### 松波城址の相撲場,その大会の個人戦で優勝候補と聞いた選手が,関越道沼田インター付近の陸橋から飛び降り自殺したという金沢市場輸送の社員運転手の話

 Twilogで確認しますが,これまでに何度も取り上げていると思います。同じ金沢市場輸送の運転手でもあった蛸島のTSさんが平成元年1月に自殺したというのも同じ珠洲郡内浦町(現在は鳳珠郡能登町松波)の松波港でした。新車の赤い軽四で海に飛び込んだという話です。

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「松波 相撲」の検索結果 - Twilog https://t.co/RwlV5rPjSe

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> 新保は小木と松波のほぼ中間で、どちらの中学校にも通えたそうですが、確か小木中学校に通っていたと思います。私は能都中学校の時、親しくしていた一つ年上の先輩に誘われ、相撲部に入っていました。

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> 郡山・仙台の定期便をやっていた中越運送とも近い場所にあり、そこに会社があることはよく知っていました。同じ運送会社でも付き合いがなかったので、また、私は同じ相撲部ということでたまたましっていただけで、元々宇出津の人間と松波の人間は余り折り合いが良くなかったということもあり、

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> 能登町のテレビで松波中学校の卒業式をやっています。平成9年3月の生まれで、中学校の卒業になると知りました。松波は同じ能登町ですが数年前まで珠洲郡内浦町でした。中学生の頃、相撲大会に一度行ったことは覚えているのですが、校舎とかは全然記憶に残っていないです。城址の雰囲気はあったような

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> 178:2020-02-06_20:03:29 群馬県関越自動車道の沼田インター付近で飛び降り自殺をした松波中学校の元相撲部員、新潟運輸の運転手、という金沢市場輸送の運転手KOの話 https://t.co/AcEruGMlLq

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> 新潟運輸の長距離運転手で、石川県珠洲郡松波の松波中学校出身。昭和53年頃には松波中学校の相撲部で個人戦の優勝候補とも目されて活躍、という具体的な事実をKOは私に話していました。

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> 前にも書いていることと思いますが、KOは私が当然に関越道から飛び降り自殺した松波の昭和53年当時相撲部の有力選手のことを知っているような前提で、話を始めたという印象があり、これがずいぶんと長い間気になってきました。

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> 大型車の転落の話は、内浦町新保のKOから聞いた新潟運輸関越自動車道の横転事故のことを彷彿とさせました。「2013年6月から2014年12月に作成した告訴状の下書き」には書いたと思いますが、私より1つ年上の松波中学校の有力相撲部員の自殺の話です。

» 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/「松波 相撲」の検索結果 - Twilog https://t.co/dpw7UBAmAx

 再捜査要請書_警察庁石川県警察御中(@kk_hirono)のツイートは全てリツイートしていませんが,昭和53年とあるのは昭和52年の誤りと思ったのですが,個人戦の有力選手が私の1つ年上だったので,私が中学2年のときとすれば,それで正しくなります。

 ただ,松波大会は,私が能都中学校に入学しすぐに相撲部に入ってから最初の大会であったとも思うのです。はっきりしていることは9月に入って10日ぐらいに,富来中学校で新人戦があったことで,3年生は部活動が終わっていなくなっていました。

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> 松波には他にも説明の箇所があるので、Googleマップのマイプレイスを作っておこうかと思います。

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> 松波の周辺は小さい山のような地形が多かったり起伏があってて、割と複雑かと思います。Googleマップでも航空写真にしないとわかりにくいところがあるかと思います。

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> 割と最近になって、松波駅があったバス停の正面の小高い山の上に「松波城址」というような看板があって寺院のような建物も見えていました。相撲場があったのはあの辺りかと考えていたのですが、今日Googleマップの航空写真を見たところ、違うように思いました。

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> その日は松波庁舎から戻ってきて、川尻のお寺についてもネットで調べたと思います。小高い丘の上という記憶があったのですが、それらしいお寺を見つけることができず、googleマップを見ていると、秋吉地区かもしれないと思えてきました。

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> 不思議なもので、Googleマップで松波を開くと、正面に「松波城址公園」という文字が飛び込んできました。松波城の城主の話は以前、ネットで見かけたことがあり、宇出津の棚木城の城主よりは、具体的な記録が残っていそうと感じたことがありました。

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> 旧松波城庭園、というのもGoogleマップにみえます。なにか歴史や風格のようなものを中学生のときに感じていたのですが、納得のできるところがあります。相撲大会の相撲場のことは、未確認ですが、旧松波駅の裏山のような場所でもあり、間違いはなさそうです。

» 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/「松波 マップ」の検索結果 - Twilog https://t.co/ljYWoqtmbN

 再捜査要請書_警察庁石川県警察御中(@kk_hirono)のTwilogの検索結果をすべて上記にリツイートしました。2017年5月16日のツイートに川尻のお寺のことがありますが,昨日はこのお寺に関しても思わぬ意外な発見が能登町布浦でありました。

 Googleマップでの松波城址の発見は,今年2020年の2月6日となっていました。

 昨日は,出かける際にパソコンの電源を落とした直後に,Googleマップで松波城址の地図を確認し忘れたことに気がついたのですが,だいたいのことは頭に残っているつもりだったので,そのまま出掛けました。ただ,残念なことに相撲場の跡地は現地で確認が出来ませんでした。

