囲に積み上げてくれと言われたときです。積み上げた肥料の上を登りながら山のように積み上げました。一人の作業です。

 その肥料というのも富山県小矢部市辺りから積んだような記憶なのですが、運賃がとてつもなく安いと聞きました。金沢市場輸送の場合は、他の会社の運転手が嫌がるような仕事が回ってくることもあったようですが、仕事の内容も多彩で、経験値は高かったと思います。

 見落とすところでしたが、もう1点発見がありました。5月7日から8日に金沢から栃木、9日から10日に古河から「高、福」とある運行です。読みづらい字ですが、「高岡・福井」のはずです。

 これは泊まりを意味する運行ですが、古河で泊まった運行は、市場急配センターで平成4年の3月に一度あり、静岡県の当時の清水市から向かったのですが、市場急配センターではこの1回だけだったと思います。

 金沢市場輸送でも1回あったかもしれないという古河での泊まりですが、それにしても東京方面から向かったはずです。栃木とあるトナミ運輸の定期便は、金沢の出発の時刻が遅く、仮眠をすることなく走っても夜明け前に着いたことがなかったと思います。

 いつも朝方に着いて荷降ろしをしていましたが、仮眠で寝過ごして遅い時間になることもなかったはずです。荷降ろしがおわってそのまま古河に行くと、山三青果に10時から11時の間に着き、すぐに積み込みを始め、昼過ぎに出発することもありました。

 これが山三青果の仕事の特徴でしたが、夕市がある日とない日があって、夕市があると一番遅いときで出発が21時頃になっていました。あまり思い出せないですが早くても19時半で、20時頃が多かったかもしれません。

 栃木のトナミ運輸では午前中にしか荷降ろしをした記憶がないのですが、それだけ泊まりで丸一日以上の時間、栃木と古河の間にいたことになります。夕食も食べたはずですが、古河で夕食を食べた記憶は、平成4年の3月のときだけです。国道沿いのファミリーレストランのような。

 昼にも古河市に着いてから食事をした記憶があり、国道4号線沿いでうなぎが看板メニューのような和食の店だったと思います。

- 古河青果地方卸売市場 - Google マップhttps://t.co/WiYwleYjue \n 〒306-0001 茨城県古河市静町1

 平成4年当時と余り変わりがないように見えたのですが、入口の右手にある三共自動車という会社はなかったと思います。ちょうどその辺りに電話ボックスがあって、平成4年3月30日に市場急配センターに電話を掛け、被害者安藤文さんと話した記憶があります。4月1日会う約束です。

- (株)山三青果 - Google マップhttps://t.co/JblqvH6uuo

 山三青果が見つかりましたが、矢印のある建物の隣に、赤っぽい屋根の細長い建物があります。上空真上からの写真なのでわからないですが、場所は同じだと思いますが、当時もずいぶん古い建物だったので、そのまま残っているとは考えにくいようなきがします。

 建築現場の仮設事務所ような建物でしたが、その2階に山三青果の事務所があって、決まって顔を出していたような記憶があるのですが、狭い部屋でした。当時、山三青果のの住所は同じ茨城県猿島郡になっていたはずです。事務所は出張所のような感じでもありました。

 しかし、社長といわれる人もいつも事務所にいて、社長に次ぐ、専務のような人がいて、その人と話すことが多かったのですが、被告発人松平日出男にずいぶんなもてなしを金沢で受けたと、驚いた様子で話していたのも印象的でした。

 数ヶ月前に栃木のトナミ運輸の方は、Googleマップで調べたように思います。その前になるのか、山三青果も調べていましたが、古河市内にはずいぶんな数、青果市場があるとわかったのですが、当初は移転したものと勘違いしかけていました。

 「〒323-0115 栃木県下野市下坪山1836−1」という住所になっていますが、前に調べたときとは違っているようです。ストリートビューで建物を見ると、それほど新しくは見えないので移転した可能性はなさそうに思えます。

- ./kk_hirono2021-08-07_110004.csv:2021-01-15 18:50:59 "それらしい国道4号線バイパスから近い場所で,住所が下野市となっていますが,Wikipediaで調べたところ,下都賀郡というのが以前の住所地となっていたように思います。 "https://twitter.com/kk_hirono/status/1350017626928418816

 今年の1月15日に調べた形跡がありましたが、その時点で下野市となっていたようです。何度か調べたように思うのですが、自分のTwitterの検索では該当が1件だけでした。

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 弁護士の助言がないままの取調べって,無知に付け込んだ消費者被害と何が違うんだろう。端的に言って卑怯だろう。

 今、深澤諭史弁護士のタイムラインでリツイートとして見つけたツイートです。

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 村木厚子さんは取調べについて「プロのボクサーである検察官と、アマチュアの私がリングに上がって試合をする。セコンドも、レフェリーもいない状況。」と評しました。もし逮捕されたら弁護士を呼んだ方がいいです。当てがないなら当番弁護士を無料で呼べます。(了) https://t.co/AhFYFJ3hjQ

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 15年ほど前に愛媛県警から流出した「被疑者取調べ要領」では「調べ室に入ったら自供させるまで出るな」「被疑者の言うことが正しいのでないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まると逃げたくなるが、その時に調べ室から出たら負けである。」とありましたが、今もこの精神を感じます。(続) https://t.co/h1WhACWkZy

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 一貫して無罪を主張していながらも死刑判決が下された事件の再審請求。 記者から「なぜ再審請求することになったのですか?新証拠が見つかったからですか?」とよく聞かれるが、なぜ?って。。 気持ちをグッと堪えたが。。 やってないのに死刑なんですよ? 何もやらずに死ねと言うんですか?

