(ウ). 偶然とは思えない裏駐車場での動き,被告発人安田繁克の車の通過

 解散する少し前でしたが,裏駐車場の奥の方から会社の建物まで5人ぐらいで歩いていました。これもはっきり憶えているのは,被告発人東渡好信,浜上さん,七尾のMと私の4人だけです。直前に1人帰っていた可能性もあるかと思います。

 その場の成り行きで特に疑問を持つことなくその場を歩いていたと記憶にあります。会話の流れでその場所にいたのですが,裏駐車場から外に出ることはなかったと思います。

 用があって行くとすれば,金沢中央卸売市場の正面ですが,数人で集まって歩いていったようなことは一度もありません。市場前は早い店で22時には開いていたかもしれません。食事をする店です。ただ市場で荷下ろしが終わるのは早くて23時過ぎだったので,22時はないかもしれません。

 22時から23時というのは金沢中央卸売市場で仕事が始まるような時間でした。午前中は人も多いですが,食事の店がやっているのも14時ぐらいまでで,そのあとは明るい時間でも真夜中のような人通りでした。

 この市場急配センターの裏駐車場というのは,他にも重要な事実関係が詰まっています。今,夜に行くことはないですが,街灯のようなものは見当たらず,現在でも平成4年当時と,余り変わりはなさそうか感じです。

 裏駐車場の一番奥から1階休憩室の裏口のドアまで中ほどを歩いているときだったと思います。市場急配センターの会社前の入り口の方から一台の車が入ってきて,ゆっくりと通過していきました。車高が高かったこともありますが,ヘッドライトがとてもまぶしくて,車の形ぐらいしかわかりませんでした。

 これが後でわかる被告発人安田繁克の車だったのですが,驚いた様子を表情にみせたのは七尾のMさんだけでした。被告発人東渡好信と浜上さんは,うつむきがちでしたが,何も見ていない,なにごともなかったような様子で歩いていました。

 裏口のドアから1階休憩室に入った場面が記憶に残っていますが,それからすぐに解散になったと思います。一斉の解散でした。なお,1階休憩室の前は休憩室と同じぐらいの空きのスペースで,外はシャッターになっていました。鍵などなく24時間,誰でも出入りができていました。

 シャッターは3枚になっていて,夜や休日は1枚だけ,それも半分ぐらいの高さで開いていました。それも人がいるときで,誰もいないときはシャッターが降りていたと思います。夜中に仕事に来る人もいたようたようなので,夜は降りていなかったかもしれません。