#日本弁護士連合会に対する事前連絡 ## 安藤健次郎さんの忍法弁護士返し・弁護士に無視され放置された事実:被害者安藤文さんの裏駐車場の行動と自宅の電話対応

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〉〉〉 Linux Emacs: 2022/04/17 10:25:47 〉〉〉

 前にも書いているはずですが、昨年2021年に家の中で新たに見つけた裁判の記録などを読んで、私は平成4年の傷害・準強姦被告事件の控訴審において、被害者安藤文さんの裏駐車場の行動について何度も強調して主張していたことがわかりました。

 最近になって考えるようになったことですが、裏駐車場の行動に連動した電話対応について、弁護士が安藤健次郎さんや家族に事情を聞いたり確認することが全くなかったという可能性です。

 昨年2021年11月に家の中で新たに見つけた資料になると思いますが、すっかり忘れていたことを思い出したことがあります。読むのを中断したのですが、どこまで読んだのかも思い出せず、それがどのような資料だったのかも思い出せなくなっています。11月中の中断になると思います。

 石川県七尾市から富山県高岡市国道8号線に出る国道160号線ですが、富山県氷見市内の海沿いに市場急配センターに電話を掛けて被害者安藤文さんと話をした場所がありました。4月8日にこの国道160号線をバイクで走り、それと思われる場所を見つけました。

 上申書のような過去の資料では、魚市場の横のようなことが記述されていたと、これも昨年2021年11月頃に見かけたと思うのですが、バイクに乗って走り出すと横に漁協のような建物がありました。宇出津の魚市場にある漁協の建物ともいくぶん似ていました。

 前にGoogleマップストリートビューで探しても特定できなかった場所になります。

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- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2022-04-17 10:58/2022/04/17 10:58 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1515510086328012803https://twitter.com/s_hirono/status/1515509906417217537




> 2022-04-08_161658_平成4年1月に市場急配センターに電話を掛けたと思われる電話ボックス.JPG https://t.co/cNgjHosaO7

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- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2022-04-17 10:59/2022/04/17 10:58 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1515510118292795392https://twitter.com/s_hirono/status/1515509891993305088




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> 2022-04-08_161614_平成4年1月に市場急配センターに電話を掛けたと思われる場所.JPG https://t.co/2rLnowTQpj

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> 2022-04-08_161306_氷見市女良漁港前の国道160号線.JPG https://t.co/HhauNtUekR

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> 2022-04-08_161304_氷見市女良漁港と灯台のある堤防.JPG https://t.co/lxREp8HqIm

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> 2022-04-08_161018_国道160号線 石川県七尾市から富山県氷見市に入るところ.JPG https://t.co/OlyGAPIF22

 Twitterに7枚の写真をアップロードしリツイートをしました。

 スクーターのバイクでスピードも出さずに走っていたのですが、富山県氷見市に入ったのが4月8日16時10分頃、女良漁港が同じく13分頃、電話ボックスの場所が同じく16分頃になっています。女良漁港からおよそ3分の時間がありますが、これでもけっこうな距離になると思います。

 この女良漁港は最近になって知った地名です。前にGoogleマップストリートビューで場所を特定しようと試みたときで今年2022年に入ってからではなかったかと思います。

 仮に女良漁港近くの電話ボックスとしておきますが、たぶんここからと思われる電話の内容はずっと覚えていました。これはだいたいそのままに記憶にあるのですが、「文ちゃんのお母さんってやさしい人やね、もう電話せんし、今度直接話しかけるし」です。

 これと対応したと思われる電話が、金沢市森本の近くの当時の日野自動車の工場前の電話になります。電話ボックスだったと思うのですが、人の体がそのまま入る電話ボックスではなく、電話の周りだけプラスチックの板で囲ったものだったかもしれません。

 この日野自動車の前から掛けた電話ですが、1つははっきり記憶にあり、ずっと憶えていました。私が仕事が終わってからラーメンでも食べに行こうと誘い、被害者安藤文さんが「いける、いけるけど、今日はいけん。」と答えた会話です。

