#### 大崎事件と保険金目的殺人,昭和54年当時の時代背景

 大崎事件第4次再審請求書あるいはその補充書のなかで,保険金が目的であれば瀕死の被害者を放置すればよいだけ,殺害の必要はないという主張がありました。それに掛けられた保険金も多額ではなく,特に大きくクローズアップされることはなかったとも思う,保険金目的です。

 しかし,今回気になったのは,大崎事件の原口アヤ子さんの私選弁護人に地元鹿児島の超大物弁護士がついていたらしいということです。その割にあっさり有罪判決が出て服役をしたことになりますが,その後の再審請求の活動の活発さはつとに知られるところです。

» 「大崎事件再審請求書・補充書関連(令和2年6月18日の記録)」の写真 - Google フォト https://t.co/0PoG8Fs3qu 2020-06-18 12.53.32_大崎事件再審請求・補充書関連.jpg

 上記の写真を今,見直して気がついたのですが,「一郎,二郎,太郎は,共同審理され,弁護人(蓑毛長史「国選」は,検察官請求の証拠に全部同意し・・・公判廷でも自白した。」とある一方,その直後に。

 「アヤ子は,三人とは別に審理されたが,裁判体は,一郎,二郎,太郎と同じで・・・弁護人(石走義宏「主任」,和田久「いずれも私選」は,アヤ子が全面否認していたため・・・・身上調書を除く,・・・・を不同意にした。」とあります。

 やはり三人の弁護士の名前を全て目にしていたことを確認しましたが,その後になるのかわからないものの,3人の弁護士はすべて同じ法律事務所の弁護士で,それも共同経営者に近いイメージを受ける情報を見かけています。


1991年 - 司法修習で同期の弁護士の和田久を頼って鹿児島市に転居、鹿児島弁護士会に移籍、和田法律事務所で働く。大腸癌、肝硬変、黄疸などの体調不良のため仕事を減らし静養。熊本によると、当時の仕事は法律相談に乗ることだったというが、和田によると当時の熊本は事務所で本を読んだり外出したりでほとんど何もしなかったという。私生活では酒に溺れ、娘ほどの年齢のスナックの女性に入れあげ、アパートの部屋は足の踏み場もなく、タバコや蚊取り線香でボヤ騒ぎを起こし、無銭飲食でトラブルになったこともある。
1996年 - 和田法律事務所を去る。和田によると、熊本は幻覚や幻聴が激しく、出廷日に出廷しないことが続いていたという。鹿児島県出水市に移って弁護士事務所を開く予定だったが失敗、五島列島で事務所を開こうとするもやはり失敗。最終的に弁護士登録を抹消。五島列島では地元の関係者に接待を受けたものの弁護士登録ができず、詐欺まがいとの悪評が立ったといわれる。弁護士登録ができなかった理由について熊本は「再登録するにあたって推薦人(2名)が集まらなかった」と説明する。この後、自殺を考えて東尋坊阿蘇山不知火海などを彷徨、ノルウェーフィヨルドで死に場を探したこともある。
2006年 - 福岡市で65歳の独身女性と知り合い、内縁関係となる。内縁の妻から10万円を借りて弁護士登録再申請をおこなったが失敗。11月、内縁の妻の長男が「袴田巌さんの再審を求める会」に連絡を取り、これまで消息不明とされていた熊本の存在が世に明らかとなる。

[source:] http://kiki27534.s1002.xrea.com/?p=2843

 3つの名前の法律事務所を探していたのですが,意外な情報を見つけました。昨日も少し見かけていたのですが,その内容になるようです。ページタイトルが見当たらないですが,出典をWikipediaにしてあり,熊本典道裁判官の情報です。

 「1991年 - 司法修習で同期の弁護士の和田久を頼って鹿児島市に転居、鹿児島弁護士会に移籍、和田法律事務所で働く。」などとあります。袴田事件で有名になった元裁判官ですが,いつのまにか滅多に名前を見かけなくなっていました。テレビの再現ドラマでも見た憶えがあります。

 読む進めると,「2007年 - 袴田事件の第一審で死刑判決を出した他の2人の裁判官の死亡を確認後、3月9日、衆議院議員会館で「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会に参加。元担当判事として袴田巌の無実を訴える。」というのも出てきました。

