#### 国道50号線沿いの「忠治食堂」と,栃木県足利市付近の大きな焼肉店 Last update 2020-06-06_1046

 まだ拾い読みの段階ですが,「忠治食堂」という記載が出てきたときは驚きました。すっかり忘れていたこともありますが,ここまで詳細な記述を行っていたことです。群馬県桐生市とあったかもしれないのですが,記憶の中で特定できる食堂はありません。

 現在はすっかり変わっていると思いますが,国道50号線茨城県水戸市方面から群馬県前橋市に向かうと,ちょうど桐生市の入り口になったような気もするのですが,道路の道幅が狭くなり対面通行となりました。それが前橋市の入り口辺りまで続いたように思います。

 国道4号線の栃木県小山市から同県佐野市,同県足利市の間の国道50号線は全線で片側2車線以上になっていたと思います。特に足利市の辺りは道幅が広く,道路沿いの建物も少なくてバイパスという感じでした。

 後の方には,どこから入ったのか思い出せないのですが,広大な空き地か農地の中をずっと走る裏道があって,そのまま関越道の高崎インターに向かっていたという記憶があります。この場合,桐生市の辺りの国道50号線を通行することはなかったと思いますし,混雑を回避できました。

 昼はほとんどその高崎インターに出る道路を走っていたのですが,暗い時間は万一,道に迷った場合などを考え避けていたとも思いますし,国道50号線桐生市付近も混雑を気にするほどの通行量は夜間はなかったかと思います。

 これは茨城県古河市の山三青果の定期便を積んで戻るときのことで,前に何度か書いているのですが,山三青果の仕事は,昼過ぎの早い時間に出発できるときと,夕方の競りの荷物を積み込んで20時から21時頃に出発をしていました。21時だとかなりきついことがありました。

 市場急配センターでの大型長距離の関東での帰り荷は,ほとんどが山三青果の仕事で,平成3年中は東京の晴海や有明から外果というバナナ,オレンジ,レモンなどの外国から輸入された果物を積んでくることがありましたが,その他は平成4年2月3月中に3,4回あった栃木県葛生町の石灰ぐらいです。

 他にもあったかもしれないですが,今は思い出せません。市場急配センターの大型長距離の仕事は他に,和歌山県かつらぎ町からミカン,イヨカンを運んだ仕事があり,これも七尾市の丸一運輸の仕事と聞いていました。

 市場急配センターと七尾市の丸一運輸を結びつけたのは被告発人東渡好信でした。関東便の行き荷の大半も丸一運輸の仕事で,同じ七尾市内の近い場所から,能登木材の製材の荷物,林ベニアのベニア板の荷物がありました。いずれも関東便以外はないと思います。

 厳密にいえば,山梨県内のたぶん2箇所降ろしが一度あり,山梨県は甲信越で関東には含まれないのかもしれません。それでも中央道で東京にも近く,長距離の仕事では関東という感覚でした。ただ,先日も書いた通り,金沢市場輸送を含め他に山梨県内での荷物の積み下ろしは記憶にありません。

 市場急配センターで深夜に国道50号線足利市付近を小山市方面に走行した運行も割合珍しく思うのですが,今になって頭に浮かんだのは,宇都宮市に向かっていたのがその時だったかもしれないということです。

 市場急配センターの関東便では関越道を花園インターで降りることが多かったと思います。埼玉県内,千葉県内が荷降ろし先だとほとんどがそうだったと考えられます。それでも目的地が茨城県古河市付近だと,国道50号線佐野市から向かう道路を選択したはずです。

 今は様変わりをしているのかもしれないですが,平成4年当時の国道50号線足利市付近は,とにかく道路が広くガソリンスタンド以外に何もないような状況でした。

 広い道路沿いに大型トラックを駐車できる場所を見つけ,そこからけっこう歩いて大きな焼肉店に入ったことが一度ありました。他にはないような経験でもあったのでよく憶えているのですが,そのときの自分の精神状態というのも被害者安藤文さんのことで思い悩み葛藤があったと記憶にあります。

 郊外の焼肉店でしたが,他に見たこともない広い店内で,客入りは少なかったとも思います。時間も遅かったのだと思います。金沢市場輸送の栃木の定期便だと未明の深夜帯の通行となっていたので,焼肉店が営業している時間帯に小山市方面に向かうのも珍しかった気がします。

 この足利市付近の焼肉店については,まだ手書き書面の確認をしていません。とりわけ印象に強く残った場面でしたので,これまで何度も繰り返し思い出してきた運行の場面の1つです。忠治食堂のことはすっかり忘れていました。名前にインパクトがあるだけに忘れていたのが不思議にも思いました。

 私が子供の頃は,昭和40年代で,大衆演劇というのかなんとか一座の旅芸人などの話がまだ身近にあった時代でした。国定忠治や,その名セリフとされた「赤城の山も今宵かぎり」というのもよく見聞きすることがありました。今はネットでも見かけないですが,ネットの情報量自体が膨大です。

 金沢市国道8号線バイパスも,昭和の時代,平成4年当時,そして私が羽咋市に住んでちょくちょくと金沢市に行っていた平成14年から平成21年当時というのも変遷が著しく,以前の雰囲気や面影は相当薄れています。何より店の数が比較にならないほど増えました。

 先日も書きましたが,平成3年9月当時の電化のコジマ,国道8号線バイパス沿いで小さな店舗でしたが,平成15年頃には同じバイパス沿いの近くにビルの大きな店舗が出来ていました。いつのまにか影もかたちもなくなっていて,どの辺りにあったのかも思い出せないぐらいです。

 北陸自動車道も挟んだ国道8号線バイパスの向こう側には,ヤマダ電機の大型店がいつの間にか出来ていました。平成17年ぐらいにそこでノートパソコンを買ったのですが,その頃はまだ電化のコジマの大きなビルの店舗もあったように思います。

 記録には何度か記述があると思いますが,国道4号線茨城県群馬県の県境付近,たぶん間々田という地名で,ちょくちょく利用した太陽鉱油のガソリンスタンドがありました。ちょうどその辺りに電化のコジマの看板があって,長男が「あ!コジマ」と声を上げ,指を指したのです。

 太陽とヒマワリ,それに人の笑顔のスマイルマークを組み合わせたような電化のコジマのトレードマークでした。前に少し調べたような気もするのですが,電化のコジマの店舗が現在も残っているという情報は確認をしていません。ちょっと調べてみます。

» 電化のコジマ - Google 検索 https://t.co/QujLkDDCH9

» 【コジマネット】家電量販店・電化製品のコジマ 公式通販サイト https://t.co/pBsM7loG1l

» 店舗一覧|くらし応援コジマ https://t.co/J3xWkpuUf2

» 店舗一覧-北陸・甲信越・東海 | くらし応援コジマ https://t.co/JQz4EsirBH

 現在も全国展開していると知ったのは驚きで,CMの効果の大きさを今までになく強く感じたのですが,直後に開いたページには,新潟店,上越店,富山店があるものの金沢店が見当たらず,石川県ではCMの必要がなかったのだと確認しました。

 金沢市にはジョーシンといういつ頃出来たのかもわからない大型の家電店がありましたが,最初に出来た全国展開の家電店が電化のコジマだったと思います。平成3年9月当時も,広い店舗ではなかったですが,置いてある家電の種類も多く,珍しく見えたことを憶えています。

 今日は起きてテレビをつけたタイミングにも,NHKチコちゃんに叱られる,という番組で焼き肉のカルビのことを取り上げ,そのカルビが焼き肉の部位の名称ではないとか,まったく初めてする情報があって今まで知らずにいたのが不思議にも思えました。