 昨年2021年11月に読んだ資料では、この日野自動車からの電話のこととして、被害者安藤文さんが「今日、自宅に電話してください。」と私に言ったことで、実際に電話をしても母親が出て彼女が出なかったことが記述されていました。

 これで結びついたのが、自宅に電話を掛けてくれと明言しながら出なかった彼女と、氷見市からの電話で私が電話対応した彼女の母親をねぎらったような言葉でした。しかし、これにも他の事実と整合しない問題があると思うのです。

 まず、日野自動車の工場に行った用事です。この森本の近くの工場は、昭和59年によく行っていました。そのうちほとんど行かなくなったのは、私がいすゞのトラックに乗務することが多かったのと、金沢市場輸送ではちょっとした修理や点検をマルモ設備で行うようになったからです。

 市場急配センターで平成3年10月12日から新車で乗務した石川3068号は、日野自動車の大型ウィング車でした。平成3年の秋にも何かで一度、日野自動車の工場に行ったような気はするのですが、憶えてはおらず、新車ということもありますが、故障というのはなかったと思います。

 唯一、日野自動車の工場に行った用事として記憶にあるのが、ウィング車後方上部のシートの破れです。ウィング車というのは羽のように荷台の側面が電動で開閉するのですが、つなぎ目に防水のシートがありました。

 シートの破れに気がつくのに2,3日の間があったとも記憶にあるのですが、心当たりは一つだけはっきりしていた東京池袋の三越百貨店です。前の方はけっこう余裕で高さをくぐり抜けられたのですが、後ろの方が前荷で跳ね上がっていたのか、擦れていたようでした。突起物があったのかもしれません。

 日野自動車の工場に修理に行ったと仮定して、私はその前に応急処置をしています。これが被告発人浜口卓也の自宅アパートから被害者安藤文さんの自宅に電話を掛け安藤健次郎さんが初めて出た翌日になります。

 「cal 1 1992」というコマンドで確認したところ1月22日になりそうです。今回初めて気が付き少し意外に感じたのは、その平成4年1月22日が水曜日になっていることですが、特段意味のあることではなく、1月25日が土曜日であることが他の事実からはっきりしています。

 何度も繰り返し同じことを記述することは時間の無題にもなるので避けたいですが、この1月25日は、黒いトックリのようなセーター一枚にネックレスをつけていた被害者安藤文さんが、17時になる少し前に、涙を拭うような仕草で、私がいる1階の前で、小走りで退社していきました。

 その1月25日の夜に被害者安藤文さんの自宅に電話を掛け、このときも母親が出たのですが、それまでとはうって変わり、初めて警戒心を示すような対応だったのです。ただそれほど強い警戒心ではなく、心配して少し釘をさすような感じでした。

 1月22日からこの25日の間は、ミールの連続運行でした。3回続けて往復したことになり、その間、東力の自宅アパートにも帰っていないと思うのですが、2回は連続で三重県津市だったと思います。海の埠頭にある大きな倉庫でした。

 なぜか3回連続で三重県津市という記憶はないのですが、他にないぐらい一度に運ぶトン数が多く、大型車7,8台で行ったように思います。全部が一緒に行ったわけではなかったと思いますが、6,7台は一緒に出発し向かったと記憶にあります。

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- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2022-04-17 12:08/2022/04/17 12:08 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1515527699762413573https://twitter.com/s_hirono/status/1515527639703859206




> 2022-04-17_120737_金沢市、石川県 から 三重県津市 - Google マップ.jpg https://t.co/aZlFCB1kmI

 ルートをマウス操作で動かしているのですが、メールでデバイスに送信というのをやってみると、修正前のルートになっていました。上記のスクリーンショットにしたのが、平成4年当時のルートに近いものです。

 関ヶ原インターの前を通って、これは国道365号線だったと思いますが、岐阜市内の方から来る国道285号線を右折し、三重県桑名市国道23号線に出ます。左の方に名古屋方面に向かうことがほとんどだったのですが、右の方に行ったはずです。交差点ではなく高架の側道になっていたかと思います。

