#弁護士鉄道遊郭編 #告発状202103 #### 3月3日の小夜衣からデジカメと斐川雅文弁護士の上告趣意書,深澤諭史弁護士らの成仏理論から弱者救済,お小夜塚(14)

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 時刻は12時10分です。5分程前ご飯が炊けたのですが,久しぶりの混ぜご飯になります。それも多分,初めて食べる商品で「深川めし」になります。昨日もAコープ能都店で安売りになっているのを見つけ1つ買ってきたのですが,その前にも1つ買ったものがありました。

 レトルトの混ぜご飯は,3合炊きで量が多すぎるというのもめったに食べない理由だったのですが,今回は初めて,説明書き通りに大さじ一杯半の調味液を抜き出しました。

 時刻は12時55分です。昼食の後,深澤諭史弁護士のタイムラインを見ていたのですが,これは目に余ると思ったのが次のツイートになります。引用ツイートがあって,それも深澤諭史弁護士本人のツイートで,ハーモニーを奏でているようです。


> (;・∀・)刑事訴訟法って法律がありましてね・・・・。 https://t.co/pCUUnTfIxF


> 「人質司法」の誤解アピール 法務省、ゴーン事件受け世界へ動画発信 https://t.co/IOiffMhPqy @Sankei_newsより
> 「川出(かわいで)敏裕東大教授は、弁護人の立ち会いが容疑者の更生可能性や謝罪の意思を阻害する可能性もあると指摘した。」

 一方で,物事や問題性をわかりやすく示してくれるのも深澤諭史弁護士のありがたみ,弁護士神社のご本尊にみえることが度々です。


「第14回国連犯罪防止刑事司法会議」(京都コングレス)が7日、京都市国立京都国際会館で始まった。レバノンに逃亡した日産自動車元会長、カルロス・ゴーン被告の事件では、欧米を中心に日本の刑事司法制度に対する批判が起きたことから、法務省は国際会議の場を利用して日本の状況を理解してもらおうと、日米の法学者による対談動画を制作。会場や専用サイトで発信し、「人質司法」などの国際的な批判が「誤解」に基づくものだと訴えている。

 京都コングレスが始まったというのは,昨日知って驚いたのですが,昨年中から今年(2021年)に開かれるという情報はちらほらと見かけていました。その時点で3月中というのも見ていたのかもしれないですが,ここ最近は京都コングレスを見かけておらず,不意打ちのようなニュースでした。

 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)のアカウントのTwilogだけ更新し,京都コングレスを検索して記事に投稿しました。4月20日からというのが見えました。

2020-02-10 08:48:05 "日本弁護士連合会:第14回国連犯罪防止刑事司法会議京都コングレスに参加しよう2020年4月20日(月)~4月27日(月) https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/congress.html " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1226654028219604995

 よく見ると,昨年2020年の4月20日から4月27日の開催とあります。2月10日は他にも1件のツイートがありますが,次に京都コングレスが出てくるツイートは,2020年11月27日となっています。これは新型コロナウイルスで延期になっていた可能性がありそうです。

2020-11-27 23:50:35 "2020-11-27-234857_来年開催予定の第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)で「日本がしっかりとこの問題に向き合っていることを(国際社会に)堂々と発表で.jpg http://pic.twitter.com/oHGlRvwMtI " https://twitter.com/s_hirono/status/1332336018582761473

2021-01-01 01:00:01 "- 2020年12月31日20時50分の登録: \喜久山大貴 @kikuyamahiroki\京都コングレスと東京オリンピックがあるため2020年を避けた説があるが、それぞれ来年に延期されどうなるか。2020年、9年ぶ http://kk2020-09.blogspot.com/2020/12/kikuyamahiroki202020209.html " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1344674680452464641

2021-03-07 19:07:58 "2021-03-07_19:05 奉納\#危険生物・弁護士脳汚染除去装置\#金沢地方検察庁御中_2020: \田丁木寸 @matimura\京都コングレスでは、是非、日本の人質司法を世界の目から評価するというのをやってほしい。捜査段階での身柄拘束と保釈制度、取り調べ受忍義務、黙 https://kk2020-09.blogspot.com/2021/03/matimura_7.html " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1368503685249073153

 喜久山大貴弁護士のツイートは,「2020年、9年ぶ」で途切れたタイトルとなっているので,続きをリンクで開いて確認したのですが,死刑執行のことでした。1月1日の記録となっていますが,次に京都コングレスが出るのは,やはり昨日の3月7日でした。

 深澤諭史弁護士のタイムラインで見たようにも思いますが,町村泰貴教授のツイートでした。だいぶん前からプロフィールの名前が,田丁木寸となっています。今になって気がついたのですが,漢字四文字で漢字二文字の「町村」に見えます。トリックに気づかずにいたような感じです。

 田 丁 木 寸と一文字ずつみると,耶律楚材のような中国史の異民族の人物の名前を想像していたのですが,田氏というのも,中国の斉という国で大きな力をもった一族と,同じく官本で読んでいました。

  • 田斉 - Wikipedia https://t.co/ZJajfjyolD \n 田斉(でんせい)は、中国の戦国時代、紀元前386年に田氏が姜姓呂氏の斉(姜斉または呂斉)を滅ぼして新たに立てた国。国号は単に斉であるが、西周春秋時代の姜斉と特に区別する場合に媯斉または田斉と呼ばれる。戦国時代中期には、湣王の頃に東帝を称す

 田氏も漢民族で異民族にはならないものと思いますが,たしか中国の東北部のあたりで,朝鮮族などの異民族も近くにいたようです。「太公の2代後、子の桓公は臨淄に稷下学宮を開き、各国の賢人を招き入れた。」ともありますが,稷下のなんとかという言葉がありました。

 確認のため調べてみると,私に思い違いがありました。斉の国があったのは山東半島付近で,これが中華の北限とも思っていたのですが,北に燕国が見えます。国名に見覚えはあったのですが,東南アジアに近い南の国というイメージがありました。

  • 燕 (春秋) - Wikipedia https://t.co/mcNWXTwudk 燕(えん、紀元前1100年頃 - 紀元前222年)は、中国に周代・春秋時代・戦国時代にわたって存在した国。春秋十二列国の一つ、また戦国七雄の一つ。河北省北部、現在の北京を中心とする土地を支配した。首都は薊(けい)で、現在の北京にあたる。