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 刑事弁護士が無罪主張に葛藤がない理由 【刑事事件の基礎知識】 https://t.co/IpZL0Qub9F 無実の人を処罰する社会に転落してはいけない、させてはいけないという刑事弁護人の覚悟。 その役割は社会から与えられているというお話。 ありがとうございます。


 タイムラインにあったツイートを4つリツイートしました。趙誠峰弁護士のツイートは昨日見ており、リンクにあったYouTube動画も視聴していますが、神山啓史弁護士が出ていたように思います。余り確認しなかったのですが、そうだとすれば、ずいぶん高齢に見えました。

- 刑事弁護士が無罪主張に葛藤がない理由 【刑事事件の基礎知識】 - YouTubehttps://t.co/v4crUr4OX8 \n 393 回視聴2021/08/13

 昨日の趙誠峰弁護士のYouTube動画も再生回数が三百台でしたが、よくみるとあと7つで400台になるようです。

- (株)山三青果 から トナミ運輸(株) 栃木支店 - Google マップhttps://t.co/jGm017ygnT

 一番距離があり、実際私が通っていた間々田を通過する旧国道4号線経由でも29.5キロとなっています。40キロぐらいあるのかと思っていました。間々田には太陽鉱油のカードが使えるガソリンスタンドがあったので、足利市の方から古河市に向かうときも通ることがありました。

 金沢市場輸送の長距離では泊まりが多かったのですが、福岡と石巻・塩釜が多く、どちらも鮮魚でしたが、青森から石巻とか長い移動の泊まりもありました。仙台おろしで翌日の塩釜だと待機時間が長くなりましたが、時間を潰す方法も慣れがありました。

 古河市での泊まりは時間を潰すような場所もなく、かなりきつく感じたと記憶にあります。古河市の付近でコンビニに入った記憶もなく、石巻や塩釜ではコンビニもあって、本の立ち読みをしたり、本を買ってトラックで読んでいました。週刊誌や週刊誌の漫画です。

 国道50号線では桐生市の辺りにセブンイレブンのコンビニが1つあったような気もしますが、今考えてみると、平成3,4年当時は、北関東でもコンビニは少なく、群馬県高崎市の辺りのセブンイレブンで弁当を買い、到着地で食べたような記憶もあります。

 前に運行表を見た時、青森から金沢の運行があったように記憶していたのですが、それは見当たらなかったようです。スマホの写り具合もあり読みづらい漢字もありましたが、青森を意識しながら見たつもりです。

 その青森の運行というのは、青森港の近くの百貨店から物産展の荷物を引き上げる仕事でした。三菱ふそうの大型保冷車に乗務する輪島のHMと一緒でしたが、私も保冷車に乗っていたような気がするので、平成2年とも思えていたのです。

 朝に秋田市の辺りで荷降ろしをし、それから青森市に向かったような記憶もあるのですが、昼に青森市内に向かったのは珍しい運行でした。また、青森の百貨店では、昭和59年当時、金沢市場輸送の株主と聞いていた、上出という人物もいました。

 上出という人物に会ったのはあれが最後だったように思いますが、その前に会ったのは、岩手県盛岡市内のデパートでした。これも引き上げの荷物だったと思いますが、その場で、千葉県春日部市への転送を言い出され、昭和59年のときの性格を見たように思いました。

 金沢市場輸送でウィング車の2315号に乗務したのは平成3年1月17日でしたが、山三青果の仕事が始まったのは前年の12月に入ってからだったと思います。それでも最初のうちは行く回数も少なかったように思います。

 鹿児島の市場から長野市の市場まで白菜を積んだことがあったのですが、そのあと向かったのが山三青果だったように思います。国道50号線前橋市内で、黒色だったと思いますが大型バイクの運転手に声を掛けられ、それがイワシの運搬の現場監督だったKKさんでした。

 古河市の青果市場には、昭和62年の4月か5月頃にも一度行ったことがありました。前より記憶が減退していますが、前は日栄運送の仕事だったと記述したこともあったかと思います。

- ./kk_hirono2021-08-07_110004.csv:2015-07-29 16:21:13 "元はといえば古河の山三青果の仕事も日栄運送がやっていたもので、それを金沢市場輸送の被告訴人本恒夫が横取りをしたような話も聞きました。 "https://twitter.com/kk_hirono/status/626291370748055552

 2015年7月29日の記述のようです。日栄運送は金沢の運送会社ですが、金沢市場輸送では長崎県長与町からみかんを積んでくる仕事をよくやっていました。

 その日栄運送の仕事をしなくなってすぐするようになったのが、富山市の池田運輸の仕事で、こちらも同じように駐在員が一人いましたが福岡県の高田町の農協を拠点にしていたようです。みかんは、佐賀県唐津市から積みましたが、唐津市に入ってすぐの場所でした。

 この池田運輸の仕事では、群馬県と埼玉県と茨城県の県境に近い場所からキュウリを積んだこともありました。他にもその近くで野菜を積んだことはあったかもしれません。

 人参を積んだようなことを少し思い出したように思ったのですが、その関東での池田運輸の仕事をしてからしばらくして、茨城県古河市での山三青果の仕事が始まったように思います。

 ずいぶん脱線してしまいましたが、被告発人安田繁克のことをメインに記述していました。仕切り直しします。

〈〈〈 2021/08/15 15:40:12 Linux Emacs: 〈〈〈