 名古屋市内は場所によって岐阜市の方から入ることもあったのですが、名古屋港やその先の知多半島の方だと、この三重県桑名市を通るルートでした。ミールの仕事は知多半島の付け根の辺りが多く、即席ラーメンのスープに使われているという話も聞きました。

 ミールはそのうち養鶏場の鳥の餌にするという話も聞くようになったのですが、新潟県内の養鶏場には2回行った覚えがあります。ミールはほとんどが倉庫卸でした。商店の倉庫というのは珍しく、すぐに思い出すのは平成4年3月20日頃の静岡県射水市ぐらいです。

 過去に何度も説明を記述しているのですが、主に金沢港で運搬したイワシを原料にできるのがミールで、皆ミールと呼んでいましたが魚粉のことです。浜田漁業金沢工場と北陸ハイミールがありました。北陸ハイミールは平成元年の12月からのシーズンになると思います。

 国道258号線に出た辺りはまだ岐阜県で昭和61年に被告発人安田敏と生活をした岐阜県海津町の近くでもありましたが、三重県桑名市に向かって10分か20分ぐらい走ると三重県に入ったと思います。ちょうどその県境の辺りで、桑名市に向かって右手に食堂がありました。

 ラーメン屋だったような気もしますが、深夜の遅い時間だったと記憶にあります。一部の運転手は金沢市場輸送の休憩室で麻雀をやってから夜遅くに出発するというのもミールの仕事のパターンでした。22時か23時だったと思います。

 市場急配センターのミールの仕事で高速がどこから認められていたのか思い出せないのですが、名古屋方面に行くのに、反対側の遠回りにもなる金沢東インターから乗ったという記憶は残っていません。

 ミールは15トンと18トンのときがあったと思いますが、初めの頃は15トンがほとんどだったとも思います。15トンなら大丈夫だったような気がしますが、高速道路の料金所には踏み板があって、過積載でブザーが鳴ることがありました。

 それでなくても金沢西インターの上り線は、台貫場があるので検問で捕まる危険がありました。過積載です。金沢東インターの上り線などの小さな料金所は、料金所の踏み板を片輪外して通過することが出来ました。仮に過積載のブザーがなっても警告書で済んだかと思います。

 岐阜県三重県の県境付近の食堂ですが、やはり6,7人の運転手で入ったと思います。あるいは10人ほどいたかもしれないのですが、記憶がはっきりしないので控えめにしておきます。全員が一台の大型車に乗務していたはずです。4t車でミールを運んだ話は聞いたこともありませんでした。

 助手というのもいなかったはずです。金沢市場輸送や市場急配センターでは入社してくる大型車の運転手が少なかったのですが、市場急配センターで後で入社してきた運転手は経験も豊富なので、指導で同乗する必要はなかったはずです。

 大型車の乗務の経験がなかった被告発人安田敏でも、私が同乗したとはっきり記憶にあるのは平成3年8月の終わりに出発した神奈川県厚木市の運行ぐらいです。

 はっきり記憶にあるのは被告発人浜口卓也と被告発人東渡好信ですが、浜上さんもいたと思います。和田君もいたような気はしますがはっきりしません。被告発人安田敏はいなかったように思います。被告発人安田敏と長距離で仕事が一緒になることはほとんどなかったと思います。

 これも被告発人らの作戦だったと考えれる事実ですが、私が1番その次に被告発人安田敏ぐらいに割の悪い他の運転手が嫌がる仕事が回ってきていました。なぜそこまで選り好みするのか不思議にも思っていたのですが、純粋に仕事の選り好みをしたいのではなく、別に狙いがあったような気がします。

 簡単にいえば、手積み手降ろしを露骨に嫌がる運転手がいたのですが、これは他でも聞く話でした。平ボディ車だと機械物のフォークリフトやウィンチでの荷降ろしが多いのですが、大きなシートをかけるという面倒があります。

 風のある日は特に大変で落下の危険もあったのが平ボディ車のシート掛けになります。水や雪を含むと重さも相当あったシートで、シートの破れで荷物が濡れることも気にしなければならず、保冷車のような急ぎや細かい仕事はなかったですが、私は性格的に合うとは思えず苦手意識もありました。