» 松波城址公園 - Google マップ https://t.co/9yj4d9xWmi

 Googleマップを確認して気がついたのですが,現地では全く確認されなかった建物がGoogleマップにあります。まるでポツンと一軒家の衛星写真のようですが,あとかたもなく存在はなかったと思います。

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> 2020-06-22-100853_松波城址公園 - Google マップ.jpg https://t.co/IG5YjapI4H

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> 2020-06-22-100821_ 字松波 - Google マップ.jpg https://t.co/TLMouympa3

» 2020-06-21_松波城址能登自動車学校・赤崎海岸・つくモール・小木港 - Google フォト https://t.co/9aBKigJbvh

 Googleフォトで公開アルバムを作成しました。撮影した全ての写真になります。いくつかスマホスクリーンショットも混じっていますが,場所を調べるのはほとんど使い物になりませんでした。

 宇出津とは10キロぐらいしか離れていない松波ですが,樹木も宇出津で見るのとはかなり違っているように感じました。子供の頃,浜辺に打ち上げられているをみた流木が,太い幹からそのまま残っていたり,今までに見たことのない景色がありました。

» 「2020-06-21_松波城址能登自動車学校・赤崎海岸・つくモール・小木港」の写真 - Google フォト https://t.co/eV3TJnej2p

 思ったより撮影していた写真の数が少なく,現地で実際に見た風景と写真との違いも,これまで以上に感じるところがあります。松の木もこれまで見てきたものとは違ったように感じました。上に高く伸び,枝葉の少ない松です。

 松波城址は,旧国鉄の松波駅の近くで,海からはいくらか離れているのですが,土の質が違うのか植物の生え方も違っているように感じます。なにかテレビで見る日本庭園のような雰囲気を,能都中学校のときの相撲大会のとき現地で感じていました。朝の息吹もあった気がします。

 松波城址の下の方にはやたらと草の生い茂る川があって,最初にスマホ珠洲市に買いに行ったとき,川沿いの桜並木を撮影したことを憶えています。沼のような雰囲気の川ですが,鵜川の川ともいくらか似ているように思っていました。

 宇出津から松波の町に入る手前,交差点にコンビニがあり,少し先にパチンコ店があるのですが,珠洲市に向かうときは普通,その交差点を左折し,バイパスのような道路を通ります。左折してすぐに川が見えました。

 宇出津には昭和の終わりから平成の初め3件のパチンコ店があったのですが,もう10年近く前に1件もなくなりました。

 松波のパチンコ店は,同じ場所にそのまま残っているのですが,オープンしたのは昭和63年ぐらいと思います。飯田港からイワシを積んできたとき,立ち寄ってトイレを利用したことが一度だけありました。それをよく憶えています。

 当時はまだ松波にバイパスがなかったとも思います。バイパスがあれば交差点を左折して大型トラックは逆向きになり,Uターンの必要に迫られます。そのまま店の前の道路に横づけて駐車した記憶があります。

 松波のバイパスが出来る前は,松波の町中を通過するしかなく,松波駅の周辺に広い道路が出来る前は,狭い橋を右折や左折する必要がありました。中西運輸商の9200の4t車では,雪が多くて,雪の塊にぶつけるかたちで曲がったところ,サイドバンパーが壊れました。

 最初は1箇所取り付けが外れた程度だったのですが,修理に出す時間がなく,そのまま運行しているとサイドバンパーが落ちてなくなったような記憶です。それも中西運輸商をやめたとき,自腹の修理代のように給料から差し引かれていたと記憶にあります。

 ちょうどその橋の近くには小さなガソリンスタンドがあって,被告発人大網健二兄弟が親戚だと話していました。少なくとも昭和40年代は,ほかに道路がなく,珠洲方面に向かうときは,必ずその橋とガソリンスタンドの前を通過していました。そこで給油をしていたような記憶も少しあります。

 取り立てて反目や対立があったわけではないのですが,私の周囲で,宇出津と松波の交流というのは乏しく,泊りがけで遊びに行ったという話を聞くこともなく,高校1年のとき少し交流はありましたが,長くは続かなかったようです。

 珠洲市の方が活発な交流や付き合いを聞くことがあり,被告発人安田敏などは特に付き合いがあったようです。そういえば松波のAKさんが例外的な宇出津との付き合いがありましたが,名古屋から転校してきたという話で,松波の同級生とは合わないという話をしていたかと思います。

 これが被告発人安田敏がシンナーで保護された時の松波の町営住宅の友人になります。松波のAKさんは,被告発人大網健二兄弟の家の大網プロパンで,ガス配達の仕事もしていました。

 被告発人大網健二の兄の鳶職の会社で仕事をしていると聞いていたのですが,私が福井刑務所を出た平成9年には,型枠大工の仕事をするようになったと聞いていたように思います。話はいろいろと聞いていたのですが,一度もある機会がなく,それも気になってはいました。

 松波のAKさんは,けっこう長い間,金沢市内の運送会社で市内配達の仕事をしていました。住んでいるアパートが保古町で近かったこともあり,家族ぐるみの付き合いで遊びに行くことがありました。

 川元急送という運送会社だったと思います。諸江から行く問屋町の辺りに会社がありました。金沢中央卸売市場からは離れていましたが,金沢中央卸売市場の仕事が多く,ニュー三久の専属であったとも思います。何度か本多町店で顔を合わせました。菊川店の可能性もあります。