 中国の春秋戦国時代では最も見かけることの少ない話題性の少ない国と思っていたのですが,現在の北京が首都であったと知りました。やはりこの燕が中国の北限だったようですが,中国の東北部はほとんどが古くから異民族の支配地だったことになりそうです。匈奴になるのか。

 官本で読んでいた稷下の学士ですが,モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の「元検弁護士のつぶやき」というブログを見た頃は,まさにそんな感じで,モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)はまさに主宰者でした。

2015-04-01 00:20:05 "モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のブログを読むようになってしばらくすると、その弘前支部で検事をやっていた頃の思い出話を書いていて、それと山形のマットでの少年の死亡事件の担当をやっていたという記事も見て、より注目するようになったという経緯もありました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/582925340013563905


<山形マット死事件>「捜査は不十分だった」 検事が心情明かす


 山形県新庄市立明倫中学校のマット死事件(93年1月)で、当時、山形地検で主任検察官として捜査にかかわった矢部善朗弁護士(48)=京都弁護士会所属=が取材に応じ「取り調べ時間が10日しかなく、捜査は到底十分とは言えなかった」と初めて心情を明かした。逮捕・補導された7少年が事件に関与したか否かの判断は、少年審判とその抗告審で割れ、捜査の不備や少年審判の事実認定の不安定さが指摘されていた。

 矢部さんによると、7少年(当時14~12歳)のうち、逮捕・送検された14歳の3人を取り調べた。3人とも警察で容疑を認めていたが、10日間の身柄拘束中、1人は否認に転じるなど供述に食い違いが生じた。矢部さんは10日間の延長を望んだが、少年の保護・育成の観点から地検内で同意を得られなかったという。

 矢部さんは「(嫌疑をかけられた少年が)7人おり、否認もいた。成人なら10日間なんてあり得ない。20日間取り調べられなかったことが最後まで尾を引いている」と語った。だが一方で、その後の追加捜査が抗告審で「7人全員関与」の判断を導いたとの考えも示した。【山根真紀】

毎日新聞)[3月4日6時37分更新]

 今もそのまま残っているようですが,2004年3が4日08時37分18秒が投稿日時のようです。

 「矢部さんは10日間の延長を望んだが、少年の保護・育成の観点から地検内で同意を得られなかったという。」とありますが,延長の必要性があるなら説明するのが主任検事のやることだと思いますし,延長に不同意が出たというのもずっと疑問でした。

 山形マット死事件で本が出ていたのも初めて知ったように思うのですが,それも「迷宮の構図」という副題がついています。山形マット死事件については,これまでにけっこうGoogle検索をしていると思いますが,これは見たことがないと思います。

(py37_env) ➜  twilog hatena-log-search 迷宮
./20060817: その殺人事件は、公訴時効はまだかと思いますが、ほぼ迷宮入りの事件で、ジョンベネちゃんの事件同様、父親であったか家族に犯人の嫌疑が浮上し、マスコミまでは取り上げていなかったようですが、世間では割と行き渡った情報でもあったようです。
./20090412: 迷宮入りの重大事件も少なくない中で、難事件に正面から取り組み、本腰を入れた警察、検察という評価も出来そうですが、えん罪であったとすれば本当に恐ろしい話です。
./20090412: 被害者の母親のことを思い出しますが、格別な思い入れから娘の写真など多数をマスコミに提供されたとのことです。そういうこともありとりわけ印象に残る事件の一つでした。仮に取り調べが中止され、未解決のまま迷宮いるするようなことがあれば、見放され、見捨てられた気持ちにもなるでしょう。かといって、でたらめな取り調べが正当化されるはずもありませんが、被疑者も必死であるから真相を聞き出すにも一筋縄ではいかないことでしょう。
./20090525:テリアスな事件として迷宮入りさせてしまったということにもなりそうです。

 「twilog-serch 迷宮|grep 構図」の結果はありませんでした。けっこう数はありそうなのでブログ投稿します。

2013-11-18 15:20:52 "お昼の傑作ワイド 新・京都迷宮案内4 ♯3&♯4 2013年11月18日(月) 15時00分~16時50分 の放送内容 Gコード: カレンダーに登録地域設定 現在放送中です。... http://fb.me/1ajoBZtQE " https://twitter.com/hirono_hideki/status/402320481455312896

2015-02-16 13:55:58 "新、京都迷宮案内のオープニングうたってる倉木麻衣の曲なんついうんですか - Yahoo!知恵袋 http://ow.ly/J6sYq 倉木麻衣 (Mai Kuraki) - Season of Love ←この曲が番組の雰囲気とも合っていてとてもよかった。再放送で見た。 " https://twitter.com/hirono_hideki/status/567185596821815296

 「新・京都迷宮案内」と新が付くことは記憶になかったですが,昼の再放送で初めて知った番組で,何作か視聴したと思います。個性的な情感というか雰囲気の漂う作品で,オープニングの倉木麻衣の曲が印象的でした。

 羽咋市にいた頃,CDを車の中でよく聴いていた曲です。その後,PVというプロモーションビデオをYouTubeで視聴するようになったのですが,2年ほど前になるのか探したところ,視聴が出来なかったか,中国語のいくらか違ったものになっていたように思います。

 韓国のハングル文字になるのかと思ったのですが,よく見ると卡子の上の字と拉麺の上の字のようです。演奏だけのカラオケとなっていました。画質もよくないですが,動画の内容はPVというプロモーションビデオと同一と思われます。

 再生4時24分辺りに幼い少女が大粒の涙を落とし,それを受け止めるという場面があります。その前にも世界的な貧困や飢餓に苦しむ子度たちの姿を映す出す映像が流れています。

 先月の26日になるのか次の月曜日が3月1日になるので宇出津新港の職業安定所に行ったのですが,そのあとにホームセンタームサシ能登店に入ったタイミングで,倉木麻衣の「secret of my heart」が流れていました。曲を聴いたのも数年ぶりでしたが,不思議に思う巡り合わせでした。

