* 「死刑確定者に対する再審「松山事件」の判決公判で斎藤幸夫・再審被告は無罪を言い渡された=1984年7月、仙台地裁」とある「瀬木比呂志 明治大法科大学院教授」の記事

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:CATEGORIES: 再審,冤罪

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» 斎藤幸夫 死刑 - Google 検索 https://t.co/BHs2yIYYyg

 上記の画像検索で見つけた記事になります。もともと見覚えのない名前で,同姓同名も多そうですが,死刑というキーワードで絞り込みを掛けると,Googleで今までにないほど精度の高い検索結果になりました。

 母親と思われる高齢女性を抱きとめる笑顔の写真が印象的ですが,見たことがあるようなないような不思議なお伽話のような写真になります。その母親と思われる女性もなかなかいないような善人で,優しそうな姿です。

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「斎藤幸夫」の検索結果 - Twilog https://t.co/02yrzhgg8c ツイートが見つかりませんでした

 ここで取り上げる記事も2016年4月6日という日付のあるもので,瀬木比呂志という見覚えのある名前があります。現時点の記憶のみで,確かな自信はないのですが,元裁判官として名前を見てきたような気がします。この名前で本は出しているはずです。


  私が子どものころ、多分小学校中学年くらいのことだったと思うが、当時人気のあった『七人の刑事』というテレビドラマ(TBS)の一話に、こんな話があった。

  「記憶喪失になった男が、ただ、『死刑廃止』のみを訴え続けているため、殺人事件の容疑者ではないかとして捜査が行われる。しかし、実は、男は、死刑の執行に当たる法務省の役人であり、その仕事の重圧から記憶を喪失してしまったことが判明する」というものだ。

  子どものころの記憶だから細部は誤っているかもしれない。しかし、

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(残り:約1123文字/本文:約2097文字)

[source:][6]殺人者に「殺人」という死刑の応答でいいか - 瀬木比呂志|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://webronza.asahi.com/national/articles/2016020200005.html

 瀬木比呂志という人物は,かなり年配というイメージだったのですが,七人の刑事というテレビドラマを小中学生の頃に見たと書いてあります。「七人の侍」という有名な映画がありましたが,その時代から昭和50年代中頃まで「七人の刑事」というテレビドラマはなかったように思います。

» 七人の刑事 - Wikipedia https://t.co/6arW5qsiPX 最初のシリーズは1961年10月4日から1969年4月28日まで放送。

» 七人の刑事 - Wikipedia https://t.co/6arW5qsiPX 1978年4月14日から1979年10月19日まで、新シリーズ(毎週金曜日20:00 - 20:54)を放送。

 もしかすると石川県では放送がなかったのかもしれませんが,調べてみると意外な結果で,見当違いをしていたことになります。「七人の侍」は昭和29年に公開された映画ということも調べて確認しました。

» 瀬木比呂志 - Wikipedia https://t.co/TxKylsT36H 瀬木 比呂志(せぎ ひろし、1954年4月3日[1] - )は、日本の法学者、裁判官。明治大学法科大学院教授。専攻は民事訴訟法。法社会学的な著作も多い。

» 瀬木比呂志 - Wikipedia https://t.co/TxKylsT36H 『絶望の裁判所』講談社現代新書 2014年 ISBN 978-4062882507

 専攻が刑法や刑事訴訟法ではなく,民事訴訟法というのが意外で,別の人物と取り違えているのかと考え始めた矢先,格別に印象に残る「絶望の裁判所」が著作として出てきました。本を紹介した記事は読んでいると思いますが,本の内容は見ていないかもしれません。

 1954年4月3日生まれとあるので,1964年11月26日生まれの私のちょうど10歳年上,学年も10上になります。10年というのはちょうど時代の節目や区切りとなるものです。

 あとでこの「絶望の裁判所」という本についても調べておきたいと思いますが,(残り:約1123文字/本文:約2097文字)の公開部分に,松山事件の内容の記述はなく,それでもこの1枚ということで松山事件の元死刑囚と母親が抱き合って喜ぶ写真には,強い思い入れを感じました。

 この写真のある記事を読んでいれば,私の習慣として間違いなくツイートをしていたと思います。しかし,よく考えてみると,斎藤幸夫という名前を含むツイートはしていなかっただけなのかもしれません。その辺りも含め再度,Twilogを検索してみます。

 なお,瀬木比呂志氏は,この松山事件の写真を掲載した記事で「平安時代には、嵯峨天皇が818年に盗犯に対する死刑を停止して以来、」という話をしていますが,これは大崎事件の昨年6月の最高裁決定を批判した海渡雄一弁護士のFacebookの記事でも,似たような歴史を紐解く話がありました。

〈〈〈:Linux Emacs: 2020-07-06(月曜日)18:30  〈〈〈