 「6月、内縁の妻の長男の勧めでブログ「裁判官の良心」を開始。7月2日、東京拘置所に赴いて袴田巌と面会を望むが不許可となる。」というこのブログの存在は知ることがなかったと思います。

 「11月、内縁の妻の長男が「袴田巌さんの再審を求める会」に連絡を取り、これまで消息不明とされていた熊本の存在が世に明らかとなる。」というのも見たことのないようなお話です。

 そういえば,袴田事件不本意な有罪判決の判決文を作成させられたため,その後身を持ち崩すようになったという話は聞いていました。そこに司法修習で同期だったという和田久弁護士との出会いもあったようです。


このネット情報世界において、これだけ有名な和田久弁護士のプロフィールがまったく記載されていないのだ。筆者『児玉直』を「Google」で検索してみても、それなりのデータは入手可能である。ところが、【鹿児島県の裏ドン】和田久氏の経歴は出てこないのである。「和田久法律事務所」を検索しても「所長・和田久」と公開されているだけだ。厳密に言えば、『和田・石走・蓑毛法律事務所』である(資料参照)。
 福岡県弁護士会の会長をされた弁護士木上勝征氏を検索すれば、経歴が一瞬にして判明する。これが普通なのだろうが、和田氏の情報は入手不可能である。

[source:]【傑物シリーズ】"鹿児島県の裏ドン"和田久弁護士(前):|NetIB-NEWS|ネットアイビーニュース https://www.data-max.co.jp/2012/09/12/post_16448_ib1701_1.html

 同じ部分の再掲になるかもしれないですが,ここに「厳密に言えば、『和田・石走・蓑毛法律事務所』である(資料参照)」という記述がありました。和田久弁護士は亡くなっているようですが,没年の情報が見当たらず,今もあるのか「和田久法律事務所」という情報が少なくありません。

» 和田久法律事務所 - Google 検索 https://t.co/BeZBK6T9P7

» 和田久法律事務所 - Google マップ https://t.co/ZuWCdFhXeX 〒892-0816 鹿児島県鹿児島市山下町16−11

 事務所と思われる写真が出てくるのですが,それほど大きく立派な法律事務所には見えません。普通の法律事務所ですが,一階に駐車場の奥に事務所があるのは珍しく感じました。

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> おはようございます。 鹿児島市内はJアラートがなった今朝も晴れです。 天気予報も見損ねました。 スマホでは36℃の予報です。 昨日は、朝事務所に着いて 和田久先生の訃報に接し 告別式に向かいました。... https://t.co/tYpvlRpox3



新聞報道によりますと・・・
 鹿児島県選挙管理委員会が16日に公表した2004年分の政治団体収支報告書によると、04年7月に初当選した伊藤祐一郎知事の資金管理団体「いとう祐一郎後援会祐祥会」の年間収入は2億2475万6131円で、収入の大半は元後援会長で弁護士の和田久氏からの借入金でまかなわれていた。
 「祐祥会」の収入内訳は、和田氏からの借入金1億8150万円、個人と政治団体からの寄付4323万4400円など。個人で800万円を寄付した伊藤氏自身を除く個人寄付者の最高額は150万円。10万円以上を寄付した政治団体は、いずれも100万円を寄付した自民党埼玉県第10選挙区支部、鹿児島県医師連盟、川内市医師連盟など8団体だった。
 県選管によると、「祐祥会」以外の伊藤知事関連の政治団体は「いとう祐一郎後援会」「守ろうふるさと変えようかごしまの会」の2つ。このうち、「いとう祐一郎後援会」は収入、支出ともなく、「守ろうふるさと変えようかごしまの会」は収入のすべてを「祐祥会」からの寄付に頼っていた。

[source:]1億8000万円ネタ その2 伊藤知事の資金管理団体収入 和田元後援会長から 1億8150万円借入 - 弁護士法人かごしま 上山法律事務所 TOPICS https://blog.goo.ne.jp/ueyamalo/e/f33f4a4c1163c7e670261d1c6d1351e8

 和田久弁護士に関する情報が少ないのは地元の影響力でタブー視されているのかとも考えていたのですが,そうでもなさそうという情報もあります。県選管というのは鹿児島県の選挙管理委員会のことなのでしょう。

 割と最近,石川県の選挙管理委員会の委員長としてテレビでみたのが被告発人木梨松嗣弁護士になるので,いくらか重なって見えるところがありますし,発見についても単なる偶然なのかと不思議に思うところがあります。