 倉木麻衣の「secret of my heart」も金沢刑務所の受刑中に聴いていたように思います。デビュー曲になるのか歌詞の一部が「おつむ」に聞こえる曲の方が金沢刑務所で聴いたとはっきり記憶にあります。

 公式なYouTubeアカウントのようですが再生時間が1分40秒です。

 そういえばと思いだしたのですが,倉木麻衣の楽曲は,いくつかテレビアニメの名探偵コナンのテーマ曲になっていました。名探偵コナンは月曜日の夜7時の放送であったのか,同じ時間には東京フレンドパークもあったように思うのですが,福井刑務所の自主チャンネルでテレビ視聴していました。

 加工されたクオリティの高い映像が出てきて,投稿者のアカウントをみると先ほどと同じで公式サイトになるようです。曲の4分の1を過ぎた辺りかで,思い出したのが,「おつむ」とは別に,「なまはげ」と聴こえる歌詞の部分です。

 1999年と言えば平成11年ですが,12月8日だと私は金沢刑務所の拘置所にいたことになります。金沢刑務所と福井刑務所は,再犯刑務所と初犯刑務所という違いもありますが,前者は音楽が流れることが多くニュースが少ない,福井刑務所の方はテレビでもラジオでも割合,ニュースが多くありました。

 倉木麻衣の曲は,平成13年11月の初めに第5工場に配役されてから3階建ての建物の3階の奥から2番目の独居房に入り,そこで免業日の日にラジオで聴くようになったように思います。

 福井刑務所では北寮の独居房でも2,3度,転房があったように思うのですが,金沢刑務所ではずっと同じ独居房だったと思います。突き当りは,仮釈放受刑者の寮になっていました。金沢市場輸送で一緒だった人物ともそこで,短いですが言葉を交わしています。

 当然ながらここで名前を出すことも出来ませんが,特定を推定されるような情報も控えておきたいと思います。金沢地方検察庁金沢地方裁判所に提出した書面には書いていますが,他にも私が知り合った受刑者と3人で同時に仮釈放となったようです。

 そういえば,昨日の夕方,図書館を出た後,近くのAコープ能都店に入ったところ,ずいぶん久しぶりに思ったのですが,宇出津港産のイワシを見かけました。しばらく前も同じAコープ能都店で同じイワシのパック入りを見かけたのですが,その時は岩手県産となっていたように思います。

 先日,遠島山公園に行った日も,バイクがガス欠寸前だったということもあり,ガソリンスタンドに行ってからAコープ能都店に買い物に行ったのですが,トビウオの刺し身を見かけこの時期に珍しいと思ったのですが,よく見ると宮崎県産となっていました。

 その時は一緒に,宇出津港産のメジマグロの刺し身を見かけ,398円と値段も安かったことから買ってきたのですが,このメジというマグロの幼魚もトビウオも,小さい頃の思い出があり,それを思い出していた矢先のことでした。

 毎日,スーパーに行って魚を見ているわけではないので正確なことはわからないですが,メジマグロの刺し身というのも見かけることが少なく,値段が高かったように思います。地元ではより小さいマグロの幼魚をシビコと呼びますが,刺し身では見かけた記憶がありません。

 シビコはどんたく宇出津店で一本売りを見る時期がありましたが,値段も高かったように思います。2キロ以下か未満か2キロなのかもはっきり覚えていないですが,資源保護のため魚市場にはおろせないという話を聞いています。

 宇出津の港から漁船で沖に出た一度だけの記憶ともなっているのですが,たぶん小学生の低学年の頃,京都の親戚と父親の兄の船に乗り釣りに行きました。メジという言葉が何度も聞こえて覚えたのですが,本命だったメジマグロは釣れなかったように思います。

 そのとき釣れた魚としては大型のシイラが記憶にあるのですが,沖の水面をトビウオが海面を飛び出しながら泳いでいるのを見たような記憶があります。宇出津のスーパーでトビウオを見かけるのは毎年6月頃で,長くて一月ぐらいの間と思います。

 母親はいつもトビウオですり鉢を使い,だんご汁を作っていたのですが,宇出津のスーパーでトビウオのすり身というのは見たことがなく,ずっと不思議に思います。よく見かけるのはメギスのすり身ですが,イワシやアジもすり身でだんご汁にはなるはずです。

 以前は,釣ってきたアジで自分でだんご汁を作って食べたのですが,今はどこでも釣れるようなアジも,子供の頃は釣れたことのない魚でした。

 アジとサバを釣ったと記憶にあるのは中学生の頃で,現在,シメノドラッグのドラッグストアがある辺りになると思いますが,そこに干物工場があって,処理した骨や内臓を前の海に捨てていました。その場所で冬にアジとサバを釣ったと記憶にあります。

 餌というのは釣ったアジの切り身で,カミソリを使っていました。そのアジとサバが釣れる場所の右手に宇出津の港の小型船では大きい方の船があり,それが父親の兄の船だったのです。会えば少し話をしましたが,そこで大きなヒラメを釣り上げていたことがありました。

 父親は7人兄弟と聞いていましたが,正吉と呼ばれていた兄が長男と聞いたことはないものの,たぶんそうなるのではと思っていました。宇出津の中町で沖縄本土返還の頃に葬式に行った亡くなった人も父親の兄弟と聞いていたので,あるいはそちらが上の兄になるのかもしれません。

 しかし,家を継いだのは正吉と思っていたし,そもそも正吉というのは名前ではなく屋号ではないかと近年考えるようになっていました。ところが,昨年11月3日に見つけた写真に,大正時代の父親と小さい子供の写真があり,後ろに鳳至郡棚木村とあり,正吉という名前がありました。

 正吉の家は宇出津の大棚木にあって,小さい頃に家の中にいた記憶があるのですが,昼寝をした時に見た夢になるのか,青い水槽の底にいたような記憶がずっと残っています。精神鑑定のときにそれとよく似た感覚を覚えたのですが,体に負荷をかける薬物を投与されたときでした。

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> 2021-03-01_175322_能登町宇出津 遠島山公園.jpg https://t.co/49IelzTxmv

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> 2021-03-01_175459_能登町宇出津 遠島山公園.jpg https://t.co/RHQ414Tl4f

