#告発状 被告発人安田繁克/金沢市場輸送への入社時期、堂野さん、松浦さんとの関係、これまでの事実関係に記憶違いで訂正の可能性

告発の事実/関与と役割/被告発人安田繁克/金沢市場輸送への入社時期、堂野さん、松浦さんとの関係、これまでの事実関係に記憶違いで訂正の可能性

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〉〉〉 Linux Emacs: 2021/08/14 10:18:27 〉〉〉

 今朝になってふと気がついたのですが、堂野さんのイワシ運搬への参加が平成2年2月頃で、被告発人安田繁克の金沢市場輸送の入社が平成元年秋だとすれば、私が被告発人安田繁克を堂野さんの愛人の息子と勘違いする余地はありえないことになります。

 被告発人安田繁克の入社が平成2年秋だったとすれば、私が被告発人安田繁克を堂野さんの愛人の息子と勘違いすることは成立するのですが、駐車場の雪のスリップの他、ほとんど姿を見た記憶がないことからすれば、平成2年秋の方が期間が短くしっくりします。

 それに平成元年秋というのは、私が5月か6月ぐらいから11月一杯ぐらいまで専属で北都運輸の市内配達をしていた時期になります。

 野々市町(現在は野々市市)に古い倉庫があって、そこで業務用のマヨネーズやドレッシング、ジャムなどを積み込んでいたのですが、事務所のような建物もありました。

 金沢市場輸送の古い4トン保冷車で市内配達をしていたのですが、金沢市場輸送の会社に行く用事というのは給油ぐらいで、4トン保冷車は東力のアパートの自宅の側に路上駐車し、野々市に通っていたので、金沢市場輸送の会社に顔を出すのは週に1回ぐらいだったと思います。

 顔を出しても給油が用事で、長居をすることはなかったと思います。これまで平成元年の9月頃とか書いて来たように思う被告発人安田繁克の入社時期ですが、平成2年の秋の間違いという可能性が高まってきました。

 最初、平成元年を前提にしていたので、被告発人安田繁克を堂野さんの愛人の息子と認識したことを訂正しなければならないと考え、いささか動揺したのですが、平成2年とすれば、他に落ち着きのよくなる事実経過もありそうです。

 昭和から平成とまたがっている辺りも、時期の特定をややこしくさせていると思うのですが、最初に松浦さんと会ったのは、昭和62年の4月になると思います。私がいすゞの大型保冷車7599号に乗務した頃ですが、そのしばらく前にイスズの大型ダンプが2台入っていました。

 そのいすゞの2台のダンプは、イワシ運搬用につくられたもので、松浦さんと連れのもう一人が乗務していて、二人とも前は土砂積みの普通のダンプの仕事をしていたと聞きました。

 松浦さんについては、元ヤクザとも聞いたのですが、金沢市場輸送の竹沢俊寿社長が、私の前で、昔ヤクザをしていた時、自分の組に入ってきた若者だったがすぐにいなくなった、と話していたこともありました。

 竹沢俊寿社長は謎の多い人物で、大言壮語など、周囲の評判も悪かったのですが、ヤクザの組長をしていたとか、土建屋の社長をしていたという話も聞いていました。一方、商売で大きな義理を売るような人間関係もあったようです。

 もともと潰れたか、潰れかけた運送会社を買い取ったのが金沢市場輸送という話も聞きました。金沢中央卸売市場の前に派出所があるのですが、以前はその派出所の裏辺りに、事務所があったと聞き、プレハブの粗末な建物のような説明を聞いたとも思います。

 イワシの運搬の仕事内容についてもだいぶん記憶が薄れているのですが、ダンプと八戸の白ナンバーのグループは、11月中か12月の初頭から金沢港で仕事を始め、4月中まで仕事が続くと聞いていました、これはイワシの漁獲の少ない時期のことです。

 平ボディ車がイワシの運搬に参加したのは12月の20日過ぎだったとも思いますが、私が2年目の平成元年12月は、もう少し早く12月の中頃には始めていたように思います。

