#### 被害者安藤文さんの信頼と好意を悪用した犯罪行為と,重大な法益侵害 Last update 2020-06-04_0833

 細かく書くと長くなってしまうのですが,市場急配センターは金沢市場輸送という長距離トラック運送の会社にあった市内配達の部門が分離独立して出来た運送会社になります。

 秋だったという記憶は残っているのですが,平成元年になるのではと思います。これも過去の記録を読み込めば記憶が喚起され思い出すこと,特定できることがあると思います。

 市場急配センターという新会社が誕生したということより,金沢市場輸送の竹沢俊寿社長が両社の会長になったこと,金沢市場輸送の配車係だった本恒夫が金沢市場輸送の社長となり,被告発人松平日出男が市場急配センターの社長となったことが大きな話題となっていました。

 しかし,そのあとも事務所は同じで,夕方になると普通に市内配達の運転手の顔を見たり,話をすることもあったのですが,大きく変わったのが平成2年の春先のことで,告発事件の舞台となった市場急配センターの新事務所が出来て,運転手もそちらに移りました。

 両社のつながりは,市場急配センターのトラックが金沢市場輸送に給油に行くことぐらいでした。経営としては金沢市場輸送の仕事のメインの1つになったイワシの運搬の仕事,それと茨城県古河市の山三青果の仕事が市場急配センターからの請負というかたちでした。税金対策と聞きました。

 金沢市場輸送の事務所で被害者安藤文さんの姿を見かけるようになったのも,私が2年続けてやったイワシの運搬の仕事の2回目のシーズンが終わった頃のことでした。ダンプの方は4月までやると聞いていましたが,私がやった平ボディ車では,3月の中途か,あるいは2月一杯かもしれません。

 ミールの原料にするのがイワシの運搬の仕事でした。これも詳しく説明すると長くなるのですが,私のTwilogで検索をすれば沢山の情報が出てくると思います。これは被告発人安田繁克,その母親の愛人と聞く松浦さん,松浦さんの紹介と聞いた堂野さんのこともあるので,詳細を極めています。

 竹沢俊寿会長の友人の最高裁判事の息子で,元石川県警察の機動隊員,白バイ隊員の検察官とも話していたKKさんは,私の2回目のイワシのシーズンで,市場急配センターの現場監督のようなことをやっていました。

 元白バイ隊員で,私用のバイクに回転灯をつけて取り締まりをやり,上司にやり過ぎと注意されるなどして警察をやめたと話していたKKさんでしたが,うさぎの絵を描いたラビット号と呼ばれたポンコツのワゴン車では,大きな焼酎のペットボトルをラッパ飲みしていたと記憶にあります。

 時刻は20時57分です。テレビをつけたのが20時45分頃で,NHKでニュースいしかわ845を見ているのですが,金沢市内の寺で逃げ込んだクマを捕獲したというニュースがあり,本当にすごい爪なのだと映像を見ていました。経済の落ち込みも深刻なようです。

 テレビをつける少し前に思い出していたのですが,今日の金沢地方検察庁の電話では,最初に録音をお願いしておきました。弁護士被害対策が最大の理由です。

 金沢西警察署刑事課強行主任にも今日は市場急配センターの担当者の名前を尋ねたのですが,教える気はさらさらないと言われ,とりつくしまもなく弁護士の存在の確認を忘れてしまったほどです。

 KKさんの市場急配センターの急な退社は,様子のおかしさを感じるものであったのですが,その少し前は昼に時間を持て余す様子で,一緒に近くのラーメン屋に行くことがあり,昼から熱燗のような焼酎を飲みながら,被告発人松平日出男に対する不満をぶつけていました。

 赤茶色でたぶん銅のようなカップで酒を飲んでいた姿が記憶にあり,日本酒ではなく焼酎だったと思います。酔うと陽気になる性格で,山中温泉での一拍の慰安会に向かうときは,片山津インターを降りてしばらく走った時に,ナイロン袋に小便を入れようとして止められていました。

 宴会が終わった頃には大勢が雑魚寝状態となっていた大部屋で,爆睡をしていたのも豪快でした。

 見た感じはまったく普通の会社員で,金沢市場輸送では珍しくもみえたのですが,服装も小奇麗でした。勉強も出来たのかと思いますが,金沢市場輸送の事務所でコンピュータを操作し,他に出来る者がいないが少し愚痴をこぼすような話し方もしていたと印象にあります。

 群馬県渋川市と聞いていたと思います。あるいは沼田市だったかもしれません。関越道の看板でよく知っていた地名ですが,そこに実家があり,大きな梅園があるとも話していました。その家の事情で市場急配センターをやめるという話を聞き,かなり早く姿がなくなりました。

 それとちょうど入れ替わりのように金沢市場輸送で姿を見かけるようになったのが被害者安藤文さんでした。昨日か一昨日にも記述をした通り,彼女の名前は長い間,しらず,金沢市場輸送の運転手の間で話題になることもなかったと思います。

 平成2年の3月頃になるのか,晴天ではなかったですが小春日和の日,金沢市場輸送の輪島の運転手YAの付き合いで,3,4人ぐらいの運転手で市場急配センターに被告発人松平日出男を訪ねたことがありました。

 YAが新潟県の能町で起こした事故について被告発人松平日出男に話に行くという用事に付き合ったものでした。これが初めて市場急配センターの事務所に入ったときのことで,被害者安藤文さんの姿を見て,市内配達の女子事務員だったのかと納得したことを憶えています。

 すでに姫のNさん,宇出津のK村さんらの姿はなく,2月頃に竹沢俊寿会長に不義理をするかたちで市場急配センターの持ち込み運転手をやめたと聞きました。次の仕事のことは被告発人大網健二に話を聞いていたのですが,引っ越しに使うトラックを借りに行ったのもその頃です。

 被告発人大網健二が金沢港の近くのアパート,住所は無量寺だったと思いますが,そこから金沢市大場町東の一軒家に引っ越しをするという手伝いをしました。借家ではなく中古物件を購入したと聞いたように思います。金額は余り大きなものではなかったですが,家も大きくはありませんでした。

 時刻は22時47分です。お好み焼きを作り2枚目を焼いているところですが,ついつい手紙の書面に目を通したところ,まったく信じ難いことが書いてあっと驚きました。宇都宮から空ラックを積んでまた加賀市大聖寺に荷降ろしに向かったというのです。