 2021-03-01_175322となっている写真が正吉の家の辺り,2021-03-01_175459の写真で左手に船が停泊している辺りが,アジやサバを釣った辺りになります。これを見ると,もう少し写真の手前側になるのかもしれません。右手がシメノドラッグの駐車場になります。

 もっと手前側から撮影した写真があったように思っていたのですが,すぐ近くで撮影をしていたようです。実際より距離が短くなって写っているような気もします。宇出津の港では実際より広く写って見えることもあるのですが,距離が短く見えたのは珍しいことです。

 最近になってよく思い出すようになったのですが,1年目のイワシの運搬では,蛸島から植木職人という人がアルバイトで浜田漁業の大型ダンプに乗っていたように思います。よくイワシを積んだ荷台の上に乗って,長い柄のレーキでイワシの山をならしていました。

 名前は忘れていますが,顔や雰囲気という特徴はよく憶えています。当時は40代ぐらいだったのかもしれません。余り話をしたり,他の人とも話をするのを見た記憶がないのですが,明るい性格という感じにも見えました。

 1年目のイワシの運搬のときは,蛸島丸だけで,運搬するのも浜田漁業金沢工場だけでしたが,ほとんどが大野埠頭での船揚げで,そこに割と大きなプレハブの小屋がありました。

 常時,2,3人は浜田漁業金沢工場の年配の社員がプレハブ小屋にいましたが,腕組みをするなどして連絡待ちをしていたように見えました。机はほとんどなく,パイプ椅子だけが置いてあったような気もします。

 トラックの中で待機することが多かったのですが,プレハブ小屋に入って時間を潰すこともありました。浜田漁業の大型平ボディ車の運転手で,年が私より3つぐらい上の人がいました。名前も忘れましたが,小木の遠洋漁船に乗り,アルバイトでイワシの運搬をしていると話していたと思います。

 その人から聞いたのが,蛸島丸の一隻が沈没し,船長が久田船長のように船に残って死んでいったという話でした。遠い昔の話のようにその時は聞いていたのですが,近年になってその一年ほど前のことであったと知りました。

 上記のPDFファイルの4ページ目に,13として,1988年1月7日,第十八蛸島丸 134トン,漁具等の過載,過大な漁獲物の揚網,魚群の移動,とあります。

 小木の遠洋漁船でも網に魚が入りすぎて,網を切り放つという判断を迫られたり,力づくで巻き上げたという話は聞いたことがありました。機械ではなく人力で網を引っ張り上げるという話であったかもしれません。

 一度だけ,蛸島丸に乗船して,金沢港沖でイワシの入った網を巻きあげる様子を見たことがあったのですが,天気は良かったものの波も高く,大変な仕事に思えました。思っていたより大きな網と,そこに入ったイワシの群れでした。

 浜田漁業のアルバイトをしていた若い運転手ですが,彼には他にも気になる話を聞いたことがありました。警察に移動式の台貫で重量オーバーの切符を切られたという話だったと思います。

 この移動式の台貫というのはシート状のものであるらしく他にも聞いたことはあったのですが,実際に見かけるということは一度もありませんでした。石川県の場合,国道に台貫があったのは,津幡の検問所と加賀市の熊坂で,どちらも国道8号線上でした。

 昭和59年になるのか,国道8号線新潟県糸魚川市であったように思うのですが,台貫の検問があって,2,3日もずっと越中宮崎のドライブインの駐車場に待機をしているという運転手の話を聞いたことがありました。他にも沢山のトラックが待機をしていました。

 実際に国道での台貫の検問を見たという記憶もはっきりしないのですが,ほとんどが高速道路の料金所での摘発でした。台貫のあるインターというのは決まっていて,金沢なら西インターにありましたが,重量オーバーをしたときは必ず東インターから高速に乗っていました。

 中国自動車道では,島根県になる六日市ICで,本線を通行する重そうな積み荷のトラックをパトカーが誘導し重量オーバーの摘発をするという話を聞いていたのですが,実際に,私がやられたのは岡山県の新見インターでした。

 やたらと重量オーバーの取締に熱心な若い警察官がいて,短期間に2,3回摘発を受け,山口インターを降りたところでのスピードオーバーもあったのですが,90日と150日あるいは60日と150日の免停が一緒に来て,中西運輸商をやめることになったのです。

 最後の違反になった山口インターでの違反を放置し続けていたことが幸いし,2つの免停になったようですが,本来ならば免許取り消しとなっていた可能性があります。

 個人的な社会経験ですが,中西運輸商の4t車は20センチほど全長が大型車より短いぐらいで,車高は大型車と同じ最大の3.8メートル,車高の方が大型車より低かったので,はるかに普通の大型車より積載の容量が大きく,それにこぶしが入ってはいけないぐらいの佐川急便の積み荷の決まりがあったのです。

 荷物が1個でも満載でも同じ運賃というのが当時の佐川急便の決まりでした。新見インターで捕まったときは,普段より荷物の量が少なく半分以下だったと思いますが,それでも3倍ぐらいの積載量になっていました。車体が大きだけに総重量で積める重さも少なくなります。

 イワシの運搬で乗務した金沢市場輸送の平ボディ車は,保冷車より車体重量が少ないのですが,40トンから43トンが計測の総重量となっていました。この重量は運賃や売上と直結するので,毎回必ず台貫で計測をしていました。

 何パーセントか忘れましたが,海水の水の量として差し引かれたので,一度に運んだイワシの重量は25トンから28トンになっていたと記憶にあります。日報に記入をしていたという記憶もないのですが,伝票を台貫のところで受け取り,それを現場監督のような人に渡していたのかもしれません。

 これが1年目は,先程書いたプレハブ小屋の浜田漁業の社員と考えられ,2年目は市場急配センターの社員としてKKさんが現場にいて,兎の絵のあるラビット号とも呼ばれたワゴン車で,待機をしながら仕事をしていました。

 2年目は,浜田漁業の社員を見た記憶がなく,大野埠頭のプレハブ小屋に人がいたという記憶もないので,KKさんが一人でやっていたのかもしれません。2年目も大野埠頭で船揚げはありましたが,無量寺埠頭の岸壁が多かったように思います。

