告発に至る経緯・奥能登の蛸島事件と,弁護士列車編#### 小松市出身という蛸島事件の田中武一裁判長,蝶屋町出身という同じく弁護人の梨木作次郎弁護士,根上町出身という森喜朗氏

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 田中武一裁判長については,石川県奥能登でおきた蛸島学童殺人事件裁判記録に,最終ページのあとがきの手前,ページ番号としては最終の298ページ上段に,判決書の末尾に,「裁判長裁判官田中武一は転任のため署名押印できない。」と名前があるぐらいかと思います。

 あるいは裁判官の尋問調書のようなものにも田中武一という名前があったかもしれません。裁判官の調書というものを他にみた記憶がなかったので,それも珍しく感じて気になっていたのですが,正式な名称は思い出せずにいます。

 問題がありそうなので,ここではファイル名しかご紹介できないのですが,「2021-01-23_164657_.jpg」が,昭和44年6月4日の北國新聞の撮影になります。小さい記事ですが,見出しに,「蛸島無罪判決の田中判事が転任 津地裁・家裁の伊勢支部へ」とあります。

 縦長の楕円形,小判のようなかたちの顔写真もあります。このかたちの顔写真というのは他に見た覚えがないですが,被疑者とは区別するためにかたちを変えたのかとも想像しました。先程気がついたのですが,五九という年齢もあります。

 「珠洲市蛸島町の学童殺しに無罪判決をした金沢地裁・家裁七尾支部の田中武一判事(五九)=写真=は四日付け最高裁辞令で三重県津地裁・家裁伊勢支部判事に転任する。」とあります。

 続けて,「田中判事は珠洲市蛸島町の学童殺し事件を審理,三年余にわたる長期裁判を担当,三日の判決で被告を無罪とした。特に理由として検察・警察側の捜査が違憲ありとし,捜査のあり方をきびしく指摘人権擁護の立場を明らかにした。」と。

 さらに,「同判事は小松市塩田町出身,二十五年弁護士から同支部長判事になり,佐賀,大分地裁を経て三十六年十二月から再び七尾支部長判事となっていた。能登地区での民事,刑事事件を数多く手がけた。」。

 「同判事は「こんどの事件が一番印象的だった。多くの事件を手がけたが,審理だけでなく記録を読むことにも重点をおき,事件の実体をつかむことに心がけたつもりです」と話していた。」。

 「なお,同時に名古屋家・地裁の横山義夫判事補が金沢地・家裁七尾支部判事補として発令されている」と締めくくられています。

 「です」と話していた。」という部分からは段組が下に移動し,気が付かずに読んでいなかったように思います。2,3回ぐらいは目を通したいたと思うのですが,小松市塩田町とまで特定されていること,弁護士から七尾支部支部長判事になっていたというのは,認識していなかったと思います。

 見落としたのも不思議ですが,集中力に欠けていたのかもしれません。弁護士から裁判官になるのは,現在でもかなり珍しいことのように法クラの弁護士らのツイートで見かけてきました。弁護士任官とも言ったかもしれません。


弁護士経験を積んだ人が裁判官になることを「弁護士任官」と呼んでいます。

 

現在の日本の裁判官は、司法試験合格後、司法研修所で司法修習という一定の研修を受けた後、直ちに「判事補」という身分で裁判官に任官し、そしてそのほとんどが10年後にそのまま「判事」になっていきます。

 

これに対し、弁護士会は、裁判官を経験のある弁護士から任用する方式(いわゆる「法曹一元」)が望ましいと考え、戦前から現在まで、「法曹一元」実現運動を続けてきましたが、他方、1991年から弁護士会が関与した弁護士任官制度も発足させ努力してきました。

 

