被告発人多田敏明を同乗させた新潟県内2カ所卸しの運行、愛媛県松山市から積んできた、いよかん

≫≫≫ 2020/01/28 14:07:28 ≫≫≫

 よく憶えているのは平成4年2月18日という日付で、この日の夕方に香川県小松島市に向け出発をしました。荷物はミールだったと思います。翌日に小松島市内で荷物を卸し、すぐに愛媛県松山市に向かったように思います。

 翌日に愛媛県松山市イヨカンを積み込みました。正確には西予市だったと思います。最初に行ったのが上組という運送会社で、場所は松山空港の敷地のすぐ側でした。

 久しぶりに、播但有料道路を通行し、夜中に金沢に戻ったような記憶があります。中国自動車に福崎インターがあって、そこが播但有料道路に交差していたとも思います。

 イヨカンは、新潟県内2カ所卸しでしたが、中一日の荷物でした。九州方面から北陸中日新聞の青果物も例外なく中一日の荷物でした。ほとんどの場合、当日の夜に荷下ろしを終えるのが鮮魚という違いもありました。

 鮮魚も青果もほとんどが同じ敷地内の市場でしたが、鮮魚の場合は荷受けが22時以降が多いと聞いていました。箱に入った鮮魚をそのまま地面に並べたり、パレットに乗せることが多く、鮮魚だと氷が溶けて鮮度が落ちる可能性があったからです。

 青果の場合は、売り場に前日に競りが終わった荷物がなくなっていれば、いつでも24時間、荷受けをしてくれるという話でした。競りの時間はたいてい、午前5時が多いと聞いていました。

 2月18日に金沢を出発、19日が徳島県小松島市、夜には松山市内に入っていましたが、イヨカンを積み込み出発したのが20日、21日に日付が変わる前後には金沢に到着していたように思います。

 21日は昼過ぎ、午後になってから会社に行ったという記憶があります。本当は午前中に出社する必要があったのだと思いますが、そのときは珍しく午後を過ぎてから会社に行ったような記憶があります。

 雨が降りそうではなかったけれぼ、ずいぶんどんよりした天候であったとも記憶にあり、仕事のことも普段とは違っていて、金沢中央卸売市場内の、高瀬商店の前の駐車場の広場で、荷物の積み替えのような作業をやっていました。

 自分が松山市から積んできたイヨカンは、最初から新潟県内2カ所卸しの荷物だったと思うので、荷物の積み替えの作業をすることはなかったと思います。作業をしていたのが大型車ではあったと思います。

 荷物の積み替えのような作業が終わって、市場急配センター2階事務所に戻ったところで、新潟に荷下ろしに行くのに被告発人安田敏を同乗させるように言われました。被告発人東渡好信に言われたように思います。

 その場に被告発人東渡好信がいて、被告発人安田敏の姿もあったように思うのですが、その当時、被告発人東渡好信が会社にいるのは珍しいことでもありました。なにより精神病者を装うような不可解な言動で、欠勤が多かったからです。

 私は、被告発人安田敏を連れて行くように言われた指示を、即座に力強く断りました。これも積み重ねとなっていた被告発人安田敏の非常識な言動があってのことです。今は余り具体的に記憶はないですが、徹底的な事実の記述は繰り返し行ってきました。

 その場にいた、被告発人多田敏明を連れて行くことにしたのですが、金沢市場輸送では大型車の荷下ろしに同乗者を連れて行くことはまずないことでした。ただ、その前から被告発人多田敏明を同乗させて仕事に行くことは多くなっていました。

 同じ頃になるはずですが、被告発人東渡好信は被告発人多田敏明の給料についても、与えすぎ、甘やかしすぎと苦言を呈していたことがありました。運航費を別に総額で30万円をもらっている話で、もっと大きな金額を被告発人東渡好信は示唆していたと記憶にあります。

 昭和59年当時の金沢市場輸送の長距離4トン保冷車の運転手の給料は、総額で20万円、手取りで16万円台と聞いていました。運航費も安かったと思います。

 金沢市場輸送でも運航費は、東京便が3200円だったのが、その後には4000円となっていました。市場急配センターも同じ4千円ぐらいであったように思います。

 運航費は食事代で、給料とは別のものでしたが、東京便と言っても、夜遅くに出発し、ちょうど24時間ほどあとの翌日の夜に戻ることも普通にありました。山三青果の昼の便だと、21時頃には仕事が終わることもあったかと思います。

 夕方の早めの時間に被告発人多田敏明を同乗させ、新潟に向かって出発しました。よく憶えているのは、普段は余り入らないかもしれない小矢部川サービスエリアに入ったことです。石川県から富山県に入って最初にサービスエリアになります。

 同じ日の金沢中央卸売市場では敷地内に雪はなかったように記憶にあるのですが、小矢部川サービスエリアの駐車場では、けっこう多くの積雪があったように記憶にあります。

 急ぎの仕事ではなく、帰りも空車で戻ることが決まっていたのですが、全線高速道路での運行であったと思います。夜の早い時間、6時から8時の間であったように思いますが、六日町の青果市場に着いて荷下ろしをしました。