 保冷車は後ろにドアがありますが、金沢市場輸送の保冷車の多くは左側の横に扉が一つあるだけでした。パレット降ろしでもこの扉のところまで手で荷物を運ぶことになります。昭和59年遥かに小さい4トン保冷車で苦痛に感じていた手積み手降ろしですが、大型保冷車に乗務していると慣れました。

 自然に慣れていったのだと思いますが、苦痛に感じないばかりか眠気覚ましの運動で気分転換にもなると考えるようになっていました。市場急配センターでの扱いは青果物でしたが、金沢市場輸送での荷扱は鮮魚が多く、箱が壊れるのも気を使い、ウニなど横倒しで50万円の弁償と聞いていました。

 鮮魚の箱が壊れた場合、乱箱といって市場で受取を拒否されたり、競りの値段が下がるという話で、金沢市場輸送では運転手が弁償で給料から差し引かれることになっていました。より損害の大きい延着も同じでしたが、実際に大きな弁償をしたという話はなかったと思います。

 私は余りなかったですが、多かったのが練り製品の箱の水濡れでした。金沢市場輸送では、おでん種をカンパのようなかたちで売ることもやっていました。練り製品は塩釜が多く、生マグロも多かったので、水濡れはしやすかったのです。

 石巻と塩釜の東北便ですが、北海道からの中継の荷物もあったので荷物の種類が多く、卸先も多くありました。金沢中央卸売市場では市場の中でも太物、特殊、塩干、鮮魚と降ろし場所が違うのですが、それもそれぞれ石川中央魚市とウロコ水産がありました。

 主に練り製品ですが、場外という金沢中央卸売市場の外にある会社への小口の荷降ろしもありました。カナカンで2箇所、石川中央食品、池内がありました。吹雪や渋滞がなければそれほど大変と思うこともなかったのですが、徐々に仕事に慣れていき、最初は荷物も少なかったと思います。

 ウィング車の場合、工場内でウィンチで荷物を吊り上げることは出来ないですが、平ボディ車と同じようにフォークリフトで積み下ろしが出来て、パレット積みというのもありました。シートをかける必要もなく、電動で動かし左右にあるフックのような留金を締めるだけです。

 平ボディ車の方が難しい仕事もありますが、ウィング車の場合は、保冷車と仕事内容が似ていて、保冷車のような小口の仕事がないのも特徴でした。冷凍食品などが小口の多い仕事で、昭和59年は金沢市内だけでもあちこちの冷蔵庫に行っていました。

 市場内というのは他に荷降ろしをしているトラックなど障害物があって運転に気を遣うということもあるのですが、それも夜中で暗い場所が多く運転にも神経をすり減らすことがありました。市内配達はほとんどが明るい時間の仕事で、何かあったときも電話で呼べる安心感があります。

 市場急配センターで長距離の仕事をするようになり、金沢市場輸送や中西運輸商とは比較にならないほど単純で楽な仕事だと思いながらやっていたのですが、被害者安藤文さんのことで患いごとが多くなりました。それも路面凍結や事故での通行止め、渋滞に気を遣う冬場の時期でした。

 岐阜県三重県の県境辺りの食堂ですが、ずいぶんビールなど飲まされ、かなり酔った状態で津市まで運転したと思います。記憶にあるのは桑名市あたりまでですが、そのまま荷降ろし先の倉庫に到着し、休んだはずです。

 酒酔い運転は極力避けていました。結婚した頃に大きな免停になって苦労したという経験も大きいのですが、ほとんどやらなかったと思います。とても飲むのを断ることが出来ないような状況があったのですが、当時はまだ飲酒運転がそれほど問題になっていなかった時代ではあります。

 私を酔い潰して事故を起こさせるのが狙いのようにも思えたのですが、遠洋漁船の漁師もしていた被告発人浜口卓也であれば、それが日常のことにも思えました。そういう仲間との誘いを避ける傾向もあったのですが、長距離の仕事は飲む誘いを断りやすい、誘われないという好都合もありました。