そして、2001年6月の司法制度改革審議会意見書は、裁判官制度改革の重要な柱として、「判事となる者一人ひとりが、それぞれ法律家として多様で豊かな知識、経験を備えること」が重要であるとして、「判事の給源の多様化、多元化」を掲げ、弁護士任官の強力な推進と、判事補が一定の期間、その身分を離れて弁護士など他の法律専門職経験を積む制度(ここでは「他職経験」といいます)の導入を提言しました。

 

日弁連では、この提言を実質化するため、最高裁判所と協議しながら、新しい弁護士任官制度が、2001年12月7日の「弁護士任官等に関する協議の取りまとめ」により開始され、さらに、調停制度の充実、弁護士任官の促進を目的とした、非常勤形態の民事調停官・家事調停官(ここでは「非常勤裁判官」といいます)への任官制度が、2002年8月23日の「非常勤裁判官制度の創設について」により合意され、2003年7月25日の民事調停法、家事審判法の改正により創設されました。

 調べると日弁連のホームページが出てきましたが,1991年より前の状況というのは,ざっと見たところ見当たらない感じです。弁護士が裁判官になったというニュースは,ほとんど見かけていないと思います。

 判事補から判事という問題もあり,上記の日弁連の記事にも「直ちに「判事補」という身分で裁判官に任官し、そしてそのほとんどが10年後にそのまま「判事」になっていきます。」とあります。特例を受けるともっと早く判事の仕事ができるはずですが,いきなり支部長判事というのは想定外です。

 石川県の小松市というのは,金沢市から南に30キロ程で,同じく七尾市金沢市から北に6,70キロかと思います。弁護士から七尾支部長判事になり,九州の佐賀,大分に転任した後,再び同じ七尾支部長判事になったと言います。こんな情報が新聞の記事になっている事自体,あり得ない気がしました。

 これから調べますが,小松市の塩田町というのは,単なるイメージですが,海に近い気がします。実際,そのような地名を現地で見かけていたとも考えられます。

 Googleマップに地名がなかったのですが,上記のWikipediaのページでも,ページ内検索に「塩田」は該当しませんでした。


明治(めいじ)22年(ねん)、町村制(ちょうそんせい)により小松町(こまつまち)となり、昭和(しょうわ)15年(ねん)には小松町(こまつ)まちと近(ちか)くの安宅町(あたかまち)ほか周辺(しゅうへん)の牧村(まきむら)、板津村(いたづむら)、白江村(しらえむら)、苗代村(のしろむら)、御幸村(みゆきむら)、粟津村(あわづむら)の6か村(そん)が合併(がっぺい)し、全国(ぜんこく)176番目(ばんめ)の市(し)となりました。また、昭和(しょうわ)30年(ねん)には、矢田野村(やたのむら)、那谷村(なたむら)、中海村(なかうみむら)、月津村(つきづむら)の一部(いちぶ)を、翌(よく)31年(ねん)には、金野村(かねのむら)、西尾村(にしおむら)、大杉谷村(おおすぎだにむら)、新丸村(しんまるむら)と国府村(こくふむら)の一部(いちぶ)を合併(がっぺい)し、現在(げんざい)の形(かたち)になっています。

 「昭和(しょうわ)30年(ねん)には、矢田野村(やたのむら)、那谷村(なたむら)、中海村(なかうみむら)、月津村(つきづむら)の一部(いちぶ)を、」などという詳細な情報が見つかりましたが,ここにも塩田はありません。

 もう一度,記事の写真を見直すと土編には間違いないのですが,塩ではなく増すに近い漢字であるようにも思えてきました。文字を拡大すると,塩ではないことがわかります。増すでもなさそうですが,埴輪の埴という漢字が最有力かもしれません。

 海に近いという予想は大外れでしたが,すぐ側にハニベ岩窟院があります。私個人のことですが,これで蛸島事件と山中事件の接点も1つ増えたことになります。けっこうミステリー性もあるのですが,山中事件の一審の弁護士も小松市の元検事という弁護士でした。