 国道17号線沿いに青果市場があったとも記憶にありますが、最初で最後に行った青果市場でした。わりと歓迎ムードであったのが、珍しいことのようにかすかな記憶として残っています。

 そのあとに向かったのが、2カ所目の卸先であった新潟県中条町になります。現在は胎内市となっているようです。国道7号線から海側に入った先に青果市場がありました。

 Googleマップ新潟県三条市をみると、エリアが山側に広がっていて、国道8号線が海側のぎりぎりをかすめていました。国道8号線の近くには北陸自動車道の三条インターもあったと思います。

 その三条インターから国道116号線の海側の方向に向かって走ると、右手に大きな市場がありました。夜に行ったことしかなかったかもしれないですが、広大な田畑のなかにポツンとある大きな市場でした。

 時期になるとタケノコを運んだと記憶にあるのですが、その三条市の近くの青果市場と、中条町の青果市場は、建物の規模や古さ、作りがかなり似ていたと記憶にあります。

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> » 新印北部大印合同青果(株) - Google マップ https://t.co/jAN3Poxxie(株) - Google マップ https://t.co/jAN3Poxxie

 調べたところ、「新印北部大印合同青果(株)」とありました。国道7号線からの距離と方向もちょうど同じ感じだったと思います。


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> » 新潟中央青果 西部支社 - Google マップ https://t.co/QGnwXseAma

 燕市とありますが、Googleマップでみると国道161号線のすぐ近くでした。場所が移転している可能性は否定できないですが、付近に住宅地はなく、とにかく周辺が広かったという記憶が残っています。

 新潟県中条町付近の国道7号線は、その少し先の国道113号線から仙台方面に向かうのに金沢市場輸送ではよく通っていた道路でした。明るい早い時間だと、海の方の集落の裏道のような道路を走ったのですが、深夜だと交通量も少なく、そのまま国道7号線を走っていました。

 国道7号線にある荒川という交差点で、右折すると国道113号線、仙台方面から鮮魚の定期便で来ると、そのまま荒川の交差点を横切り、田舎の集落をいくつか通り抜けた後、海沿い近くの広い道路にでて、そのまま新潟市方面に向かっていました。

 Googleマップでみると荒川の交差点辺りは立体交差になっているように見え、新潟市内に向かう海の近くの道路も山形県南陽市から来たのと同じ国道113号線となっています。

 中条町の青果市場ですが、ちょっと変わった雰囲気の市場であったとも記憶にあります。まず照明が薄暗く、それは徳島市の市場とも似ていると思ったのですが、徳島市の市場のことは何度か行ったものの、どの辺りのどんな市場であったのか記憶にありません。農機具店を思い出します。

 ちょうど中条町の青果市場に着いた頃、それまで静かにしていた被告発人多田敏明にも異様な変化が見られたのですが、それはまた別に記述をしておきたいと思います。

 中条町の行きか帰りのどちらかに、国道7号線沿いのゲームセンターに入って、食事をしいたとも記憶にあります。新発田市より中条町に近かったと思いますが、新潟から秋田に向かうと国道7号線の左手にある店でした。

 昭和59年当時も、新潟市内の魚市場で荷物を卸して金沢に戻るとき、早朝にゲームセンターで軽い食事をしたと記憶にあります。国道沿いにはコンビニもほとんどない時代でした。

 そのうち、上越市の国道8号線沿いにセブンイレブンのコンビニが出来たのですが、それがとても珍しく、便利にも感じたことを憶えています。

 金沢に戻ってきたのは夜中の2時から3時という時間であったと思います。諸江の交差点から左折をしました。現在は平和堂アル・プラザ金沢がある道路の向かい側ですが、そには24時間営業のコンビニのような酒店がありました。金沢市内でも古くからあった24時間の店でした。

 昭和59年には、その諸江の酒店に買い物に行くことがありました。昭和57年のはじめの頃にも深夜遅くまでやっている店が、金沢駅から少し離れた東大通り沿い、橋のたもとにあったのですが、老婆が店番をする駄菓子屋に近いような店でした。

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> » 石臼挽き手打そば 村田屋 - Google マップ https://t.co/X3mL7kQuET \n 石川県金沢市諸江町上丁

 諸江の酒店は姿が見えなくなっていましたが、隣にそば屋があったという記憶はあります。これは平成9年か10年のことになります。被告発人大網健二に誘われて、一緒にそのそば屋に入って食事をしたのです。

 その諸江の酒店で買い物をして、市場急配センターの会社に戻り、トラックの中で1時間ぐらいは被告発人多田敏明と話をしたように思います。

 トラックは洗車機の前の、裏側の駐車場につながる通路のような部分で、左端に道路近くに運転席が来る位置で、駐車をしたように思います。よくする駐車の仕方でもありました。家に戻らず、そのままトラックで寝るときの駐車方法です。

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