 3月の始めはまだイワシの運搬があったように思うのですが、3月中には仕事がなくなり、他の仕事をするようになったとも思います。平成2年は金沢市場輸送で長距離の冷凍機付き大型保冷車に乗務しました。車番は108号となっていたと思います。

 ダンプと平ボディ車に違いがあるのは、ダンプは荷降ろしが早く回転率が高いということもありました。平ボディ車だと後進で急ブレーキーを掛けた勢いでイワシを落とし、手前にこぼれることも多くて、その片付けにも時間がかかりました。

 被告発人安田繁克と西口君が同時に入ったとも聞いたことをよく憶えているのですが、被告発人安田繁克の方は社員としての入社であったと考えられます。

〉〉〉 kk_hironoのリツイート 〉〉〉


> 日野・レンジャー - Wikiwand https://t.co/sE0JX0wbOr 4代目(1989年-2001年) 1989年7月登場。通称クルージングレンジャー。コマーシャルにはアメリカの女優ダイアン・レインが出演した。エンジンは平成元年排出ガス規制適合のH07Dを搭載。

 アカウントを間違えてツイートしてしまったのですが、リツイートをしました。

 平成元年7月登場とありました。「3代目(1980年-1989年)」ともあるので、10年ぶりのフルモデルチェンジですが、新型車を見かけるようになって、割と早い段階で西口君の4トン保冷車を見たという記憶となっています。

 西口君は金沢市場輸送の東北便で、ちょくちょく姿を見かけていましたが、一緒に荷降ろしをしたり、荷降ろしの後食事に行くこともなかったと思います。小口の荷物になるので、卸先が一緒にならなかった可能性はあります。

 西口君も金沢市場輸送の休憩室で姿を見かけた記憶がほとんどないのですが、持ち込み運転手の多くはそんな感じで、必要以外会社には来ないで、自宅にいるような感じでした。YTの姉の夫と聞いたようなミール専門の運転手もそうでした。

 ほとんど言葉をかわした記憶もないのですが、どんなトラックだったのかよく思い出せません。大型の平ボディ車だったと思うのですが、なぜかトレーラーだったのかもしれないということが頭をよぎりました。たぶん勘違いだと思います。

 越坂のKSさんは、保冷車のトレーラーでしたが、持ち込み運転手ではなく、庸車でした。小木運送のSさんも庸車と聞いていましたが、家が珠洲市若山だと聞いていました。珍しい名前ではないと思いますが、その名前で火事の新聞記事を読んだ記憶があります。10年ほど前です。

 西口君は金沢市場輸送の古参運転手、山田さんの娘婿か婚約者という話でしたが、昭和59年10月にはいなかった運転手で、昭和61年8月にはいたと思いますが、これは関越道の飛び降り自殺の話を私にした新保のKOと同じです。

 山田さんの名前は、途中に変わったような記憶もあるのですが、山口県の山奥の出身で大阪に長く生活していたという話を聞きました。金沢市藤江のはずれに家があり、一度、頼まれて近くまで車で送ったことがありました。

 昭和58年当時、宇出津の一つ年上の先輩が住んでいた借家があって、よく遊びに行っていたのですが、山田さんの家というのはそのすぐ近くで、周囲は田畑が多く、まるで珠洲市の三崎のような風景でした。

 平成15年頃に被告発人安田敏から聞いた話では、山田さんは自分で運送会社を始め、場所は金沢市の木越とも聞いたと思います。その時だったと思いますが、西口君は事故で片足を根本から切断したという話でした。真偽は不明です。

 金沢市場輸送でも東北便は、荷物の種類と卸先が多く、伝票の整理と一緒になった作業日報の作成にけっこう時間がかかったのですが、4t車なので荷物の量も少なかったとは思いますが、そういう作業をする西口君の姿も見た記憶が残っていません。

 体はかなり大きく、何かで見た日本人のヘビー級のボクサーとも雰囲気が似ていました。それでも相手を威圧するようなことはなく、低姿勢で、協調性もあり、他の運転手ともなかよくやっているような感じでした。ただ、これは平成3年になってからの印象だと思います。

 顔は知っていたはずですが、西口君と最初に話をしたのは、私が市場急配センターに移ってから、それも9月の20日頃に一階の休憩室が完成してからのことになるかもしれません。