 Googleマップの地図上ではもっと近くに見えたのですが,ルート検索では徒歩で1.6キロ20分,車で1.8キロ5分とあります。

 小松市の山間で有名なのか那谷寺になりますが,ルート検索で調べてみると意外な場所にありました。すぐ近くに北陸食堂がみえますが,国道305号線沿いとなっているものの平成4年当時は国道8号線でした。

 余り行く機会はなかったのですが,けっこうお気に入りの食堂で前を通るときは決まって入っていたように思います。新しい喫茶店のような店内でした。記憶にないのですが,平成5年の手書きの書面には,岐阜県大垣市から石灰を積んできた帰り,被告発人多田敏明と立ち寄ったとなっていました。

 那谷寺は粟津温泉の近くと考えていたのですが,道路標識の案内板もその辺りで見ていたような記憶でした。那谷寺そのものは,行ったことはないですが,テレビで何度かみたことがあり,奇石が印象的でした。仙人が住んでいるような山です。それほど有名ではなさそうです。

  • 那谷寺のヒミツ | 那谷寺 https://t.co/VDNU8TSdDB \n 国名勝指定を受けている奇岩遊仙境は、見上げるだけでなく登って体感していただけます。

 番号10の見出しに「奇石遊仙峡」とあるのが正しいように思えますが,余り聞いた覚えのない名称です。他に見どころが多いようですが,テレビ以外の情報で身近に話題になったことは,ほとんどなかったように思います。

 小松市は石切り場の歴史があるそうですが,近年,テレビで知ったことです。はじめて長野県の御柱祭を知った,しばらく後の時期であったとも思います。

 小松市の海の方で有名なのが,安宅の関で,安宅住吉神社も近くになるのではと思います。よく前の道路を通行していましたが,駐車場に車を停めて,公衆トイレに入ったような記憶はあります。見物をしようという考えはなかったので,中には入っていないと思います。

 さきほど見ていた安宅住吉神社とほぼ同じ場所になりますが,梯川という見覚えのある川の,ほぼ河口沿いにあるのは,初めての発見のように思えました。駐車場のことはよく覚えているので,片山津に行くのによく通っていた道路だと思います。

 不明な道路経由というのは初めて見た気がしますが,それで3.5キロ,県道25号線経由で3.9キロとあります。ずいぶん近くに感じたのですが,それだけ安宅の関が,小松市内の外れに位置するのかもしれません。根上町は能美市になるのだと思いますが,以前は能美郡でした。

 驚いたのですが,経路に美川町とそのまま打ち込むと,福井県大野市美川町が選択されました。大野市美川町のことは知らないですが,小松市だった山口民雄弁護士の逮捕当時の住所が,福井県勝山市となっていたことを思い出しました。

 根上町と美川町は,7.7キロと8.8キロの経由があります。美川町では特定が出来ず,美川駅を選択肢ました。一年ほど前に知ったと思うのですが,根上町と同じ能美郡だと思っていた美川町は,現在白山市で,合併前は野々市町と同じ石川郡だったようです。

 取り寄せた石川県奥能登でおきた蛸島学童殺人事件裁判記録の本が手元に入ったあとになるのか,梨木作次郎についてGoogle検索すると,それまでに見かけた覚えのなかった蝶屋町という出身地が出てきて,今の美川町の一部で,北陸自動車道の美川インターの周辺だとわかりました。


来歴[編集]
石川県石川郡蝶屋村(現・白山市)出身。日本大学専門部法科を卒業後、弁護士資格を取得。1931年に日本国民救援会の前身である日本赤色救援会へ入り、三・一五事件や四・一六事件をはじめ治安維持法違反事件の弁護に当たるが、1933年の日本労農弁護団一斉検挙事件で検挙。1935年には懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受け、5年間の弁護士資格停止を命じられる(弁護士業は1938年に再開)。