 松波のAKさんは,もともと名古屋ということもあり,名古屋弁を話すことはなかったと思いますが,友達の名前を呼ぶときもアクセントに特徴がありました。特に印象に残っているのが,被告発人浜口卓也の「たく」という呼び名のアクセントでした。

 最初に会ったのが,昭和56年の12月頃で,小木港の遠洋漁船の帰港のときです。これは同じく初めて会った姫のNさんの方が強く印象に残っているのですが,場所は宇出津の大棚木にあった2つ年下のMKの家でした。その家でその頃に撮影した写真もあったと思います。

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> 2014-07-22_171411_宇出津図書館・北國新聞縮小版昭和63年、平成元年.jpg https://t.co/50J6SQOCQw

 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)にアップロード済みと思っていた写真が見つからなかったのですが,「宇出津図書館・北國新聞縮小版昭和63年、平成元年.jpg」が見つかりました。前に探してなかなか見つからなかったことがあります。

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> 昭和56年の11月か12月と思われる写真。場所は宇出津の万寿山。当時は全く気が付かなかったけど戦没者の慰霊碑らしい。中央が被告訴人OSN。特攻服を着ているのが被告訴人OKN。冬だったように思うけど、その割に皆、薄着なので11月かも。 http://t.co/FicboWBfgZ

 あると思った写真は見つからなかったのですが,上記のツイートにある写真は,昭和56年の11月頃の撮影と思います。

 姫のNさんに関しては,とても年の離れた大人に見えたことが,当時けっこう衝撃でした。付き合いが続き慣れてくると余り思わなくなったのですが,それだけ大人びて見えていたのだと思います。

 松波のAKさん,姫のNさん,大谷のYSさんは同じ遠洋漁船に乗り組んでいたとも聞いていたかもしれません。なにぶん昭和56年から57年当時の記憶になります。

 松波のAKさんは,宇出津の石川県立水産高校の同級生とも聞いていました。松波のAKさんが中退をして,その後に遠洋漁船に乗るようになったのですが,何年生のいつ頃に中退したのか聞いたとは思いますが,憶えておりません。漁業科と聞いたようにも思います。

 当時の石川県立水産高校は,機関科,漁業科,製造科があり,私が行った小木分校は無線通信科でした。他は定員が40人で,漁業科だけが少なく,いなくなった中退者を差し引くと残りの生徒数は13人ぐらいと聞いていました。

» 株式会社川元急送|株式会社 川元急送 https://t.co/twk58QvLX8

 正直なところ,なくなっている運送会社と思っていたのですが,ホームページも見つかりました。トラックの写真がありますが,色の加工がしてあるらしくトラックの色がよくわかりません。一見して見たことのないトラックで,それも大型車のようです。

 私がしる昭和の終わりから平成の初めころの川元急送は,ほとんどが2t車で4トン車も少なかったような気がします。金沢市内のスーパーの配達では2t車では通行できない店舗も少なくなかったように思います。 金沢市大河端町という住所も見たことのないものです。

 さきほどタウン情報のページにある地図を拡大すると,粟崎の近くらしいとわかりました。金沢港の近くにもなります。

» 株式会社川元急送の採用・求人情報 - ミルト https://t.co/NV4eS61Z2p

 「46名(平成31年4月現在)」とあります。写真は2t車ですが,やはり見たことのないカラーとデザインののトラックです。もともと会社の規模がよくわからなかったのですが,平成4年当時の市場急配センターと似た規模のようです。

 平成4年当時の市場急配センターの場合は,社員の数が運転手をあわせ40人か45人と供述調書にあったように思いますが,社員ではないトラックの持ち込み運転手というのもけっこうな数いたと思います。

 持ち込み運転手の売上などの話も当時は聞いていたのですが,今ではほとんど憶えていません。トラックの値段も意外に安いもので,2トンの保冷車であれば,ちょっとした国産の高級車と値段は変わらなかったと思います。

» (株)川元急送 - Google マップ https://t.co/cDSz2wXQ3G

 場所を確認すると,日産ディーゼルの向かい辺りでした。前にあったと思う会社の場所とは,かなり離れているようです。運転免許センターのある東蚊爪の周辺も運送会社など出来るようになっていましたが,平成4年当時は,ほとんど建物がなかったような気がします。

 さらに金沢中央卸売市場から離れた感じですが,金沢中央卸売市場の仕事をするのに,ここまで離れた立地というのはどうなのかと思わないことはありません。それでも東蚊爪や木越の周辺よりは,少し近いかもしれません。

 被告発人安田敏から聞いた話で,西口くんの義理の父親で金沢市場輸送の運転手であった山田さんが,始めた運送会社の場所が木越の辺りだったからです。木越は昭和59年当時から佐川急便がありましたが,その周辺に運送会社の敷地というのは見たことがなかったと思います。

 昭和60年頃は,金沢港の方から木越の佐川急便に行くのに,狭い集落のような道路を通行した記憶がありますが,その後に近くに広い道路が出来,それが東蚊爪の辺りからつながっていたと思います。

» 清湖大橋 - Google マップ https://t.co/V6sOqkvVQ3

 漢字を見たのは初めてとも思ったのですが,上記の清湖大橋が出来て,周辺の道路状況は大きく変わりました。平成元年の1月か2月頃には清湖大橋が開通していたように思います。工事中の現場を見ていた記憶がないのですが,いきなりの開通だったような記憶です。