11月13日、金沢市長選挙当選証書付与式。金沢市選挙管理委員会の木梨松嗣委員長からいただく。

 木梨委員長からのお言葉。

北陸新幹線の開業以降、多くの人が訪れる中、金沢市はおもてなしと市民の平穏な住環境の維持をともに進めるという難しい課題を抱えている。市民はこれからのまちづくりに大きな期待を寄せている。地域経営力をいかんなく発揮してほしい」

 お聞きをしながら、さすがだと感じ入る。直面する金沢の課題と私のこれまでの取り組み、出自、資質等を勘案してのお言葉。私は、「当選証書の重みを胸に刻んで改めて気を引き締めて取り組んでいきたい」と述べる。

https://ameblo.jp/yamano4455/entry-12419595857.html

[source:](1) 山野 之義 - 投稿 https://www.facebook.com/232115973652485/posts/881112125419530/

 「11月13日、金沢市長選挙当選証書付与式。金沢市選挙管理委員会の木梨松嗣委員長からいただく」から始まる,現職の金沢市長,山野之義氏のFacebookの記事になります。次の検索で出てきました。

» 木梨松嗣 選挙管理委員会 - Google 検索 https://t.co/n8EBrvKU2g

 ここで山野之義氏が出てきたのも奇縁なのですが,故人となった弁護士の名前がそのまま残る法律事務所として思い出していたのが,敦賀という金沢市内の法律事務所で,故人の弁護士について調べていたとき,または調べていない時に見かけたのが山野之義氏でした。

» 山野之義 敦賀 法律事務所 - Google 検索 https://t.co/FmSq5FlqB5


弁護士の動きの謎
この騒動の中で面白かったのは、山野氏の主張として、「金沢市役所の顧問弁護士として月10万円で雇ってほしい。そうすれば業者を抑える。」と山野氏に言った弁護士がいて、その弁護士は太晃産業の代理人だということなのだった(読売新聞記事2014/08/14、北陸中日新聞2014/08/13、あくまで山野氏の主張)。

そして、山野氏の行為が公選法違反(利害誘導)などにあたると主張したのは、その弁護士なのだった。

顧問弁護士としての売り込みの真偽はともかく、山野氏は太晃産業と組んで何かしようとした又は太晃産業系統からの圧力に屈したせいでこうなっているわけで、山野氏の行為が刑事罰対象であるとあえて指摘するということはちょっと異様なこと(自分の依頼者側も共犯者なのではないか?)で、何を意図しているのかと訝りたくなる。

[source:]金沢市長辞任の謎 - 金沢法律事務所 弁護士 山岸陽平 http://yybengo.com/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%B8%82%E9%95%B7%E8%BE%9E%E4%BB%BB%E3%81%AE%E8%AC%8E

 弁護士のブログのようですが,名前に見覚えのある弁護士で,上記に引用した後になって「金沢法律事務所」と確認しました。金沢市を代表するような事務所名ですが,事務所名自体は余り見かけるものではなかったように思います。

 「山野之義 敦賀 法律事務所 - Google 検索」の検索結果は2ページでした。たまたま新聞の記事で見かけたような憶えもあるのですが,自分のTwilogで調べた方が,発見の期待が出来るかもしれません。

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> 山野氏の代理人を務める敦賀彰一弁護士(金沢弁護士会http://t.co/E8R7HBRJbs ← 見覚えのある名前の弁護士。懲戒請求の問題になっていたと思うけど、処分のことははっきり思い出せない。

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> (引用→)代替案について、山野氏の代理人を務める敦賀彰一弁護士(金沢弁護士会)は3日、北國新聞社の取材に「市に必要な契約で公金を支払うなら問題ない。ただ、山野氏は不明朗な部分があると思い、いったん辞職したのだろう」と指摘した。 http://t.co/RBzZrofgkT

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「山野 敦賀」の検索結果 - Twilog https://t.co/nRNXSHBfLO

 敦賀彰一弁護士の名前が出てきました。数年前に故人になっているはずの弁護士です。弁護士同士で報酬のトラブルになり,そのトラブルが死んだ後にも新聞の記事になっていたと記憶にあります。