1946年に日本共産党へ入党すると、自由法曹団や解放運動犠牲者救援会の再建活動に奔走。また、これと並行して翌年には日本農民組合(日農)及び全日本産業労働組合会議(産別会議)の支援を展開する。1949年の衆院選で旧石川1区から出馬し初当選を果たす。当選1回。この間1948年には小松製作所ストに関して建造物侵入罪で起訴されるものの、後に無罪が確定した。1947年、1951年の各県知事選挙に立候補するも落選。

議員落選後もスモン病イタイイタイ病を中心に公害訴訟の弁護団長などを務めていたが、1993年4月9日、前立腺がんのため石川県金沢市内の自宅で死去。85歳。

  • 『夜明けの旗 梨木作次郎物語』 大野達三、矢吹紀人、中井安治 - カズブックス https://t.co/48rNrehFWj \n 備考:石川出身の弁護士、社会運動家、政治家である梨木作次郎の80年弱の生涯を振り返り、物語風に綴る。梨木は、刊行の6年半後、85歳でこの世を去った。
  • 沿革 | 金沢合同法律事務所 https://t.co/iTL2HLhZVw \n 1982年昭和57年5月 \n 事務所を金沢市兼六元町9番40号に移転し従前の「梨木法律事務所」を「金沢合同法律事務所」と改称。
  • 貧農に生まれて 梨木作次郎の歩んだ道の通販/梨木会 - 紙の本:honto本の通販ストア https://t.co/DQcTLs9x9K \n 著者梨木会 (編集) \n \n 紙の本 \n 貧農に生まれて 梨木作次郎の歩んだ道税込 110 円 1pt
  • 資料[樋爪・大原法律事務所] https://t.co/8w5q5EMdqm \n 「私はこの世に生をうけ、正力先生と巡り合い、公害斗争を一緒にたたかうことの出来た喜びを、 \n  しみじみと噛みしめています。」*梨木作次郎弁護士
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 弁護人村沢義二郎、梨木作次郎、野中幸栄の各上告趣意書(梨木弁護人の分は二 \n 通)は末尾に添えた別紙記載の通りであるが、本件は全然関連のない贓物故買贓物 \n 収受事件と強姦致傷事件との併合であつて、第一事件に触れているのは梨木弁
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 梨木弁護人上告論旨第一ノ二は、被告人の有罪認定のほとんど唯一の証拠は共犯 \n 者Aの供述であるから、それを有力な証拠として有罪を認定することは採証の法則 \n に違反する、と非難する。
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 被害者Bの供述によつて認定されたのである。そこで問題になるのは、Bは十六歳であるが、「字も書けず、数もわからず、自分の年齢さえ正確に述べることができず、牛と馬の区別さえわからない状態の低能児」である。
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n さような者の供述をほとんど唯一の証拠としそれによつて被告人を犯人と認定してよいものだろうか、ということであつて、村沢弁護人の全上告論旨、梨木弁護人の上告論旨第一ノ一、第二および野中弁護人の全上告論旨、その違法不当に攻撃
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n Bが甚しい低能者であることは充分に証明されているが、同時にまた、 \n 同人が事実をハツキリ報告する能力がある、という母親Cの証言も採用されている。
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 実物を示せば一つ二つと数もかぞえるだろうし、こちらが牛でこちらが馬とも言うだろう。そして具体的に実験した事実については相当な認識力と記憶力があり、低能なだけに本件被害のような事がらをかえつて臆面もなく卒直端的に述べる、
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 梨木弁護人上告論旨第二ノ二ノ(三)は「誰人かに予め注ぎ込まれた知識を語つたものに相違あるまいと推察する」と言つているが、これは全く「推察」に過ぎない。