 時刻は13時29分です。カット野菜と細切れの豚肉で野菜炒めを作り,フライパンのまま台所で食べていました。いろいろと思い出しているうちに,また一つ,長い間,眠っていた記憶が蘇りました。それも松波です。

 いつ頃かはっきり特定は出来ないですが,松波の駅前に暴力団事務所が出来たという話があり,暴走族のような若者が出入りをしているという話でした。そのリーダーのような若者と被告発人大網健二の兄がトラブルになり,決闘をしたという話でした。

 本人の口から直接聞いた話でしたが,相手が日本刀を持参して現れ,それが偽物ということがバレて謝ったというような話で,よく憶えていないので断定はしませんが,相手が泣いて謝ったという話だったかもしれません。

 この松波駅前の暴力団事務所に出入りしていた若者のグループは,よく越坂の飲み屋に行っている,という話を聞いたこともありました。その頃,店の切り盛りをしていたのは,私の2つ年下のHMで,昭和60年の春頃には,金沢市の高畠のアパートで被告発人大網健二の兄と同棲をしていました。

 その高畠のアパートにはちょくちょく遊びに行っていたのですが,別れたという話は,足が遠のいてから聞いたように思います。被告発人大網健二の兄は,その後,東京に行き,東京で生活をしていましたが,岡山県内の事故で金沢市内の病院に入院し,退院後も金沢で生活をしていました。

 東京にいたというのは1年ぐらいだったように思います。退院後は,金沢市増泉の当時,交際をしていた女性のアパートで同棲生活をしていました。回数は少なかったと思いますが,何度か遊びに行くことがあり,私は金沢市場輸送で長距離の大型保冷車に乗務していました。

 越坂の飲み屋というのは,昨日も久しぶりに見た建物で,建物自体はそのまま残っていました。なにか看板が出ていましたが,以前に見たときとは内容が違っているようにも思いました。

 私は昭和58年の夏から秋頃,よくその越坂の家に遊びに行っていたのですが,店に客として行くことはなかったと思います。その店に客として行ったのは,平成9年の1月の下旬か2月に入った頃で,福井刑務所を出てすぐの頃,いきなり関係者KYが家に来て,連れて行かれたのです。

 HMと会ったのも前に会ったのが思い出せないぐらい数年ぶりだったと思います。越坂の家に直接遊びに行くことはなくなっていたので,高畠のアパートで会って以来だったと思われます。昭和58年当時は毎日たまり場のようになって,いつも数人の女の子がいました。

 越坂の家には被告発人安田敏を連れて行ったこともありました。被告発人大網健二は,東京に行っていて宇出津にはいない時期でした。その昭和58年の7月の20日頃には,代車のポンコツの車で東京まで遊びに行ったのですが,HMも同行し,私と女の子3人だったと思います。

 当時,被告発人大網健二と交際していたその後の妻も一緒だったのですが,彼女も私の2つ年下で,この2つ年下のグループは男女をあわせ特に絆が強いという印象でした。その後も付き合いが続いていたと考えられます。ただHMのことはわかりません。

 松波駅の暴力団事務所ですが,輪島の暴力団と聞いたかもしれません。輪島に暴力団が存在するという話は後にも先にも聞いたことがないのですが,それらしい事務所の名前もかすかに記憶があるものの,能登では他に聞いたことのない名前でした。

 ただ,輪島の出身者で金沢で暴力団をするという人物はいくつか話を聞いていて,直接会ったこともありました。組員にならなくても暴力団との付き合いは,かなりあったようです。被告発人安田敏とともに多少付き合いのあった暴走族のリーダーKTもそうでした。

 この金沢市での輪島の暴走族関係というのは,もともと少なからず中古車販売をやっていたという被告発人松平日出男とは接点があったようです。中には一時期,金沢市場輸送で運転手をした人物もいました。その接点というのが川上板金になります。

 先日,平成5年11月28日付の手書きの書面を拾い読みしていたとき,すっかり忘れていたことを発見したのですが,平成4年3月中となっていたように思いますが,金沢市場輸送の運転手であった輪島のMYが,市場急配センターの仕事で馬鈴薯を積みに来て,私が手伝いをしたことです。

 その運送会社というのがピアノ輸送で,トラックターミナルの裏の方に会社があると聞き,たまにその会社の前の道路を通りかかることもありました。なぜピアノ輸送なのかと不思議に思うこともあったのですが,そこに入社したのは竹林が,あるいは先だったかもしれません。

» ピアノ運送(株) 北陸営業所 - Google マップ https://t.co/OT2I3OK9qk

 住所が金沢市無量寺となっていますが,金沢港の近くです。金沢港の魚市場のある埠頭も住所が無量寺となっていたかもしれません。平成3年の春まで,被告発人大網健二が住んでいたアパートも住所が無量寺でした。いや,あるいは桂町だったかもしれません。無量寺とは聞いたように思います。

» 無量寺 - Google マップ https://t.co/uoXoiyhIoz

» 無量寺町 - Google マップ https://t.co/Zry8tCgwZR

» 桂町 - Google マップ https://t.co/hkdEWK12uO

 初めて知ったように思うのですが,金沢市の住所に無量寺無量寺町は別にあるようです。金沢中央卸売市場のある西念も,金沢市西念なのか西念町が正しいのかと戸惑うことはありました。