 大学生でも一気飲みでの死亡事故が社会問題になる時代に近かったと思いますが、17歳から18歳の頃も、先輩に無理に飲まされて具合が悪くなり、ひどい思いをしたという経験がありました。車でロープで引きずられるようなこともありました。

 飲酒運転にはまだ寛容な時代でしたが、逆に避けるのが難しい時代でもありました。飲酒運転の厳罰化はそういう経験もあり歓迎しています。

 何を書いていたのかわからなくなってきましたが、15分ほど前、4月8日に金沢に行く4,5日前に買っていた茄子に白いカビが生えていたので捨てました。起きてから何も食べていないのですが、昨日も17時に近い時間まで何も口にせずにいました。

 しばらく考えて思い出したのですが、日野自動車に行った目的が思い出せないもののシートの破れではなかった可能性があります。1月25日の被害者安藤文さんの母親が警戒心を示したことは大きく、私はずいぶんと慎重になりました。

 2月中のことは余り思い出せないのですが、半ば過ぎに被害者安藤文さんの自宅に電話を掛けた時は、安藤健次郎さんが出て、このときもややかたい対応を感じたのですが、すぐ横にいる被害者安藤文さんになぜ電話に出ようとしないのか、そちらに意識が向いている様子でした。

 被害者安藤文さんの態度が和らいだのは、1月の終わりの運行になると思うのですが、池袋の三越百貨店からの引き上げの荷物をトナミ航空で降ろして会社に戻ったときのことになります。

 これも昨年中にも記述をしていると思いますが、船凍イカを積み替えたという被告発人多田敏明と和田君の二人が戻ったときのことです。

 「今日はあがりやし、ストーブの番でもしとれや」と優しく被告発人松平日出男が言い残し、被告発人池田宏美も2階から降りてきて車で出掛けて行って、市場急配センターの会社で被害者安藤文さんと二人きりになったときのことです。

 実際に声を掛けたのか思い出せないですが、ようやく被害者安藤文さんに声を掛けようとしたタイミングで、大きな声で話をしながら被告発人多田敏明と和田君が下の階段からあがってきました。被害者安藤文さんは軽く笑顔ではにかんだ様子でした。

 平成4年2月3日のことも大きいです。これも昨年2021年11月に読んで資料になると思いますが、2月1日の土曜日に積み置きしていたとずっと思っていた24トンのミールが、出発当日の朝の積込みとなっていたことです。

 具体的な記述が残されていたのですが、私はM君を連れて、清水倉庫にミールを積みに行ったとありました。松任市の一番外れの方にあった清水倉庫です。片道30分ぐらい掛かったかもしれません。

- 市場急配センター(株) から 水島町 - Google マップhttps://t.co/BElH0Z2aQ5

 私は今までずいぶん前から清水倉庫そ書いてきたように思うのですが、水島倉庫の間違いかもしれません。白山市清水でGoogleマップを検索したのですが、そういう地名はないらしく、それらしい場所に水島町がありました。

 手取川が当時の松任市能美郡の境になっていたものと思っていたのですが、手取川より手前が境目になっています。寺井町とも考えていたのですが、川北町になっています。

 市場急配センターから白山市水島町は国道8号経由で18km37分となっています。福岡に向かい金沢を出発した時刻も記録にはあると思いますが、午前11時に近い時間になりそうです。

 このときは本当に被害者安藤文さんのことに気を取られ、仕事の時間計算が出来なかったのですが、高速道路の北陸自動車道に乗るとすぐに諦めて、米原バリアを突破することにしました。過積載で捕まる不安があったのですが、これが的中することになりました。

 九州の福岡行きで積み込んだミールは24トンでした。フェリー乗り場は神戸だったと思いますが、私は福井県敦賀インターで北陸自動車道を降りて、国道161号線で琵琶湖沿いに大津市京都市に出て、昭和59年によく通った国道171号線で神戸に向かうつもりでした。

 当日の早朝に金沢を出発しても余裕がなさそうだったので、私は2月1日に積み置きをしていたものと長年思い込んでいたのです。フェリーの時刻は18時から19時の間であったように思います。

