#告発状 被告発人岡田進弁護士/傷害・準強姦被告事件 平成4年6月30日公判調書の疑問点、山田徹裁判官の質問

告発の事実/ 被告発人らの関与と役割及び具体的犯罪事実/被告発人岡田進弁護士/傷害・準強姦被告事件 平成4年6月30日公判調書の疑問点、山田徹裁判官の質問

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- 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: 2021年07月23日の記録:写真資料:平成4年傷害・準強姦被告事件 金沢地方裁判所 公判の写真記録資料一覧(国選弁護人・被告発人岡田進弁護士) H04-06-30_公判調書_金沢地方裁判所_05.jpghttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/07/202107234.html#34

 上記の写真の5枚目から山田徹裁判官の質問となっています。けっこう厳しい調子で質問を受けているようですが、そういう印象はほとんど残っていませんでした。いくらか厳しい対応があったように記憶にあったのは三宅俊一郎裁判長ぐらいでした。

 正式な記録として残っているのが、この公判調書で、これは縮小版による斐川雅文弁護士の差し入れがなかったように思います。斐川雅文弁護士から郵送された書面は全てが縮小版だったはずです。供述調書の方は一通り揃っていたと思いますが、公判調書はやはりなかったように思います。

 公判調書の最初の入手と考えられるのが平成6年11月になります。2年以上経過しているので、その時点でも正確に当否を吟味するには無理があったのかもしれません。他に気になることが沢山あり、自分の中で優先順位は低かったので、ざっと目を通すぐらいで深くは考えなかったとも思います。

 この山田徹裁判官の質問として大網武久商会が出てきますが、改めて読むと前とは違った印象を受けました。

- 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: 2021年07月23日の記録:写真資料:平成4年傷害・準強姦被告事件 金沢地方裁判所 公判の写真記録資料一覧(国選弁護人・被告発人岡田進弁護士) H04-06-30_公判調書_金沢地方裁判所_08.jpghttps://kk2020-09.blogspot.com/2021/07/202107234.html#37

 「あなたは、以前、大網武久商会に働いていたとき給料が貰えなくて辞めたことがあるそうですが、どういうことで給料が貰えなかったのですか。」という質問で、私が、「会社が潰れて給料が貰えなかったのです。」と答えたことになっています。

 たぶん、供述調書の身上経歴として大網武久商会が出たのだと思うのですが、昭和56年、11月26日に17歳になる前の16歳の秋のことです。

 突然の質問に大網武久商会が出てきて驚いたのですが、しばらくあとになって、身柄引受人として頼める見込みがあるという話だったのかと考え、ずっと弁護人の被告発人岡田進弁護士の質問として記憶に残っていたように思います。

 この大網武久商会というのは被告発人大網健二兄弟のおじさんになります。宇出津の下岩屋という町内の3階建てのビルでコーキングの仕事をしていたのですが、給料が支払えないと言われた後も、潰れたという話は聞いておらず、夫婦でほそぼそと仕事をやっているものと思っていたように思います。

 後になって、金沢市の近くの河北郡内灘町に引っ越し、そちらでコーキングの防水工事の仕事をやっていると聞いたのですが、聞いたのは平成9年のことかと思います。PTAだったのか学校の行事に熱心に取り組み、経営が傾いたとは聞いていました。

 給料は払えないと言われたのですが、奥能登の各地に仕事が沢山ある様子でした。あちこちの現場に仕事に行っていたからです。ただ、神野の若者が待遇に強い不満を持ち、はっきりしたことは憶えていないですが、腹いせに手抜き工事をしたなどとトラブルになっていました。

 大網武久商会で仕事をしたと言っても、昭和56年の9月の20日過ぎに、8月28日から26日間いた金沢少年鑑別所を出た後のことで、長くて一月半、短くて一月ほどのことだったと思います。11月の後半には金沢に遊びに出ていました。

 この大網武久商会で給料がもらえなかったことで、家庭裁判所の調査官の同情を得たのか有利に働き、試験観察が不処分で終わったということは、けっこう大きかったように思います。

 山田徹裁判官は、傍聴席から向かって裁判長の左側に座っていました。最近になって右陪席の情報を見かけ、判決書を書いていた可能性があるとも思えてきました。裁判長の右側の川口泰司裁判官の方が格上だと思っていたのですが、もともと単独の裁判官で決まっていたことが大きいです。

 今回読み直すと、川口泰司裁判官と三宅俊一郎裁判長の質問が、ずいぶんと簡潔で短いものだったと感じたのですが、三宅俊一郎裁判長の電話での「殺せ」という質問は、特に強く記憶に残っていました。金沢西警察署の供述調書を前提にしているのかと思いますが、余りに簡単すぎます。

 懲役4年という江村正之検察官の求刑自体が、現在の相場ではあり得ないほど軽いものと思われますが、刑事裁判の流れに逆らうことは出来ず、できる範囲で流れに任せたのが、まだましな結果となったのかもしれません。腫れ物に触りすぎないように穏便に済ませたのが実情だったのかもしれませんが。

 この金沢地方裁判所での一審に、被害者安藤文さんの家族の姿はありませんでした。控訴審では姿を見せたのですが、平成5年9月7日の判決公判のときは姿がありませんでした。法廷で決められた期日ではなかったので、知らなかったという可能性はありそうです。

 谷内孝志警部補の供述調書も10年ほど前に写真撮影し、一部マスキングをしてネットで公開したものがそのままになっていると思います。気がついたのは平成19年辺りかもしれないですが、金沢西警察署で作成された供述調書が全て提出されたわけではなさそうでした。

 ずいぶん簡単に出た懲役4年の判決だと、最近になってしみじみ思うようになりましたが、これが刑事裁判では普通だったのかとも思います。

〈〈〈 2021/07/23 16:20:32 Linux Emacs: 〈〈〈