» 西念 - Google マップ https://t.co/sZiBx3iLXG

 やはり金沢市西念のなかに,西念町や西念町西というものが含まれているのですが,どうも金沢中央卸売市場の敷地は住所が西念に含まれていないようです。

 しかし,金沢中央卸売市場の敷地内にある石川丸果やウロコ水産の住所を確認すると,金沢市西念4丁目となっています。この周辺の住所はややこしく,金沢市場輸送や市場急配センターの住所も二口町から駅西本町に変わっています。

 松波といえば,昭和の時代にたぶん1度だけ祭りを見に行ったのですが,私の年下に体の大きな暴れ者という人物がいて,一緒に歩いている時に,その人物が被告発人浜口卓也に愛想笑いで近寄ってきたところ,いきなり殴り倒したということがありました。

 今考えると,他所の祭りに行って,相手の仲間や親兄弟もいることだし,よく大きなトラブルにならなかったものだと思いますが,それだけ警戒される存在感はあったのかと思われます。

 当時の被告発人浜口卓也は,宇出津のあばれ祭りでも神輿にちょっかいを出して入院し,同じ年だったと思いますが,毎年8月22日から25日という輪島大祭に行って袋叩きにされ,入院をしていました。どちらかの時に持木病院の病室に見舞いに行ったことを憶えています。

 被告発人浜口卓也に関しては,一度,数人の友人と真脇の自宅に遊びに行ったのですが,弟と二人で丸まるようなかたちで爆睡し,どちらなのか見分けがつきませんでした。相当の量の飲酒をしていたので祭りのときかとも思うのですが,冬であったような気もします。

 昭和60年の春頃には直接会っているはずですが,そのあと何年間かほとんど顔を合わさないことがあり,父親と一緒に船に乗っているとか,金沢港か金石の漁船で仕事をしているという話を聞いていました。それも被告発人大網健二から聞いていたように思います。

 同じ真脇でも昭和55年当時とは全く違った場所に,御殿のような大きな家を建て,爆睡している姿を見たのもその家だったのですが,父親が亡くなったことで多額の保険金が降りたという話を聞くこともありました。病気ではなく船での事故と聞いたかもしれませんが,はっきりとは憶えていません。

 昨日は赤崎海岸にも行ってきました。1つ確認しておきたかったこともあったのですが,昭和55年の春,この赤崎海岸に遠足に行き,私は1年生でしたが,1年生と2年生の大多数が,まとめて停学処分となったのです。

 私は別のグループと一緒にいたので全く気が付かなかったのですが,近くに2年生の松波中学校出身者の家があり,その家に大勢が集まり喫煙していたところを発覚したという話でした。これで停学が4回目だったという被告発人浜口卓也が退学処分となったのです。

 本人は無線通信科の学業に専念していて退学というのはものすごい不本意で,長い間,自分の喫煙を先生に話したという松波の同級生のことを恨みに思っていたようです。記憶が薄れていますが,本人も顔を合わせる度に,その話をしていたかもしれません。

 その遠足の赤崎海岸は,写真が1枚残っていて園児が一緒に写っていたのですが,写真にある岩場以外はほとんど記憶がないものでした。8,9年前にも一度,赤崎海岸には行っていたのですが,その時の記憶も余り鮮明ではなく,昨日は初めて来た場所のようにも思いました。

 桟橋があるのですが,その桟橋がずいぶん大きく感じました。赤崎は,私が小学生の頃からイチゴ狩りで有名だったのですが,イチゴ狩りをしたという記憶は余り残っていません。そのいちご畑のような土地が思った以上に広くて,とても懐かしい場所に来たように思いました。

 舳倉島で昔,見たような景色を感じていたのですが,舳倉島には子供の頃に来たはずがなく,能登には他に,そういう広い場所がないように思っていたのですが,たぶん,赤崎の風景だったのかと思いました。前に車で来たときは,松波の港の方から来ていたので,広い風景は見ていませんでした。

» 「2020-06-21_松波城址能登自動車学校・赤崎海岸・つくモール・小木港」の写真 - Google フォト https://t.co/JWzlhVIb4L 「ようこそ!赤崎いちご園」の看板

» 能登赤埼灯台 - Google マップ https://t.co/wrTk7SQRDN

 他にも短い桟橋があるのかと周辺を見ていたのですが,能登赤埼灯台というのが見つかり,周りに岩場があるようです。昭和55年の春,小木分校の遠足で行ったのは,この辺りかと思われます。

 赤崎はイチゴで有名でしたが,近くの布浦という地名は余り聞いたことのないものでした。その少し先に九里川尻がありますが,ここは国鉄の駅があったのでよく知っていました。

 国鉄では小木駅の次に能登白丸駅があり,その次が九里川尻で,その次が松波駅だったと思います。急行は小木駅の次が松波駅だったと思います。JRになってからはこの路線に乗車することはなかったように思います。

 時刻は16時14分です。テレビに金沢市東山の銭湯が出てきて,そのあとに弁護士が解説をしていました。東山には規制がかかる前の銭湯が3件あるとのことです。銭湯は350メートル以上離れていなければいけないという規制だそうです。

 浅野本町のアパートに住んでいた昭和57年,東山の銭湯までスクーターで行っていたのですが,テレビに出てきた3件の銭湯のうちの1件と思われますが,どれだったのかは思い出すことがなく,場所も余り記憶にありません。東山という地名と,けっこう遠かったことが記憶にあります。