 新しく事務所の1階に休憩室が出来て、見物に来る金沢市場輸送の運転手は他にもいたのですが、この休憩室ができる前は、むき出しのコンクリートで一部が物置となっていて、そこで運転手が集まることはなかったと思います。

 その物置のような場所の前で、運転手らが集まり、話をした場面というのは1つ記憶にあるのですが、北都運輸が倒産したという新聞記事にもなっていた話題で、その場には被告発人松平日出男もいました。

 先日、数年ぶりにノートパソコンを持って宇出津の図書館に行った時、Wifiが使えずツイートが出来ないので、予定していた告発状の作成はしなかったのですが、旭丘.txtというようなファイル名のテキストファイルを見つけ、少し読んでいました。

 被告発人東渡好信が包丁を手に被告発人松平日出男を追いかけ回したというような話が出てきたのですが、包丁を持って被告発人松平日出男の帰りを待ち構える被告発人東渡好信は、当日の新聞記事で見たと思う、事件のことを口走っていました。

 金沢市の繁華街、片町での拳銃の射殺事件ですが、被害者は丸西水産輸送の社長でした。被告発人東渡好信は、その社長の仲間内での呼び名を口にし、事件に触発され興奮した様子でもありました。

 最初に間違えて平成4年7月の北國新聞縮小版を頼んだのですが、そこにその片町の射殺事件の求刑が懲役15年となりました。この求刑のことは知らなかったのですが、判決は一桁で、控訴審で被告発人小島裕史裁判長が重きに失すると更に1年減刑していました。

 はっきりした記憶ではないものの拳銃を使った繁華街での殺人事件で、被告発人小島裕史裁判長の判決は懲役8年となっていたように思います。その後、拳銃を使った事件の量刑の相場が大幅な引き上げとなるのですが、その前のことです。

 他にも、平成3年7月の北國新聞縮小版になりますが、思わぬ発見がありました。最初、宇出津のあばれ祭りで重傷者という記事を見たのですが、そのあと、数日後の記事になるのか、死亡とありました。

 祭礼委員をしていた関係で、過去に役場前の松明でキリコに挟まれた死亡事故があったとは聞いていたのですが、15年ほど前のことを想像し、自分より年配の人という思い込みがありました。実際は平成3年で、23歳とありました。

 全国的にも見たことのない珍しい名前でしたが、住所は金沢市で金沢中央卸売市場に近く、金沢中央卸売市場の関係の仕事をしていたこともあるのかもしれないと想像されました。平成3年の7月だと、私は26歳で、亡くなった23歳の人は3つ年下になります。

 この平成17年になるまで毎年7月7・8日だった宇出津のあばれ祭りは、昭和63年に妻と長男と3人でカンノジに神輿を見に行ったあと、次に見たのは平成10年、平成14年になると思います。この2年は、関係者KYNの町内、酒垂でキリコを担ぎ参加しました。

 そのあと、平成21年に、珠洲市飯田町の職業訓練の帰り、バスの車窓から当時の消防署前辺りのキリコを見たのですが、バスの窓から見たあばれ祭りの風景というのも、不思議な感覚を覚えるものだったと印象にあります。

 インターネットで被告発人大網健二らの実名を出して、告訴・告発の情報公開を始めたのは、平成16年か17年になると思いますが、出会えばトラブルは必至で、最も出会う確率が高くなる宇出津のあばれ祭りは、行かないことに決めていました。羽咋市に住んでいた頃の話です。

 羽咋市から宇出津に戻ったのが平成21年3月で、それからは毎年、あばれ祭りを見ていると思いますが、被告発人大網健二の兄や被告発人浜口卓也と出会い、トラブルになったり、最悪、その仲間らに傷害致死で殺される可能性は常に念頭に置く、緊迫感がありました。

 実際、平成14年のあばれ祭りの2日目では、カンノジの帰り、茂平食堂の前辺りで、富来町と聞いた関係者KYNの配管設備会社の従業員2人から、ケンカの火種となるような挑発的な言葉がありました。1人は笑っているだけだったかもしれません。