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> 敦賀彰一弁護士・侭田明佳弁護士(金沢)懲戒処分・依頼に反して訴訟続け報酬1億円超 - 弁護士と闘う - Yahoo!ブログ http://t.co/DEai0iCngR 大阪方面で風呂屋をする人に石川県出身者が多いとは聞いていましたが、豆腐屋やホテルは知らなかったです。

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> 第14回石川県貨物自動車運送適正化事業実施機関評議委員会 ~ 敦賀彰一弁護士が新委員長に就任 ~ http://t.co/yY5H9vqSuF

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「敦賀彰一弁護士」の検索結果 - Twilog https://t.co/JybGLeUUsa

 「敦賀彰一弁護士」をキーワードに含むツイートはTwilogで,2015年9月29日が最後になっていましたが,そこに「第14回石川県貨物自動車運送適正化事業実施機関評議委員会 ~ 敦賀彰一弁護士が新委員長に就任」とあるのは意外で,すっかり忘れていました。

» 敦賀彰一弁護士 - Google 検索 https://t.co/TVUctpIxhE

 まだ検索結果の2ページ目を開いたところですが,死亡の情報は見当たりません。石川県トラック協会のことを思い出していたのですが,その直後のタイミングで,それらしいのが目に入りました。今からリンクを開きます。

 「講師の敦賀彰一弁護士が昨年8月1日に施行された石川県暴力団排除条例について解説をしました。 敦賀氏は、全国・石川県の暴力団情情勢、平成3年から現在に至る暴力団対策について説明し、」などとありますが,PDFファイルです。

» TH1207.pdf https://t.co/xAws5VWUL5

 URLがPDFファイルのファイル名となっていますが,1207とあるのは2012年7月を意味するのでしょう。石川県トラック協会は金沢市場輸送も,そのあとの市場急配センターも加入をしていたはずで,運転手をしていた頃に,話題になることがありました。


金沢大学病院で行われた抗がん剤臨床試験で説明を受けないまま被験者にされた女性の遺族が国に損害賠償を求めた「同意なき臨床試験訴訟」である。この訴訟では、新薬の治験ではなく、薬事承認を受け、保険診療が認められていた薬を用いた臨床試験におけるインフォームド・コンセント(informed consent、IC)のあり方が問われた。第9回では、金沢地裁判決を不服とした金沢大学がいかなる理由で控訴したのかを見ていく。

金沢大学病院
 金沢地裁判決を原告側はどう受け止めたか。
 敦賀彰一弁護士(2015年2月に64歳で死去)とともに原告代理人を務めた浅野雅幸弁護士によると、患者(以下、Kさんと言う)が北陸GOGクリニカルトライアルに無断で症例登録されていたことが裁判所に認められるなど、原告側の主張がある程度通ったので控訴はしない、という結論を出した。

 これに対し、被告の国は2003年3月3日に控訴する。控訴翌日の地元紙北國新聞には当時の利波紀久病院長(2002年12月~2004年3月在職)の次のようなコメントが掲載された。

[source:]「人体実験」と法、患者の人格権を法学部助教授と付属病院講師が探求 - 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary https://judiciary.asahi.com/fukabori/2019012300002.html

 「敦賀彰一弁護士(2015年2月に64歳で死去)とともに原告代理人を務めた浅野雅幸弁護士によると、」とありますが,金沢大学附属病院の写真があります。割と最近,テレビで写真か映像を見ましたが,平成5年3月当時とはまるで違った敷地と建物になります。


弁護士会によると、両弁護士は2001年に経営破綻した石川銀行に損害賠償を求めた訴訟をめぐり、訴えを取り下げても弁護士に多額の報酬を支払わなければならないなどと誤った事実を原告に説明。控訴審判決確定後に、2人で計約1億3千万円の報酬を受けとったとしている。

[source:]弁護士に業務停止2カ月 報酬1億3千万で懲戒 | 千葉日報オンライン http://www.chibanippo.co.jp/newspack/20130322/128637

 2013年3月22日の記事がそのまま残っています。最近,ずっと最近に近い記事の削除をいくつか見かけているので,多少珍しく感じました。千葉日報というのは余り見かけないですが,千葉県の地方紙という感じです。


既報。5月31日に自己破産申請準備に入っていた、貨物運送業の昭運(株)(所在地:金沢市米泉町*** )は11月28日、金沢地裁において破産手続きの開始決定を受けた。弁護士一任時の負債額は約8億円。