 松波城址で相撲場跡地を探しているとき,スマホで検索をすると内浦体育館・総合運動公園の近くに相撲場があることがわかりました。

 赤崎から川尻に向かうとき,坂をおりてくると左手に相撲場があることがわかりました。坂をおりて少し行くと,今度は右手にお寺のような建物が見え,前に大きな看板があったので,近づいて書いてあることを読みました。

» 「2020-06-21_松波城址能登自動車学校・赤崎海岸・つくモール・小木港」の写真 - Google フォト https://t.co/p9cdIv0CRD 九ノ里薬師寺 国指定重要文化財案内板

 能登町に国指定重要文化財の仏像があることも知らなかったのですが,少し小高くなっているお寺を見て,小学校の高学年のとき,母親と一緒に来たのは,この場所ではないかと思ったのです。

 川尻ということは記憶にあって,小高い場所にお寺がないのか現地を回って調べたこともありました。川尻の周囲は平地の田んぼが多く,少し小高くなっている場所というのは駅の跡地ぐらいでした。

» 2019年5月2日,3日 小木港の「とも旗祭り」と九里川尻でのお寺探し - Google フォト https://t.co/Fu1UGwLTUi

 361枚の写真のアップロードになりましたが,こちらもGoogleフォトで公開アルバムを作成しました。アップロードした写真を見て気がついたのですが,九里川尻に行ったのもとも旗祭りの初日の5月2日でした。

 すっかり忘れていたのですが,このときもとも旗祭りの見物と抱き合わせで,前から気になっていた九里川尻に行き,お寺を調べたことになります。あながちこれは偶然ではないような気もしていて,九十九湾では37センチのアジを手に捕まえたり,不思議なことがありました。

 秋吉地区では探ってみた道沿いにけっこう広い菜の花畑がありました。不動寺のお寺にも立ち寄っています。初日に小木港に向かうときは,十八束の道路の途中から赤坂林道に入っていました。羽生を通過し,越坂に出て,小木港に向かっています。

 つくモールの場所は,更地となっていますが,その頃にはイカの商業施設が来年の春に出来るという話は知っていたように思います。初日は,坂の道路上から撮影をしただけで,そのまま小木港に向かったようです。

 初日は旧小木駅にも立ち寄らず,そのまま小木港に向かったようですが,この小木港に向かう道路が石川県立水産高校小木分校への通学路の1つでした。もう一つが姫を通過する真脇駅でした。

» 「2019年5月2日,3日 小木港の「とも旗祭り」と九里川尻でのお寺探し」の写真 - Google フォト https://t.co/fcxXCmkIuK 2019-05-02_164558_旧小木駅.jpg

 初日は,小木港でとも旗祭りを見物した後に,再び旧小木駅に方に戻っていました。ずっと前からある昭和の時代は見覚えのなかった建物ですが,昨日,線路の跡地を見るのに近寄ってみたところ,集会所の看板があることに気が付きました。一ノ瀬だったと思います。

 川沿いの一ノ瀬の集落も散策しています。小木分校に通学しているとき,遅刻をして遅い時間の列車に乗ったとき,小木駅に着いてから,どうせ遅刻ということで,遊覧船乗り場の辺りを散歩したこともありました。テレビの時代劇に出てくるような川だと思っていました。

» 「2019年5月2日,3日 小木港の「とも旗祭り」と九里川尻でのお寺探し」の写真 - Google フォト https://t.co/dSpTRNB2Bd 2019-05-02_170736_五色が浜海水浴場.jpg

 この五色が浜海水浴場も小木分校で海水浴に来たことがあったのですが,雲のあついどんよりした天候であったと記憶にあります。春の赤崎海岸と同じでどうやって行ったのか記憶にないのですが,学校から歩いていくことは一度もなかったと思います。

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 2枚目の写真のもう少し左手に無人駅の建物があったような気がするのですが,これが川尻の集落で唯一の高台で,旧九里川尻駅の跡地になります。道路の上には線路の陸橋があったはずですが,大型の箱車が通過出来たのか,写真で見ると疑問の高さです。

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 上記の写真が菜の花畑になりますが,通過した後の撮影かと思われます。このあと再び川尻の集落に舞い戻ることになり,河口で海に出たところの写真が1枚だけ撮影されていました。

» 「2019年5月2日,3日 小木港の「とも旗祭り」と九里川尻でのお寺探し」の写真 - Google フォト https://t.co/aPxtS5Rj2y 2019-05-02_174951_.jpg

 上記の写真が,通称,十八束で,国道249号線に出るところの道路になります。宇出津から山間を経由して松波に出る道路は国道249号線ですが,地元では十八束と呼んでいます。十八束という小さな集落もあるのか,バス停があります。

 時刻は17時42分です。テレビに八王子市の神社のご神木のニュースがありました。今付けているのはテレビ金沢で,となりのテレ金ちゃんという番組ですが,ご神木の問題は,かなり前,石川テレビのグッディで特集を見たような記憶があります。

» 八王子市と国、代執行でご神木伐採 周辺道路に枝葉、指導22回も神社側応じず - 毎日新聞 https://t.co/7tVocjTDp9 作業は21日完了予定。市と国は費用約1250万円を神社側に請求するという。

 市と国が代執行というのも珍しいニュースと思いましたが,この八王子市の天満社のことは,地域の氏子と宮司との対立も問題となっていました。他の神社の宮司も兼務していて,そちらは伐採したという話もあったように思います。それも八坂神社だったような記憶です。

