イ. 河北郡津幡町能瀬からの電話に出た被告発人梅野博之

 近くに能瀬という地名の標識か看板がありました。ずいぶん古い繊維工場の跡地のような印象が残っているのですが,そこにある小型の電話機をアクリル板で囲っただけのような電話ボックスから会社に電話を掛けたと記憶にあります。

 これも余りよく思い出せないのですが,電話に被告発人梅野博之が出て,優しく被害者安藤文さんをかばうような素振りを見せていました。他に被告発人池田宏美も出たように思うのですが,何度かかけ直した電話に被害者安藤文さん本人が出ました。

 言葉で表現するのは難しいのですが,このときの被告発人梅野博之の態度は,なんともいえない微妙なものがあり,強く印象に残っています。

 倉庫移動という会社の指示で行った北陸ハイミールで会社から電話が入り,急遽,七尾市に向かったときでした。ああいうことは後にも先にも他になかったですが,計算されたものがあったと思います。被害者安藤文さんとの関係も微妙な時期でした。

 そのあとのことは,現在の中能登町鹿島の広くなった道路で,七尾市に向かって左側に中西運輸商の大型トラックが駐められているのを見たことが,けっこう印象に残っています。

 七尾市での荷積みの作業などは記憶にないのですが,次に記憶にあるのが,別に記載する被告発人池田宏美の電話対応になります。

 確認には至らないのですが,このときの運行の行き先は,山梨県だったと思います。これもけっこう印象に残る運行でした。2カ所降ろしだったと思います。

 国道20号線から静岡市に向かう国道52号線に入って,しばらく走り,右手に入った集落と記憶にあるのですが,Googleマップで見ると,その辺りは現在,南アルプス市となっていて,見覚えのある地名は見当たりませんでした。

 山梨県内は,国道20号線中央自動車道の通過ではよく通っていましたが,荷物の積み下ろしをしたのは初めてだったのでそれも印象的に憶えているのですが,集落の雰囲気も独特なものを感じたと記憶にあります。

 これははっきりしている記憶ですが,山梨で七尾市からの荷物を荷下ろしした後は,東京に向かいました。どの時点で決まったのか記憶にないですが,東京に向かう時点で,翌日の池袋の三越デパートからの展示会の引き上げの仕事が決まり,指示を受けていたはずです。