#### 市場急配センターのことで再捜査を求めている問題,関係者の関与と影響(1) Last update 2020-05-31_1735

:CATEGORIES: 市場急配センター,金沢市場輸送

 明日の月曜日5月31日には金沢西警察署刑事課強行主任から電話があると思うので,それまでに一通りのことを記述し,電話での応対でその次の方向性を決めていこうと考えています。

 まず5月11日の珠洲警察署能登庁舎での事情聴取ですが,13時少し前から15時過ぎまで2時間ちょっとでした。休憩をはさむこともなく,お願いして水だけはもらいました。

 殺人未遂での告発事件の被害者安藤文さんとの関係についてもかいつまんで話をしました。話をしながら久しぶりに思い出すようなこともあったのですが,かなり記憶の減退を感じるようなこともありました。ここでも余り特定はせずに大まかに記憶のままに書いていきます。

 平成3年9月10日頃,市場急配センターの事務所前で被害者安藤文さんの軽自動車が大倉さんという持ち込みトラック運転手の4t車にぶつけられたこと,そこから数日後の水曜日,金沢中央卸売市場が休みの日にフィルム貼りがあったことを話しました。

 金沢市場輸送と市場急配センターの竹沢俊寿会長が私たち2人見て驚いたこと,続いて通りかかった「かべや」こと松岡かもしれない名前の人には,「お前ら夫婦やったんか?」と言われたこと,被告発人松平日出男の親しい友人で,平成4年の新年会にも参加していたこと。

 マルモ設備のパンチパーマの人にも見られ,ひどく驚かれたこと,マルモ設備には金沢市場輸送にいた頃,大型トラックのオイル交換やちょっとした修理によく行っていて,妻子を同行させることが多かったことも話しました。

 省略したのは被告訴人多田敏明と津幡のYTも少しフィルム貼りを手伝ったことで,内心はわかりませんが余り驚いた様子は感じられませんでした。今から大阪府高槻市の市場に馬鈴薯を運ぶと言って出発していきました。

 被告訴人多田敏明とよく話をするようになったのは11月に入ってからだと思うので,今考えると少し珍しくも感じますが,免停中だった被告訴人多田敏明は被告発人安田敏に同乗して高松コースの市内配達をしていて,被告発人安田敏から話はよく聞いていました。

 被告発人東渡好信が山三青果の積み込み作業で指をベルトコンベアではさみ怪我をしたと言い出し,その場には私もいたのですが,しばらく仕事を休むようになって,再び長距離の仕事に復帰した頃に,積み込み作業の手伝いとして茨城県古河市の山三青果に被告訴人多田敏明を連れてきたのです。

 能登庁舎の取調室では次に平成3年10月5日の話をしました。被害者安藤文さんに自宅に電話を掛けてもらい,初めて付き合ってほしいと交際の申込みをしたときのことです。8月に離婚したことを会社には話しておらず,被害者安藤文さんの意思を確認したかったことなどです。

 被害者安藤文さんに声を掛けられても満足に受け答えが出来ず,彼女を涙目にさせるようなこともあったのですが,このあたりの表現はさらりとやっておきました。フィルム貼りを手伝ってくれた時の様子は力を入れて説明をしました。

 被害者安藤文さんが思い切った行動を示してくれたという思いがあり,その思いに応えるつもりで10月5日に自分の方から交際を申し込んだのです。明るい声で,「ごめんなさい好きな人おるし」と言われたことも能登庁舎の取調室で話をしました。

 本当は10月中,11月中に被害者安藤文さんとの間でたくさんのことがあったのですが,すっとばして11月25日の夜の話をしました。それまでの被害者安藤文さんの言動で,彼女の言う好きな人とは,自分のことに違いないという確認に近い思いで彼女の自宅に電話を掛けたのです。

 彼女の自宅に電話を掛けたのはそれで3回目ぐらいだったと思います。これは能登庁舎の取調室では話しませんでした。昼に会社に電話を掛けるなどして,彼女に自宅アパートに電話をしてもらったのは10月5日と,平成3年3月23日の2回だけかと思います。

 3月23日の話も能登庁舎の取調室ではしなかったのですが,話をする時間の配分として無理とも考えました。この3月23日の電話が4月1日の傷害・準強姦被告事件を決定づけたと言ってもよいぐらいです。

 11月25日の電話については,電話に出た彼女はいきなり,「広野さん,いくつのとき結婚したん? 私,早く結婚したいぞいね。今まだいいけど,あと2,3年したらあせるぞいね。」という話をしました。

 「好きな人ってどうなったん?」と尋ねると,「ダメになったかもしれん。冷たい感じするってよくいわれるぞいね。」という話をしました。このときすぐに思い出さなかったのが,「これからはやさしくしてあげようと思っとるげん。」という彼女の言葉です。

 能登庁舎では続いて,「おれ,本当はあやちゃんのことすごく思っとるげんけど,おれに思われて気が引けたり負担に思うことないけ?」と話しました。負担の部分は少し言葉が違っていたような気がしないではありません。