破産管財人には、敦賀彰一弁護士が選任されている。

[source:]昭運(株)/破産手続き開始決定(追報) | JC-NET(ジェイシーネット) http://n-seikei.jp/2012/12/post-12857.html

 ずっと忘れていた金沢市内の運送会社ですが,給料の待遇が良いということで話を聞いていたように思います。平成25年に破産とあります。


先代所長(故敦賀彰一弁護士)から受け継いだ「敦賀法律事務所」は、30年以上もの間、この金沢の地に根ざしてまいりました。
地域の皆さまが困ったときに、すぐに思い出してもらえるように、親しみやすく、いつでも気軽に相談できる法律事務所であることを第一に心がけています。

[source:]事務所案内|敦賀法律事務所|金沢の弁護士 https://turuga-law.com/about/

 このホームページの文章は前にも読んだように思いましたが,事務所の建物外見の写真があって,これは見た覚えがなく金沢市内のどの辺りかと考えているところです。


経歴
石川県七尾市出身

2002年3月 七尾高等学校 卒業
2006年3月 九州大学法学部 卒業
2008年3月 金沢大学法務研究科(法科大学院) 修了
2010年12月 弁護士登録
2010年12月 敦賀法律事務所 入所
2015年2月 敦賀法律事務所 所長就任

[source:]弁護士紹介|敦賀法律事務所|金沢の弁護士 https://turuga-law.com/lawyer/

 上記の引用は安藤俊文弁護士のプロフィール,経歴になりますが,前にも読んだと思いだしたものの,2002年3月に七尾高校卒業,2006年3月に九州大学法学部卒業というのは意外に感じたもので,さらに石川県七尾市出身とあります。

 この安藤俊文弁護士のことは前にも取り上げていると思いますが,被告発人多田敏明が被害者安藤文さんの父親を弁護士と私に吹き込んでいたことがあり,金沢西警察署の留置場では話をした看守の警察官が,その場で弁護士の名簿を取り出し確認をしていました。

 今,家にある2020年の能登町の電話帳を調べてみたのですが,能登町に安藤という個人の名前はありませんでした。能登では見かけない聞かない名前とは思っていました。会社名にも見かけたことはないように思います。

 敦賀法律事務所のホームページに弁護士の名前は,所長の安藤俊文弁護士ともう一人だけでした。昨年の7月の下旬には,安来に近いような名前を見かけ,島根県安来市の奇石を思い出したことから,翌日に恋路海岸の奇石を見に行くことにもなりました。

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> 観光前に知りたい!京都東山の「祇園さん」こと「八坂神社」の歴史と見どころ | きっかけは、絶景から。 wondertrip[ワンダートリップ] https://t.co/NpUSyKTVAI そして、出雲の根之堅洲国にある須賀(す… https://t.co/920dhJqjvQ

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「安来市」の検索結果 - Twilog https://t.co/D30q9YUVIt

 ずいぶん意外な検索結果ですが1件しか見つかりませんでした。「恋路」で調べた方が早く情報が見つかるかもしれません。

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> koijimap.pdf https://t.co/lqmklk4ikE 恋路奇石 白山神社 恋路観音 ラブロ恋路

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> 恋路観音…。2018/01/13 | 熊本の爺。 https://t.co/N3RemSRkOI

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「恋路」の検索結果 - Twilog https://t.co/uBrA7qCkch

 ざっとTwilogのツイートを見ただけでは確認が出来なかったのですが,恋路海岸に行ったのは昨年2019年7月27日になるのではと思います。そういえば弁護士の名前を探すのを忘れていました。

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> -*- 2019年07月24日、ブロックされていることに気がついた樋詰哲朗弁護士(金沢弁護士会)のTwitterアカウント

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> 安藤という名前は、全国的にかなり多い名前かと思われます。はっきり確認はしていませんが、少なくとも多い名前の20位以内には入っていそうに思えます。まあ、ネットで調べて確認はできそうです。

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> 私が金沢弁護士会で安藤という名前の弁護士にこだわるのは、それだけの理由があって、告発事件の大きなキーポイントの1つとも考えています。そのカギを握るのも被告発人多田敏明になります。

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> 金沢弁護士会のホームページで永來宏隆弁護士と、弁護士であることを確認しましたが、それにしては事務員なのかと間際らしいプロフィールでした。「えいらい」と読むようです。あるいは来の旧字体なのかもしれないですが、余り見かけることのない漢字だと思います。