 2年目は,輪島丸船団が加わり,北陸ハイミールの工場が稼働していました。一日に1600トンのイワシの加工処理ができると聞き,日本海側最大とも聞きました。浜田漁業金沢工場の方は一日に600トンと聞いたように思います。釧路の愛国運輸のダンプも参加していました。

 北陸ハイミールは北海道の釧路市の会社で,イワシのシーズンが金沢の日本海とは逆になるとも聞いていました。北陸ハイミールのあった場所は,平成11年あるいは平成9年頃には,廃棄物処理場となっていて,現在も同じではと思われます。

 印が付いている場所の道路を挟んで向かい側に北陸ハイミールの工場があり,右手に入る道路の角に台貫場と一緒になった事務所があって,その隣の奥にミール移動を行う倉庫がありました。

 上記の才田工場とあるのが,平成4年当時はまだ浜田漁業金沢工場があった場所になります。隣に天狗中田の食肉工場があるのも同じで,周辺が田んぼだらけとなっているのも当時と同じに見えます。前の道路は農免道路と呼ばれていました。

 乗用車で金沢から能登に行くとき,この浜田漁業金沢工場の前の農免道路を通って,白尾インターから能登有料道路に乗るというのが多かったと思います。

  • 金沢斫解体業のホームページをリニューアルしました! | お知らせ | 中部資源再開発 https://t.co/hJVU6XvkYz

 平成21年3月15日まで羽咋市に住んでいた頃は,浜田漁業金沢工場の跡地は金沢斫となっていたので調べてみました。平成4年当時は見たことのない解体業の会社でしたが,その後,急拡大の急成長をしていたようです。

 昨日,Aコープ能都店で撮影した宇出津港産のイワシの写真になりますが,4尾で298円とあります。この数だと昔は30円ぐらいだったとも考えられます。隣に同じ宇出津港産の「さより」がありますが,今年初めて見かけたもので例年よりだいぶん出回るのが早く感じました。

 さよりは,4月に入ってからよくスーパーで見かけますが,以前は別の時期でもよく宇出津の岸壁で釣れていたものです。4月頃には小木港でも二艘引きと呼ばれるサヨリの漁があって,数年前になりますが,東一文字堤防でサンマのような大型のサヨリがよく釣れた時期がありました。

 そこで初めてサヨリを釣る仕掛けを釣具店で買って,1匹は大きなサヨリを釣った憶えがあるのですが,それを境に全くに近く釣れなくなりました。Aコープ能都店で買ったサヨリの刺し身を初めて食べたのもその頃だったと思います。

 サヨリの焼き魚は子供の頃,よく食卓に出たのですが,好きな食べ物ではなく,当時は今はダツに見えるような大きなサヨリが一匹で海面を泳いでいて,それを引っ掛け針で釣り上げたことを憶えています。そういうサヨリは全く姿を見なくなり,また,当時はサヨリをムスズと呼んでいました。

 8年ほど前までは,昼に堤防で釣りをしていると,岸壁真下の海面をよくサヨリの群れが泳いでいたものですが,それもさっぱりと姿を見かけなくなりました。小型のメタルジグでも少しは引っ掛けて釣り上げることが出来,干物にすると作りやすく,けっこう美味かったと記憶にあります。

 イワシはミールという魚粉に加工されていましたが,脂も化粧品の原料になると話は聞いていました。一番多くイワシに混じったのがサバになります。持って変えるのは自由でしたが,自分で調理をしても美味しいと思ったことはなく,魚というのも余り食べてはいなかったように思います。

 長距離トラック運転手の仕事で美味しいと思っていたのが銀鱈ですが,金沢のスーパーでは余り売っていませんでした。より美味しいと思っていたキンキは見かけることもなかったと思います。

 当時は面白がって,イワシを山盛りに積んでもらう傾向があったのですが,新鮮なイワシほど道路に落ちることがありました。それをスコップで荷台に戻すというのもよくある仕事でしたが,中には落としても片付けをしない運転手もいたように思います。

 道路に落ちたイワシが車に轢かれて潰れているのも見かけましたが,今考えると警察に苦情の電話があったとも考えられます。保冷車も鮮魚の水をホースで撒き散らしながら走行するのが普通で,生マグロだとパーキングでも鮮血が垂れ流しとなっていたので,それに慣れていたというのはあります。

 「金沢港いきいき魚市 (株)新田商店」とあるのは,今もあるのか県漁連の魚市場があった場所で,無量寺埠頭になると以前,情報を見ています。才田工場は浜田漁業金沢工場があった場所です。3つのルートが出ていますが,10.9kmから13kmと思った以上の距離がありました。

 金沢港の前の道路になりますが,現在のように石川県庁前から金沢駅西口に繋がる広い道路との交差はなかったものの当時も交通量は多い道路でした。昼夜はいっさい問わないというのもイワシの運搬の特徴でした。

 当時の警察官がイワシの運搬の大型トラックを見て,どういう認識であったのか気になるのですが,明らかな重量オーバーを考えなかったとすれば,それもどうなのかと思います。もっとも当時は,同じぐらいの重量の運搬と聞き,より危険そうな丸太の運搬というのも金沢港周辺にはありました。

 重量オーバーの違反点数は1点か2点以上がなかったはずですが,警察に移動式の台貫で狙い撃ちの取締を受ければ,通行する道路が決まりきっているだけにひとたまりもなく,続けていれば,運転手の全員が免許取り消しになっていたはずです。

 それだけではなく会社に対する行政罰のようなものもあったようです。実際に,1回目のイワシの運搬が始まるしばらく前に,この問題が発生し,5台一度に新車で納入した金沢市場輸送の平ボディ車は,運転席と助手席の横に社名が「両合物産」となっていました。

 白いペンキでの筆書きの社名でしたが,これは必ず必要な決まりになっていると聞きました。両合物産というのは浜田漁業の関連会社で,浜田漁業のトラックもこの社名になっていたと思います。

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> 本日の衝撃情報。 「ツイッター経由で少なくとも1億円以上の売り上げに繋がっている」(by大西先生@週刊エコノミスト

