** 「1990年7月27日、差し戻し審となった名古屋高裁で、Aの殺人に関して無罪判決を言い渡した。」という判決の裁判長,山本卓裁判官,さらに平野母子殺害事件との共通点
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最高裁・差し戻し審[編集]
1989年6月22日、最高裁は2審判決を破棄し名古屋高裁に審議を差し戻す。最高裁は、次のように認定した。Cの供述以外にBが関わったと示す直接証拠はない。
犯行に自動車が利用された可能性は高く、人気のない林道で小刀で刺すという点は、BがCに対して襲い掛かった状況と類似していると考えることもできるが、この二つだけではBがAを殺害したという犯行を結び付けることはできない。
Bがよき・小刀・スコップを準備して殺害におよび、よきは洗浄後にスコップと共にDの工場に戻したとされているが、発見されていない。
後部座席から発見された人血の付着していた場所と、Cの供述する血のついた場所は異なっている。
小刀で左わき腹を刺したにも関わらず、Aの衣服から刃物の損傷が見受けられない
よきで殴打すれば激しい骨折が生じるはずだが、頭蓋骨の陥没骨折からは、そのような状況はみられない。
Cの供述が共謀日時などで変異が見られる。
犯行時刻には、殺害現場は暗闇のはずで、Bが犯行後にCの供述するように行動できたとは思えず、CがBの行動を目撃できたとは認められない。
1990年7月27日、差し戻し審となった名古屋高裁で、Aの殺人に関して無罪判決を言い渡した。死刑判決を最高裁が差し戻して、無罪判決が言い渡されたのは仁保事件以来16年ぶりの戦後6件目の出来事だった。Cに対する強盗致死未遂事件に関しては懲役8年の有罪判決を言い渡すも、未決勾留日数が計上されたため、釈放された。参考文献[編集]
渡部保夫『無罪の発見―証拠の分析と判断基準―』(勁草書房、1992年)ISBN 4-326-40150-8
関連項目[編集]
平野母子殺害事件 - 山中事件から21年後、最高裁で戦後7例目の死刑判決の差し戻しが行われ、無罪判決が言い渡される。[source:]山中事件 - Enpedia https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
上記の引用の範囲選択で気がついたのですが,「平野母子殺害事件 - 山中事件から21年後、最高裁で戦後7例目の死刑判決の差し戻しが行われ、無罪判決が言い渡される。」とあります。後藤貞人弁護士で著名な刑事裁判,平野とあるのは大阪市平野区のことでした。
刑事弁護の神様とも見たことのある後藤貞人弁護士は,高野隆弁護士とも並び称され,強い親交があったこともネット上で写真を交えた記事を読んでいます。高野隆弁護士の方が近年,カルロス・ゴーン氏の弁護人などとして一躍,知名度があがり,テレビで見る機会も劇的に増えました。
山中温泉殺人事件と平野母子殺害事件に共通点があったとは意外ですが,今のところ余り詳細な情報には出会えていないものの,平野母子殺害事件は格別に印象深く,宗教的な要素も含めて深く考えさせられる刑事裁判,刑事弁護になります。
平野母子殺害事件 - Google 検索 https://t.co/TIMaBxzvpI
Googleで画像検索をすると,いくつか平野母子殺害事件の被害者親子の顔写真がでてきました。これまでに何度か調べたことのある事件,刑事裁判でしたが,被害者の顔写真を見たのは全く初めてのことです。遺族の強い意向があって写真が出ていないとも考えていました。
なんとなくずっと昔の古い事件と思っていたのですが,2002年4月14日が殺人放火事件の発生日とのことです。山中温泉殺人事件と同じぐらい前で,昭和の時代の事件という感覚でいたのが不思議です。
2010年4月27日、最高裁は審理が尽くされておらず、事実誤認の疑いがあるとして地裁へ破棄差戻した。審理差し戻しの理由は「吸殻が事件当日に採取されたのに茶色に変色していてかなり前に捨てられた可能性がある」、「犯行時間帯に携帯電話の電源を切ったり、動機についてもなぜ被告が犯人だと推認できるのか納得できる説明がなされていない」とした。「被害女性のDNA型に一致するものが検出された場合、携帯灰皿の中身を踊り場の灰皿に捨てた可能性が極めて高くなる」と指摘して煙草の吸い殻72本全てを鑑定するべきだとした。裁判官の1人は「一致すれば無罪を言い渡すべきである」との補足意見を付けた(しかし警察が吸い殻71本を紛失したため、鑑定は不可能となった)。
また、直接証拠がない事件で間接証拠のみで被告を有罪とする場合は従来の基準であった「合理的な疑いを差し込む余地がない程度」から「被告が犯人でないと説明のつかない事実が間接証拠に含まれている必要がある」として検察側により高度な立証が必要と指摘した。死刑判決を受けた事件を最高裁が差し戻すケースは極めて異例で山中事件(差し戻し審で戦後6件目となる死刑求刑事案で無罪確定)以来、21年ぶりだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
[source:]森健充被告【平野母子殺害事件】 - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2142552497811724001
山本卓裁判官に対する誤解にもなったのですが,山中温泉殺人事件の最高裁の差し戻しで,差し戻し審は高裁の本庁が担当するのかと考えていました。勘違いしたのは山本卓裁判官が名古屋高裁金沢支部の裁判長で,その後任が浜田武律裁判長になるのかと考えたことです。
時刻は11時34分です。見出しの内容を追記で変更しました。