 能登庁舎では続いて,彼女が明るく優しい声で「ぜんぜんだいじょうぶや」と言ったこと,私が「また電話掛けてもいいけ?」と確認すると,「いいよ」と返事をもらったことを話しました。

 能登庁舎では続いて,和歌山県のかつらぎ農協からミカンを積んで,そのときだけ西名阪で三重県津市に出て,関ヶ原インターから名神高速に乗り,最初のパーキングエリアである伊吹パーキングエリアから被害者安藤文さんの自宅に電話を掛けたことを話しました。

 そして,そのときは話をしたくないような態度で,「すぐにでかけんなん」などと言われ電話を切ったこと,それからずっと自宅の電話に出なくなり,11月の最終日辺りから,市場急配センターの会社でトラックと運転手の乗用車専用の裏駐車場に駐車するようになったことを話しました。

 この裏駐車場は基本,平成4年当時のままです。Googleストリートビューでも確認ができると思います。当時の事務所は研修室などとなっているようで,これもGoogleマップに記載があったと思います。

 金沢西警察署の谷内孝志警部補の取り調べや供述調書では50回ほどとなっていたように思うのですが,19時から遅くて20時30分までの間,何度も彼女に自宅に電話を掛けたことを話しました。兄が出たのは1回だけで,他は母親が応対にでていました。

 父親の安藤健次郎さんが電話に出たことは2回ありました。これは能登庁舎では話していません。平成4年1月21日の話もしなかったのですが,被告発人浜口卓也の金沢市南新保のアパートから電話をしたときが最初で,いくらか遅めの時間であったとも思います。

 次に父親が電話に出たのは平成4年2月の中頃で,2月14日になるのかもしれません。この辺りは運行の記録がはっきりしていたので確認は出来ると思います。2月14日は被告発人安田敏の白菜散乱問題があり,午後にはチョコレートのことがあり,銀行で25万のこともありました。

 この辺りも過去の記録を調べて整理をしておきたいところがあります。電話口に出た安藤健次郎さんは,初めのときとは違って,いくらか怪訝そうな様子があり,その場で彼女に出るのか出ないのかと確認をしているようでした。兄も同じ頃にもう一度,電話に出ているような気がします。

 能登庁舎では,次に平成3年12月21日の話をしました。当日,金沢駅近くから買ってきたティファニーのネックレスを渡すため,仕事中の被害者安藤文さんを被告発人安田敏に呼び出してもらったことと,走行中のトラックの車内での会話を1つだけ話したと思います。

 「おまえ,なんでうちの電話に出んがや?」ときつめに問うたところ,「寝とったんじゃないか,私最近早く寝るし」と被害者安藤文さんは答え,「おまえのうちのもん,出掛けとるっていいとったぞ」というと,「ほんなら出掛けとったんじゃないか,そんとき」と言いました。

 この家の電話に出ない彼女の行動は1月の上旬まで続き,ようやく電話に出たと記憶にあるのが,平成4年1月12日の夜のことです。これも能登庁舎では話をしていないと思います。その時は思い出すことがなかったかしれません。

 平成4年1月11日は土曜日ですが,片山津温泉「せきや」で1泊の新年会がありました。さきほど書いた「かべや」こと松岡かもしれない人物も参加していた新年会のことです。やや記憶が曖昧ですが,金沢市場輸送の顧問税理士もいたかもしれません。

 竹沢俊寿会長の夫人の親戚という話の税理士で,金沢市場輸送の事務所で暇を持て余す様子がありました。私は被害者安藤文さんを知った当初から彼女も夫人の親戚なのではないかと考えていた時期がありました。安藤という名前を知ったのも平成3年9月に入ってからです。

 能登庁舎では,裏駐車場で1月中に3階,被害者安藤文さんに声を掛け,大型トラックの助手席に乗ってもらい話をしたことを簡単に説明しました。彼女がはにかんだ様子で「私の車で話そう」と言い,私が彼女の車の鍵を抜いたことで,怒り出したことなどは話していません。

 珠洲警察署能登庁舎の2階は,賃貸物件の空き室と同じで,狭い取調室の前は,割と広いスペースになっていました。能登警察署が珠洲警察署に移転したのは2012年の4月頃だったように思います。3月の15日ぐらいにモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の名誉毀損で話をしました。

 2009年3月15日に羽咋市から戻り,それからしばらくして能登警察署の2階か3階で運転免許の講習を受けたようなことがあり,移転で廃止になると初めに聞いたのもその時だったように思います。羽咋市には住所を移していなかったのであるいはその前からしれません。

 2階の狭い取調室の前には刑事が他に3人いました。そのうち一番上司と思われる人が,終了する30分ぐらい前に取調室の中に入ってきて,しばらくは話を聞いているだけだったのですが,そのうち積極的に質問や説得をするようになりました。

 被害者安藤文さんとの関係の話については,黙って真剣に話を聞いてくれているような様子でした。その説明の最後の方はよく憶えていないのですが,4月1日に裏駐車場のことを被害者安藤文さんに問い質し,最初に殴ってしまったこと,彼女が「わたし,うちかえる」といった話をしました。