 その3ヶ月ほど前の平成3年11月には、馬鈴薯を積んで国道161号線から大阪府高槻市の市場で降ろし、次の帰り荷の積み込み先が決まっていた神戸市の港島に行ったという運行はあったのですが、京都市内や国道171号線も昼にどれぐらい混み合うのか予想ができない状況でした。

 その福岡に向けて出発した2月3日は、被害者安藤文さんの裏駐車場の駐車が終わった日でもありました。この福岡行きの運行の指示は直接、被告発人東渡好信に受けたと思うのですが、2月3日の月曜日に出発することに異議はなく、機嫌が良さそうに私の話を聞いていたと記憶にあります。

 被告発人東渡好信は、年齢も当時40歳を過ぎていました。浜上さんなど同年代の運転手が多かったのですが、河野さんだけが2,3歳上で45歳と聞いた覚えがあります。被告訴人梅野博之も45歳と平成3年中に聞いたかもしれません。供述調書には生年月日があったはずです。

 年相応もありますが、長距離トラックの経験が長い様子でフォークリフトの運転などもベテランらしく手慣れた様子がありました。長くトレーラーで木材を運んでいたような話も聞き、そこで浜上さんや和田君と知り合った話も聞きました。和田君はトレーラーの運転手ではなかったとも聞きました。

 七尾市の共栄運輸で保冷車に乗っていたような話も聞きました。共栄運輸は鮮魚も扱っていて市場の鮮魚の売り場で荷降ろししているのも見かけていたと思います。2014年辺りになるかと思いますが、小木港によく釣りに行っていた頃、長時間駐車されているような共栄運輸の保冷車も見かけていました。

- 共栄運輸 七尾市 - Google 検索https://t.co/3JUFe30RZ5

 タウンページのような検索結果しか見当たりませんが、七尾市の住所があるので間違いはなさそうです。これまでバイクで七尾市に行くことは回数も多かったのですが、共栄運輸のトラックを見かけたことはなく、どの辺りに会社があるのかわからないですが、前に調べたことはあります。

- 丸一運輸(株) 配車センター から 共栄運輸 - Google マップhttps://t.co/MYaGCOfcKR

 共栄運輸も丸一運輸と同じく、七尾市内から富山県氷見市に向かう国道160号線から少し山手に入ったところになっていますが、丸一運輸に行くのに右折する手前の国道160号線に能登木材工業が表示されています。4月8日に注意しながら左手を見ていたのですが、見つかりませんでした。

 能登木材は国道160号線沿いで、余り広くはなかったですが入ってすぐのところに広場があって、そこで製材の荷物を積んでいました。5メートルほどの製材の束を前と後ろ、左右に、2段か3段重ねにしてガチャを掛けて固定していたという記憶です。

 同じく国道160号線沿いで氷見市に向かって左に入る林ベニアでしたが、奥行きのある突き当りで、かなり大きな工場と敷地になっていました。林ベニアでは文字通りベニアの束を積んでいましたが、束になった製材ほど荷崩れの心配がなく、敷地の広さもあるので積み込みもしやすかったと思います。

 丸一運輸の会社には2,3度行っています。古い大きな工場のような建物でした。事務所の上役のような人が、被告発人東渡好信のことをずいぶんと心配し気にかけている様子で、私に被告発人東渡好信のことを尋ねていました。かなり親しい間柄に思えました。

 昨年の7月になるのか、レンタルサーバーの契約で七尾市にあるセブンイレブンに行くことになり、その前に宇出津の歯医者に行っていたのですが、待合室にいる時、古い時代の七尾市のドキュメンタリー番組が出てきて、ソ連との木材の輸入の話と、女性の行商の話が印象的でした。

 戦後のソビエトの時代でテレビではソ連とも呼ばれていましたが、ソビエト人やソ連人という言葉は聞いた覚えがないので、今と同じロシア人だったかもしれません。七尾市には木材の輸入で船員のロシア人が多くいたという話でした。