名古屋高裁金沢支部の浜田武律裁判長は,平成5年のたぶん10月,私が本件告発事件と事実を同じにする傷害・準強姦被告事件で初公判を受けた裁判長で,一度の公判で姿を見たとしか記憶にないのですが,後任となったのが被告発人小島裕史裁判長でした。
上記の引用部分に「2010年4月27日、最高裁は審理が尽くされておらず、事実誤認の疑いがあるとして地裁へ破棄差戻した。」とあります。再審請求の場合は,地裁と高裁,どちらにも手続きが出来るという話を聞いたことがありました。
それも前の金沢地方裁判所の建物の2階で,名古屋高裁金沢支部の広い部屋で話を聞いたのです。誰なのか余り考えずに話をしていたのですが,その異様に広い部屋の主のような人物でした。今考えると,名古屋高裁金沢支部の裁判長だったのかもしれません。
当時の金沢地方裁判所の建物は,1階が病院のような感じで,実際に玄関付近が昭和58年当時の宇出津病院に似ていました。現在の宇出津病院と場所が同じですが,いつ建て替えがあったのか記憶になく,工事現場も見ていないので,平成4年4月から平成9年1月の間になるのかもしれません。
当時の金沢地方裁判所の建物は,正面玄関から階段を上ったところが広い廊下になっていて,奥にその広い部屋がありました。古い映画に出てくるような趣きで,舞踏会の会場のようでもあったのですが,この広い廊下というのは平成4年当時の金沢西警察署の2階とも共通していました。
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この人たち、信用できない——勉強はできても人間はできてません 顔と名前を全員公開!「おかしな判決」を書いた裁判官はこんなにいる(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(4/7) https://t.co/zPUbkIhsUS だが、再審請求も名古屋高裁の山本卓裁判長は次のような理由で退けている。
— 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 (@hirono_hideki) July 20, 2020
名張事件
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問う 特定秘密保護法案 関連記https://t.co/eKO9ZZZhEg 元裁判官の山本卓さん(88)は国会審議をじっと見守っていた。「西山事件」の名で知られる沖縄密約漏えい事件。東京地裁で行われたその刑事裁判で、山本さんは裁判長を務めた。約40年を経て、再び鋭く問われた秘密と知る権利、国家と市民。
— 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 (@hirono_hideki) July 20, 2020
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山本卓裁判官(3期)の経歴 | 弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)のブログ https://t.co/1sad8LTSeG 退官時の年齢 65 歳
— 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 (@hirono_hideki) July 20, 2020
叙勲 H7年秋・勲二等瑞宝章
H2.7.29 定年退官
S59.4.1 ~ H2.7.28 名古屋高裁1刑部総括
S57.10.1 ~ S59.3.31 金沢地裁所長
奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「山本卓」の検索結果 - Twilog https://t.co/VYKyGUfFnE
生年月日 T14.7.29
出身大学 東大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H7年秋・勲二等瑞宝章
H2.7.29 定年退官
S59.4.1 ~ H2.7.28 名古屋高裁1刑部総括
S57.10.1 ~ S59.3.31 金沢地裁所長[source:]山本卓裁判官(3期)の経歴 | 弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)のブログ https://yamanaka-bengoshi.jp/2019/02/23/yamamoto3-2/
司法修習が3期とありますが,最初にみたとき最も古い期を見たと思いました。大正14年7月生まれとありますが,平成2年7月に退官,退官時の年齢が65歳と見たときは,割と最近の人のように感じました。
山本卓という名前は,どちらもよくありそうな名前の組み合わせですが,最初にみたとき,初めて見る名前だと感じました。実際は,名張事件のことなどで見かけていた可能性はあります。昭和の時代から10年ほど前までは,江川卓という名前をよく見かけていました。
江川卓 - Google 検索 https://t.co/en0ytjvME5
もうずいぶん長くテレビで見かけていないと思い,調べてみたのですが,Googleで1年以内を指定しても,近況と思われる情報は見当たりません。
山本卓裁判官の経歴は,S59.4.1 ~ H2.7.28 名古屋高裁1刑部総括の前が,「S57.10.1 ~ S59.3.31 金沢地裁所長」となっています。数えると1年7ヶ月ということで短くも感じますが,金沢地方裁判所の所長ということで,金沢とは地縁もあったようです。
もともと最高裁の差し戻しで,異なる結果の判決が出たと聞いたことはなかったので,予定調和のつじつまあわせのような判決という印象はあったのですが,かなり明確に強調して無罪とした理由を示していたので,それも意外なことでした。