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> 検索に取り掛かったところで思い出したのですが、島根県の地名は安来市ではなかったかと思います。「安来節」というのも思い出したのですが、これは近年、テレビで何度か群馬県の名物として見ているような気がします。

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> 島根県安来市は、国道9号線で九州方面に向かう時、夕方の早い時間に通過することが多かったのですが、国道沿いにちょっと変わった岩のような山があるのが印象的でした。大きさは余り記憶にないですが、似ていると思うのが能登町の恋路海岸にある道路沿いの岩でした。

» 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2019年07月26日 - Twilog https://t.co/x99rAb6ibx

» 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/2019年07月26日 - Twilog https://t.co/gW8ucqz3BY

» 永來 宏隆弁護士(内田清隆法律事務所)に法律相談 - 石川県金沢市北陸鉄道浅野川線 北鉄金沢駅 | Legalus https://t.co/ajzl7vh1Bq

 どうも内田清隆法律事務所を安藤俊文弁護士の敦賀法律事務所と取り違えて記憶していたようです。今見ると,永來宏隆弁護士の名前で島根県安来市を連想することはないのですが,そのときはインスピレーションのようなものがあったと記憶にあります。

» 山岸 陽平弁護士(金沢法律事務所)に法律相談 - 石川県金沢市北陸鉄道石川線 野町駅 | Legalus https://t.co/TdunEL3kHv 920-0981 石川県金沢市片町1-1-29 混元丹ビル9階

 先程見かけた金沢法律事務所の山岸陽平弁護士ですが,ちょっとリンクがあったのを開いてみると,事務所の住所が片町となっていました。片町は石川県で1番の繁華街飲み屋街で,北陸3県で1番とも聞くことがありました。ここに法律事務所というのは初めて見たと思います。

 なにか広告のようなもので名前を見かけていたのかもしれません。混元丹ビル9階とあります。このビルの名前は初めてですが,混元丹という薬のCMは,昔,しょっちゅうテレビで見かけていたように思います。

» 混元丹ビル - Google マップ https://t.co/mvUdvVtc5l

 住所が片町とありますが,香林坊大和アトリオの真向かい辺りで,ここも住所が片町になるのかと意外に感じました。金沢市役所の近くにもなります。

 そういえば,敦賀法律事務所の場所を確認するのを忘れていました。前に住所を見たことはあったのかもしれないですが,記憶にありません。さきほどの建物の前の写真を見ると,尾張町の広い道路の可能性を考えています。

» 敦賀法律事務所 - Google マップ https://t.co/ukp7MUifa7

 予想した武蔵ヶ辻の交差点から橋場の交差点までの尾張町の広い道路は,百万石通りという名称になっているとGoogleマップで知ったところですが,その百万石通りと検察庁前の通りの中間ぐらいの広めの道路の付近に敦賀法律事務所があるようです。

 金沢地方検察庁前の道路はお掘り通りと呼ぶようです。百万石通りとの間がずいぶん離れていて,記憶の倍近く離れているようにも感じました。このお掘り通りは,金沢地方検察庁と近江町市場の間で,市内配達でよく通っていた道路になります。


別府3億円保険金殺人事件(べっぷさんおくえんほけんきんさつじんじけん)とは、1974年(昭和49年)11月、大分県別府市のフェリー岸壁から親子4人の乗った乗用車が海に転落した事件ないし事故である[1][2][3]。保険金詐取目的で母娘3人を殺害した保険金殺人事件として、唯一生き残った父・荒木虎美が逮捕・起訴された[1][4]。荒木は一貫して無実を主張したものの、第一審・控訴審で死刑が言い渡された[5][6][7][8]。荒木は上告して争ったが、1989年(平成元年)1月に病死したため公訴棄却となった[9][10][11]。

[source:]別府3億円保険金殺人事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%BA%9C3%E5%84%84%E5%86%86%E4%BF%9D%E9%99%BA%E9%87%91%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


富山・長野連続女性誘拐殺人事件(とやま・ながのれんぞくじょせいゆうかいさつじんじけん)は、1980年2月に富山県で女子高生が殺害され、次いで3月に長野県で信用金庫に勤めるOLが殺害された事件である。警察庁広域重要指定111号事件に指定された。犯行現場で赤いフェアレディZが目撃されていたことから「赤いフェアレディ殺人事件」とも呼ばれる。