» 価格.com - 「直撃LIVE グッディ!」2019年12月23日(月)放送内容 | テレビ紹介情報 https://t.co/W0PVAzK2NM 宮司は女性で「八坂神社」とも兼任しており、こちらでもご神木が隣家に突き出て… https://t.co/ZdVF6uojTH

 こんなに詳細な番組内容の情報をみたのも初めてですが,「宮司は女性で「八坂神社」とも兼任しており、こちらでもご神木が隣家に突き出て仮処分裁判に。裁判を通じて樹木の越境部分の伐採に応じている。」という番組内容の確認が出来ました。

 東京都の八王子市は,八坂神社のご祭神スサノオノミコトの8人の子どもが地名の由来という情報もみているのですが,菅原道真を祀る天満社との兼務というのは,意外な話として記憶に残っていました。

» 価格.com - 「湖東 病院」に関連する情報 | テレビ紹介情報 https://t.co/Ok4QYT0FMh

 さっそくブックマークに入れて使ってみたのですが,これだと放送された番組内容を効率的に調べることができそうです。以前,こういうサイトを探したこともあったのですが,見つけることが出来ませんでした。これは強力かもしれません。

» 価格.com - 「深澤諭史弁護士」に関連する情報 | テレビ紹介情報 https://t.co/80rX5mV3sa

@fukazawas ===> You have been blocked from retweeting this user's tweets at their request.
▷▷▷ 次のツイートのアカウント(@fukazawas)は,@kk_hironoをブロックしています。リツイートできませんでした。 ▷▷▷

> (*^ω^)マイナスにマイナスをかければプラスになるはずだお。
> (;・∀・)などと意味不明なことを言っており、動機は不明です。 https://t.co/ezqsAJdlZt

 深澤諭史弁護士のタイムラインで,ツイートが1分前から2分前に切り替わるタイミングでした。午後は一度も見ることのなかったタイムラインになるかもしれません。集中して作業をしていると普通にあることです。

▶▶▶ kk_hironoのリツイート ▶▶▶

> テラスって弁護士費用が通常料金の4分の1程度(例えば40万円なら10万円)であるうえに、業務量が通常業務の2倍(30時間で終わる事件が60時間かかったり)になることだってあり得るというダブルパンチなんだよな。

 見覚えはあるものの微妙なアカントと思っていたのですが,リツイートが出来ました。奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)のアカウントでもリツイートが出来たようです。これは具体的で有り難みのある弁護士ツイートです。

» 【SUUMO】ビレッジハウス内浦1号棟/石川県鳳珠郡の物件情報 https://t.co/VbcAscnsZK \n 住所石川県 鳳珠郡 能登町字布浦 \n 最寄駅のと鉄道七尾線/穴水駅 歩528分 \n 種別マンション築年月1983年1月

 目を疑ったのですが,穴水駅から徒歩528分とあります。平成17年に奥能登蛸島線が廃止となり,穴水駅が最寄り駅というのは理解が出来ますが,徒歩で行く人はまずいないでしょう。実際はいたのですが,それも昭和58年1月ごろのことです。

 ずっと前から近くを通ると気になる建物ではありましたが,すぐに忘れて調べることも人に尋ねることもなかった建物です。いかにも団地という感じで,昨日は内浦サンケンの社宅なのかと考えていました。

 昨日は,内浦サンケンの工場の前を通ったとき,ずっとほとんど変わっていないと感じていたのですが,昭和56年の10月頃に,被告発人大網健二兄弟のおじさんのコーキング工事の仕事を一月ほどしていたときに,現場として行ったことのある工場でした。他に町野高校があります。

 Googleマップを拡大表示するとビレッジハウスという建物の名前が出てきたのですが,賃貸物件というのがそもそも驚きでした。周辺に店のようなものは1件もないように思います。松波まで行くにしてもけっこう時間がかかり,徒歩では無理に近い気がします。

 銭湯で入浴しているときもずいぶん前からある建物とは考えていたのですが,築年月が1983年1月とは驚きです。昭和58年1月になりますが,免許取り立てだった被告発人大網健二の車に乗って,夜になるとあちこちドライブをするようになった時期でした。

 それまでは先輩の車でドライブすることしかなかったのですが,同級生の運転だと融通もきいて話をしながら好きな場所にドライブをするようになっていました。その頃に何度か前を通ることがあったのだと思いますが,建設中の建物というのは全く記憶にありません。

 もともと用事もないので車で通るような場所ではないのです。バスの場合は,宇出津から珠洲までは十八束軽油と小木経由があって,本数が少ないので小木経由に乗ると前を通ることになりましたが,平成21年の5月までは用事で珠洲市に行くことなどありませんでした。

 平成21年には5月から3ヶ月間のワープロ表計算職業訓練と,8月31日に脳出血珠洲市総合病院に入院した母親の洗濯や介護用品の購入で10日に一度ぐらい珠洲市にバスで行く必要に迫られたのですが,それも珠洲市とは奇妙な縁があると考えるところのあるものでした。

 子どもの頃も夏になると車で珠洲市に行くことが多かったのですが,それはすべて京都の親戚の車だったと思います。地元の人の車に乗ることはなく,たまにタクシーに乗ることはありましたが,宇出津から出るようなことはなく,基本料金内だったと思います。