 七尾市ソビエトの関係はその前から少しは知っていたのですが、木材の取り扱いが目に見えてはるかに多いと思われる金沢港では、ソ連やロシアの話を聞いたことがありません。金沢港から北陸ハイミールの間に、けっこうな数の木材の会社があって、たくさんの木材が敷地にありました。

 軽く調べたところ金沢港での木材の輸入は中国が多いようです。「アジア中心、中国からが約半数」とあります。テレビなどで見る中国は、日本のような森林が少ないというイメージでした。ロシアのシベリアは学校の授業でも習った気がしますが、森林が多いイメージです。

- スライド 1https://t.co/gbJJgJBpkc \n ’05 港湾物流調査概要 金沢港 七尾港

 05というのは2005年で平成17年になりそうですが、このPDFファイルには初めに「平成18年12月 石川県」とあります。金沢港と七尾港の航空写真があり、金沢港で木材が置いてある場所はだいたい頭にあるのですが、七尾港の方も木材の取扱量が多そうです。

 分かりづらい単位になっていますが、輸入で、金沢港が351千t、七尾港が3,159千tとなっています。H13とあるので平成13年なのでしょう。金沢港とはデータの内容が異なっている七尾港ですが、「原木輸入では、ロシア、アメリカ等から在来船利用」とあります。

 2021年7月17日に七尾市に行ったときの写真を7枚、非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)にツイートでアップロードしたのですが、次の項目にでもリツイートで使いたいと思います。

 風はなさそうですが、曳山祭の声が聞こえてこないので気になっています。昨夜は2時を過ぎてから外に出るとマイクを使ったような声が聞こえました。「チョウサヤー」、「ヤッショ」といった掛け声と、木遣り唄があります。

 宇出津曳山祭の2日目の朝山は夜中の2時から動き出します。初めに祭礼委員をやった2016年は、朝山にマイクを使っていましたが、翌年の2017年はマイクを使っていませんでした。マイクを使った2016年も昔に比べて音量を絞ったような気はしました。

 朝7時と夕方6時の音楽も風向きの違いだと思うのですが、はっきり聞こえてくるときと、ほとんど聞こえないことがあります。そういえば昨年の今頃はまだあったかもしれない前の能登町役場の建物がなくなっているので、町中の音の響きが前とは違っている可能性もありそうです。

 昨日は夕方の早めの時間に銭湯にいって、入っているときに曳山が通っていくような声は近くに聞こえていたのですが、まだ明るい時間に新村に入るところで曳山が斜めになっていました。例年よりだいぶん進行が早そうでした。

 Aコープ能都店で買い物をしてバイクで家に戻る時、曳山は新村と昭和町音羽町の間の笹谷川の橋の手前で、その場所で見たことのない辻回しをしていました。細い昭和町の道に入っていくのかと思ったのですが、それはなかったようです。

 まだ酒垂神社の曳山は見ていないのですが、Twitterでは写真が上がっていました。例年のことですがニュース記事にもなっていました。やはり3年ぶりとのことです。2019年以来になります。

〈〈〈 2022/04/17 16:36:08 Linux Emacs: 〈〈〈

〉〉〉 Linux Emacs: 2022/04/17 20:05:56 〉〉〉

 16時36分に中断した後、出掛けて、宇出津港のいやさか広場で曳山を見物した後、宇出津新港に買い物に行き、家に戻ってパソコンをつけ、時間の記録を兼ねたツイートをしたのがちょうど19時です。18時59分を狙っていたのですが、一度クリックをしそこねたのが分かれ目になったようです。

 しばらくして性犯罪被害女性の記事を読んでいたのですが、読むのに30分ぐらいかかっていた感じです。被害者安藤文さんの裏駐車場の行動と自宅での電話対応についてはまだまだ記述することがあるのですが、いったん切り上げて別の項目として続きを記述したいと思います。

 もっとも裏駐車場と被害者安藤文さんの自宅の電話対応については、これまでに何度か取り上げていて一通りのことは記述しているとも思うのです。他との関連性も指摘しながら進めることもあるかもしれません。散らばっているようですが事実関係というのは自然に繋がりを持つものと考えています。

〈〈〈 2022/04/17 20:14:09 Linux Emacs: 〈〈〈