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  • 珠洲、住宅全焼7軒延焼 蛸島の住宅密集地 69歳男性やけど|社会|石川のニュース|北國新聞 https://t.co/5CjjVLuoKw 県道が消火作業に伴って一時通行止めとなった。延焼を恐れた付近の寺から仏像を避難させる人や、「おとろしい(恐ろしい)」と様子を見守る住民の姿がみられた。

 両合物産と蛸島Google検索をすると,蛸島で住宅全焼7軒延焼というニュースが出てきましたが,テレビをつけていないためか全く知らずにいました。建築関係の仕事をしており,また,付近の寺から仏像を避難させるという他の火事のニュースでは見たことのない情報があります。

 恐ろしいを「おとろしい」という方言は宇出津も同じです。石川県奥能登でおきた蛸島学童殺人事件裁判記録でも共通した方言をみましたが,聞かない方言もありました。言葉は同じでも話し方やイントネーションにもけっこう違いがあると思います。

 確認をしておきたかったのですが,蛸島で両合物産という情報はGoogle検索で見当たりませんでした。たしか物産となっていたと思うのですが,水産業がなぜ物産になるのかという素朴な疑問は当時も多少ありました。

 金沢市場輸送の東北便では決まって,新潟県糸魚川市の魚市場の荷降ろしがありました。2台3台と荷物が多いときは,一台にまとめることもありましたが,北陸自動車道糸魚川インターで降りると,いくらか逆方向に走ってまた戻るというかっこうでした。

 調べると,朝日インターから名立谷浜インターの開通が昭和63年7月20日とあります。これは途中にある糸魚川インターの開通も同時になるはずです。出来たばかりの新しいインターで,照明も明るかったと記憶にあります。

 この糸魚川インターで東北便の金沢市場輸送の保冷車が台貫の検問に引っ掛かり,4t車の運転手もいたと記憶にあるのですが,2,3人の運転手が余計なことに,会社の指示で過積載をしたと腹立ち紛れに警察に話したという話でした。

 その運転手というのは今も少しは記憶にあるのですが,はっきりと断言できる記憶ではなくなっており,早期に書面に記載したものが正確な情報だと思います。違反の点数は変わらないのに,会社の立場を悪くしたことになり,行政処分として一定期間,トラックの増車ができなくなったと聞きます。

 前にもこのことは記述をしていると思いますが,川崎大師の近くに行き,商店街で川崎大師という幟旗を見たのと同じ頃,金沢市場輸送の会社の側の道路がまだ工事中で,そこに両合物産という文字のある新車の大型平ボディ車が駐車されていたことなど記憶にあります。

 だいたい糸魚川インターのこの話は竹林から聞いたと思います。東北便の場合,積み荷の重量がよくわかりませんでした。嵩張りがあって比較的軽い練り製品も多く,生マグロも大きいものは300キロとありましたが,木箱が大きいだけに数も多くなく,さほど重量が増すとは思えなかったからです。

 多かったのは養殖の銀鮭で,これは箱の大きさの割に重量がなかったと思います。生サンマは海水のタンクのような発泡スチロールの箱に入り,これはけっこう重量になったかもしれません。

 一時期は,手前の名立谷浜インターで降りて,糸魚川の魚市場に立ち寄ったような気もするのですが,糸魚川インターに乗らずに次のインターまで行ったという記憶はなく,私自身は,台貫の検問を見たこともありませんでした。

 両合物産の話ですが,今考えると,もともと浜田漁業の名義で納入していた可能性というのも考えられるのかもしれません。鮮魚の保冷車というのは車体に補強があって重量が重くなっているとも聞きましたが,荷台の容積が他の箱車より,だいぶん少ないというのもありました。

 箱の中の荷台の高さですが,金沢市場輸送の保冷車は他より高かったですが,一度,測っていると2メートル10センチだったという記憶があります。中西運輸商の大型車だと2メートル60センチ,タイヤも小さく車高が低い9200の4t車だと2メートル80センチはあったように思います。あるいはそれ以上です。

 今となっては困難かも知れず,私としてもそこまで疑って指摘をすることはなかったと思いますが,糸魚川での重量違反の話が事実にない架空であると確認できれば,その関与者が役者の工作活動をしていた可能性が高まります。これが事実確認の基本でもあると思います。

(py37_env) ➜  twilog twilog-serch 糸魚川インター
./kk_hirono210304.csv:2020-09-12 14:11:28 "なにか行政処分のようなものを受け,新車の納入が出来ず,それで両合物産の名前を借りたと聞きました。原因は北陸自動車道の新潟県,糸魚川インターでの重量オーバーの摘発でした。運転手が会社の指示で嫌々積んだような話をしたため,大事になったと話を聞きました。竹林から聞いたように思います。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1304648802821832706
./kk_hirono210304.csv:2019-10-06 16:02:23 "金沢市場輸送の大型車では台貫の検問を受けること自体がなかったかもしれません。金沢市場輸送が摘発を受けたのは新潟県の糸魚川インターでした。運転手が会社の指示を受けたと話したところ、増車ができなくなったという話でした。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1180740067964272641
./kk_hirono210304.csv:2018-08-10 20:46:04 "他にはっきりと聞いていたのは、北陸自動車の糸魚川インターだけだったように思います。料金所から出たタイミングで台貫にのせられる話はよく聞いたり、見たりもしていたので、台貫がある料金所は避けていました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1027883776477560832
./kk_hirono210304.csv:2014-02-27 12:10:17 "糸魚川インターでの重量オーバー違反ですが、同時またはほぼ同時に3人ぐらいの運転手が反則切符を切られたと聞いたように思います。ただ、断片的な情報で理解しがたいところがありました。今改めて考えると捕まったのは全部が4トン車だったような気もします。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/438873695721766912
./kk_hirono210304.csv:2014-02-26 12:18:24 "東北便は、まず新潟県の糸魚川の市場で荷物をおろしました。面倒でしたがほとんど必ずあったと思います。面倒以上に困ったのは北陸自動車道の糸魚川インターの乗り降りでした。糸魚川に限ったことではないのですが、台貫場があって、重量違反の取り締まりを受ける可能性があったからです。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/438513349236514816

(py37_env) ➜  twilog hatena-log-search 糸魚川インター
0件(該当なし) ”糸魚川インター”を過去のはてなダイアリーの記事から検索 ”2021-0308 20:50”の実行