 小木を経由して珠洲市に向かうと,十八束から松波に向かう倍ぐらいの時間がかかるのですが,割合,子供の頃には真脇を車で通過したという記憶が残っています。昭和58年頃に出来た橋の手前になりますが,左に直角に曲がる道があって,それが旧道になります。

 十八束で松波まで行ったという記憶がないとも思うので,昭和40年代はまだ十八束経由で松波まで行く道路が完成はしていなかったのかもしれません。その割に小木の町中を車で通行した記憶は乏しく,バスのような高いところからマルゲンの辺りを見ていた記憶は不思議と残っています。

 バスに乗って小木や珠洲方面に行く用事はなかったはずで,当時は国鉄で松波や珠洲に行くのが当たり前でした。小木分校の通学でもバスを使うことはあったのですが,国鉄よりかなり運賃が割高であったという記憶があります。しかし,歩く距離が少なく楽ではありました。

 ビレッジハウス内浦は5階建てとありますが,テレビで見る団地そのもののような建物で,奥能登では現在でも同じような建物を他に見ることはないと思います。輪島市内には見たような気がしますが,それより立派に見えるような建物かと思います。

» 能登町役場 内浦庁舎 から ビレッジハウス内浦 - Google マップ https://t.co/6afpCDm5KW

 調べてみると旧内浦町役場まで最短で1.6キロ,意外に近く感じましたが,車で通ってもかなり距離があるとずっと感じていました。松波から来ると大きな交差点に出て右折をするのですが,この交差点が国道10号線,鹿児島県の国分市の交差点と似ていると感じていました。

 鹿児島県に国分市という地名もなくなっているようでしたが,交差点のことだけが印象に強く残っていて,宮崎県に向かうとき,急で長い坂道がずっと続いていました。エサを運ぶ金沢市場輸送の大型保冷車の運転手には,奈良県の天理の坂とならびとても危険な下り坂と聞いていました。

 バイクのメーターで測ると,私の家から宇出津港経由で宇出津新港のどんたく宇出津店のあるアルプまでちょうど2キロぐらいになるのですが,もう何年も歩いて行ったことはありません。バイクでも年々,面倒に感じるようになり,行く頻度も減っています。

 宇出津ほどではないと思いますが,考えてみると松波も平地が少なく,宇出津の崎山台地や四明ケ丘のような宅地造成した住宅地というのも余り見当たらないので,布浦に5階建ての賃貸物件が出来たのかと考えるようになりました。それでも町営住宅でなかったのが意外です。

 以前は珠洲市まで行って買い物をしてくることもあったのですが,松波にあるコメリというホームセンターに行くこともありました。ちょうど1年ぐらい,宇出津新港のホームセンターがなくなった時期があって,その頃に必要に迫られた買い物に行くことがありました。

 珠洲市のホームセンターむさし,ですが,宇出津新港にホームセンターが復活したのも同じホームセンターむさし,です。品揃えもそれほど変わっているとは思えず,珠洲市まで買い物に行くことはほぼなくなりました。

 今年の4月は,毎年17,500円の町内会費の他,キリコの積立で24,000円を町内に出すことになり,大打撃となりホームセンターでの買い物もほとんどしていないのですが,アマゾンで値段を調べても価格に余り違いはないと感じることがあります。

 自分の住む小棚木の町内は,宇出津でも世帯数がトップに近く多いので負担は比較的少ないはずですが,今の生活だとかなりダメージが大きいのが正直なところで,それだけ宇出津の外に出かけることも少なくなっています。外食も今年はまだ一度だけかもしれません。

 そういえば金沢に行った時にラーメンを食べました。あとは一度,宇出津新港のアルプの食堂に入ったのですが,十一面観音像の検察審査会のポスターは見当たらなくなっていました。コロナの問題が大きくなる前は上町のラーメン屋にも入ったと思います。

 次第に慣れているので大きな不満に感じることもなくなっているのですが,ずっと前からコロナの自粛のような生活を続けてきたので,不便に感じることもありませんでした。刑務所や拘置所の生活にくらべれば,何をしていても自由なものです。

 金沢西警察署の対応についてはいろいろと情報の公開をしましたが,これも反応はほぼありません。2017年4月の金沢地方検察庁の不起訴処分通知書の公開のときも同じでした。これが弁護士鉄道という記録が出来たことが,収穫になるのかもしれません。

 時刻は21時48分です。日付が変わっていないので昨日になりますが,ずいぶん長い時間が経過したいように感じます。それでもやはり昨日となりますが,松波の北國銀行に立ち寄りました。その直前に,店の名前を見て,相撲大会で緑丘中学校の有力選手の名前だったのだと気が付きました。

 ときどき思い出すのに時間が掛かるのですが,金沢市場輸送のKOに関越自動車道の陸橋で飛び降り自殺をしたと聞いた松波中学校の相撲部の有力選手は,宇出津ではみかけないものの全国的にはよくありそうな画数の少ない漢字2文字のなまえになります。

 金沢市場輸送のKOが作り話をしたとも考えにくいのですが,これが事実ではない作り話であった場合,金沢市場輸送との仕事以外の特別な関係があったことを如実に物語る事実となり,それも私に向けられた事前準備の画策であった可能性が大となるものです。

 これも記憶が新しかった当時に徹底した事実の記述をしてきた1つになります。いささかでも事実を歪める動きがあれば,すぐに察知できる仕掛けを用意し,金沢地方検察庁には提供をしてきたつもりです。「顧慮することなく嘲弄的に暴虐に」という言葉とともに。