 その笑っていただけかもしれない男は、体格がよく無口でしたが、その後、金沢の関係者KYNの自宅に行った時、外からアリストという高級車に乗って戻ってきました。マジェスタ、アリスト、クラウンという時代です。

 平成10年、関係者KYNの金沢の自宅兼会社事務所は、左側の小路の奥に民家があり、鳶職の若い夫婦が住んでいるような話も聞いていたのですが、その民家を関係者KYNが借金をして買取り、事務所にするようになっていました。

 どうもその事務所にしていた隣の民家にアリストの従業員は住んでいるような話でした。これが平成15年の1月10日頃と思われるのですが、そこから関係者KYNの新しい事務所の方に移動して、そこで話をしました。

 関係者KYNの金沢市黒田1丁目の自宅からはけっこう離れた場所で、野田専光寺線の神田陸橋の下辺りでした、他にも古い工場が並ぶような場所で、前に北陸本線の線路があったとも記憶します。

 記憶は断片的なのですが、自分で探して行ったような場所ではなく、場所の説明を関係者KYNに事前に受けていたという記憶もなく、一方で、アリストを見た場面が記憶にあるので、自宅から新しい会社事務所に向かったのだと思うのです。

 新しく移転したと思われる会社事務所でしたが、建物はずいぶん古く昔のバス会社の建物のように思えました。荷役に使われていたような建物でもあり、長距離トラックの仕事では、似たような建物を他にも見たことがありました。

 今、ふと思いついて、開いていたGoogleマップで、関係者KYNの会社を検索したのですが、新しい工場で、それも意外な場所が出てきました。

 金沢市観音堂の被告発人安田敏のアパートに居候している頃、珠洲市三崎町のHMと知り合い、中西運輸商の4トン幌車に同乗して、山口県宇部市か小野田市まで行ったことは、令和3年3月31日付告発状にも記述しているかもしれません。

 同じ頃、珠洲市三崎町の彼の実家まで行って、軽トラで荷物運びの手伝いをしたという記憶なのですが、そのときの引越し先のアパートというのが、現在、関係者KYNの会社があるのとほぼ同じ場所です。当時は新築のアパートのようでしたが、消滅したようです。

 そのアパートは2階建てで、2階の一番左に珠洲市三崎町のHMの部屋があったと思うのですが、その右側の別の部屋に、石川県立水産高校小木分校の小木中学校出身の同級生が住んでいて、一度だけだったと思いますが、関係者KYNと一緒に遊びに行ったことがありました。

 Googleマップストリートビューで、平成11年当時の関係者KYNの自宅周辺を見ていたのですが、何がどう変わったのかもわからないぐらいです。ちょうど向かいに大きなマンションの建設が始まり、それらしい建物はあります。

 被告発人大網健二の兄の名前で検索したところ、2000年となっていましたが、宇出津の電話番号と住所の番地が出てきました。そのまま番地で検索すると、該当する家の場所が出てきましたが、建物がなくなっている場所にも思えます。それでも地図データ2021と下にあります。

 ちょうど1年ほど前、祭礼委員の用事があって行った場所に近くですが、Googleマップで見ると小路も見えないぐらい家と家の間が狭いのですが、その道が広くなっていたような記憶があります。本町と聞いていましたが、大蔵町の近くになりそうです。

 今日あたり墓参りに宇出津に来ているかもしれない被告発人大網健二と兄ですが、兄は珠洲市の女性と結婚していて、被告発人大網健二の妻の実家は、宇出津の崎山にあります。住所は能登町崎山になるのですが、宇出津の町内で四丁目まであります。

 日野レンジャーの新型車の発売が、平成2年ではなく平成元年7月となっていたので、西口君が金沢市場輸送で持ち込みの仕事を始めたのを平成2年秋と特定するのは難しくなりました。被告発人安田繁克も同じです。

 弁護士に奪われた29年の歳月は大きいと改めて思うのですが、相変わらずの軽薄さをネットで印象づける弁護士もいます。

 しかし、ただ時間を無駄にしたのではなく、その間に、特集な条件下で作成された記録、書面というのもあります。

〈〈〈 2021/08/14 14:03:59 Linux Emacs: 〈〈〈