#告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(13)

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- 1741:2022-05-06_08:28:34 #告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(11)https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2022/05/06/082830

- 1742:2022-05-06_09:33:26 #告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(12)https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2022/05/06/093322

 上記の(11)と(12)のエントリでは、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の「現実の警察の捜査能力」にも言及した一連のツイートを掲載しました。個々にコメントする時間はないですが、ざっと目を通し参考にしていただければと思います。

 はっきりした記憶ではないですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の検事としての経験は10年か11年、最後は岐阜地検の三席検事という経歴になっていたかと思います。

 まだ、タブでページが開いたままになっていましたが、数日前に検索で調べたもので、これまでに何度か探して読み直しているのですが、2004年3月4日という古い記事になります。


<山形マット死事件>「捜査は不十分だった」 検事が心情明かす


 山形県新庄市立明倫中学校のマット死事件(93年1月)で、当時、山形地検で主任検察官として捜査にかかわった矢部善朗弁護士(48)=京都弁護士会所属=が取材に応じ「取り調べ時間が10日しかなく、捜査は到底十分とは言えなかった」と初めて心情を明かした。逮捕・補導された7少年が事件に関与したか否かの判断は、少年審判とその抗告審で割れ、捜査の不備や少年審判の事実認定の不安定さが指摘されていた。

 矢部さんによると、7少年(当時14~12歳)のうち、逮捕・送検された14歳の3人を取り調べた。3人とも警察で容疑を認めていたが、10日間の身柄拘束中、1人は否認に転じるなど供述に食い違いが生じた。矢部さんは10日間の延長を望んだが、少年の保護・育成の観点から地検内で同意を得られなかったという。

 矢部さんは「(嫌疑をかけられた少年が)7人おり、否認もいた。成人なら10日間なんてあり得ない。20日間取り調べられなかったことが最後まで尾を引いている」と語った。だが一方で、その後の追加捜査が抗告審で「7人全員関与」の判断を導いたとの考えも示した。【山根真紀】

毎日新聞)[3月4日6時37分更新]

- <山形マット死事件>「捜査は不十分だった」 検事が心情明かす(毎日新聞)[3月4日6時37分更新] まさちゃんhttp://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/819.html

 少し思い出したのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の現在の年齢を確認しておきたいと考えて調べたページでした。2004年の時点で48歳とあります。18年前になるかと思うので、単純に加算すると66歳になるかと思います。

 前回のエントリでも取り上げた次の文春オンラインの記事ですが、5月2日の日付があります。今日は6日なので4日前です。

- 〈江東マンション神隠し事件〉「私のセックスで依存していただいて…」“二つ先の部屋”の隣人が23歳の女性をバラバラに“解体”した理由 | 文春オンラインhttps://bunshun.jp/articles/-/53626?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=onlinePublished

 2008年の「江東マンション神隠し殺人事件」が4日前の記事になっていますが、こういう古い事件の記事は、最近ちょくちょくと見かけるようになりました。メモをかねて言及しておきたいこともあるのですが、時間を使うので控えています。

 昨夜も、被告発人大網健二の父親の美川2少年殺人事件について考えていたのですが、これは平成6年10月に現実に起こった事件であり、本件刑事告発・非常上告事件と関わりがあるだけではなく、逆に傷害・準強姦被告事件がきっかけで発生した事件の可能性も吟味しておく必要があります。

 今、特に気になっているのは第二の殺人の現場になったという北陸自動車道の尼御前サービスエリアです。人目に触れやすく犯行が発覚する可能性が高いと考えていたのですが、昨夜は、被害者を油断させるのが目的であれば、よく練られた選択場所にも思えてきました。

 2人殺害して無期懲役になっていますが、一審の無期懲役の判決が金沢地方裁判所の石山容示裁判長で出たのが平成8年5月15日でした。当時なら無期懲役の仮釈放の相場は懲役15年あるいはそれより少ないと考えるのが、一般的な相場感覚になっていたように思います。

 記憶が薄れ、確認が必要ですが、検察は死刑を求刑するのに強盗殺人としていたように思います。借金返済を免れるための強盗殺人というのは司法試験の勉強に出てくる設問で、実際の判例でも50万円が一つの目安とされていたように思います。

 私は前にも図書館の北國新聞縮小版で、被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺人事件について調べていたのですが、死刑の求刑から判決という流れは、一昨日の5月4日に初めて読んだように思います。石山容示裁判長と松浦由記夫次席検事という意外な発見があったからです。

 裁判官とは異なり、検事の移動の履歴というのはまとまった情報がないのですが、少なくとも私が傷害・準強姦被告事件で控訴審判決を受けた平成5年9月7日の時点で、松浦由記夫検事は、名古屋高検金沢支部の検事で、私の事件の担当でした。能登町出身という情報見つけています。