  • 弁護士法人ITJ法律事務所 最高裁判例集 https://t.co/jn8yaOLESN \n 野中弁護人上告論旨第二点は、たとい被告人がBと関係したにしても、それは和姦と見るべきであるのを、原審が強姦なりとしたのは事実の誤認である、と非難する、しかし事実誤認の主張は上告理由になり得ないのみならず、
  • 自由法曹団大正8年の創立である. 戦時中は中絶して昭和20年10月に再発足した. 団の功罪を語るには,戦前と戦後に分けて論じなければならないはずであるが,私は不幸にして戦前の自由法曹団については伝聞以外にほとんど知らない. https://t.co/ct4nX7VkYP
  • 記録でもあるかと思って団の本部へ行ってみたが,戦災ですっかり焼けてしまって,何も残っていないとのことだった. しかし,すでに世に知られているところだけから見ても,当時の天皇制的非人道に対する反抗として,またその被害者に対する人道的救援を目的として立ち上がった進歩 https://t.co/ct4nX7VkYP
  • 自由法曹団の人々は過去において,普通の弁護士が相手にしないような貧乏人や,時の官権から極悪犯人と定められた人たちの人権を擁護して来た. それは人情の極致であるとともに人間最高の理性の要請でもあった. https://t.co/ct4nX7VkYP
  • 終戦後私が,団に加入したのは,再発足をした団の中に,その伝統が残っていることを知ったからである. いな,率直にいうならば,自由法曹団以外に,日本の何処に正義を護り理性を尊ぶ法曹団を発見することができようかと思ったからである. https://t.co/ct4nX7VkYP
  • 現在,全国の弁護士の数は6000名を下らないし,各地方にそれぞれ弁護士会あり,東京には三つあって,それらが全部連合して日本弁護士会連合会という巨大なる団体を結成し,完全無欠なる会則を作った. https://t.co/ct4nX7VkYP
  • 小法廷 裁判種別 判決 結果 棄却 判例集等巻・号・頁 集刑 第10号141頁 原審裁判所名 名古屋高等裁判所  金沢支部 原審裁判年月日 昭和23年10月13日 判示事項 一 共同被告人の供述と刑訴應急措置法第一〇條第三項の「本人の自白」 二 一六歳の低能の少女の證言の證據力 https://t.co/yPGyEV1Lcj
  • 事件番号 昭和23(れ)1733 事件名 強姦致傷、賍物故買、賍物収受 裁判年月日 昭和24年5月17日 法廷名 最高裁判所第三小法廷 裁判種別 判決 結果 棄却 https://t.co/yPGyEV1Lcj
  • 梨木作次郎 - Google 検索 https://t.co/lIMGJUfKeG \n 最も的確な検索結果を表示するために、上の 65 件と似たページは除外されています。 \n 検索結果をすべて表示するには、ここから再検索してください。
  • 060979_hanrei.pdf https://t.co/OKDGBUUiCI 主    文 \n      本件上告を棄却する。 \n          理    由 \n  弁護人梨木作次郎及び同正岡正延の上告趣意は、いずれも単なる法令違反と事実 \n 誤認の主張をいでず、刑訴四〇五条の上告理由に当らない(なお、所論の各点につ \n いては原判決
  • CiNii 論文 -  梨木作次郎先生を偲んで https://t.co/QeDWqzELJZ \n 鳥毛 美範 \n この論文をさがす \n NDL ONLINE \n CiNii Books \n 収録刊行物 \n 法の科学 \n 法の科学 (21), p191-196, 1993 \n \n 日本評論社

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> 「“性差別”高速で時速320キロのスピード違反」森喜朗氏“女性蔑視発言”を海外メディアはこう報じた #森喜朗 #文春オンライン https://t.co/pH7EWTwDvi

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> "「女性がたくさん入っていると会議は時間がかかる」――。東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長(83)が2月3日、JOC日本オリンピック委員会)臨時評議員会でした発言は、瞬く間に国内外で報道され、「性差別的」と猛批判を受けた。…" https://t.co/pKhr002qdQ