 後先がよくわからなくなっているのですが,福井刑務所での民事裁判の話もしました。古川龍一裁判官の福岡高裁での妻のストーカー事件のこと,被害者安藤文さんの訴訟代理人になっていた被告発人長谷川紘之弁護士の妻が強盗未遂の被害に遭ったことも話したと思います。

 はじめのうちは向かいの席に座る強行主任と交互にキャッチボールのような会話をしていたのですが,被害者安藤文さんとの関係は私の説明を一方的に聞くようになって,終わりに近い方だったと思いますが,判決が出た3600万円の賠償について支払いの質問がありました。

 安藤健次郎さんに支払いをしたいので支払先の銀行口座の通帳を作って欲しいとお願いしたところ,気持ちだけは受け取っておく,というような言葉で断りを受けたと話しました。その後にも先にも支払いは全くしていないとも言いました。

 たぶん平成4年3月の指輪のことについても話をしなかったように思うのですが,これを始めると長くなってしまうと思ったので,触りだけの簡単な話で済ませたかもしれません。3月5日と3月20日頃の別々の指輪のことです。

 3月20日は祭日になっていたように思うので3月19日になるのかもしれません。これも数年前までの記憶であれば日付が特定出来ていたはずです。今でもよく憶えているのは,その2回目の指輪のことがあった日に金沢市高畠の倉庫で積んだミールを静岡県清水市におろしたことです。

 現在は静岡県静岡市清水区になっていると聞く静岡県清水市です。荷降ろしを終えてすぐ,東名高速茨城県古河市の山三青果に向かいました。どの時点で決まったのか今は記憶にないですが,翌日積み込みの泊まりとなっていました。山三青果での泊まりはその時1回だけだったと思います。

 市場急配センターは金沢市場輸送と違って泊まりが少なく,他に泊まりで記憶にあるのは平成4年1月下旬の東京池袋,三越池袋店からの展示会の引き上げの荷物でしたが,トラックを停めていたのは板橋の青果市場で,夜,指定された時間が近づいてから池袋に入りました。

 このときは行きの荷物が山梨県で2箇所降ろしだったかもしれません。山梨県内での荷降ろしというのは珍しく他に経験がなかったかもしれません。思い出せる運行はないですが,東京,長野市上越市というルートでは山梨県内をよく通行していました。

 このときも山梨県内で荷降ろしをしてすぐに東京に向かったのですが,静岡県清水市の運行のときとよく似た感じがあったと記憶にはあります。気分的なものかもしれません。

 山梨に向かうときも被害者安藤文さんとの間でひと悶着があったような気がします。今の記憶では特定しきれず,あるいは違っているかもしれないのですが,津幡町の能瀬から掛けた電話に被告発人梅野博之が出たこと,夕方暗くなって呉羽パーキングから掛けた電話に被告発人池田宏美が出たときです。

 「あのこ,会社でしおらしい顔しとるけど,友達との電話聞いとると,がんこなこといっとるわ」,「かわいそうなこや,かわいそうなこやと思っときなさい。」と被告発人池田宏美に言われた時のことです。

 このときの運行は,ミール移動で北陸ハイミールにいる時に会社から電話が掛かり,そのまま七尾市に荷物を積みに行くように指示を受けました。途中,津幡の太陽鉱油のガソリンスタンドに立ち寄って給油をしたことも憶えていますが,いつもとは違う七尾市への運行ルートでした。

 次の泊まりが,九州の福岡でした。細かく言えば福岡市内でミールの荷降ろしをしてから佐賀県鳥栖市のトラックステーションに行き,そこで帰り荷の指示を待っていました。あるいはガソリンスタンドだったかもしれません。

 鳥栖市は九州の大動脈のような交通の分岐点で,中西運輸商でも金沢市場輸送でもよく帰り荷の連絡を待つ場所となっていました。ガソリンスタンドでも電話の取次をしてくれたり,風呂もありました。会社への電話はいつもコレクトコールでした。

 福岡行きのミールを積み込んだのが2月1日,会社の指示をよく考えずに真に受けて2月3日の朝,市場急配センターの会社に出社してから出発をしたのです。そして,この時に被害者安藤文さんの軽四が,裏駐車場ではなく以前と同じ会社事務所前に駐車されていました。

 2月1日の土曜日の夜に,とても不自然な出現をしたのは被告発人安田繁克でした。これも重要な事実ですし,なにより被告発人安田繁克自身の供述調書が嘘と計画性を露見し,物語る内容となっていました。

 次の泊まりが平成4年3月18日の出発となった徳島県小松島市行きの運行で,これも積荷はミールでした。被告発人松平日出男が帰宅しようとする被害者安藤文さんに声を掛け,被告発人池田宏美が「あのこ,彼氏おらんよ」と言ったのに「わしゃ,いい男紹介したんや」と言った日のことです。

 被告発人松平日出男が被害者安藤文さんに掛けた言葉が思い出せないのですが,平成4年3月5日の「あずさん,間違って彼氏のとこ振り込むな」と言った言葉のことは,久しぶりに思い出しました。