 石川県では10年に一度と言っても過言ではない大事件と思われるのが被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺人事件です。凶悪な犯罪というのは他にもありましたが、殺人の被害者が2名というのも珍しく、美川町の公園という人目につく場所に遺体を放置したとのことです。

 新聞は読まない方ですが、連日のように記事にされた事件は珍しかったと思います。それなりの情報量にはなりますが、逆に読めば読むほど、疑問が出てきて判断をするための資料として決定的な物足りなさを感じました。

 検察側として「人間の仕業とは思えない重大かつ凶悪な犯行であり、情状酌量の余地はなく、極刑をもって臨むほかない。」と平成8年1月17日の北國新聞の記事にはあり、論告求刑公判が17日に開かれたとあります。

 すでに少し言葉を紹介済みの石山容示裁判長の判決は、被告や水谷章弁護士の主張をベースにしたもので借金41万円の返済被害者に強く求められたことに窮し、被害者の言動に憤激して衝動的にやってしまった殺人事件というような事実認定でした。

 被害者が一人でも死刑判決が確定し、死刑が執行されている事件もあったと思いますが、この殺人事件の被害者の数というのも死刑判決で重要な要素とされていました。

 そういえば宇出津中央図書館の北國新聞縮小版で、真昼に幻をみるような気分になった発見がありました。最近は見かけないものの長年、死刑判決の基準として度々、弁護士の引き合いに出されてきた永山事件の死刑囚の顔写真を記事に見たことです。

- 永山則夫 - Wikipediahttps://t.co/nGGeYEwSIa 翌1969年(昭和44年)に逮捕された。一連の連続殺人を含む事件(警察庁広域重要指定108号事件)では殺人罪や強盗殺人罪・銃刀法違反などの罪に問われ、1990年(平成2年)に最高裁判所で死刑が確定。1997年8月1日に東京拘置所で死刑を執行された。

- 永山則夫 - Wikipediahttps://t.co/nGGeYEwSIa 永山の国選弁護人・遠藤誠は同年4月23日に「判決訂正の申立書」を最高裁第三小法廷宛てに郵送したが、同年5月8日付で同小法廷(坂上壽夫裁判長)で申し立てを棄却する[92]決定が出され、同決定は翌日(1990年5月9日)に被告人・永山へ通達された[93]。

 北國新聞縮小版は、「県内(犯罪)」、「県内(裁判)」という索引の項目を中心に調べていて、他の事件で開いたページで、たまたま見つけたいたのだと思いますが、死刑判決が確定する前の記事だったと思います。逮捕から21年での死刑の確定ともWikipediaにはあります。

 もっとずっと昔の事件のことと言う思い込みがあったので、平成2年の新聞記事にまだ裁判が継続中の事件としてみた時は驚きでした。

 平成2年5月9日の死刑判決の確定で、平成9年8月1日の死刑執行とあります。

 Wikipediaのページを「再審」でページ内検索したところ該当は1箇所で、「そして拘置所内部で関係幹部を集めて会議を行った結果、『心身ともに健康で、再審請求の新たな動きはない』(=刑の執行ができない特段の事情なし)として報告された。」とありました。

 昭和40年代の連合赤軍の時代より昔の人というイメージが強かったので、平成9年8月1日の死刑執行まで生存していたというのも不思議に思え、死刑制度の批判で度々名前を見てきたこともありますが、弁護士に伝説的にまつりあげられた人物して、虚像と実像の乖離が大きくなったいたことに気が付きました。

 昭和40年代の連合赤軍の時代より昔の人というイメージが強かったので、平成9年8月1日の死刑執行まで生存していたというのも不思議に思え、死刑制度の批判で度々名前を見てきたこともありますが、弁護士に伝説的にまつりあげられた人物して、虚像と実像の乖離が大きくなったいたことに気が付きました。

- 永山則夫連続射殺事件 - Wikipediahttps://t.co/XgLF0NCId7 \n 第2の事件(京都事件) - 京都府京都市東山区祇園町北側625番地(八坂神社境内)

 事実関係は争われなかったという印象があった一方で、死刑は不可避という被害者の数と記憶にあったので、被害者の数を開こうとリンクの前のページに戻ったところ、第2の事件が八坂神社で、それも京都の八坂神社のようなので驚きました。

- 永山則夫連続射殺事件 - Wikipediahttps://t.co/qHvgpSKJNB \n 逮捕される危険を感じたことに加え、まだ訪れたことのない京都を観光するためにも京都へ逃亡したが、1968年10月14日未明に八坂神社(京都府京都市東山区祇園町北側625番地)で神社警備員の男性B(事件当時69歳)を射殺した[2](第2の殺人

 八坂神社が犯行場所として選ばれたわけではなく、「永山は市内見物をしたり映画を観たりして遊び、同日夜には市内を徘徊していたところで[注 10]八坂神社へ出たため「神社の境内で野宿しよう」と考え、山門から境内に入った[2]。」とあるので、衝動的ななりゆきだったようです。