[source:]富山・長野連続女性誘拐殺人事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%83%BB%E9%95%B7%E9%87%8E%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%AA%98%E6%8B%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 だいぶん前に調べてブラウザのタブでページを開いたままにしていました。別府3億円保険金殺人事件は昭和49年11月とありますが,事故から疑惑の発覚までの間は,はっきりした情報をみていません。

 富山・長野連続女性誘拐殺人事件は昭和55年2月と3月あります。私が高校に進学する少し前の事件のようですが,これも意外な時期に感じました。裁判が長引き,共犯とされた男性が無罪判決になったと記憶にあります。

 どちらもこれまでに何度か調べている事件ですが,忘れることも多いのかもしれません。別府3億円保険金殺人事件が判決の確定前の上告中に病死し,死刑囚にもなっていなかったのは,かなり強く意外性を感じたもので,今回調べる前は,死刑が執行されたものと考えていました。

 前にも記述があるはずですが,平成9年の4月頃から平成10年の12月ころまでレンタルをしていたCDの判例データベースには,小堀秀行弁護士の検索で,この富山・長野連続女性誘拐殺人事件の情報が出ていました。被告,原告の区別など関与の仕方は確認できないものでした。

 その判例のデータベースは10万件の判例の収録となっていましたが,刑事と民事が一緒になっていたように思います。被告発人木梨松嗣弁護士の検索で出ていた豊田商事判例も,たぶんですが,刑事事件ではなく民事裁判の判例であったような記憶がかすかに残っています。

 ちょっと驚いたのですが,平成4年4月1日の前日に控訴審の判決が出ていたようです。「1992年3月31日、名古屋高等裁判所金沢支部が検察とMの控訴を棄却した。Mは上告。検察は上告せず、Aの無罪が確定した。」とあります。

 無罪になった男性のことは大きく報道されていましたが,その後は神隠しにでもあったように情報を見かけず,表に出ることはなかったと思います。当時,無罪判決に疑問を持つようなことはなかったのですが,違和感のようなものは感じていました。

 平成11年の傷害事件の判決が確定するしばらく前だったと思うのですが,金沢刑務所の拘置所の2階のフェンスが意味もなく外されたことがありました。なにか工事が始まるものと思っていたのですが,何もせずに元に戻していたと思います。

 前にも1度は記述をしていると思うのですが,その独居房の外のフェンスが外された時に,下に女性の受刑者と女性の刑務官が2人寄り添うように運動をしている様子が見えたことがあり,草花を眺めているように見えましたが,ずっと下を向いて動かずにいました。

 何か境地に達したような落ち着きで周囲を見渡すこともなく,これが富山・長野連続女性誘拐殺人事件で死刑判決を受けている女性ではないかと考えたことがありました。


昭和55年に富山、長野両県で女性2人が相次いで誘拐、殺害された事件で、身代金目的誘拐や殺人の罪で死刑が確定した宮崎知子死刑囚(71)の4度目の再審請求を、富山地裁が棄却していたことが27日、弁護人への取材で分かった。決定は23日付。

 弁護人によると、再審請求では共犯として逮捕され無罪となった知人男性の関与を主張。しかし、地裁は再審を開く新たな証拠はないと判断した。弁護人は決定を不服とし27日、名古屋高裁金沢支部に即時抗告した。

[source:]2女性誘拐殺人、71歳死刑囚の4度目再審請求を棄却 富山地裁、新証拠なしと判断 - 産経WEST https://www.sankei.com/west/news/170327/wst1703270107-n1.html

 2年ちょっと前のニュースですが,ずっと再審請求を繰り返していたようです。大崎事件のように話題になることもなく,日弁連の支援を受けたという話は聞いておらず,再審請求の理由というのも見た記憶がありません。

 3年前の2017年に71歳というのは意外に年が離れていると思いました。昭和55年の事件とありますが,その年の11月で私は15歳でした。

 記事をよく読むと「公判では同死刑囚の単独犯行として認定。平成10年に死刑判決が確定した。」とあります。死刑判決が確定すれば,すぐに死刑囚として名古屋拘置所に移送されていたはずで,移送されたという情報も前に見ていたと思います。これだと私が平成12年に見ているはずはありません。