 余り記憶には自信が持てていなかったのですが,2014年2月27日のツイートにも,「同時またはほぼ同時に3人ぐらいの運転手が反則切符を切られたと聞いたように思います。」とありました。

 福岡定期便の方が同じ鮮魚の仕事でも重量が重いと感じることがありましたが,中国自動車道で最高速度が30kmまで落ちる上り坂が2箇所はありました。1つは山口県内の荷卸峠になります。ここでもっとも嫌で多かったのが,下関への立ち寄りで小口の荷物を積む仕事でした。

 下関インターに台貫場があったからですが,当時は警察官のお目こぼしというのもあったのかもしれません。狙い撃ちにされたのは他にも聞いたことがなかったことで,岡山県の新見インターの警察官が特別だったのかも知れません。

 しかし,あのまま中西運輸商で仕事を続けていれば,過労で命を落としていた可能性もあり,今考えるとその辺りの事情を把握し踏まえた上で,やられたことなのかもしれません。ここで思い出したのですが新見インターの付近では不可解な中西運輸商のトンネルの入り口に激突死亡事故がありました。

(py37_env) ➜  twilog twilog-serch 新見インター
./kk_hirono210304.csv:2019-10-06 15:59:45 "中国自動車道では他に岡山県の新見インターと島根県の六日市インターが重量オーバーの取締が多く、高速道路を走行中のトラックをパトカーが誘導してインターから降ろし台貫にのせるという話でした。中西運輸商の4t車では実際に新見インターでやられていました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1180739402336620549
./kk_hirono210304.csv:2019-08-23 17:40:20 "前にも書いていると思いますが、私も中西運輸商の4t車に乗務していた頃、中国自動車道の新見インターの一人の若い警察官に目をつけられ、集中的に2,3回、台貫場に引っ張られて反則切符をきられ、免許取り消しの寸前で、会社をやめることになった経験がありました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1164819650531565571
./kk_hirono210304.csv:2018-08-10 20:40:13 "新見インターは広島県との県境で、その県境付近にパトカーがいて、私のトラックを見つけると、追尾し、新見インターで降りるように指示を出します。インターの料金所の辺りには台貫があって、そこで計量を受けて切符を切られました。それが短期間で2,3回ありました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1027882304985686016
./kk_hirono210304.csv:2018-08-10 20:37:45 "普段より、ずいぶん荷物が少なく、走りやすいと感じている状態で警察に台貫にのせられ、規定の3台分の重量を超えていると言われたこともありました。ここで一人の警察官に目をつけられたのが中国自動車道、岡山県の新見インターでした。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1027881683507245059
./kk_hirono210304.csv:2013-08-30 15:05:13 "中西運輸商で大きな免停を受けることになったのもそれが多かったです。中国自動車道の新見インターの警官に目をつけられ、狙い打ちにされるとひとたまりもなかったです。どこの警察でもそこまでやることはなく、だいたいやる場所は決まってはいたのですが、事実上避けようのない場所です。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/373325514632462336

 新見インターの検索ではトンネルの激突死亡事故の話が出てきませんでしたが,割と最近,他の検索結果で見かけた憶えがあります。

 Twilogではなくはてなダイアリーの方で1件だけ検索結果が出てきました。

(py37_env) ➜  twilog hatena-log-search 新見インター
./20060909: 実際現場を見たのですが、中国自動車道の上り線、新見インターの先にある右にカーブしたトンネルの入り口で、そのままトンネルの入り口のコンクリートの壁に激突したそうです。事故を起こしたトラックを見ましたが、運転席のキャビン全体がせんべい布団のようにつぶれていました。運転手の体も押しつぶされたようになっていたそうです。

 ただ,これは2度目の入社となった昭和62年のことなのかもしれません。大破した中西運輸商の大型トラックを間近で見たのは,YTと一緒でした。彼の方から言い出したのだと思いますが,事故直後ではなく,新見インターにいったん降りて見た可能性があり,その時に重量違反の感慨はなかったはずです。

 不可解というのもYTの話によれば,広島から目的地とは逆方向に走行していたという話があったからです。正確なことは記憶にないですが,考えられるのは九州方面に向かうはずが,大阪方面に向かっていたということで,これは事故現場とも一致します。

 今はどうなっているのか想像もつきませんが,中国自動車道は当時,同じ岡山県内の北房インターと新見インターの間で,その区間だけが対面通行でもないのに最高速度60kmとなっていたように思います。カーブは多かったように思いますが,急な上り下りというのはなかった気がします。

 話を聞いた時期をはっきり憶えているのは,トレーラーだったと思いますが,北九州市の都市高速でツーマンのトラックが高所から落下し,意識不明の植物人間になったという話でした。昭和62年のことです。

 その頃だと思いますが,北房インターには,中西運輸商の見張り台のような櫓の建物が出来ていました。その頃には,重大事故や運転手が起こした問題の連発で中西運輸商が佐川急便から切られるという話が,ちらほらと出ていたかもしれません。

 結果が1件だけでしたが記事として投稿しました。はてなダイアリーのリンク記事を開くためです。


二度目に中西運輸商に入ったのは昭和62年の1月のことで、この時は大型車に乗務していました。中西運輸商の全盛時代で、トラックの数も運転手の数も一番多い頃でしたが、事故も多発していました。私の知る限り、中西運輸商で死んだ運転手は一人だけでした。
 実際現場を見たのですが、中国自動車道の上り線、新見インターの先にある右にカーブしたトンネルの入り口で、そのままトンネルの入り口のコンクリートの壁に激突したそうです。事故を起こしたトラックを見ましたが、運転席のキャビン全体がせんべい布団のようにつぶれていました。運転手の体も押しつぶされたようになっていたそうです。
 当時一緒に運転手をしていたYTと見に行き、彼から話を聞いたのですが、事故を起こした運転手は広島市内の佐川急便で荷物を降ろし、九州方面に向かうはずが、逆方向で大阪に向かって走行していたそうです。なぜそんなことをしたのか、彼もずいぶん不思議がっていましたが、死人に口なしなので、真相は分かるはずもないと考えていました。
 他にも同じ頃、トレーラーの運転手が、北九州市の都市高速で、高架から転落し、意識不明の植物人間になっていると聞いていました。二人で乗務していたらしく、二人ともそうなったような話でした。その後、死んだのかもしれませんが、私が話を聞いた頃は、植物人間状態だったようです。
 他にも中国自動車道のあちこちで大事故を起こしていたという話でした。特に大きかったのは、広島県内での対面通行のトンネル内での火災事故で連鎖的な大事故になり、多数の死傷者が出たと聞いていました。事故の引き金となったのは中西運輸商の運転手で、20歳前後の女の運転手と聞いた憶えもあります。

