昭和59年当時の金沢市場輸送の4トン保冷車での仕事(滋賀県内の国道161号線)

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昭和59年

 当時の金沢市場輸送は、大型車と4トン車が半々ぐらいで、大型車は保冷車の他に平ボディ車が3台、6トンの保冷車が2台いました。10トンの保冷車は6,7台いたように思いますが、もう少し少なかったかもしれません。

 冷凍機付きの保冷車はまだいなかったかもしれません。事務所に車番ごとの運行状況を書き込む黒板があって、それが左右に分かれ、左側が大型車、右側が4トン車となっていました。

 4トン車はすべてが保冷車でしたが、中心となる仕事が丸中水産の鮮魚の新潟定期便、それと大阪、神戸という関西方面への運行がほとんどで、たまに、東京や仙台方面に行くことがありました。

 新潟の鮮魚の定期便は、基本が、直江津、長岡、小千谷新潟市内の4カ所卸でこれは必ず荷物がありました。たまに入るのが冷凍物の小口の荷物で、上越市の市場や柏崎の市場に立ち寄ることがありました。

 高速道路の使用が認められたのは上越市上越インターの1つ先の柿崎インターから以北でした。なお、当時は北陸自動車道の朝日インターから上越インターまでは高速道路がつながっていませんでした。

 もう34年前のことになるので、記憶は曖昧ですが、新潟市内の魚市場に着くのは深夜の2時台が多かった気がします。冬場は雪が多く、特に小千谷市の辺りでは、空き地に民家の屋根と同じぐらいの積雪がありました。

 新潟市内の魚市場では荷下ろしに時間が掛かったような記憶もあります。深夜の3時から4時ぐらいに荷下ろしを終えて出ることが多かった気がします。ほぼ例外なく、そのまま金沢市に戻る形での帰路の運行でした。

 適当に仮眠をとって、新潟県糸魚川市で油揚げの荷物を積むことが多かったとも記憶にはあります。団地の集合住宅のような建物で、国道8号線沿い、富山に向かうと右側にありましたが、その1階が油揚げ工場の出荷場のようになっていました。

 当時の金沢市場輸送の4トン保冷車での仕事で、この油揚げの荷物は多く、富山県滑川市辺り、にも荷物を積みに行く工場がありました。国道8号線から少し入ったところでしたが、富山市との境に近かったとも思います。

 他には金沢市内の高畠の辺りに油揚げの工場があり、大阪方面に向かうときに、加賀市内でも油揚げを積み込んでいました。夜の遅めの時間ですでに無人の状態で、荷物だけを積み込んでいたと思います。

 山代温泉と聞くこともあったのですが、大聖寺の手前側の交差点から山中温泉に向かい、途中の右側にある会社でした。

 他に多かったのがブロイラーと呼ばれた冷凍の鶏肉で、富山県内でも積み込むことがありましたが、多かったのは金沢市の森本に国道157号線沿いにあった「大鶏(たいけい)」という会社でした。

 新潟方面だけではく、大阪方面も小口の冷凍食品の荷物はあったと思います。20個から30個という単位の荷物があったと思います。

 大阪方面はほとんどが下道のみでした。高速道路を使用して効果があるのは、金沢西インターから敦賀インターまでで、その先は米原のジャンクションから名神高速を使うのですが、けっこう遠回りになる感覚もありました。


国道161号(こくどう161ごう)は、福井県敦賀市から滋賀県大津市に至る一般国道である。

[source:]国道161号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93161%E5%8F%B7

 ネットで調べて確認をしたのですが、国道161号線は、福井県敦賀市から滋賀県大津市までとあります。大津市内から京都市内の国道1号線に出るまでの道路が、当時は未整備だったのか、割と複雑になっていたと記憶にあります。

 新潟方面に向かう以外は、毎日のように通行することもあったのが国道161号線の滋賀県内になります。小口の荷物が多いと、大阪、神戸方面での荷下ろしの場所に増えました。

 大型車に乗務してからは1カ所積みの1カ所降ろしの仕事も増えたのですが、高速道路の使用がなかなか認められなかった上、富山県新潟県の県境の親不知の辺りは、道路が国道8号線の一本のみだったので、交通量も多いのが普通でした。

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