 「隠し持っていた拳銃を取り出して被害者Bの顔面・頭部を計4回狙撃した[2]。弾丸は4発とも被害者Bの頭部・顔面に命中」とあるので、手にした拳銃の引金を引けば、犯行自体は容易だったのでしょう。すでに射殺事件を東京で起こし逃亡中の身で、心理的な抵抗も少なそうです。

 被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺人事件の場合は、第一の殺人の犯行が、自宅近くの路上に止めた車内で、第二の殺人の犯行が翌未明、北陸自動車道の尼御前サービスエリアと論告求刑か判決にありました。

 事件の発生から逮捕されるまでの北國新聞縮小版の記事は、平成9年の春先頃に読み、その後も単発では記事を読んだことがあり、たぶん昨年になると思いますが、被害社宅の縁の下の放火事件を確認するため、その辺りを中心に図書館で調べたということがありました。

 逮捕前後の北國新聞の記事では、被告発人大網健二の父親の自宅の住所が、金沢市入江で、被害者の住まいがアパートになっていたと思いますが、金沢市内ではけっこう離れた場所になる金沢市東山になっていたという記憶です。

 そういえば、一昨日に図書館で読んだ記事の中に、美川2少年殺人事件を捜査した警察署の名前があり、1つは松任警察署で、もう1つは忘れましたが、金沢中警察署ではなかったと思います。

 遺体が放置された発見現場が当時の石川郡美川町だったので、現在は美川町と同じ白山市になっている松任市にあった松任警察署の管轄というのは当然にも思えますが、なぜか私は長い間、金沢中警察署の取り調べや留置と思い込んでいたようです。

 同一の機会に2人以上殺害してしまうという殺人事件は、割とある形態と思われます。すぐに思い浮かんだのが石巻市の殺人事件で、少年事件でありながら死刑判決が確定していたようにも思えます。これは調べるとすぐに情報が見つかる事件と思います。

- 石巻3人殺傷、再審認めず 元少年死刑囚の請求棄却―最高裁時事ドットコムhttps://t.co/RXtaYvrPIi 2021年10月13日17時47分

- 石巻3人殺傷、再審認めず 元少年死刑囚の請求棄却―最高裁時事ドットコムhttps://t.co/RXtaYvrPIi 宮城県石巻市で2010年、元交際相手の少女の姉ら2人を殺害、1人に重傷を負わせたなどとして、殺人などの罪で死刑が確定した当時18歳

- 石巻3人殺傷、再審認めず 元少年死刑囚の請求棄却―最高裁時事ドットコムhttps://t.co/RXtaYvrPIi 交際相手の少女に繰り返し暴行。実家に戻った少女を連れ出すため侵入し、止めようとした少女の姉=当時(20)=や居合わせた友人=同(18)=を牛刀で刺殺し、姉の知人男性にも重傷を負わせた。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件https://t.co/D8W4NDQfwF そしてA子さんを車で連れ去ったが、約6時間後、あえなく警察に捕まったのだった。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件https://t.co/D8W4NDQfwF 裁判の認定によると、祐太郎とA子さんはそれ以前、一緒に暮らした時期があり、2人の間には生後4カ月の娘もいたが、A子さんは祐太郎から激しい暴力を受けており、別れを決意して実家

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 精神科医は犯行時の祐太郎について、「警察に通報されるという予想外の事態が起き、自律神経症状と記憶欠損を伴う系列の暴力が生じたと考えられる」と結論。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n また、臨床心理士によると、祐太郎は犯行時、自分が自分であるという感覚が失われる「解離性障害」に陥っていたという。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 犯行の悪質さについては、捜査機関により話を盛られているのではないか・・・。筆者は取材を重ねるほどにその思いが強まり、複雑な気持ちにさせられたのだった

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 祐太郎が死刑囚として収容されている仙台拘置支所

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 祐太郎が何より楽しそうにしていたのが「東京の話」をしていた時だった。A子さんが妊娠した際、周囲に出産を反対され、2人で東京に駆け落ちしたのが懐かしい思

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 最高裁に提出した上申書には、事実関係の主張のみを書き連ね、被害者への謝罪や反省の思いを一切書いていないのだが、それも祐太郎のこだわりだ。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(2ページ目)https://t.co/p5jwjhqdYU \n 祐太郎いわく、「謝罪や反省の思いは被害者や遺族に伝えることで、裁判所に伝えることじゃないと思うんです」とのことだが、

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(3ページ目)https://t.co/4AGUc4tpau \n 実は裁判では、A子さんのほうからも祐太郎に対し、殴る蹴るの暴力をふるっていたことが明らかになっている。

- 【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件ートカナ(3ページ目)https://t.co/4AGUc4tpau \n 2人はいわゆる「共依存」の関係だったようなのだが、一般の人間には理解しがたい特異な人間関係の中で起きた事件だったとも言えるかもしれない。

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