 現在の方針に従い実名を匿名に置き換えましたが,新見インターの事故は2度目の入社となった昭和62年らしいと確認しました。北九州市の都市高速の事故は現在の記憶どおりですが,広島県内の対面通行のトンネル内で多数の死傷者が出る事故があり,事故の引き金が,というのは記憶から消えていました。

 それも「事故の引き金となったのは中西運輸商の運転手で、20歳前後の女の運転手と聞いた憶えもあります。」とあります。事実を歪める作り話をした憶えは一切ないのですが,これは不思議と記憶にありません。

 印象的に記憶に残っていた良さそうなのは,被告発人多田敏明の話があったからで,被害者安藤文さんが事務員を辞めて運転手をしたいと話していたということでした。同時に,被告発人東渡好信と浜上さんの二人に,付き合うことを勧められたという話がありました。

 能登の七尾の被告発人東渡好信と輪島市海士町と聞いた浜上さんが,そのままの話し方をするとは考えにくいのですが,「文ちゃん,トッチと付き合えば」と言われ,被害者安藤文さんはまんざらでもなさそうな反応を示したというのです。トッチというのは被告訴人多田敏明の呼び名でした。

 「トッチと付き合えばどうや」という言い方を,被告訴人多田敏明が金沢弁の若者言葉で,翻訳をしたとも考えられます。いずれにせよ一緒に聞いたのが,運転手をしたいという話でした。これは新潟からイヨカンを降ろして,金沢戻ったときであったと思いますし,他に想定できない状況下です。

 平成3年の10月12日だったと思いますが,被告発人池田宏美が私に,「私ら二人,新車のトラックに乗せて」などと私に話しかけたとき,被害者安藤文さんが続けて,「私,運転したいぞいね」と言ったのは,自分の耳で聞いた事実だったので,被告訴人多田敏明の話もある程度,信憑性が感じられました。

 他に重要なことで,ここでついでに書いておきますが,平成3年の12月中,たぶん中頃になると思いますが,被告発人安田繁克が私に,被害者安藤文さんが好きな人にプレゼントするため,金沢市場輸送の女性事務員に習いながら毛糸のセーターを編んでいるという話を聞かされました。

 それでいくらか意識があったのだと思いますが,夕方暗くなった時間に,市場急配センターの会社前に駐車されていた被害者安藤文さんの軽四の後部席を見ると,紙袋に入ったそれらしい毛糸の束が見えました。

 この金沢市場輸送の女性事務員というのは2人いて仲良くしていましたが,新車の大型ウイング車3068号が納車されたのが平成3年10月12日で,当日になるのかその直後に,金沢市場輸送に給油に行ったとき,外に出てきた二人に乗せて欲しいと言われ,その場で断ったということもありました。

 一人は谷口さんという名前だったように思いますが,一度,28歳ぐらいだと聞いていたように思いますが,もっと年上であるように思っていました。入社したのは新事務所に移転してからだと思います。たまに話をしていたのですが,竹沢俊寿会長の夫人をずいぶん苦手にしている様子もありました。

 意識して見ることはなかったですが,金沢市場輸送の運転手の休憩室から事務所をみると,竹沢俊寿会長の夫人には,他の女性事務員の私語を禁止するような威圧感がありました。その辺りの不満というか愚痴を私にこぼしたようです。谷口さんは既婚者とも聞いていました。

./kk_hirono210304.csv:2019-08-29 16:58:25 "これまで少なくとも強調して書いたことはなかったと思いますが、この谷口さんという金沢市場輸送の女性事務員は、事件の鍵を握る人物かもしれないのです。前提となるのは被告発人安田敏の話です。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1166983429453254658

 「谷口さん」で検索をしました。はてなダイアリーの方は無関係の該当が1件ありました。ここでは毛糸やセーターが出てこないようです。

(py37_env) ➜  twilog hatena-log-search 手編み  
./20070305: また、これもその数日前、安田敏から聞いた話しでは、安藤文さんが好きな人にプレゼントをするため、金沢市場輸送の女子事務員に手編みの編み物を習いに行っていたそうです。
./20070305: 1月に入ってから、私は彼女の車の後部席だったと思いますが、紙袋に入った手編みのセーターらしきものをちらりと見ることがありました。その記憶からさかのぼると、一般的にクリスマスプレゼントとして手渡すことを予定していたと考えられます。

(py37_env) ➜  twilog twilog-serch 手編み
./kk_hirono210304.csv:2015-08-16 23:28:30 "何日か前に書いた、被告訴人安田敏から手編みの編み物の話を聞いた後だったと思います。被害者AAさんはその時、なにか覚悟を決めていて、その予定が被告訴人東渡好信の一言でダメになったので、それにショックを受けたように見えました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/632921882824589316
./kk_hirono210304.csv:2014-06-24 16:37:02 "「あきらめや」というのも呪文のような口癖として繰り返していましたが、つねに否定の一辺倒だったわけでもなかったです。具体性のある重要な発言なので、これも独立した見出しの項目にしておきたいと思いますが、手編みのセーターの話です。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/481340207065608193

 「、その予定が被告訴人東渡好信の一言でダメになったので、それにショックを受けたように見えました。」とあるのは,平成3年のクリスマス前で,12月18日辺りになると思います。その時点で被告発人東渡好信が,私に被害者安藤文さんの前で,クリスマスの運行予定を指示したのです。

 被害者安藤文さんは,被告発人東渡好信の話が出てその場で,大きく頭というか首を下にうなだれて,ショックを受けた様子でした。期待した何かがあってこその大きな落差だと思いましたが,それが何かということはわかりようもなく,ただ被告発人東渡好信に不審を持った様子は全くなかったと言えます。