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> "数ある海外メディアの報道の中でとりわけ痛快だったのは、仏フリーペーパーの「ヴァンミニュツ」。森会長の発言を「“性差別”高速道路を時速320キロのスピード違反で走り、速度取り締まり機に引っかかった」と表現。「頼まれてもいないのに」持論を語ったとしている。…" https://t.co/iZMUprnyqZ

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> トレンドの『時速320キロのスピード違反』って何のことかと思いましたが、まさかこれも森委員長の話だったとは。 https://t.co/FQEO25rQaA

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> 新幹線かな?と思いました(ちょうどのぞみの最高速度) https://t.co/G2R5XgHXNe

 時刻は2月8日9時31分です。一昨日になりますが,Twitterのトレンドになっていた森喜朗氏について,しばらく時間を割いて調べていました。「森喜朗」をキーワードにしたものですが,テキスト版のまとめ記事を昨日作成しました。

 次のツイートから始まっています。

  • (335/3212) @hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)のツイート ”森喜朗” 48/3212:2021-01-16_2109〜2021-02-07_1424 2021年02月07日15時28分の記録


> 森喜朗 - Wikiwand https://t.co/QuovyhzZqx 森 喜朗(もり よしろう、1937年〈昭和12年〉7月14日 - )は、日本の政治家。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長。

 後になるとそういう情報も以前に見かけていたような気もしてきたのですが,最初,小松市ではなく根上町の出身だと知ってかなり驚きました。この根上町は別に大きな著名人がいて,そちらはよく根上町と結びつけた話題も見かけていました。大リーグでも活躍した松井秀喜選手です。

 何年か前,小木港東一文字堤防の魚釣りで一緒になった人が,根上町から来たという人で,いろいろと話を聞いたのですが,森喜朗氏の話はなかったと思います。松井秀喜選手の他に聞いたのが,福田和子という逃走犯の話でした。


Wikipediaなどでも取り上げられている情報が石川県根上町、今現在の能美市に和菓子屋があるということです。金沢市から能美市は車で30~40分(根上町は50分弱)のところですし、情報的には比較的正しい情報かと思われます。

根上町は2005年に市町村合併して能美市になっていますが、和子が潜伏していたのは1982~1985年頃のようなので市町村合併は和菓子屋の親戚に気づかれた後ということになります。ちなみに能美市の中でも海沿いにある町で、松井秀喜さんの出身地としても知られています。

そして、和菓子屋には小学生だった松井さんがよく来ていたそうです。

 2時間ドラマも観ましたが,金沢市にも潜伏していて,最後は公訴時効が間近になる中,福井市内で逮捕されたということでした。警察の懸賞金目当てで情報提供されたという話もありましたが,生活圏が近かったということで,身近に感じる事件でもありました。

 昭和61年の金沢市場輸送での市内配達の仕事ですが,早朝から,その時は鮮魚の配達で,配達先の店舗が松任店,根上店,寺井店だったと思います。松任店からは美川町を通って根上町に行っていました。いずれもマルエーというスーパーで,これは平成3年も同じでした。

 平成3年の市場急配センターの市内配達は,同じマルエーでしたが青果の配達で,他にも一つあったような気もするのですが,はっきり記憶しているのは,若杉店,今江店,本折店で,この3店舗はいずれも小松市内になります。

 若杉店というのは記憶に自信が持てなかったので調べてみたのですが,近くに「やわたメディカルセンター」が見えました。同じかどうかわからないですが,小松市内には平成4年当時,八幡温泉病院があって,弁護士会の照会の書面で,被害者安藤文さんのリハビリの入院先でした。

 被告発人木梨松嗣弁護士が寄越した数少ない書面でしたが,同じ頃,名古屋高検金沢支部の松浦由記夫検事の答弁書拘置所に届いていました。名前の漢字がはっきりしなかったので調べたのですが,由記夫で合っているのか確信は持てません。

 Googleで松浦由記夫で検索したところ,思いがけない情報が見つかりました。