 それと,富山・長野連続女性誘拐殺人事件は身代金目的の誘拐事件で,保険金殺人とは違っていました。


裁判】

 宮崎は「Kが主犯」と主張、検察側も自供に基づいて「女性を連れ出したのは宮崎だが、殺害したのはK」と主張した。
 Kはいったん宮崎との共犯関係を認めたが、すぐに無罪を主張し始めた。こうして2人は法廷内で対立するようになった。富山地裁第27回公判では、Kは宮崎について「この清い、静粛な法廷に悪魔の心を持つ女がいる」と言い放った。

 1988年2月、富山地裁は宮崎の単独犯行として死刑を言い渡し、Kについては無罪とした。

 1993年2月、名古屋高裁・金沢支部、一審支持。名古屋高検は上告を断念し、Kの無罪は確定した。

 1998年9月4日、最高裁、上告を棄却。死刑が確定した。

 2007年3月23日、富山地裁は宮崎の再審請求を棄却の決定。

[source:]富山・長野連続女性誘拐殺人事件 http://yabusaka.moo.jp/toyamanagano.htm

 1993年2月に名古屋高裁・金沢支部とあるので,この富山・長野連続女性誘拐殺人事件で被告人の運命を決定づけたのも被告発人小島裕史裁判長だったようです。さきほどは1991年とみたような気もするのですが,だとすれば違った裁判長で,平成4年10月頃に交代しています。

 私の傷害・準強姦被告事件の控訴審初公判で,平成4年の9月か10月でしたが,裁判長は濱田武律という名前で武人のようですが,見た感じも戦国時代の武将のようなところが感じられました。それが1月ほど後の後半で小島裕史裁判長に交代していました。

 今考えると,濱田武律裁判長のままであれば,私の運命も変わっていたのかもしれません。「心神喪失なら無罪じゃないか」とやや大きな声で言ったのがとても印象に残っているのですが,すでにその時点で被告発人木梨松嗣弁護士は弁護方針を固めていたようです。


生年月日 S7.4.1
出身大学 京大
退官時の年齢 61 歳
叙勲 H14年春・勲二等瑞宝章
H6.3.1 依願退官
H4.11.20 ~ H6.2.28 大阪高裁2刑判事
S63.12.1 ~ H4.11.19 名古屋高裁金沢支部刑事部部総括

[source:]浜田武律裁判官(9期)の経歴 | 弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)のブログ https://yamanaka-bengoshi.jp/2019/03/09/hamada3/

 「S63.12.1 ~ H4.11.19 名古屋高裁金沢支部刑事部部総括」という情報がすぐに見つかったのですが,これだと自分の記憶を疑いたくなるところも出てきます。平成4年の12月に公判があったことは割とよく覚えているのですが,その時には小島裕史裁判長で間違いはないと思います。


生年月日 S12.3.10
出身大学 金沢大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H19年秋・瑞宝重光章
H14.3.10 定年退官
H12.9.1 ~ H14.3.9 名古屋高裁2刑部総括
H10.2.21 ~ H12.8.31 名古屋家裁所長
H8.7.15 ~ H10.2.20 秋田地家裁所長
H5.1.13 ~ H8.7.14 名古屋高裁金沢支部
H4.11.20 ~ H5.1.12 名古屋高裁金沢支部民事部部総括

[source:]小島裕史裁判官(14期)の経歴 | 弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)のブログ https://yamanaka-bengoshi.jp/2019/02/24/kojima14/

 「H4.11.20 ~ H5.1.12 名古屋高裁金沢支部民事部部総括」とあります。なぜか民事部ですが,同じ頃には福井女子中学生殺害事件の逆転有罪判決も小島裕史裁判長は出しているはずです。

 やはり傷害・準強姦被告事件の控訴審は10月が初公判で,11月の20日すぎに2回目の公判があったものと考えられます。クリスマスが近づいた12月の公判ほど強く印象に残ってはいませんが,当初は月に1回ぐらいのペースで控訴審の公判がありました。

 被告発人小島裕史裁判長の生年月日も前に何度か見ていると思いますが,すぐに忘れていました。昭和12年3月10日とあるので,昭和11年12月生まれの安藤健次郎さんとは学年で同級生だったようです。

» 富山地方裁判所 昭和55年(わ)128号 判決 - 大判例 https://t.co/wuWfuFcIPZ